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ゆーかいはん 作者:マロニエ

第2回   誘拐(2)
「ただいま!」
 直哉がいつもより少し大きめの声で言うと、居間から目を真っ赤に腫らしたはるかが出てきた。不安で今の今までずっと泣きとおしていた。
「あなた!」
「はるか!」
 直哉とはるかは互いに抱き合った。はるかは直哉の胸の中で思いっきり泣いた。
「はるか、説明してくれ。どうしてこうなったんだ?」
 はるかはすすり泣きながら直哉に話した。
「最初、誘拐犯って名乗る女から電話がかかってきて絵美を誘拐したって言ってきたの。それで、絵美がその誘拐犯と一緒にいることがわかって……」
「お前に条件として俺に誘拐されたことを伝え家に戻るように指示を出したんだな?」
 はるかは静かに頷いた。直哉は頭を抱えて目を閉じた。はるか同様、直哉の頭の中も改めてはるかの話を聞いて、何が何やらと混乱していた。
「それで、午後七時にまた電話するって……」
「七時か……」
 時計を見ると現在六時三十五分、誘拐犯の指定した時間まで残り二十五分に迫っていた。
「とりあえず、犯人からの電話を待とう。すまないが、何か冷たいものを用意してくれないか。ここまで走ってきたから喉がカラカラだ」
「はい……」
 二人は居間へ行き、直哉は電話の傍で犯人からの連絡を待ち、はるかは直哉の注文をきくためにアイスコーヒーを作っていた。
 いつもなら、直哉が帰ってくると絵美が真っ先に駆け寄って「おかえり」と言ってくれて、それに続いてはるかが出迎えてくれる。当たり前と思えたこの日常が今はとても愛しく感じられた。
「おまたせ」
 はるかは直哉にアイスコーヒーを手渡し、自分も電話の傍で犯人からの電話を待つことにした。
 直哉は受け取ったアイスコーヒーをほとんど一気に飲み干した。全力で駆け抜けてきたので渇ききっていた喉も、今のアイスコーヒーで十分潤ったし、体の疲れも少し癒えたような気がした。
「絵美……きっと無事よね?」
「当たり前だろ!」
 はるかの弱気な発言に、直哉が思わず怒鳴るような口調ではるかに言った。発言をした後で、直哉は我に帰って気持ちを落ち着けた。
「わざわざ電話をしているんだ。きっと、何らかの目的があるに違いない」
「そう……よね」
 普段は会話の絶えない幸せな家族が、今日は一変してほとんど会話がなくなっていた。ただ一人の愛娘の誘拐という事実によって。
 長い沈黙が続いた。直哉は電話と時計を何度も見て、はるかはただじっとその場で電話がかかってくるのを待ち続けた。
 そして――
 トゥルルルル……
 午後七時、テレビの時刻カウントと同時に宮園家に電話がかかってきた。直哉とはるかは互いに顔を見合わせてから緊張した面持ちで電話を取った。
「も、もしもし……」
「どうやら、条件どおりご主人様に帰宅なさっていただけたようですね?」
 電話の相手ははるかがさっき話した女だった。はるかにも聞こえるように、電話のスピーカーを通じて相手の声を聞かせた。はるかが頷いたのを見て、直哉も相手が本物の誘拐犯であることを理解した。
「はい」
「どうも初めまして。さて、まずは私の言葉を信用していただくためにこれを聞いていただきましょう」
 すると、犯人の声ではなく、愛娘の絵美の声が聞こえてきた。
「あっ、パパ」
「絵美!」
 愛娘の元気な声を聞いて、直哉は思いっきり受話器を握り締めて声を聞き逃すまいと耳に思いっきり押し付けた。
「今、このお姉ちゃんとお食事しているの。お姉ちゃん、すごく料理が上手いんだよ」
 絵美と犯人が示し合わせて「ねー」と同時に言ったのが聞こえた。絵美がひどい扱いをされていないことに、直哉はとりあえず一安心した。
「さて、お嬢さんの無事を確認していただいたところで次の条件を出しましょうか」
 突如、絵美の声から犯人の声に代わった。直哉とはるかは悲痛な面持ちで誘拐犯の次の条件を待った。
「では、次の条件です。但し、貴方達夫妻に出す条件はこの二つが最後です」
「わかりました。それで、その条件は?」
「まず一つは最初の条件を守り続けると同時に、奥さんにも誘拐されたことを誰にも言わせずに内緒にすること。無論、最初の条件どおりご主人様も誰にも誘拐の事実を明かしてはなりません。いつもどおり過ごす自信がないのでしたら、有給休暇でもお取りになるとよろしいでしょう」
 直哉は二つ返事でその条件を飲んだ。その程度の条件なら何の苦もなく飲むことができるためである。
「もう一つの条件は、すぐにこれから警察を呼ぶことです」
「け、警察を?」
 さっきまで知らせるなと言っていた警察を呼べという犯人からの条件に直哉は思わず耳を疑った。
「ほ、本当に警察を呼ぶんですか?」
「そうです。但し、周りの住民に警察が来たという事実をわからないようにする。これが条件です。もし、周りの住民に警察が来たということがバレた時は……命の保障がないことをご了承ください。警察にも私から条件がありますので、私から電話がかかるまで大人しくしているようにと伝えてください。無論、この条件を無視した場合も……わかっていますね?」
 まるで状況を楽しんでいるかのような犯人を恨めしく思ったが、直哉は静かに承諾の返事を返した。
「それでは、警察が到着した頃にまたお電話いたします」
 犯人はそう言って電話を切った。しばらく受話器を握り締めて、その場から動かなかった直哉は、気を取り戻すとすぐに警察へと電話をした。
 二回のコール音の後、電話が繋がった。
「もしもし。110番です」
「あ、あの……」
 警察へ電話をかけることなど生まれて初めてのことで、直哉は少し動揺していた。直哉の同様を感じ取った電話の相手である警官は直哉を落ち着かせるように話した。
「もしもし。落ち着いてゆっくりと話してください」
 直哉は二度三度深呼吸をしてから改めて電話の向こうにいる警官に向かって話し始めた。
「あ、あの……娘が、娘が誘拐されたんです」
「誘拐ですか!」
 電話の向こうの警官も驚いたような声を見せたが、すぐに詳しい事情を聞こうと直哉に向かって尋ねてきた。
「本当に誘拐なんですか?」
「は、犯人から電話があって娘の声も聞かされました……」
 既に直哉の声は涙声になっていて、直哉自身も大粒の涙をとめどなく流していた。
「わかりました。すぐに警官をそちらに向かわせますので落ち着いて待っていてください」
「ま、待ってください! 犯人から条件が出ているんです!」
「条件?」
 電話の向こうの警官は訝しげな声で直哉に向かって尋ねた。
「その条件とは何ですか? 犯人から何かを要求されたのですか?」
「は、犯人は私達夫婦に警察を呼ぶように言いました」
「犯人が警察を呼ぶように?」
 電話の向こうの警官も、この電話が犯人自身の指示によって行われているものだとは夢にも思わなかった。少なくとも、自分が警官になってからこんなことは生まれて初めてだった。
「それで、周りの住民に警察が来たことを悟られないようにしろと言いました。そして、それを破ったら娘の命の保障はないと……」
「わ、わかりました。それでは、十分に注意してそちらに警官を向かわせますので、どうかそのままでお待ちください」
 電話に出た警官は、直哉に何度も念を押してから電話を切った。直哉は受話器を置いて静かに警官が来るのを待ち続けた。
 家中がまるで喪に服したような雰囲気に包まれていた。直哉とはるかは互いに一言も交わさず、静かに警察の到着を待った。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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