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| 投稿者 | 空想科学者 | [1] |  
| 投稿日時 | 2005年05月31日(Tue) 01時29分23秒 |  
| 趣味でいろいろなことをやっている人は多いのですが・・・・ 勉強も練習もろくにせずに、自分勝手な考えで理論をうちたて、勝手気ままにやる人がいます。
 
 アマ小説家の中にはかなりこの傾向がつよいと思います。
 
 アマ漫画家やアマ映像化、マナ音楽家(ロックやフォークソング)の類は、小説よりも裾野が広かったり、一般の人の目にふれたやすいので、生半可な腕ではすfぐに淘汰されてしまいます。
 
 一方、小説は、読まないといけないのですが・・・・その読むという行為がこの淘汰をいきつかせにくくしています。
 漫画の場合は、絵のうまさよりも演出や話の面白さ、斬新さの方が勝ります。
 映像、音楽もそういう面があります。
 ですが、小説の場合は、文章が稚拙だったらその時点で読まれない。
 これは事実であります。
 
 人に見せるならそれなりに勉強したり、作りこんだりするのが普通です。
 私も小学生のときに毛筆や硬筆、絵や読書感想文などのコンクールにだせるような作品は、いい仕事をしたものです。
 絵を書くために毎日いろいろなものを描きました。
 写実したり、空想したり、人、動物、建物をいろいろ書きました。
 図鑑なんかも活用しました。
 その結果として、コンクールに出せ、友達や先生から評価されるわけです。
 
 料理だって、レシピもみずにかってきままにつくったものを人に味見させるようなぶしつけなことはしません。
 これらは”常識”なんです。
 
 私はかつて本で読み知った程度でそばつくりに挑戦しましたが、素人にはソバコネは無理と言われたのですが、作り方は頭に入っているとばかりにやりました。ですが、結果はさんさんたるものでした。
 そばはぼろぼろでうまくもなんともなかったです。
 そばかきにしたほうがよかったくらいです。
 これにつきあわされた両親、兄弟にはなんともすまないことをいたものです。
 つまりはこういうことになるのですよという戒めです。
 
 人様に出すものは勉強し、修行しやた上のものを出すのが常識です。
 それが、その人のレベルに見合わないかもしれませんが、自分としてはやりつくしていれば、それでいいとおもいます。
 
 ですが、どうも話を聞いていますと。勉強はしていない上に、読み手のことも考えたことなどないといった回答が出るので怒りを覚えるわけです。
 
 それが食べ物だったらどうでしょうね。食中毒を起こすでしょう。
 体の弱い方なら死んでしまうかもしれません。
 そう考えたら、「まままあ」などとお茶を濁していいものでしょうか?
 
 私の意見に物もうしたい方は、胸に手ををあててよくお考えください。
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