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純文学と大衆文学の融合
投稿者 御前[1]
投稿日時 2005年11月18日(Fri) 16時47分37秒
 というのが僕の理想です。カテゴリーを間違えているかもしれませんが、そのまま書きます。
 でもこれってすごくないですか?刺激のあるコーラと苦味のあるコーヒーを一緒にしたような感じがして。過去にそれを実践出来た作品を仕上げた作家は数多くおりません。夏目漱石しかり安部公房しかり芥川龍之介しかり。深い意味を持っていながら時代に乗る。
 いやーいつかは書いてみたいね、そういう小説。今僕が書いている作品は新人賞に投稿するのでここには載せられないですが、このテーマに乗っ取って書いています。でもこういった小説を書く上で一番難しいのは、やっぱりバランスだと思います。純文学に傾けば面白みを失ってしまえば人に読んでもらえない。大衆文学に傾けば薄っぺらい。
 どうかこのことについてご意見を。
 今読み返すと、とても意見しずらいかもしれませんが、ご意見を。
 



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投稿者 大森貝塚[9]
投稿日時 2006年01月06日(Fri) 20時58分12秒
 はじめまして。面白そうな話題なので、少し参加させて下さい。

 何年も前ですが、元図書館員の母に、純文学とエンタメ小説(=大衆小説だと思っているのですが、違うのかな?)の違いを尋ねたことがあります。そのときの回答ですが、
「んー、純文学っていうのは芸術的っていうか……あんまり読んでも面白くないもんなのよね。エンタメはその逆で、推理ものとかスケベなの(官能小説?)とかも入るかな」
とのこと。まあ純文学を面白くないで片付けてしまうのもどうかと思いますが(汗)
これでいくと、わかりやすい面白さで多く売ることを目的にした作品は大衆文学になるのでしょう。ライトノベルは大衆文学に入ると思うのですが……。

 僕としては、大衆文学の読みやすさの中にテーマやメッセージなどを巧妙に隠した作品、なんてものが好きです。軽く読めるけど深みがあるなあ、というものでしょうか。余談ですが、名作といわれる映画もそういうものがありますね。

 とはいえ読むものにそういうジャンル分けを意識したことはないですね。いいものはいいし、面白くなければそれまで。純文学も大衆文学も、SFでもファンタジーでも現代小説でも経済ものでも関係ない。っていうのが僕の一読者としての意見です。純文学が面白くなくて大衆小説が薄っぺら、という意識に捕らわれなくてもいいと思います。

投稿者 御前[10]
投稿日時 2006年01月07日(Sat) 11時14分14秒
>明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いいたします。
おめでとうございます!今年も縁があればよろしくお願いします。
>さて、早速ですが一つ質問があります。
>それは、御前さん自身が、「純文学と大衆文学の違いをどのように位置づけられているのか」ということです。
>「純文学と大衆文学との融合」という問題を考える上でも二つの文学の違いを意識せずには通ることはできないでしょうし、問題意識を持たれたきっかけにも関連することだと思います。
>「こういう違いがあるんだ」と明確に答えを定めることは、おそらくはできないでしょう。
>御前さん自身が考えられている範囲のことで構いませんので、二つの文学の違いについてお聞かせ願いたいと思います。
>よろしくお願いします。
 うーん、正直穀さんの仰るとおり、明確な違いというものを僕には述べられません。ただあくまで「僕の認識では」純文学は純粋に芸術を追求したものであり、読者を半ば無視したような作品を指し、大衆文学とは人を楽しませようという認識をもって描く作品であると感じます。ただ、小説という表現技法は第三者の存在する地点で成立するものであるために、先に述べた純文学の説明とは矛盾してしまうので難しいところです。とても、とてつもなく簡潔に述べてしまうなら、難しいけど深そうな作品が純文学。すっごく面白いけどなんかマンガみたい、っていうのが大衆文学。
 こんな感じですね。あくまで「僕の」意見では。

投稿者 御前[11]
投稿日時 2006年01月07日(Sat) 11時35分41秒
>こんばんは、そして初めまして。
 初めまして〜。カツキさん。なんか大学の同級生で同じ名前の人がいたけど、多分別人だろうな、うん
>ここでちょっと気になったので・・・不躾な質問ですが。(デーメンチーさんのパクリっぽいけど)
>・御前さんはどのくらいのバランスがいい、と考えていますか?
 バランス……ですか。やはり融合を果たすには中間がベストだと僕は考えます。その場合、どっちつかずの中途半端な作品となる可能性もありますが、結局融合を果たした、文学としては究極に近い作品というのは紙一重ではないでしょうか。
>・尊敬、または好きな純文学、大衆文学(それぞれ)の作家は?
 尊敬する作家は……お恥ずかしいのですが、尊敬という念を感じた作家は特にいません。傲慢と言われるかもしれませんが、作品に憧れても作家には憧れない。僕の考えですが、作家に憧れてしまった地点でそれから出来上がる作品というのは、憧れた作家に作風が似てきてしまうと思うのです。融合を果たした作家は数多くいませんが、達成した方はそれぞれ自身の文学を極めた結果として作品を完成させたのではないでしょうか。少し間違えれば、こいつ馬鹿じゃないか、と思われる意見かもしれませんが、とりあえずこんなところです。あ、でも好きな作家や作品はありますよ。もっとも好きなのは安部公房のカンガルー・ノートです。僕は説明が得意ではないので内容についてはとやかく言いませんが、とにかく面白いです。僕の目指した地の、一つの頂点がある気がします。あとは純文学では漱石とか、芥川とかが好きですね。基本的には日本文学びいきですので。大衆文学では原田宗典さんとかヘミングウェイかな。ヘミングウェイが大衆文学作家かどうかは微妙なところですが……。
>最初のはともかく、二個目はものすごく興味本位ですが……。
 >話を戻しますが(というかまだ本題に触れられていないような気も)、融合というくらいですから、極論ですが、まずはどちらも書いてみることから始める方がいいかもしれないですね。文章を駆使した純文学風作品に、出来得る限り面白い大衆文学風作品。偏りきったものをたくさん。
>ゼロからいきなり創るよりは、材料をきっちりそろえた方が近道かなーなどと思ったり。
 I think so to! 僕もそう思います。今僕が書いている新人賞に応募する予定である作品はいきなり融合を狙っているのですが、恐らくどっちつかずの中途半端な作品に仕上がりそうです。カツキさんの仰る通り、まずはどちらも書いてみるのがベストだというのは、まさにその通り!
 貴重なご意見ありがとうございました。また機会があればお話しましょう。それから、あけましておめでとう

投稿者 御前[12]
投稿日時 2006年01月07日(Sat) 11時43分48秒
> あ、さらに蛇足ですが私のお奨めは「灼眼のシャナ」であって「灼熱のシャナ」ではありません。御前サン(笑)
>                      では。
 げっ、俺最低だな……。
 すっごい消えてますけどご意見は拝読しました。確かにデーメンチーさんの仰る定義というのは一つの真理であるでしょう、かどうかは多謝ながら僕のライトノベルに関する知識の上ではよく分かりません。後半の大衆文学の域を限定するのは難しい、というのはとてもよく分かります。

 灼眼、よし分かった。分かりましたよ〜。どうりで検索に引っかからないわけだ。何とか調べます。読んだら僕の作品の雑談コーナーにでも感想を残しておきます。←これ宣伝になるのか?

投稿者 御前[13]
投稿日時 2006年01月07日(Sat) 12時04分37秒
>>大森貝塚さん、ご意見ありがとうございます。うーん、申し訳ないのですが、このご意見には全面的に賛同は出来ません。ご意見というか、ジャンル分けにこだわらなくても……ってところのみですが。こだわっているつもりはないのですが、まったくこだわっていないわけではないことは、僕の意見でお分かりになると思います。それにもし大森さんのご意見をそのまま僕に取り入れてしまえば、僕の「融合」という目的それ自体が徒労に終わってしまうからです。一つの主張として「僕」のいる次元では、こういった目標が存在しているということです。
 大森さんの意見との相違は世界観が異なるために、発生したものではないでしょうか。
 さらに意見を述べますが、お気に障らないことを祈るばかりです。
 大森さんの仰る「いい」「悪い」という表現はどこから来るのでしょうか。まずその辺りの「大森さんの」定義を仰っていただけないと、反論のしようもないのですが、勝手に推論でものを述べます。
 僕にとって「いい」か「悪い」かは早い話、どうでもいいのです。もしそういった表現によって作品を分類するのなら、融合できれば「いい」。出来なければ「悪い」。もちろん僕の世界観に小説に良し悪しという定義は存在しません。書いた作品は瞬間的にしろ、作家にとって最高の出来栄えであるわけですから……って途中から何を言っているか分からなくなってきたので止めます。
 要するに全体的な傾向からして純文学は面白くない。大衆文学は薄っぺらいという定義が見えてくるのではないか、ということです。例を挙げるなら夏目漱石の「草枕」は一般人にとって面白いかどうか。正直言って、全然面白くありません。難解な小説です。むしろ論文を読んでいるかのようです。赤川次郎さんの三毛猫ホームズシリーズ。芸術的な価値があるか、と尋ねられれば僕は即座に「否」と答えるでしょう。
 なかなかきつい調子になってしまいましたが、もしご機嫌を損ねてしまったのなら、本当に申し訳ありませんでした。それに大森さんの意見の意図と食い違っていたのかもしれませんしね♪もうちょっと肩の力を抜け、とのことでしたら、僕も納得です。
 それでは失礼させていただきます。長乱文ですが、了とさせていただきます。

投稿者 御前[14]
投稿日時 2006年01月07日(Sat) 12時07分03秒
 I think so to
 ↑oが抜けてるって。馬鹿だな、俺。

投稿者 殻鎖希[15]
投稿日時 2006年01月07日(Sat) 18時13分54秒
お返事、どうもありがとうございます。
御前さんの認識されている純文学と大衆文学の違いについては分かりました。

私自身の意見も少し書かせていただきましょう。
純文学とは、書き手が真に書き手自身と向き合い、対話を行った時にこそ生まれるものである…と私は思います。
では大衆文学はどうであるか?こちらの場合は、書き手よりもむしろ読み手のことを意識して書かれる場合が多い(必ずしもそうであるとは言い切れませんがね)。
「純文学とは読者を半ば無視したような作品を指す」と仰っていますが、的を得ていると思います。
純文学と呼ばれる作品の中には、作者自身が大きな葛藤や、あるいは絶望を抱いた果てに完成されたものもあります。
常人には理解できぬ、「狂った」世界を紡ぎ出した方も多くいらっしゃいますね。
真に自己との対話を図ることは、時として多大な困難を伴うことでもあるし、苦難の道のりでもあります。
しかし、そうした苦難の先にこそ、見えるものがあるのでしょう。

仮に純文学と大衆文学の融合が行われるとするならば、まずは二つの文学の違いについて、自分なりの意義を持っておくことが重要です。
そして、それぞれにおいて、何を問題意識としているのか…何のために融合させなければならないのか。
このことについても、じっくりと考察、研究する必要があるでしょう。
作品を作る前段階として、これらのことを確固たる考えとして自らの中に定めておかなければ、いざ書こうとしても何を書けば良いのか困ることになるでしょうし、たとえ書くことができたにしても非常に中途半端なものとなります。

私自身、何故御前さんが「融合」を行おうと思われたのか、そのきっかけに非常に興味があります。
お聞かせ願えれば嬉しく思います。
色々なことを書きましたが、今回はこの辺で。

投稿者 大森貝塚[16]
投稿日時 2006年01月08日(Sun) 14時21分09秒

お気遣いありがとうございます。全く、気分を害したということはありません。むしろ、すみません、言葉足らずでした。「いい」という言葉は「読んでいて面白い」という意味で使いました。わかりにくかったですね……申し訳ございません。
 この「面白い」という言葉にも広い意味がありますね……単純に、読んで笑える、スカッとする、泣けてくるといった面白さの他に、作者の思想・意図を読み取ることができる、ユニークで斬新な内容である、人間の深い心理を捉えているなど、快感以外の、スッキリしない面白さもあります。大衆文学は前者の、純文学は後者の傾向が強いのではないかと思います。
 とはいえ、僕も難解な純文学の面白さよりは大衆文学のわかりやすい面白さの方が、断然好きです(笑)
なんせ難しい。読みづらい。とっつきにくい。そういう意味では純文学は全然面白くありません。

 結局、作品とは作者の想いを第三者に伝えるツールではないかと僕は考えています。大衆文学は読者を喜ばせたいという想い、純文学は個人的な思想や感情を伝えたい・発散したいという想いを伝えようとしているのではないでしょうか。
故に、まず書きたいテーマありきで、ジャンル分けは後からついていくものではないだろうか、と僕は考えています。どのジャンルで書くかを含め、手法や文章技術は、意図を伝える道具の一つですからね。

 だから、純文学と大衆文学をミックスさせたものを作り出そうとする御前さんの意図には共感できます。読みやすく奥深いものを書こうとしておられるのですから。ぜひとも読んでみたいと思います。でも、気を悪くされると申しわけないのですが、テーマとしてジャンルの融合から入るのは、ちょっと焦点がぶれているのではないか、と思った次第です。

>もうちょっと肩の力を抜け、とのことでしたら、僕も納得です。

 はい、その通りです。この一言が言いたかったがために乱文を書いてしまいました。申し訳ありませんでした。以上が、僕の意見です。

投稿者 御前[17]
投稿日時 2006年01月10日(Tue) 16時58分41秒
>私自身、何故御前さんが「融合」を行おうと思われたのか、そのきっかけに非常に興味があります。
>お聞かせ願えれば嬉しく思います。
 う〜ん、そうですね、簡潔に言ってしまうと、特に理由やきっかけといったものはありません。別に文学の神様に啓示を受けたわけでもないし、それが生涯を通しての使命だとか、そのようにも思ったことはありません。ただ仮に僕がこの目的を達成して、二次的な結果として、日本文学界の世界における認知度上昇、若者の読書離れが進んでいる昨今の現状を打開するのに多少でも影響を与えられればいいな、と感じた上で現在勉学に勤しんでいるわけですが。要するに書きたいから書いているだけです。ふと思い立って、吸いたいでもないのにタバコを手にとってしまうようなものです。
 蛇足ですが、僕は今の若者は本を読まない、とは思っておりません。そうでなければ書店にあれほど同年代の人々を見ることはありませんから。この掲示板をご覧になれば分かる通り、本に親しみを感じ、また己の力のみで本を生み出そうと苦心される方はたくさんいらっしゃいますから。
 後半はどなたに宛てて書いたというつもりはありませんが、とりあえず、僕の視点などをこの場を借りて示したつもりです。スレ違いは承知の上で書いたので、どうかご容赦下さい。

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