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話すこと・聞くことの勉強
投稿者 殻鎖希[1]
投稿日時 2005年06月23日(Thu) 01時30分10秒
今日は♪殻鎖希(こくさのぞみ)です。
今回は、どうも気になることがあってこの話題を立ち上げることにしました。

幾度も推敲を練りながら小説を完成させ、投稿屋のHPに投稿する…このことにより、皆さんも「書く」ことの勉強は行われているかと思います。
また、他の作家さん(プロ、アマを問わず)の作品を「読む」ことから、勉強を行われているという方もいらっしゃるかと思います。
その他にも「言語事項(発音・発声、文字、語句・語彙、文法のことを示します)」に関する勉強をよくなされているという方もいらっしゃるでしょうね。
「読むこと」「書くこと」「言語事項」についての勉強は、一人であってもある程度は行うことができますし、国語の勉強が行われる際にはこれら三つの勉強が主となって成されているように思います。
しかし…やはり、これだけでは足りないんですよね。
「読む」「書く」「言語事項」の他にもう一つ…「話す・聞く」の勉強も行っていく必要がある、と私は思うんです。

最近になって、「話すこと・聞くことの在り方について今一度見直す必要があるのではないだろうか」と感じることが多くなりました。
今回この話題を立ち上げましたのも、「話す・聞く」ことについての意見を、一度皆さんにも伺ってみたいと思ったからです。
「話す・聞く」ことは国語の勉強の中でも最も根底にあるものだと私は考えます。
そして同時に「話す・聞く」の勉強を疎かにしてはならない、と思いますね。
「話す・聞く」ことはまさに日常の生活を送る上での基本ですし、このことを疎かにしていては良い小説も書けないと思うんです。

しかし…実際に「話す・聞く」の勉強を行うことって非常に難しいんですよね。
前述しました「読む」「書く」「言語事項」とは少々性質の異なる分野でもありますから…一人ではなかなか勉強をしにくいといった面もあります。
そこで皆さんに伺いたいのですが、皆さんは「話すこと・聞くこと」の勉強について何かされていますか?
されているならば、実際にどういった方法で勉強をされているのでしょうか?
私自身、今後の勉強の参考にさせていただきたいと思いますので、宜しければお答え下さい。
勿論、勉強法といった内容以外でも結構ですよ♪(例えば、「話す・聞く」ことについての意見等でも構いません)。
皆さんの意見をお待ちしております。



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投稿者 通り雨[13]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 01時30分07秒
こちらこそよろしくお願いします。

>あれって、本当は肯定側の意見にも否定側の意見にも立って発言すること
>ができるというのが理想の形なんですよね。

そうだったんですか、私知らなかったです。
私はただ、面白いかもと思ってやっていました。

>>例えばAの事柄について反対のBの人と話をするとしますよね。
>>自分の思うままにAを言っても、相手の考え方は逆ですから伝わり難いです。
>>言い方によっては突っぱねられてしまう事も有るでしょう。
>>だから、話し方をAそのままではなくA'やB'にして相手に伝えると
>>相手にも私の言いたいAの事柄が伝わりやすいと思います。

>ここで述べられている「A'やB'」というのは具体的にどういったことを指しているのでしょうか?
>また、補足の方をお願いしたいと思います。

少し解りにくかったですね。具体的に日常の会話を例にすると、
赤が好きな人(仮にAさん)が、赤を嫌いな人(仮にBさん)に赤を良い色だと話をするとしますよね。
「赤が一番良い色だと」言うのが、Aさんの一番伝えたい事だとします。
ここで、Aさんが「赤が一番良い色だ」とBさんに伝えても、
赤が嫌いなbさんはAさんの言葉を拒絶しようとしますよね。
そこで、私の言うA'、B'の言い方に当たるのでが、
「Bさんの言う色もいいけど、赤も良い色だと思うんだけど」
っとやわらかい言い方をすると、Bさんも「何で?」という聞く姿勢になると思うんです。
そうなってから、Aさんは赤が良いと言う理由をBさんに解りやすく伝えていくという事なんです。

そして、補足の補足なんですが、今、私のしている文章を変える事も、
私の言うA’B'にあたります。
私は最初の返信で、「この書き方で私の言いたい事は解るかな?」と思って書きました。でも、上手く伝わりませんでしたよね?
今回はなるべく具体的に例を出して書きました。
最初の返信の書き方をAとします。今回書いたものはA'なんです。
この書き方を変えて、伝えようとする行為の事を伝えたかったんです。
解りにくくてすみません。どう書いたら伝わるのか解らなくて・・・。
私もまだまだです。頑張ります!

>こうした掲示板でのやり取りからも勉強できることが多くありますね♪

そうですね、私もそう思います。
同時に人とリアルに話すこと、経験する事も同じくらい大切な事だと思います。
たくさん、経験して、勉強して、良い物を書いていきたいと思います。

投稿者 殻鎖希[14]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 08時37分51秒
通り雨さん

そうですね。
具体例を出していただけると、非常に分かりやすいと思います。
やはり話をする際には具体性も必要なのでしょうね♪

つまり、A'やB'というのは相手の主張を認めながらも自分の意見を述べることを示すわけですね。
また自分の意図が相手に伝わらなかった場合に、別の視点から話を進めたり補足を付け加えるなどして、さらなる理解を促すといったことも当てはまるでしょうか。
改めて意見を伺うことによって、通り雨さんの仰る「グレーの部分」という表現についても「なるほどなあ」と納得することができました。
どうもありがとうございました。

投稿者 ぬん[15]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 12時44分47秒
こんにちは、ぬんです。

勉強法以外の内容でもよいということなので、現在の学校教育現場と関連づけて私が思うことを述べたいと思います。
穀鎖さんは、おそらく国語科教育をご専門としているようですね(違ってたらすみません!!!!!)。私はそちらは専門ではないので詳しくないのですが、、、、

>「話す・聞く」ことは国語の勉強の中でも最も根底にあるものだと私は考えます。

そして、最近ではそれが全教育科目に共通していると思いませんか?
おそらく、穀鎖さんも教壇に立ったことがおありでしょうけれども(これも検討違いだったら大変もうしわけないっす!!!)、現在は特に「生きる力」として「話すこと」に重点が置かれているように思います。そして、教師側は子どもの発した内容をわかりやすく要約して聞き返し、その繰り返しによって子どもたちは「話すこと」すなわち「相手にわかりやすく伝える手段」を学んでゆくのだと思います。
しかし、わたしには、「聞くこと」が教育現場でどのように指導されているのか?という疑問があります。「話す」ことに重点を置く指導ばかりで、「聞くこと」がおろそかになっている気がするのです。もちろん、成熟とともにある程度発達する機能ではありますが、文科省が「生きる力の重要性」を力説するのなら、「聞くこと」を精神年齢の成熟以上に発達させねばならないのだと思います。
なぜなら、「考える」ためには「聞くこと」すなわち理解することが前提ですからね。
OECDのテストでは、日本人の「考える力」(単なる思考を意味するのではなく、「答えのない課題」に対しての思考力と言う意味での)不足が問題となっていますね。心理的要因ももちろん考えられますが、理解という意味での「聞くこと」、明確な伝達という意味での「話すこと」とそれらを定義づけるならば、OECDのテストで高得点するためには「話すこと・聞くこと」が重要になってくるのではないかなぁと思います。

ということは(?)、やはり、せめて国語科教育では○×式の単純テストを課すべきではない、と思うのです。(かなり話題が飛躍してますが……)テストがあれば学校側は評価しやすいし親への説明責任も果たせますけどね。あくまで、「文科省が『生きる力』にこだわるのなら」、教師の都合でテストを単純化すべきではないと思います。文学作品の解釈なんていくらでも答えがありますし、それの答えを統一した正誤試験など全くもって意味をなしません。センター試験の小説なんて最悪です。(と言っても、実際問題、どの文脈からその解釈を得たかが重要で、そこが採点基準となっているんでしょうけれども)

すみません、私の主張事項がだいぶぶれているようです……
熱がこもってしまって、支離滅裂っぽいですね……
文字制限を気にしているので、変な箇所は随時補足させていただけたらなーと……
とりあえず、穀鎖さんの意見を伺いたいです!!

投稿者 ぬん[16]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 17時57分11秒
殻鎖さん

大変申しわけありません。
さきほどのレスであなたのお名前を間違っていました!!!
ほんっとすみません!!!!
失礼しました…… ほんとにほんとに…

投稿者 殻鎖希[17]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 18時30分21秒
ぬんさん

どうも今日は。
ご推察の通り、私の本職は国語科教育の研究です(ただし、専門としているのは「話すこと・聞くこと」ではなく、「書くこと」なのですがね)。
今回、ぬんさんは学校教育について専門的なお話もされているので、私も少し詳しくお話をさせていただきます。

「話す・聞く」ことの勉強は全科目に共通しているのではないか?という問いかけについてですが…まさにその通りです。
このことは、国語という教科のみではなく、全ての教科において言えることです。
「全ての教師は国語の教師であるべきだ」と主張される先生もいらっしゃいますね。

「生きる力」についてですが、生きる力の定義には「コミュニケーション能力」や「表現力」といったものも含まれますね。
生きる力を育む上でも「話す・聞く」力を養うことは非常に重要なんですよね。
本来、「聞くこと」は「話すこと」と相成って行われなければなりません。
言葉のやり取りというものは「聞く(理解する)→話す(伝える)」という一連の繰り返しによって成り立っているものだからです。
なのですが…ぬんさんの仰る通り、「話すこと・聞くこと」の指導というものは現場において疎かになってしまいがちですね。
「話す・聞く」力を伸ばすことを目的に据えたものの一つにディベートというものがありますが…年間の指導計画を見てみますと、どうにも少ないように思われます。

少し余談になりますが、OECDテストについて。
現在において日本の子どもの読解力不足が問題視されています。
「話す・聞く」力の不足も勿論ですが、まず不足しているのは「読む」力なんですよね(「聞く」力と「読む」力にはある意味通じるものもあると思うんですが…)。
数学の問題を解く際にも、「計算問題は解けるのに文章題は解けない」という子どもが増えています。
これはなかなか由々しき事態ですよ。
テストで優秀な成績を収めたのはフィンランドですが…フィンランドの子ども達はテスト主義の教育を受けておりません。
詳しいお話はここでは割愛しますが、日本に比べると自由な教育であるといった印象も受けるでしょう。
それでいて、子どもの学力が高い…理想的な教育の形であると私は思いますね。

話を元に戻しましょう。
「話すこと・聞くこと」の力を伸ばすことについてですが…私は普段の授業を行う上で、この力を伸ばすことを常に意識していなければならないと思います。
一昔前には、教師が一方的に喋るばかりの「受け身型授業」というものが流通していたこともあったようですが…
これからは「生徒参加型授業」を作り上げていく必要がありますね。
授業の中で、教師と子ども達が(あるいは子ども達同士が)意志の疎通を図りながら、話し合いを行うことにより、考える力をさらに伸ばしていくことができるでしょう。
授業をうまく機能させることにより、「話すこと・聞くこと」の力も伸ばせるのではないかと思います。
しかし…実際にそうした授業を行うのは非常に難しいんですよね。
四十五分(五十分)という限られた中で、如何に子どもが主体となって「話すこと・聞くことに」参加できる指導を組み込んでいくか…常に追い求めていかねばならない課題だと思います。

長くなりましたが…私の意見としてはこのようなところですね。

投稿者 殻鎖希[18]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 18時33分02秒
あはは…ぬんさん、気にしないで下さい♪
よく間違えられるんですよ。
「紛らわしい名前だなぁ…」と私も時々思います(オイオイ…・笑)。
私の名前は卵の「殻」に「鎖」で、「殻鎖(こくさ)」ですので…また今後も宜しくお願いしますね。

投稿者 ぬん[19]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 19時40分53秒
>ご推察の通り、私の本職は国語科教育の研究です。
尊敬します。私は国語の教授は苦手分野なので……

>「話す・聞く」力の不足も勿論ですが、まず不足しているのは「読む」力なんですよね。
うーん、私は「聞く」と「読む」の違いがよくわかりません。基本的には違うのでしょうけど。
問題は、口語と文語の違いからくるのでしょうか。そう考えると、「能力」というよりもむしろ文語表現における「知識」不足のような気もしてきますが……つまり、口語ではあまり気にしない文法など…… 
んーわかりません。どうなんでしょう???

私も、フィンランドの教育には興味がありました。いわゆる「調べ学習」が主ですよね。
経済大国であるアメリカがトップではなかったのがまずびっくり。と考えると、経済成長と学力は相関関係にない……?なのにOECDの正式名称って……

いや、経済学各方面でもいろいろ分析がなされているでしょうし私にはわからないことなのでやめておきます。

>四十五分(五十分)という限られた中で、如何に子どもが主体となって「話すこと・聞くことに」参加できる指導を組み込んでいくか…常に追い求めていかねばならない課題だと思います。

そうですね。そればかりに重点を置いても今度は「知識不足」から学力低下が危ぶまれる恐れもありますし……バランスをとるのがとても難しいですね。 まぁ、「学力」の定義すらはっきりしませんし、OECDテストの評価の基準も怪しいですが。

論点のずれた書き込みですみませんでした。
実のところ、教授法についてあまり関心がなかったのですが、これを気に少し考えていきたいと思います。特に「話す・聞く」ことについて……
ありがとうございました。

投稿者 殻鎖希[20]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 22時15分23秒
ぬんさん

少しばかり補足をしておきますね。

>うーん、私は「聞く」と「読む」の違いがよくわかりません。基本的には違うのでしょうけど。

そうですね…このことについて、私の意見を述べてみます。
「聞く」という行為を行う時には、話者と「話す」ことにより意思の疎通を図ることができます。
言葉を交わすことにより、理解を深めることができるんですね。
一方、「読む」に関しては、解釈の仕方は全て読み手に委ねられます。
文章として書かれていますので、何度も繰り返して読むことができますが、その文章に書かれている内容については読み手が一人で読解せねばなりません。
今の日本の子どもには、この「読解力」というものが不足していると言われていますね。
「話す・聞く」ことを通じて、分かりやすくかみ砕いて説明してあげると、理解できるのですが、一人で文章を「読む」となるとどうにも苦手なようである…と。
読解力不足の原因としては、知識の不足も勿論挙げられます。
文法事項や語彙力など…いわゆる「言語事項」と呼ばれるものが不足している面がありますね。
その他にも、活字離れを起こす子どもが増えていることも原因の一つに当てはまるでしょう。

フム…経済成長と学力が相関関係にあると一概には言えないでしょうね。
学力においても、アメリカが必ずしもトップにあるというわけでもないのでしょう。
私はむしろ、ドイツの学力低下の方が気になりますね。
従来の教育方法では限界がある…ということも確かでしょう。
「話す・聞く」ことを積極的に授業に取り組み、子どもの意欲を引き出すことのできる授業作り…これは本当に大きな課題になりますね。
無論のことながら、知識を養わせることも必要となります(ある面では、従来の教育が必要となることもあるでしょう)。

こちらこそ、どうもありがとうございました♪

投稿者 殻鎖希[21]
投稿日時 2005年06月30日(Thu) 18時41分14秒
学校教育といったことで、少し難しい話になってしまいましたが…元の話題に戻しましょうか♪
「話すこと・聞くこと」の勉強法について、あるいは「話すこと・聞くこと」についての意見等について、まだまだお待ちしております。

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