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ゆーかいはん 作者:マロニエ

最終回   ゆーかいはん(4)
 翌日からこの誘拐事件は世間に公表され、マスコミが警視庁と誘拐された宮園絵美の家に殺到した。同じ学校の教師が起こした誘拐事件なので、世間の注目は一気に集められた。
『狂気に駆られた教師!』
『生徒を攫う卑劣漢!』
 このような見出しが週刊誌や新聞に毎日載っていた。
 宮園絵美も発見されて間もなく目を覚まして何の以上もないことが検査で証明された。発見したときは睡眠薬のようなもので眠らされていただけで体に異常はないとのことだった。
 警視庁は事件の一部始終をマスコミに説明した。ただ、その際に桂木が犯したミスなどについては語られず、宮園夫妻もそのことをインタビューに来たマスコミ関係者に語ることはしなかった。
「結局、逃げられちゃいましたね」
 新聞を読んでいる桂木に唯が話しかけた。
「初めから自分が死ぬところまで全てシナリオ通りだったってことだ」
「それにしても、死んだ人間相手にマスコミも書き立てますよね」
「教師が起こした事件なんてものは警察の不祥事の次にマスコミのいい的になるからな」
「こうまで書きたてられると、何だか死んだ笹田が少し哀れに思えます」
「笹田が哀れ……か」
 桂木が新聞の記事を読み進めていくと、被害者である宮園絵美のインタビューの記事が載せられていた。
 記事の内容はこうだった。
『先生は酷いことは何もしませんでした。いつものように優しくしてくれたし、色々な所へ連れて行ってくれました。美味しいご飯も作ってくれたし、色々なところへ連れて行ってくれました。ワンダーランドにも連れて行ってくれたし楽しかった』
 桂木は新聞を読むのを止めて机の上に置いた。
「それにしても絵美ちゃんもすっかり元気になってよかったですね。あの事件以来、宮園夫妻の関係も改善されたようで離婚の危機も去ったそうですよ」
「宮園家にとっては今回の事件が家族にとってはいいものだったというわけか」
 桂木もその事だけは少し微笑ましく思ったが、その時何かが頭の中で引っかかった。
 桂木はもう一度新聞を手にとって目を通した。
 そして、その引っかかっているものが何であるかを知った。
「そうか……」
「桂木さん?」
 桂木の呟きを唯は理解できずに訊ねたが、桂木は何も言わずにただ沈黙を守った。

 宮園絵美救出から一週間後、初めて警察による宮園絵美への事情聴取が行われた。事情聴取には桂木や唯を含め、たくさんの警察関係者がそこに同席していた。
「じゃあ、絵美ちゃんは先生と一緒に暮らしていたんだね?」
「うん。先生、とっても料理が上手かったんだよ」
 宮園絵美への質問をしているのは桂木だった。これは桂木が自ら望んで買ってでたことだった。
「絵美ちゃん、先生と一緒に行った遊園地の名前は覚えてる?」
「うん。ワンダーランドだよ。いつもパパやママに行こうって言っても連れて行ってくれなかったの」
 宮園絵美の証言を聞いて宮園夫妻は顔を赤らめて少し恥ずかしそうな素振りを見せた。
「ところで、金曜日はどうやって先生と一緒に帰ったの?」
「先生の車に乗って帰ったの」
「車にね……」
 誰もが宮園絵美の証言に耳を傾ける中で、唯だけは宮園絵美ではなく桂木を見ていた。不思議とこの事情聴取に対する桂木の態度が普段と全く変わっていたため、それがずっと気になっていたからだ。
「それじゃ絵美ちゃん。今日はありがとう。色々と参考になったよ」
「うん」
 事情聴取が終わると、その場に集まっていた警察関係者は一斉に席を立って宮園夫妻は絵美を連れて帰ろうとした。
「あっ、そうだ」
 すると、桂木は思い出したような素振りをして絵美に近づいた。
「絵美ちゃん、もう二つ三つ聞きたいことがあるんだけどいいかな?」
「別にいいよ」
「じゃ、すいませんがちょっと込み入ったことになりますのでご両親はお車のほうでお待ちいただけますか?」
「はあ……」
 宮園夫妻もとりあえず承知をしてその部屋を出て行った。こうして、部屋に残ったのは桂木と唯、そして宮園絵美だけになった。
「絵美ちゃん、遊園地へ行った日の次の日にかけた電話のことを覚えてる?」
「ワンダーランドだよ」
 絵美は桂木が遊園地と言ったので、それを訂正させた。
「そうそのワンダーランド。絵美ちゃんは前々からずっとワンダーランドへ行きたいって言っていたよね?」
「そうだよ」
「じゃあ、電話でワンダーランドのことを話したのも覚えているよね?」
「うん」
 絵美は頷くことでそれを肯定した。
「おじさん一つだけわからないことがあるんだ。どうして、あの電話で絵美ちゃんはワンダーランドのことを遊園地って言ったの?」
「えっ?」
「絵美ちゃんも絵美ちゃんのお母さんも言っていたけど、いつもワンダーランドへ行きたいって言っていたよね? なのに、あの時はどうしてワンダーランドとは言わずに遊園地って言ったの?」
「それは……」
「それともう一つ、絵美ちゃんは先生の車で家に帰ったって言ったけど、そのとき誰にも会わなかったの?」
「うん」
「それはおかしいな。金曜日は部活動があるから上級生は遅くまで残っていたし、先生はその日は部活を休んで普通に車で帰っている。昇降口から見通しのいいあの駐車場で誰にも見られないというのは有り得ないよ。あそこで掃除をする生徒もいたからね」
「嘘よ……」
 絵美がとうとう泣き出したので、唯は桂木を止めに入った。
「桂木さん。いい加減にしてください!」
「黙っていろ」
「桂木さん!」
「黙っていろと言ったんだ!」
 桂木の今まで見せたこともないような迫力に唯も押し黙ってしまった。
「残念だけどね、先生はその時警察に呼ばれていたんだよ。先生のおばあさんの事件でね」
 桂木がそう言うと、絵美も何も言わなくなったが、桂木は構わず言葉を続けた。
「本当は自分から先生の家に行ったんじゃないのかい?」
「えっ?」
 桂木の言葉に唯は思わず声を上げてしまった。桂木はじっと絵美を見据えながら話した。
「暗くなるのを待って誰にも見つからないようにこっそりと先生の家に行った。そうじゃないのかい?」
「……だったら何なの?」
 今まで沈黙を守っていた絵美がやっと口を開いた。
 しかし、口から出てきた言葉は今までの子供っぽいものとは違ってひどく大人びたような口調だった。
「単刀直入に言おう。今回の事件、先生に持ちかけたのは君じゃないのかい?」
 部屋中を静寂が包み込んだ。唯もあまりのことに言葉も出せずに、その様子を見ているしかなかった。
「……そうよ」
 そして、その静寂は絵美によって破られた。
「あーあ、先生の人選はやっぱりミスだったようね」
 いつものように少し子供っぽい声だったが、その表情は明らかに笑っていた。
「じゃあ、君が今回の誘拐事件を先生に提案したんだな」
「ええ。先生は色々と協力してくれるいい協力者だったわ」
「どうして、こんなことを?」
「あの両親を困らせてやるためが一つ。もう一つは私達家族の存在を事件によってマスコミに広げることがもう一つの理由よ」
 今までの素振りがまるで全て芝居であったかのように絵美はさばさばした感じで話した。
「どうして、私がわざわざこんな事件を起こして家族を世間に知らしめようとしたかわかる? 桂木さん」
 悪戯っぽい子供のように、それでいてとても狡猾な部分を見せながら絵美は桂木に質問した。
「……離婚を防ぐためだ」
「正解。さすがに察しがいいわね」
「だが、離婚を防ぐためだけにどうしてこんな事件を起こす必要があったんだ? それがわからない」
「簡単よ。両親の離婚で私の経歴に傷をつけたくないからよ」
 絵美はとても小学生とは思えないような鋭い目で桂木をじっと見据えた。桂木は絵美の瞳の中にあるとても冷たい部分に思わず恐怖を感じてしまいそうになった。
「両親が離婚したなんてことになれば、将来的にそれが私のマイナス点になる可能性があるからよ」
「それだけのために、この事件を……?」
 唯はとても信じられないと言わんばかりの表情で絵美を見つめた。
「別にあの二人が別れようが何しようが構わないけど、私が自立するまではいい家族を演じてもらわないと困るのよ。家族関係のいい親子、そういうのって受けがいいでしょ?」
「だから、いい子を演じてきたってわけか」
「そういうこと。誰からも好かれるいい子、これも受けがいいからね。それに要らぬ敵を作ることもないわ」
 絵美はまた笑顔を作ってそれを桂木に向けた。とても愛らしい笑顔が、今ではとても恐ろしいものに桂木の目には映った。
「笹田先生も優等生の私の相談をよく聞いてくれたし、そのうちに学校以外でも二人で会うようになったわ。学校でもその外でもあの人はいい先生だったわ。真剣に私の話を聞いてくれたし、先生自身の悩みも私に話してくれるようになったわ」
「今更だが、それも全て芝居だったと知ったら笹田が草葉の陰で泣くぞ」
「いいのよ。あの人はもう用済みだから」
 あっさりと冷酷なことを口にするその姿に、二人はあの愛らしい少女の面影を重ねることはできなくなった。
「先生の女装のことも先生の家に隠すようにしておいてあった女物の服を見つけたことでわかったの。苦労したときの身の上話を聞かされたわ」
「それで笹田を利用しようと思ったわけか」
「ええ。あの女もいいように動いてくれたわ」
「柊未冬か」
「そう。偶然とは言え、先生がおばあちゃんの家でやったことを目撃し、それをネタに揺すってきたわ」
「それも笹田から聞いたのか」
「ええ。思い余ってあの女を殺してしまったこともね。そういう偶然が重なってくれたおかげで、先生に事件の協力者になってもらうことができたわ」
「……君は俺が今まで扱ってきたどの犯罪者達よりも上手だ」
 桂木がそう言うと笑みはまた笑顔を浮かべて言った。
「でも、私は犯罪者にはならないわよ」
「な、何を今更……!」
 唯が言葉を繋げようとした時、絵美はこう言った。
「刑事さん達に私は逮捕できない。そうよね? 桂木さん」
 絵美と唯は桂木の顔を見つめ、桂木は少し間を置いて静かに頷いた。
「自白だけじゃ逮捕はできない」
「そんな……!」
「自白をしたところで裁判でそれを覆されたらおしまいだ。証拠あるいは証人がいなければ裁判では勝てない」
「でも、その証人はもう帰らぬ人」
 絵美は笑い声を上げた。それはとても禍々しさに満ちた勝利の高笑いだった。
「これも計算づくってわけか」
「そういうこと。先生からの電話で言っていたでしょ。命はないって。でも、それが『宮園絵美』なんていう主語をつけた覚えはないわよ」
「始めから自殺するつもりでこの事件に加担したのか」
「そういうこと。さてと、そろそろ帰らせてもらうわ」
 絵美がドアを開けて部屋〜出ようとすると、桂木もその後ろについた。
「ああ、見送りはいいわよ。駐車場への道は覚えているから」
「またマスコミに囲まれて悲劇のヒロインか?」
「そういうこと。じゃあ、もう二度と会うことはないだろうから刑事さんも元気でね」
 絵美は二人に軽く手を振って部屋を出て行った。
 桂木は笹田の最後の言葉を思い出していた。
『この舞台は私の勝利で終わる』
 笹田が最後に言い残した言葉が、今、現実のものになって桂木の心にのしかかった。笹田の勝利は宮園絵美の完全犯罪遂行によって決定した。
 桂木と唯の心にこの事件はいつまでも消えることなく残った。
 自分達の完全な敗北を喫した事件として……。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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