午前七時、犯人からの電話がかかってきた。その電話に出たのははるかだった。 「もしもし……」 「どうも。すいませんが、これからは電話には全てあの桂木って言う刑事さんが出るようにしてください」 その言葉を聞いて、すぐに桂木が犯人からの電話に出た。 「俺を窓口にしようと言うことか」 「ええ。これからはそう言うことでお願いします。もし、電話のときに貴方がいなかったらチャンスが一回潰れるとお考えください」 「わかった」 「さて、まだ私が誰だかわかりはしないでしょうからとりあえず約束の確認をしていただきましょうか」 「約束の確認?」 すると、犯人の声から絵美の声に代わった。 「ママ?」 「絵美!」 すると、はるかがすぐに受話器をひったくって娘と会話を始めた。 「おはよう、ママ」 「絵美、元気なの? 怪我とかはしてないの!?」 「うん。ママ、このお姉ちゃんの料理とっても美味しいんだよ。ママも早く一緒に遊ぼうよ」 「絵美、何処にいるの! そこは何処なの!?」 「おっと、勝手にそんな質問をされては困りますね」 はるかの質問を聞いていたのか、その質問を出した瞬間、犯人が再び電話に出た。 「お子さんと会話をなさるのは自由ですが、私のことや居場所のことを聞くのは止めてくださいね。これが新しいルールです」 「あなた! 絵美に何かしたら承知しないわよ!」 「ご安心ください。昨日も申し上げましたとおり、四日間の間はお子さんには酷いことはなさいません。四日間で警察が私に勝てばいいだけの話ですから。それより、桂木さんにもう一度電話に出ていただけませんか?」 再び桂木が受話器を取って犯人と話を始めた。 「今お聞きになられたように、電話をする際には必ず絵美ちゃんの声をそちらに聞かせて私が約束を守っていることを確認していただきます。その確認役はご両親のどちらかにお願いいたします」 「文字通り、勝てば本当に絵美ちゃんを解放してくれるんだな?」 「勿論です。さて、貴方達にとって今からが本当のスタートでしょう。私の名前を言い当ててくれることを楽しみにしていますよ。それでは、また午後七時に」 犯人との電話はそこで切れた。逆探知も試みていたが、やはり失敗に終わってしまった。 「何処までふざけた奴なんだ」 桂木は苦々しく吐き捨てるようにそう言って受話器を戻した。 「あの……」 すると、直哉が不安そうな表情で桂木に話しかけてきた。 「本当に大丈夫なのでしょうか?」 「ご心配なく。犯人は必ず我々が捕まえてお嬢さんも無事に救出いたします」 四日間……この限られた捜査期間は非常に短い。その間に犯人を見つけ出すことなどほとんど不可能に近いが、やらなければならなかった。 それでも、犯人への手がかりがほとんどないというのが桂木にとって、警察にとって非常な重圧になっていた。 「とにかく、我々は一度捜査会議のため警視庁へ戻ります。次の電話が来る午後七時までには必ずこちらに戻ります」 桂木は部下の刑事を何名かその場に残して、一度警視庁へと戻っていった。当然のことながら、この誘拐事件は極秘捜査と言うことになっているのでマスコミなどに嗅ぎつけられるわけにはいかない。
「只今戻りました」 「ご苦労だった。それで、犯人からの要求は何だ?」 捜査一課課長の島津は現場の担当責任者である桂木に向かって訊ねた。既に、捜査一課中の刑事が二人の周りに集まっていた。 「ゲームをして勝てたら子供を返すと言ってきました」 「ゲーム?」 「はい。今日を含めた四日間以内に一日二度かかってくる犯人の電話に犯人の名前を言い当てたら我々の勝ち。負けたら命は無いそうです」 「四日以内か……」 島津もその条件がどれほど厳しいかを知っていた。島津も長いこと刑事をやっているので誘拐事件の難しさと、どれだけ早い早期解決を求められるかを良く知っている。 「それで、犯人についての手がかりは無いのか?」 「二度ほど犯人との電話に自分が出てわかったことは、相手が女であること。それと、今現在誘拐された子供が無事であると言うことぐらいです」 「犯人が女であると言うことは確かなのか?」 「恐らく。誘拐された子供が犯人のことを「お姉ちゃん」と呼んでいるので間違いはないと思われます」 「女か……男が犯行をするよりは周りに怪しまれないかもしれないな」 「とりあえず、犯人からの条件として何があっても四日間は公開捜査にしないことと誘拐事件のことを周辺の住民に悟られないようにするようにと言われているので、とりあえず変質者及び不審者の捜査と言うことで聞き込みをしていきたいと思いますが……?」 「わかった。但し、四日間という非常に短い時間だ。各人、全身全霊を持って捜査に臨んでくれ」 『はい!』 「それと桂木、お前には今日からこいつとパートナーを組んでもらう」 島津は桂木に一人の女刑事を紹介した。 「茜沢唯刑事だ。今日からお前とパートナーを組んでもらう」 「茜沢です。よろしくお願いいたします」 「桂木だ、よろしく」 二人は握手を交わして挨拶に代えた。 「じゃあ急ぐぞ。四日間の間が勝負の時だ。君の歓迎会はその後だ」 「はい」 桂木は唯を連れて一緒に覆面パトカーで警視庁を出た。詳しい紹介などを受けてはいなかったが、唯の雰囲気からまだ警察学校を卒業したてのヒヨっ子であるということだけは何となく理解していた。 午前九時、絵美が通っている小学校を中心とした大掛かりな捜査が開始された。捜査会議での指示通り、不審者及び変質者の捜索という名目で犯人を捜すことになった。 桂木はまず、絵美の通う小学校に向かった。小学校ならアンケート調査などを目的として情報を集めるのにはもっとも最適な場所だからである。 それに、子供というのは思った以上に警戒心が強いので見た目が怖いだけでも拒否反応を大きく示す。だからこそ、不審な人物などがいたらそれをしっかり把握していてもおかしくはない。 「そういうことですので、どうかよろしくお願いいたします」 「わかりました。では、すぐにアンケートを作成して子供達に配ります。そうですね……大体、三時頃には全アンケートの回収が終わっていると思いますのでその頃にもう一度こちらにいらしてください」 「わかりました」 校長に警察への協力を呼びかけた後は、近所での聞き込みが始まった。宮園一家が住んでいる場所は閑静な住宅街なので見慣れない人間がいれば、すぐに誰かが気づいているだろうと桂木は思っていた。 「そうですねえ……最近、妙な人を見かけたことなんてありませんねえ」 「そうですか……」 桂木はこれまで五件の家、宮園夫妻に協力してもらって愛娘の絵美と仲のいい友達の家を当たってみたが、全ての家がこれと同じ回答を返してきた。 「やはり、突発的な反抗なのでしょうか?」 「茜沢。お前が犯人だったらどんな子供を誘拐する?」 「私が……ですか?」 「そうだ」 「そうですねえ……」 唯は少し考えこむような仕草を見せてから桂木に言った。 「まあ、ありきたりですけどお金を持っている家の子供でしょうか?」 「じゃあ、どうやってそれを見分ける?」 「どうやって……って、事前に下調べをしておくしかないと思いますが?」 「そうだ」 「でも、それがどうかしたんですか?」 「今回もそれと同じってことだ」 「えっ?」 唯は桂木の言っていることがはっきりと理解できず、思わず間の抜けた声で聞き返してしまった。 「今回誘拐された子は現在小学三年生。年齢にすれば八歳から九歳だ。少なくとも、知らない人に勝手についていくようなことはそうそうしない。それに誘拐された宮園絵美は電話の様子からして誘拐犯と相当親しいようだった。恐らく、自分が誘拐されているということすらわかっていないと思う」 「はあ……」 「つまりだ、誘拐される以前から犯人と何らかの接触があったということだ。そうでなければ、あそこまで誘拐された子供が落ち着いていられるわけがない」 「な、なるほど」 「とにかく、俺達は必死になって情報を集めるしかない。行くぞ」 「はい」 桂木と唯はそれから数件の家を回ったが、それでも情報らしい情報は得られず午前中は収穫を得ることはできなかった。二人は一時捜査を中断して、昼食を取るべく近くのファーストフード店に入った。 「どうだ? 刑事になっての初仕事は?」 「疲れました」 「まだまだ長いぞ。しっかり食べておかないと先が持たないからちゃんと食べておけ」 「それにしても、思ったより情報って集まらないものですね」 「当たり前だ。そう簡単に集まるのなら日本は平和なもんだし、俺達の仕事も苦労なんてことはないさ」 「それにしても、どうして犯人は絵美ちゃんを標的に選んだのでしょうか?」 それは桂木自身も疑問に思っていたことだった。特に裕福というわけでもない宮園夫妻から高額な身代金を請求しても支払えるわけがない。 だからといって、標的を無差別に選んだ突発的な誘拐でないことは、誘拐された宮園絵美の言動から察することはできる。 何のために宮園絵美に近づいたのか……どんなに考えを巡らせてもその理由が浮かんでくることはなかった。 「午後はどうしますか?」 「とりあえず、学校でのアンケートを待とう。恐らく、午後も同じように家を渡り歩いても親からでは情報を得ることはできないだろう。だから、親の知らない子供の情報に期待しよう」 「子供の情報……ですか」 「信用できないって顔をしているな?」 「どうも子供からというのは……」 「確かにガセも少なくはないが。子供というのは人間には敏感なものだぞ。特に通学路上で普段見ない人間というのはかなり強烈に印象付けられる。一人からの情報だと信用するか否かの判断に困るが複数の人間からだと信用してみる価値はある」 桂木の言葉をまだ納得しきれていなかったが、唯はもう何も言い返さなかった。少なくとも相手は自分より場数を多く踏んでいるので、いざと言うときの判断やその判断材料は自分よりも明らかに多いことを知っていたからだ。 二人は約束の三時までまた聞き込みでもしようと相談していた時、唯の携帯電話が鳴った。桂木も持ってはいるが、未だに使い方をよく理解していないので若い唯のほうが繋がりやすいと思ったのだろう。 ビデオの予約も満足にできないアナログ人間は時代に取り残され始めているという実感を桂木が得た瞬間だった。 「もしもし」 「今、何処にいる?」 電話の向こうの相手は島津だった。 「今は駅周辺でお昼を食べているところですが……」 桂木は唯の応答を聞いて頭を抱えた。正直はいいことだが、こんな切羽詰っている状況にのんびり昼飯を食べていると知られたらどんな説教が飛んでくるかと考えるとそれは容易に想像できるだろう。 「それなら丁度いい。今からすぐに行って欲しいところがある」 「何か情報でも?」 「いいや。別件だ。一人暮らしの老人が死体で発見された。悪いがすぐにそっちに行ってくれ」 「わかりました」 唯はメモに現場の住所を書き留めるとすぐに行くと返事を返して電話を切った。 「何だって?」 「一人暮らしをしていた老人が死体で発見されたそうです。すぐに現場へ向かってくれとのことです」 「……そうか」 桂木は席を立つと、出口へは向かわずレジへと向かった。 「悪いけど、ジュースをテイクアウトで」 「ありがとうございます」 「あと、持ち帰るときは紙じゃなくてビニールの大きな袋でお願いできる?」 「はい。かしこまりました」 桂木はジュースの一番小さいサイズを購入して、出口で待っている唯のところへ向かった。 「急がなきゃならないときにジュースなんて買ってどうするんですか!?」 「後でわかるよ」 「? と、とにかく急ぎますよ」 桂木の本音がサッパリわからなかったが、唯はとりあえず既に他の刑事達も向かっている現場に向かって走って向かった。桂木も一緒になって走ったが、さすがに若さの差というものか、どんなに頑張っても唯にはなかなか追いつけなかった。
|
|