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話すこと・聞くことの勉強



投稿者 殻鎖希[1]
投稿日時 2005年06月23日(Thu) 01時30分10秒
今日は♪殻鎖希(こくさのぞみ)です。
今回は、どうも気になることがあってこの話題を立ち上げることにしました。

幾度も推敲を練りながら小説を完成させ、投稿屋のHPに投稿する…このことにより、皆さんも「書く」ことの勉強は行われているかと思います。
また、他の作家さん(プロ、アマを問わず)の作品を「読む」ことから、勉強を行われているという方もいらっしゃるかと思います。
その他にも「言語事項(発音・発声、文字、語句・語彙、文法のことを示します)」に関する勉強をよくなされているという方もいらっしゃるでしょうね。
「読むこと」「書くこと」「言語事項」についての勉強は、一人であってもある程度は行うことができますし、国語の勉強が行われる際にはこれら三つの勉強が主となって成されているように思います。
しかし…やはり、これだけでは足りないんですよね。
「読む」「書く」「言語事項」の他にもう一つ…「話す・聞く」の勉強も行っていく必要がある、と私は思うんです。

最近になって、「話すこと・聞くことの在り方について今一度見直す必要があるのではないだろうか」と感じることが多くなりました。
今回この話題を立ち上げましたのも、「話す・聞く」ことについての意見を、一度皆さんにも伺ってみたいと思ったからです。
「話す・聞く」ことは国語の勉強の中でも最も根底にあるものだと私は考えます。
そして同時に「話す・聞く」の勉強を疎かにしてはならない、と思いますね。
「話す・聞く」ことはまさに日常の生活を送る上での基本ですし、このことを疎かにしていては良い小説も書けないと思うんです。

しかし…実際に「話す・聞く」の勉強を行うことって非常に難しいんですよね。
前述しました「読む」「書く」「言語事項」とは少々性質の異なる分野でもありますから…一人ではなかなか勉強をしにくいといった面もあります。
そこで皆さんに伺いたいのですが、皆さんは「話すこと・聞くこと」の勉強について何かされていますか?
されているならば、実際にどういった方法で勉強をされているのでしょうか?
私自身、今後の勉強の参考にさせていただきたいと思いますので、宜しければお答え下さい。
勿論、勉強法といった内容以外でも結構ですよ♪(例えば、「話す・聞く」ことについての意見等でも構いません)。
皆さんの意見をお待ちしております。

投稿者 御月 幸[2]
投稿日時 2005年06月23日(Thu) 11時26分11秒
殻鎖希さま、初めまして。「みづきこう」と申します。
「話す・聞く」の勉強…確かに、普段していることなだけに難しいですよね。
勉強法とは、少し違うかもしれないのですが、後で考えると「勉強になっていたかも」と思えたことでよろしければ。

以前、私「コールセンター」に勤めていたことがあるんです。いわゆる、販促業務、というヤツでこちらから商品をお勧めして、買っていただく…ということなんですが。
勿論、マニュアルはありました。けれど、相手だって人間ですから、全く同じ反応を返すわけではありませんよね。それに、お客様はほとんどが企業でしたから、大半が年上の方でしたし忙しい最中に電話をかけるのです。中には「いらない」と一言で電話を切られることもありましたし…。けれど、そこで「どう話せば興味をもってもらえるか」を考えました。そして、相手がその商品をどう思っているのかを「よく聞くこと」に重きを置くことにしました。
やっぱり、マニュアルじゃだめなんです。実際に話して聞いて、納得していただいて初めて商品を買っていただけるものです。

そういう経験が勉強だったのかも、と今は思ってますね。
まぁ…実際精神的にかなりキツかったので…よほどじゃないとお勧めはできないんですけどね…(苦笑)
でも、知らない方と話してそれを理解していただく…というのが近道ではないか、と私は思うんですが…いかがでしょう?

投稿者 白鳥[3]
投稿日時 2005年06月23日(Thu) 11時35分35秒
初めまして、白鳥と申します。
話すこと・聞くことの勉強‥‥ですか。たしかに難しいですよね。
僕は勉強とは言えないかも知れませんが、よく「聞く」ということを考えます。

というのも、僕はパチンコ屋で働いています。そこでは仕事中にインカムをつけて他のスタッフと連絡を取り合います。
顔が見えないものですから、言葉がとても重要になってくるんですね。
あまり込み入った話はされないのですが、言葉ですから解釈の仕方が食い違うこともあります。
しかも、一対一ではない。電話のようで電話じゃない、と最近気付きました(遅いなぁ‥‥笑)
たまに誰に言っているかわからないこともあったり、二つの会話が混合していたり、新人さんで慣れていないと人が話しているのに話始めたり、というのも珍しくありません。
こうなると、ただ「聞く」だけだと意味がわからないんですよね。言葉同士を繋げ、整理して、理解する。フル回転とまでは行かずとも、脳みそを働かせないと置いていかれます。

それでも誤解釈はあります。そういう時は、家に帰ってから一人反省会‥‥(笑)

自分自身、話すことについては凄く苦手です。要点がわからない、或いはどう反応していいかわからない話をよくします。これも一人反省会の対象です。でも直らないのは、性格でしょうね。ノリが悪いというか。
なのでまずは聞くところから。人の話し方を聞いて、自分に活かす。実際自分が話す話さないは別として、その言葉が人にどう受け入れられるのか、知ることが出来ます。
某スレでも書いたことがあるのですが僕は劇作家志望なので、この辺はよく観察しています。多分。

常々思うのは、「聞く」というのは本人に「聞く」意思がなければ出来ないことなんだ、ということ。春には新人さんが結構入ったのですが、何度「聞いて」と言っても、本人が聞こうとしなければなにも聞こえない。理解して、と言ってもそれも本人の意思。
他人がどうこう言おうと、意思を持つのは本人次第ですからね。これがなかなか、歯がゆいです。
とはいえ、僕も新人のうちは全く聞けてなかったインカム。もう少し長い目で見てみよう、と思うばかりです。

なんだか愚痴のようになってしまいました、すみません。果たして意見になっているのかも怪しいですが;;
乱文・長文失礼しました。

投稿者 通り雨[4]
投稿日時 2005年06月23日(Thu) 14時11分16秒
初めまして、通り雨と申します。

>されているならば、実際にどういった方法で勉強をされているのでしょうか?

これが勉強法ですとは言えないのですが、
ディベートをすると『話す』事『聞く』事の勉強になると思います。
私は学生の頃、授業にディベートの授業が有りまして、
そこで、慣れてきた時にやっていたのはあえて逆の意見側に立ち
意見を述べると言う事をしていました。

AとBの対立する意見があって、私はAの方が良いと思うんですが、
わざと、B側に立って意見を言う事で、
Aのメリット、デメリットが見えてくるんですよ。
『話す、聞く』は生身に人間同士のコミュニケーションです。
白、黒なんてはっきりしていませんよね?
人それぞれ、グレーが存在するはずです。

例えばAの事柄について反対のBの人と話をするとしますよね。
自分の思うままにAを言っても、相手の考え方は逆ですから伝わり難いです。
言い方によっては突っぱねられてしまう事も有るでしょう。
だから、話し方をAそのままではなくA'やB'にして相手に伝えると
相手にも私の言いたいAの事柄が伝わりやすいと思います。
ただ、短い時間でAからA'、B'と言い方を
変える混乱してしまう時がありますけどね。
私の中では『話す』=『伝える』だと思っています。

そして、『聞く』事によって相手の考えている事、言い方が解ります。
私は人の話を聞く時、先入観を0にします。
取りあえず、『理解したい、聞きたい』という姿勢で話を聞くようにしています。
そうして、聞く事によって相手の言い方が解り、
自分の話し方も変わってくると思います。
キャラクターを変えるのではなくグレーの部分を
上手く使えるようになると思うんです。


『話す』=『伝えたい』、『聞く』=『理解したい』の姿勢だと私は思います。
そして『話す、聞く』と密接に『書く、読む』も関係してくるのではないでしょうか?
文章も言葉も『相手に伝えたい』と言う事だと私は思います。
だから文章を書くときもどう書いたら相手(読み手)に伝わるだろう?とか
読むときもこの書き方は相手に誤解されるとか、
真意は他に有るような気がするとか考えながら読んでしまいます。
特にこういう掲示板のような所ではそうですね。

小説になるとなかなか、自分の世界観もあって表す事が難しいなぁと
この頃思っています。

投稿者 殻鎖希[5]
投稿日時 2005年06月23日(Thu) 15時22分00秒
御月 幸さま

初めまして♪以後宜しくお願いします。

この度は、貴重なご意見をありがとうございます。
非常に興味深く読ませていただきました。
普段関わる機会がほとんどないということもあり、私自身、販促業務についてはこれまでにあまり考えたことがありませんでした。
しかし、ご意見を伺っていますと、「なるほどなあ」と思わず唸ってしまいますね。
「如何にして、相手に興味を抱かせるか」ということを意識しながら話す…とても難しいお仕事であると思います。
しかもその為には「相手が商品に対してどう思っているのか」を聞かなければならない…仕事を行っていく中で、「話す・聞く」ことの訓練がなされていくわけですね。
電話でのやり取りとなりますと、お互いに顔を合わせることもありませんし、ジェスチャーなどを交えることもできませんから…「話す・聞く」力がより一層問われることになると思います。

>でも、知らない方と話してそれを理解していただく…というのが近道ではないか、と私は思うんですが…いかがでしょう?

ええ、私もそう思います。
何も知らない方に対して自分の意見を説明し、さらにその人との言葉のやり取りを交わす…こうした過程を踏まえた上で議論を行うというのも良いと思いますね。

投稿者 殻鎖希[6]
投稿日時 2005年06月23日(Thu) 15時45分08秒
白鳥さま

初めまして♪こうしてお話するのは初めてでしたね。
白鳥さんのお名前やご意見は、他のスレッドでもよく読ませていただいていますので、どうにも「初めまして」という気がしないようにも思うんですよ(笑)。
これからも宜しくお願いしますね。

お互いに顔の見えない状況の中で、会話を行わなければならないとは、非常に大変だと思います。
それも「一対一」ではなく「一対多」なのですからね。
どこかで話がずれてしまったり、内容が混乱してしまったりすると、収拾がつかなくなりそうです。
顔を見合わせている状況であれば、解釈も食い違いも起こりにくくなるかと思うんですが…難しいものですね。

>なのでまずは聞くところから。人の話し方を聞いて、自分に活かす。実際自分が話す話さないは別として、その言葉が人にどう受け入れられるのか、知ることが出来ます。

そうですね。「話す・聞く」の勉強を行う際にはやはり聞くことから行っていくべきであると私は思います。
そもそも会話(対話)を行う際には、自分の意見を話すこと以上に、相手の意見を聞くことが重要になってくると思うんですよ。

>常々思うのは、「聞く」というのは本人に「聞く」意思がなければ出来ないことなんだ、ということ。

「聴く」力を養っていかなければならない…ということになるのでしょうね。
流れてくる情報を「自然に耳に入れてしまう(聞く)」のではなく、「耳を傾けて真摯な心で受け入れる(聴く)」態度が必要になると思います。
私もついつい、他の人の話を聞き流してしまったりすることがあるんですよね。私自身、反省しなければいけません。
「聞く」ことから「聴く」ことへと自分の意識を変えていくことが大切だと思います。

投稿者 殻鎖希[7]
投稿日時 2005年06月23日(Thu) 16時18分37秒
通り雨さま

どうも、初めまして。これからも宜しくお願いします♪

私も昔ディベートをやっていたことがありますよ。
あれって、本当は肯定側の意見にも否定側の意見にも立って発言することができるというのが理想の形なんですよね。
私はなかなかそこまではできなかったのですが…

>AとBの対立する意見があって、私はAの方が良いと思うんですが、
わざと、B側に立って意見を言う事で、
Aのメリット、デメリットが見えてくるんですよ。

ええ、そうですね♪
双方のメリット、デメリットを把握することは重要であると思います。
自分の意見の良い面、あるいは相手の意見の悪い面しか見えていない状況であると、どうしても一面的な話し合いになってしまうんですよね。
ディベートや議論の場では、多面的に話をするといったことが特に求められます。


ところで、一つ確認したいことがあるのですが…

>例えばAの事柄について反対のBの人と話をするとしますよね。
>自分の思うままにAを言っても、相手の考え方は逆ですから伝わり難いです。
>言い方によっては突っぱねられてしまう事も有るでしょう。
>だから、話し方をAそのままではなくA'やB'にして相手に伝えると
相手にも私の言いたいAの事柄が伝わりやすいと思います。

ここで述べられている「A'やB'」というのは具体的にどういったことを指しているのでしょうか?
また、補足の方をお願いしたいと思います。


話を元に戻しましょう。
「聞く」際には先入観を0にして…これもその通りだと思いますね。
これは「話す」際にも言えることなのではないかな、と思います。
多面的な話し合いを行う上でも求められることです。

>『話す』=『伝えたい』、『聞く』=『理解したい』の姿勢だと私は思います。
>そして『話す、聞く』と密接に『書く、読む』も関係してくるのではないでしょうか?
>文章も言葉も『相手に伝えたい』と言う事だと私は思います。

「話す・聞く」と「書く・読む」の関係性…これもあるでしょうね。
「話す」ことと「書く」ことの目的についても共通している面があると思います。
ですから、「話す・聞く」ことも決して疎かにはできませんね。
掲示板では、まさに「書く・読む」といった行為が「話す・聞く」に値します。
こうした掲示板でのやり取りからも勉強できることが多くありますね♪
私も「話す・聞く」ことの勉強をしっかりと行った上で、より良い小説を「書く」ことにチャレンジしていきたいと思います。
これからもお互いに頑張りましょう♪

投稿者 空想科学者[8]
投稿日時 2005年06月23日(Thu) 23時19分28秒
基本中の基本の話題のようですね。

しかし、高校まで行ったら日本語はほぼ完璧なはずです。いまさら「話すこと・聞くことの勉強」というのもなんて気はいたします。

あえていえば、パートタイムジョブや職でもいいですが、人に作業を教える場合、どうやったら、手短に、かつ、質問も少なくすませて、作業させられるかを考えます。
これが勉強方法です。

作業ができるかできないかは、個人の能力によるところもありますが、それはまず平均的な知力と体力、器用さがあるという前提とさせてください。
これは本当にいい勉強方法です。

自分の説明がよくないと、
・作業者から質問攻めになる。
・作業者がしょっちゅう作業を間違える。
・作業効率が悪く作業がはかどらない。
・説明に疲れ果てる。(説明時間が長く、説明資料も多い)
こんなことになります。

それで、これらの原因を考え、対策します。
これによって、前回の問題点をなくせれば、あなたは何かを学んだことになります。
それはひとつには、”要約”です。話し言葉にも、書き言葉にも両方にこれは必要です。

NHKの教育番組、ごらんになったことがあると思いますが、あれも非常に効率よくまとまって、要約されているから分かりやすいのです。
参考書もそうですね。

小説をベース(オリジナルでもいいですが)に、脚本を起こしますが、あれもヒットする映画は、わかりやすいですよね。名セリフがうまれるのも俳優の演技によるところも、監督の演出によるところも多いですが、一番には脚本家の要約がうまいからですよね。
あれが普通のリアルな会話のように、グチまじりにだらだら、しゃべられたらどうでしょうね。観客も寝てしまうでしょう。

人に言葉を伝えるには、とにもかくにも”短さ”が重要です。
大昔の知識人は、和歌や俳句をたしなんでいましたが、これらは究極の”短文芸術”でしょう。
今でも川柳などありますし、そういうことを趣味にされている方もいると思います。
標語もいいでしょう。ボキャ(語彙)を増やす練習にはなりますが、平文を書く練習とは違ってきます。
私は、和歌や俳句を読みその感性を味わうのはすきなのですが、自分ではやりません。

もっぱら、人への説明。

ここの掲示板でも言いたいことが伝えられないと悩んでおられる方を目にします。
この説明をやってみてください。
また、がっかりさせるような事を申しますが、そのままやれば「100%伝わらないことでしょう。」
準備したらどうでしょう。いくらか経験があれば、対策は打てるでしょう。
それでも、問題0なんてことはないと思いますよ。

題材は自由に考えてください。
説明をして作業をやってもらう相手は、ご家族でも友人でも、誰でもいいです。

身近なことでは、遊びや旅行のプランナーになりみんなを誘導して楽しくすごせられるのもそういうのと似てますよ。
段取りが悪かったり、説明と実際が大きく違っていたり(それはプランナーのプラン不足によるものが多いと思います。)したら、一行は不満たらたらでしょうね。
旅行から戻っても、あなたが何かの失敗をやるたびに、その事をなじられたりするんどえはないでしょうか?

だまされたと思って、自分の実力を試して見てください。
とにかく、一度は実行し、次に改善すべき部分をみつけて対策し、もう一度、実施しないと勉強にはなりません。

投稿者 HANA(花檻)[9]
投稿日時 2005年06月25日(Sat) 22時06分40秒
こんばんは。HANAです。
興味のある話題だったので寄らせていただきました。

私は「話す&聞く」ということを特に勉強したという経験はありません。
ただ最近よく思うのは「会話」というのはとても大切だな〜ということです。

ここのところ、韓国の方と話をする機会があるのですが、私は韓国語は挨拶くらいしか知りませんし、向こうは日本語の勉強中で片言でちらほら話してくれますが、どうしても意思の疎通が難しいです。
私の言葉は彼が勉強をしてくれていることもあり通じるのですが、私が彼の言葉が通じないことはよくあります。
そこで大事なのは話をよく聞くこと。彼の話してくれる英語と日本語と韓国語をよく聞き、そして聞き返します。私の話す内容を彼も理解してくれたら会話はようやく成立します。
時間は掛かりますがその分「会話をした」という達成感のようなものがあります(笑)

通り雨さんも書いていますが、会話とは「話す=伝える」「聞く=理解」があって初めて成立するものだなと本当に思います。
彼との会話は性格や考え方の違いもありますが、なによりも文化が違いますから当然理解し難いことも多々あります。でも会話をすることによって文化や様々な違いについて、完全に飲み込むことはできずとも「そうなんだ〜」と理解することはできます。

今まではそんなに会話について考えたことなどありませんが、穀鎖さんの「話すこと、聞くこと」=「会話」かな?と思い、ここ最近私の思うことを書かせていただきました。

それでは長々と失礼しました。
 

投稿者 緑川潤[10]
投稿日時 2005年06月26日(Sun) 13時27分28秒
こんにちは、緑川潤です。
興味深い話題ですね。このスレッドができた時から考えをまとめようとしているもののやたらと長く支離滅裂なレスになってしまうため、今まで傍観者でいました。

そういったわけで、色々と盛り込まず、「聞く」ということだけに焦点を絞って意見を書き込ませて頂きます。全体に決めつけたような書き方になっていますが、私はこのように考えている、というだけでこうであるに違いないと言っているのではないのです。「『聞く』ことに対する一考察」とでも捉えて頂ければと思います。

人の話を聞いて理解するのは、時としてとても難しいです。相手との経験、価値観、知識などの違いから殆ど理解できないことも多々あります。
そんなとき、理解できない理由を「相手の話し方が悪い」と決めつけてしまいがちです。確かに話し手によっては誰にでも分かりやすく説明できるのですから、それも一理あるでしょう。
ですが、聞き手の方には問題がないのでしょうか。
まずは、「本当に自分は相手の言っていることを理解しようとしているか」ということを考えなければならないと思います。白鳥さんも仰っている通り、聞こうとする意思を持っているか、ということをまず考え、それから「そこに先入観はないか」ということを考えなければならないと思うのです。つまり、頭から相手の言っていることを「間違っている」或は「正しい」「自分と同じ」「どうせ分かりはしない」などと決めてかかってはいないかを自問しなければならないと思うのです。
その上で相手の意見を尊重しつつ聞いて、理解できなかったことも「相手が間違っているからに違いない」と決めつけることなく、質問も挟みつつ丁寧に聞いていけば、もしも完全に理解することはできなかったにしても、得るものはある筈なのです。

とはいっても私も完全にできているわけではありませんし(目指してはいますが)、ましてや人に「このように『聞く』べきだ」と強制するつもりもありません。あくまでも一考察ですから。

ただ、私自身「話す」ことはうまくないので、「聞く」ことに対してこのような姿勢を持つ気もないというような人とは会話が成立しないことが多いです。
そんなこんなでどうしても理解しあえない時は、そう判断できた時点でそっと離れる、もしくは距離を取って相手に合わせた嘘くさい付き合いをするというのも一つの知恵だと思っています。話し下手の逃げのような気もしますが、泥沼になるよりはましかと勝手に納得しています。

思う事を工夫もなく書いただけの書き込みになってしまい、申し訳ありません。話し下手の本領発揮です。

投稿者 殻鎖希[11]
投稿日時 2005年06月27日(Mon) 01時33分14秒
HANAさん

どうも今日は♪

異なる言葉を話す者同士で意思疎通を図る…これは難しいですよね。
同じ言葉(日本語)同士であっても話の内容にズレが生じることがあるんですから…異国語ともなればさらに困難であると思います。
相手の言葉をきちんと聞き取ることがより重要になるのですね。
外国人の方と対話を行う時にはジェスチャーなどを交えるのも効果的であると思います。
尤も、電話などで話している場合にはジェスチャーは使えないんですがね(笑)。

>今まではそんなに会話について考えたことなどありませんが、穀鎖さんの「話すこと、聞くこと」=「会話」かな?と思い、ここ最近私の思うことを書かせていただきました。

そうですね♪
大まかに言えば、「話すこと・聞くこと」=「会話」となります(厳密に言うならば少々異なるのですが…細かくなりますし、話題もズレますので、その話は別の機会にいたしましょう)。
会話を成立させる際に特に重要となるのが、「聞くこと(理解すること)」であると思います。
相手のことを理解した上で自分の意見を伝える…こうして書くと簡単なことのようにも思えますが、実行するとなるとなかなか難しいものです。
今後もお互い、「話すこと・聞くこと」の勉強を重ねていきましょう♪

投稿者 殻鎖希[12]
投稿日時 2005年06月27日(Mon) 01時52分37秒
緑川潤さん

どうもお久しぶりです。
「『聞く』ことに対する一考察」ということで…貴重なご意見、ありがとうございました♪
興味深く読ませていただきましたよ。

「話すこと・聞くこと」の勉強なのですから、当然「話すこと」ばかりではなく「聞くこと」の勉強も行っていかなければなりません。
むしろ私は、「話すこと」よりも「聞くこと」の方が重要であるとも思いますね。
『それじゃあ「聞くこと」の勉強って言うのは、具体的にどういった内容のことを示すの?』という話になるわけですが…
緑川さんの考察は、「聞くこと」の学びに対する一つの在り方を提示しているように思います。
自らが聞こうとする意思を持っているかということを考えた上で、先入観の有無を自問し、その上で相手の意見を尊重しつつ聞く。
理解できなかったことがあったとしても同じことを繰り返しながら、相手のことを理解すべく努める…というわけですね。
「非常にしっかりとしたご主張を持っていらっしゃるんだなあ」と感銘を受けながら読ませていただきました。

私自身、「話す・聞く」の勉強についてはまだまだ不十分な部分があります(「言うは易し行うは難し」という言葉もありますし…・笑)。
これからも頑張って、自分の力を伸ばしていきたいですね♪

投稿者 通り雨[13]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 01時30分07秒
こちらこそよろしくお願いします。

>あれって、本当は肯定側の意見にも否定側の意見にも立って発言すること
>ができるというのが理想の形なんですよね。

そうだったんですか、私知らなかったです。
私はただ、面白いかもと思ってやっていました。

>>例えばAの事柄について反対のBの人と話をするとしますよね。
>>自分の思うままにAを言っても、相手の考え方は逆ですから伝わり難いです。
>>言い方によっては突っぱねられてしまう事も有るでしょう。
>>だから、話し方をAそのままではなくA'やB'にして相手に伝えると
>>相手にも私の言いたいAの事柄が伝わりやすいと思います。

>ここで述べられている「A'やB'」というのは具体的にどういったことを指しているのでしょうか?
>また、補足の方をお願いしたいと思います。

少し解りにくかったですね。具体的に日常の会話を例にすると、
赤が好きな人(仮にAさん)が、赤を嫌いな人(仮にBさん)に赤を良い色だと話をするとしますよね。
「赤が一番良い色だと」言うのが、Aさんの一番伝えたい事だとします。
ここで、Aさんが「赤が一番良い色だ」とBさんに伝えても、
赤が嫌いなbさんはAさんの言葉を拒絶しようとしますよね。
そこで、私の言うA'、B'の言い方に当たるのでが、
「Bさんの言う色もいいけど、赤も良い色だと思うんだけど」
っとやわらかい言い方をすると、Bさんも「何で?」という聞く姿勢になると思うんです。
そうなってから、Aさんは赤が良いと言う理由をBさんに解りやすく伝えていくという事なんです。

そして、補足の補足なんですが、今、私のしている文章を変える事も、
私の言うA’B'にあたります。
私は最初の返信で、「この書き方で私の言いたい事は解るかな?」と思って書きました。でも、上手く伝わりませんでしたよね?
今回はなるべく具体的に例を出して書きました。
最初の返信の書き方をAとします。今回書いたものはA'なんです。
この書き方を変えて、伝えようとする行為の事を伝えたかったんです。
解りにくくてすみません。どう書いたら伝わるのか解らなくて・・・。
私もまだまだです。頑張ります!

>こうした掲示板でのやり取りからも勉強できることが多くありますね♪

そうですね、私もそう思います。
同時に人とリアルに話すこと、経験する事も同じくらい大切な事だと思います。
たくさん、経験して、勉強して、良い物を書いていきたいと思います。

投稿者 殻鎖希[14]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 08時37分51秒
通り雨さん

そうですね。
具体例を出していただけると、非常に分かりやすいと思います。
やはり話をする際には具体性も必要なのでしょうね♪

つまり、A'やB'というのは相手の主張を認めながらも自分の意見を述べることを示すわけですね。
また自分の意図が相手に伝わらなかった場合に、別の視点から話を進めたり補足を付け加えるなどして、さらなる理解を促すといったことも当てはまるでしょうか。
改めて意見を伺うことによって、通り雨さんの仰る「グレーの部分」という表現についても「なるほどなあ」と納得することができました。
どうもありがとうございました。

投稿者 ぬん[15]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 12時44分47秒
こんにちは、ぬんです。

勉強法以外の内容でもよいということなので、現在の学校教育現場と関連づけて私が思うことを述べたいと思います。
穀鎖さんは、おそらく国語科教育をご専門としているようですね(違ってたらすみません!!!!!)。私はそちらは専門ではないので詳しくないのですが、、、、

>「話す・聞く」ことは国語の勉強の中でも最も根底にあるものだと私は考えます。

そして、最近ではそれが全教育科目に共通していると思いませんか?
おそらく、穀鎖さんも教壇に立ったことがおありでしょうけれども(これも検討違いだったら大変もうしわけないっす!!!)、現在は特に「生きる力」として「話すこと」に重点が置かれているように思います。そして、教師側は子どもの発した内容をわかりやすく要約して聞き返し、その繰り返しによって子どもたちは「話すこと」すなわち「相手にわかりやすく伝える手段」を学んでゆくのだと思います。
しかし、わたしには、「聞くこと」が教育現場でどのように指導されているのか?という疑問があります。「話す」ことに重点を置く指導ばかりで、「聞くこと」がおろそかになっている気がするのです。もちろん、成熟とともにある程度発達する機能ではありますが、文科省が「生きる力の重要性」を力説するのなら、「聞くこと」を精神年齢の成熟以上に発達させねばならないのだと思います。
なぜなら、「考える」ためには「聞くこと」すなわち理解することが前提ですからね。
OECDのテストでは、日本人の「考える力」(単なる思考を意味するのではなく、「答えのない課題」に対しての思考力と言う意味での)不足が問題となっていますね。心理的要因ももちろん考えられますが、理解という意味での「聞くこと」、明確な伝達という意味での「話すこと」とそれらを定義づけるならば、OECDのテストで高得点するためには「話すこと・聞くこと」が重要になってくるのではないかなぁと思います。

ということは(?)、やはり、せめて国語科教育では○×式の単純テストを課すべきではない、と思うのです。(かなり話題が飛躍してますが……)テストがあれば学校側は評価しやすいし親への説明責任も果たせますけどね。あくまで、「文科省が『生きる力』にこだわるのなら」、教師の都合でテストを単純化すべきではないと思います。文学作品の解釈なんていくらでも答えがありますし、それの答えを統一した正誤試験など全くもって意味をなしません。センター試験の小説なんて最悪です。(と言っても、実際問題、どの文脈からその解釈を得たかが重要で、そこが採点基準となっているんでしょうけれども)

すみません、私の主張事項がだいぶぶれているようです……
熱がこもってしまって、支離滅裂っぽいですね……
文字制限を気にしているので、変な箇所は随時補足させていただけたらなーと……
とりあえず、穀鎖さんの意見を伺いたいです!!

投稿者 ぬん[16]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 17時57分11秒
殻鎖さん

大変申しわけありません。
さきほどのレスであなたのお名前を間違っていました!!!
ほんっとすみません!!!!
失礼しました…… ほんとにほんとに…

投稿者 殻鎖希[17]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 18時30分21秒
ぬんさん

どうも今日は。
ご推察の通り、私の本職は国語科教育の研究です(ただし、専門としているのは「話すこと・聞くこと」ではなく、「書くこと」なのですがね)。
今回、ぬんさんは学校教育について専門的なお話もされているので、私も少し詳しくお話をさせていただきます。

「話す・聞く」ことの勉強は全科目に共通しているのではないか?という問いかけについてですが…まさにその通りです。
このことは、国語という教科のみではなく、全ての教科において言えることです。
「全ての教師は国語の教師であるべきだ」と主張される先生もいらっしゃいますね。

「生きる力」についてですが、生きる力の定義には「コミュニケーション能力」や「表現力」といったものも含まれますね。
生きる力を育む上でも「話す・聞く」力を養うことは非常に重要なんですよね。
本来、「聞くこと」は「話すこと」と相成って行われなければなりません。
言葉のやり取りというものは「聞く(理解する)→話す(伝える)」という一連の繰り返しによって成り立っているものだからです。
なのですが…ぬんさんの仰る通り、「話すこと・聞くこと」の指導というものは現場において疎かになってしまいがちですね。
「話す・聞く」力を伸ばすことを目的に据えたものの一つにディベートというものがありますが…年間の指導計画を見てみますと、どうにも少ないように思われます。

少し余談になりますが、OECDテストについて。
現在において日本の子どもの読解力不足が問題視されています。
「話す・聞く」力の不足も勿論ですが、まず不足しているのは「読む」力なんですよね(「聞く」力と「読む」力にはある意味通じるものもあると思うんですが…)。
数学の問題を解く際にも、「計算問題は解けるのに文章題は解けない」という子どもが増えています。
これはなかなか由々しき事態ですよ。
テストで優秀な成績を収めたのはフィンランドですが…フィンランドの子ども達はテスト主義の教育を受けておりません。
詳しいお話はここでは割愛しますが、日本に比べると自由な教育であるといった印象も受けるでしょう。
それでいて、子どもの学力が高い…理想的な教育の形であると私は思いますね。

話を元に戻しましょう。
「話すこと・聞くこと」の力を伸ばすことについてですが…私は普段の授業を行う上で、この力を伸ばすことを常に意識していなければならないと思います。
一昔前には、教師が一方的に喋るばかりの「受け身型授業」というものが流通していたこともあったようですが…
これからは「生徒参加型授業」を作り上げていく必要がありますね。
授業の中で、教師と子ども達が(あるいは子ども達同士が)意志の疎通を図りながら、話し合いを行うことにより、考える力をさらに伸ばしていくことができるでしょう。
授業をうまく機能させることにより、「話すこと・聞くこと」の力も伸ばせるのではないかと思います。
しかし…実際にそうした授業を行うのは非常に難しいんですよね。
四十五分(五十分)という限られた中で、如何に子どもが主体となって「話すこと・聞くことに」参加できる指導を組み込んでいくか…常に追い求めていかねばならない課題だと思います。

長くなりましたが…私の意見としてはこのようなところですね。

投稿者 殻鎖希[18]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 18時33分02秒
あはは…ぬんさん、気にしないで下さい♪
よく間違えられるんですよ。
「紛らわしい名前だなぁ…」と私も時々思います(オイオイ…・笑)。
私の名前は卵の「殻」に「鎖」で、「殻鎖(こくさ)」ですので…また今後も宜しくお願いしますね。

投稿者 ぬん[19]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 19時40分53秒
>ご推察の通り、私の本職は国語科教育の研究です。
尊敬します。私は国語の教授は苦手分野なので……

>「話す・聞く」力の不足も勿論ですが、まず不足しているのは「読む」力なんですよね。
うーん、私は「聞く」と「読む」の違いがよくわかりません。基本的には違うのでしょうけど。
問題は、口語と文語の違いからくるのでしょうか。そう考えると、「能力」というよりもむしろ文語表現における「知識」不足のような気もしてきますが……つまり、口語ではあまり気にしない文法など…… 
んーわかりません。どうなんでしょう???

私も、フィンランドの教育には興味がありました。いわゆる「調べ学習」が主ですよね。
経済大国であるアメリカがトップではなかったのがまずびっくり。と考えると、経済成長と学力は相関関係にない……?なのにOECDの正式名称って……

いや、経済学各方面でもいろいろ分析がなされているでしょうし私にはわからないことなのでやめておきます。

>四十五分(五十分)という限られた中で、如何に子どもが主体となって「話すこと・聞くことに」参加できる指導を組み込んでいくか…常に追い求めていかねばならない課題だと思います。

そうですね。そればかりに重点を置いても今度は「知識不足」から学力低下が危ぶまれる恐れもありますし……バランスをとるのがとても難しいですね。 まぁ、「学力」の定義すらはっきりしませんし、OECDテストの評価の基準も怪しいですが。

論点のずれた書き込みですみませんでした。
実のところ、教授法についてあまり関心がなかったのですが、これを気に少し考えていきたいと思います。特に「話す・聞く」ことについて……
ありがとうございました。

投稿者 殻鎖希[20]
投稿日時 2005年06月28日(Tue) 22時15分23秒
ぬんさん

少しばかり補足をしておきますね。

>うーん、私は「聞く」と「読む」の違いがよくわかりません。基本的には違うのでしょうけど。

そうですね…このことについて、私の意見を述べてみます。
「聞く」という行為を行う時には、話者と「話す」ことにより意思の疎通を図ることができます。
言葉を交わすことにより、理解を深めることができるんですね。
一方、「読む」に関しては、解釈の仕方は全て読み手に委ねられます。
文章として書かれていますので、何度も繰り返して読むことができますが、その文章に書かれている内容については読み手が一人で読解せねばなりません。
今の日本の子どもには、この「読解力」というものが不足していると言われていますね。
「話す・聞く」ことを通じて、分かりやすくかみ砕いて説明してあげると、理解できるのですが、一人で文章を「読む」となるとどうにも苦手なようである…と。
読解力不足の原因としては、知識の不足も勿論挙げられます。
文法事項や語彙力など…いわゆる「言語事項」と呼ばれるものが不足している面がありますね。
その他にも、活字離れを起こす子どもが増えていることも原因の一つに当てはまるでしょう。

フム…経済成長と学力が相関関係にあると一概には言えないでしょうね。
学力においても、アメリカが必ずしもトップにあるというわけでもないのでしょう。
私はむしろ、ドイツの学力低下の方が気になりますね。
従来の教育方法では限界がある…ということも確かでしょう。
「話す・聞く」ことを積極的に授業に取り組み、子どもの意欲を引き出すことのできる授業作り…これは本当に大きな課題になりますね。
無論のことながら、知識を養わせることも必要となります(ある面では、従来の教育が必要となることもあるでしょう)。

こちらこそ、どうもありがとうございました♪

投稿者 殻鎖希[21]
投稿日時 2005年06月30日(Thu) 18時41分14秒
学校教育といったことで、少し難しい話になってしまいましたが…元の話題に戻しましょうか♪
「話すこと・聞くこと」の勉強法について、あるいは「話すこと・聞くこと」についての意見等について、まだまだお待ちしております。