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罪と罰 作者:マロニエ

第2回   消された容疑者(2)
 現場周辺での聞き込みは思ったよりも早く終わった。時間が夜中ということもあり、元々の人通りも少なかったので明日以降に持ち越しということになった。現場周辺では横になっている草などが数箇所で発見されていたが、そこにいたであろうと思われる人物たちは何処にもいなかった。犯人と関係あるかどうかはまだわからないが、無関係な人物たちは余計な係わり合いを持って自分たちのことが明るみに出てしまうのを嫌ったのだろう。
 普段なら警察に協力する姿勢を見せてくれるかもしれないが、場所が場所、更にはそこで行おうとした、或いは行っていた行為ゆえに姿をくらましたと考えても何の不思議もない。
 捜査一課に戻ってみると、桜井誠刑事部長が島津捜査一課長と話をしていた。桜井もまた桂木の同期だったが、こっちは本物のキャリア組だった。最初こそ桂木とスタートが同じだったが、持ち前の器用さで仕事もそつなくこなし、出世の階段を順調に歩んでいた。その甲斐あってか、現在は警視正で刑事部長という要職に就いていた。
 よく見てみると、桜井の背後にはあの佐川が立っていた。その表情はまるで鬼の首を獲ったかのように勝ち誇っていた。
「やれやれ、どうやら首を賭けた直訴が成功したみたいだな」
「えっ?」
 桂木の言葉を聞いていた茜沢が訊き返した。
「それってどういうことですか?」
「捜査が少しやりにくくなるってことだ」
 桂木はそう言うと、自分の席に座った。島津と桜井の話がまだまだ長引きそうだと考えた桂木はしばらく席に座ってのんびりしていた。
 ただ、どんなに話し合いが長引こうとも島津が折れることは目に見えていた。島津は自分の首を賭けてまで上司と争うことはしようとしない性格だということを桂木は長い付き合いでわかっていたからだ。
 しかし、わかっていたと思い込んでいたということもある。少なくとも、桂木の中にいる佐川という人物は島津同様に首を賭けてまで上司とやりあうことはしない人物だと思っていた。それが今回のような行動に出たので、桂木は自分の中にある思い込みというものについて少し考えさせられていた。
「桂木さん、どうぞ」
「ああ」
 桂木は茜沢が持ってきたコーヒーを受け取ると、ゆっくりとその一口目を味わった。桂木はコーヒーを飲むときは最初の一口目をゆっくりと味わうようにしていた。ここで出されるコーヒーがインスタントのものだということをわかっていても、習慣で最初の一口目を味わうようにしていた。
「まだやりあっていますね」
 茜沢は桂木の隣の席に座った。茜沢の席はそこではないのだが、その席の主が今は席を外しているので茜沢が使わせてもらっていた。こういうことは茜沢に限らず、他の刑事の間でもよくあることなので誰も気に留めない。席の主が戻ってきたら席を立てばよいだけなのだから。
「こっちも捜査一課の課長としても面子があるからな。部外者である捜査二課を加えたくないんだよ。もっとも、課長が刑事部長に勝てるわけがないけど」
「でも、捜査二課だって樋口の事件に関しては十年も追い続けてきたわけだから……」
「それでも奴らはこの捜査一課の人間じゃない。部外者を捜査に加えるのは本音を言えば得策じゃないからな」
 桂木は二人の言い争いを横目で見ながら再びコーヒーを口に含んだ。
「どうして、そこまで捜査一課ということにこだわるんですか?」
「今回が俺たちというケースってだけで捜査一課がどうのこうのという問題じゃない。自分たちの縄張りによそ者が入ってくることを極端に嫌うんだよ」
「縄張りですか……」
「所轄で起こった事件に俺たち本庁の人間がでしゃばってくることを嫌っている所轄の連中と同じようなものだよ」
「はあ……」
 茜沢がどうにも理解に苦しむような表情をしていたので、桂木は更に言葉を続けた。
「体の中に異物が入ると免疫などが抵抗反応を起こすだろ? この場合の異物が奴らってことさ」
「そ、そこまで言い切りますか……」
「俺たちという歯車に引っかかる異物、捜査において奴らはそれ以外の何者でもない」
 桂木はそう言うと残っていたコーヒーを全て飲み干した。
「よそ者はよそ者同士で徒党を組む。情報を隠す恐れがあるんだよ」
「同じ警察官なのに、ですか?」
「誰しも出世したい、相手を出し抜きたいという欲望はあるものだ。だから、よそ者を入れたくないんだよ」
 桂木はそう言うと席を立ち上がって、言い合いをしている島津のところへ向かって行った。
「課長。そろそろ捜査会議を始めたいのですが」
「おお、桂木じゃないか」
 桜井は桂木の姿を見ると懐かしそうな表情をした。さっきまで島津と言い争いをしていたときにはまったく見られなかった表情だった。
「刑事部長、お取り込み中のところ申し訳ありませんがそろそろ捜査会議を始めたいので話し合いはその後にということにしていただけませんでしょうか?」
「そんなに気を遣わなくてもいい。同期なんだからもっと気楽にしろよ」
「普段から気楽にしていると、いざって時にも正しい言葉遣いができなくなりますので」
 いくら同期といえども、相手は自分よりもはるか上にいる上司なので桂木も佐川のときとは違って言葉遣いには注意していた。桜井は桂木のその普段とはあまりにも違っている態度に小さくため息をつくと、それなりの態度で桂木に話し始めた。
「では、桂木警部。その捜査会議に捜査二課の面々も何人か加えたいと考えているのだが、君はどう思うかね?」
「私の意見が参考になるかはわかりませんが……私はその意見に賛同しかねます」
「理由は?」
「警察は事件によって担当する部署が明確に定められています。窃盗なら盗犯課、交番勤務などの地域課といったようにそれぞれにおいて明確な部署が定められており、それらの部署は自分たちに許された範囲で仕事をしています。ただの窃盗事件が強盗殺人に変わったら盗犯課は事件から外され、我々捜査課に事件の権限が委譲します。そういう現実は珍しいことでもなく、ごく日常に行われています。今回のみ特別なケースを作る必要性はないと思われます」
 桂木が臆することなく堂々と述べる様を佐川は少し苦々しい表情で見ていた。その後ろに控えている捜査二課の面々は明らかに不満げな顔を見せていた。
「確かに君の言うことにも一理ある。だが、今回殺害された被害者は十年前の強盗事件の重要参考人だった」
「おっしゃる通り、被害者は捜査二課が追い続けていた事件の重要参考人でした。ですが、それは捜査二課を捜査会議に加える理由にはなりません」
「何故だね?」
「今回の事件と十年前の事件の関連性がまだ立証されていません。これはあくまでただの殺人事件として捜査を始めるのが適格だと思います」
「彼らは必要ないと?」
「現時点では……と言ったところでしょうか? 無論、捜査を進めていくうちに今回の殺人と十年前の殺人事件に何らかの関連性が認められた場合には捜査二課の協力も仰ぐ必要もありましょう」
 桜井も桂木の意見に口を挟むようなことは出来なかった。桂木はあくまで警察組織における掟と現段階においてわかっていることを述べているだけで、その上で捜査二課が介入すべきかどうかを判断しているのだ。警察上層部にいる桜井だからこそ、こういう正論での反撃は威力を得ることができる。
「わかった。確かに今の状況では捜査二課が介入する必要性はないようだ」
「ご理解いただけてありがとうございます」
 桜井が折れたのを見て、捜査二課の面々の顔色が明らかに変わった。佐川が桜井に何かを言っていたようだが、桜井はそれ以上何も言わずに捜査一課を出て行った。桜井が折れたのではどうしようもないと、捜査二課の面々も渋々捜査一課を出て行った。
「さてと、邪魔者もいなくなったようですからさっさと会議を始めようか」
 桂木は捜査一課の面々にそう言うと、今まで椅子に座っていた連中はすぐに会議の準備に動き出した。役職こそないが、桂木はここの捜査員全員に影響を与えるだけの力を既に持っていた。仲間からの信頼もあるので、それは一入だった。
「相変わらず大したもんだよ、お前は」
「それにしても捜査二課が本当に上に文句を言いに行くとは思いもしませんでしたね」
「まったくだ。よりにもよって刑事部長を引っ張り出してくるとは……」
 島津も佐川が実際に上に文句を言いに行くとは本気で思っていなかったし、上もそれを真に受けて動いてくることなど想定外のことだった。
「さてと、それじゃあ捜査会議を始めますか」
「ああ」
 二人はそう言って会議室へと消えていった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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