「それじゃ、始めてくれ」 「はい」 すると、部屋の電気が落とされてモニターに映像が映し出された。その映像は笑みが犯人と一緒に行ったと思われる遊園地だった。 「これはワンダーランドの防犯カメラで撮影された映像です。こちらをご覧下さい」 今度は映像が拡大されたものへと変わった。 「ここです」 その一言と共に画面が止まった。そこに映されているのは攫われた絵美と犯人と思われる女だった。今回は女の顔がしっかりと映されていた。 「こいつか!」 「はい。恐らくこの女が今回の誘拐事件の犯人と思われます」 「プリントアウトしたものを配ります」 女の顔をプリントアウトしたものが刑事全員に配られた。女は背が高く、髪はセミロングぐらいの長さで頭の後ろで束ねていた。顔も綺麗で人当たりのよさそうな性格をしていた。 「この女が今回の誘拐の犯人であることは間違いないだろう。何としてもこの女を探し出せ。警察の威信にかけてもだ!」 その場にいる全員が威勢良く返事をして、我先にと会議室を出て行った。島津も部屋を出て行こうとしたとき、桂木だけが会議室に残っているのを見て声を掛けた。 「どうした? 相棒の茜沢は既に行ってしまったぞ」 「ええ。そうなんですけど……」 桂木はモニターに映し出されている映像をじっと見ていた。 「どうしてだ……?」 「何か気に入らないことでもあるのか?」 「……いえ。何でもありません」 桂木はそう言って席を立ち、会議室をあとにして駐車場へと歩いていった。駐車場へつくと唯が車の中でじっと犯人の顔写真を睨んでいた。 「待たせたな」 「いえ」 唯は顔写真を懐にしまって車のエンジンをつけた。 「犯人の写真をじっと見ていたようだが、何か気になることでもあったのか?」 「えっ?ああ……ただ、何となく何処かで会ったことがあるような気がして……気のせいですよね」 「俺も同じことを考えていた」 「えっ?」 「俺もこの犯人と何処かで会ったような気がしていたんだ。ただ、それが何処で相手が誰なのかが思い出せない」 桂木はもう一度犯人の写真を見た。とても誘拐をするような人間には見えないような優しい顔をしていた。 「何処だ……?」 二人はしばらく考え込んだが、考えてもその相手が誰であるかを思い出せず、車を走らせて捜査に出た。 ――どうして顔を出したのか?―― 桂木は何度考えてもその理由がわからなかった。わざわざ人目に着くような場所に出れば誰かがおぼえていてしまう可能性と言うのは考えなかったのだろうか? それ以前に防犯カメラに撮られる可能性を考えなかったのだろうか? いや、その可能性は極めて低い。あれだけ用意周到にことを行ってきた犯人がこの場に来てつまらないミスをするとは桂木には思えなかった。つまり、あの遊園地に行くことは初めから犯人の計画の中にあったこと。犯人の何らかの意図があるものだと桂木は思った。 誘拐の場合、顔を出すことにメリットなどあるはずが無い。いや、誘拐事件に限らずあらゆる事件で自分の顔が明らかになることでメリットが生じることなど無く、逆にデメリットしか生じない。どう考えてもわざわざ顔を晒す理由がわからなかった。 「わからないな……」 「わからないことと言えば、犯人が夜に限って電話を拒否した理由もわかりませんね」 唯が言った言葉で桂木もそのことを思い出した。一日目と二日目の夜に犯人は自ら設定したルールの一つ、電話のたびに子供の声を聞かせるというルールを破っている。夜はどうしても子供と電話させることが出来なかったということであるには違いないだろうが、その理由も未だにわからずじまいだった。 「さて、どうしたものかな?」 「犯人は一体何を考えてこの誘拐事件を起こしたのでしょうか?」 「ん?」 「私、考えてみたんです。でも、考えれば考えるほど犯人が何を考えているかわからなくなっちゃいました」 桂木は何も言わずに唯の言葉に静かに耳を傾けた。 「そもそもこの誘拐事件がどうしてここまで成功しているのかがわからないんです。誘拐事件って人質を手中に収めていてこそ成立するものじゃないですか? なのに、今回の事件の場合、一度犯人は被害者をその手中から解放しているんですよ。普通ならそのまま逃げられてしまってお終いになるところなのに、事件はまだ続いている。これって変じゃないですか?」 「そうだ。今回の事件、誘拐として考えると全ての常識を外れている」 「ですよね……」 「……ちょっと寄り道をして行こう」 「えっ?」 「あの小学校へ行ってくれ」 「わ、わかりました」 唯は言われたとおりに車を小学校に向けて走らせた。休日ということで小学校の周りにあまり人はおらず、少し物寂しい感じがあった。 「ちょっと待っててくれ」 「わかりました」 桂木は唯を車に残して学校の周りをぐるりと歩いてみた。比較的、この辺りの見通しはよく怪しい人物がいれば学校の中からでもそれを見つけることは充分出来そうだった。 「これだけ見通しがいい場所なのに、誰にも怪しまれることなく犯人は被害者を連れ出した……」 一つ一つを確認するようにぶつぶつと呟きながら、ゆっくりと周りを見ながら歩き回った。 「怪しまれずに連れ出す……平日、たくさん人がいるこの場所で?」 桂木はふと足を止めた。もう一度その場で何度も周りを見渡して、それから再び考えるような仕草を見せてしばらくそこで足を止めた。 「もしかして……」 桂木はその場から駆け出してすぐに車の中に戻った。慌てて戻ってくる桂木を見て、唯も少し驚いた。 「ど、どうかしたんですか?」 「もしかしたら、俺達は勘違いをさせられていたのかもしれないぞ」 「勘違い?」 「色々な意味で俺達は事件を最初から勘違いしていたんだ。とにかく車を出せ。七時までに何とか全てを調べ上げるぞ」 「は、はい!」 唯はすぐに言われたとおりに車を出した。 「何処へ行くんですか?」 「俺を所轄の警察署へ送った後、お前は本庁へ戻れ」 「えっ?」 「いいか……」 桂木は唯にあることを話した。唯はそれを聞くとすぐに了解の返事を返した。それを聞いて唯は少し車の速度を上げて桂木を所轄の警察署へと送った。 「じゃあ、任せたぞ」 「わかりました。では、また宮園邸で」 桂木を降ろすと唯はすぐに車を走らせて警視庁へと戻っていった。桂木は再び所轄の警察署に柊未冬が起こした事件の資料を見せてもらうことにした。 「これか……」 桂木はその資料に目を通すとその場にいた警官に渡してこう言った。 「すまないが、ここ最近……そうだな、二週間前から四週間前に起こった窃盗事件の被害届けを見せてくれないか。それとこのあたりの地図も頼む」 「地図……ですか?」 「そうだ。急ぎなんだ、頼む」 「わかりました」 桂木の真剣な表情にその警官も感化されて、真剣な表情で返答をして地図と被害届けを取りにいった。その間に桂木は携帯電話を取り出して唯に電話をかけた。一回目のコール音で唯はすぐに電話に出た。 「もしもし」 「茜沢、頼んでおいたことは調べてくれたか?」 「はい」 「そうか。で、そいつのアリバイのほうはどうだ?」 「アリバイは完璧でした」 「そうか。なら、そいつの名前とアリバイを教えてくれ」 「わかりました」 桂木は手帳に唯が伝えてくる名前とアリバイを書き留めた。 「よし、これでいい。ご苦労だったな」 「はい。あの……それでこれが何かの役に立つのでしょうか?」 「ああ。とにかく、七時に宮園邸で会おう」 「わかりました」 桂木が電話を切ると同時に、地図と被害届けを持って警官が戻ってきた。 「お待たせしました」 「すまないな。この机の上に置いてくれ」 経験は言われたとおりに机の上にそれらを置くと、桂木に敬礼をして部屋を出て行った。桂木はすぐに地図を広げて一つ一つ窃盗の被害届けに目を通した。被害総額、盗難にあった品物、盗難にあった場所、それらを一枚ずつ目を通してそれを二つに分けていった。一つは無関係として除外したもの、もう一つは柊未冬が起こしたと思われる窃盗事件。そして、柊未冬が起こしたと思われる窃盗事件の被害宅のある場所をペンで印をつけて、被害日時も記した。 作業は一切中断せずに一気に行った。何人かの警官が桂木の様子を窺いに部屋に入ってきたが、桂木の真剣そのものの表情を見てすぐに逃げるように部屋から出て行き、桂木もそういう連中には一切構わなかった。 「よし! これで全部だ!」 赤い印と日付がびっしりと書かれた地図を見て、桂木は一つずつ地図上で被害宅の位置を確認していった。 そして、自分の考えていたことに確信を持った。 「六時半か……急がないと」 桂木はそのまま部屋を出て、外にいた警官とすれ違いざまに部屋に残した資料のことを話して後始末を任せて所轄の警察署を出た。時間がかなり押し迫っているのでその場から大急ぎで走った。若い頃と比べて体力も落ちてきていて、確実に走る速さは遅くなっていて、息が荒くなるのも若い頃に比べてずっと早くなっていた。心臓がそのまま爆発してしまうのではないかと思うくらい激しく鼓動を繰り返していた。何度も立ち止まりそうになるのを時計を見ることによってそれを踏みとどまらせた。 チャンスは後三回、最早そのうち一回でも逃してはならなくなった。桂木は犯人の名前に確信を持っていた。ただ、それが間違いだった場合、今回を逃してしまうとチャンスは後二回。仮に今回を逃して明日の朝、犯人と思われる人物の名を口にしてそれがハズレだった場合、チャンスはたった一回になってしまう。それを考えると絶対に今回を逃すわけにはいかなかった。 時間は刻一刻と過ぎ去っていく。今にも倒れてしまいそうになりながらも桂木は走り続けた。 走り続けたのは誘拐された被害者のためでもあるが、一番は自分のためだった。何としても自分の手でこの事件を解決させる。その執念が桂木を支えていた。 「あと三分……!」 息も絶え絶えに桂木は時計を確認しつつ走った。走り続けてからもう二十分以上経過していた。桂木の体力は限界に来ていた。走り続けている足にも段々力が入らなくなっていった。 「もう少し……」 桂木の場所から宮園邸が段々見えてきた。荒くなった息を呑んで桂木は最後の力を振り絞った。残った力全てを使って走り抜いた。最早、人目などを全く気にせずそのまま宮園邸の中へと踏み込んだ。 「桂木さん!」 唯が出てきて倒れそうになった桂木を支えた。 「で、電話は?」 「今鳴っています」 「誰か受話器を取れ!」 玄関から桂木はリビングにいる刑事に向かって大声で叫んだ。刑事はすぐに電話の受話器を取った。 「もしもし」 受話器から犯人の声が聞こえた。桂木は唯に支えられながらリビングに入って刑事から受話器を受け取った。 「よう」 まだ息が荒いが桂木は何とか会話をした。 「随分お疲れのようですね」 「色々と忙しいんだよ」 「ふふふ。それで私の名前はおわかりになりましたか?」 「ああ。やっとな」 「へえ……」 犯人は桂木のその発言にも全く動じなかった。その余裕が少し気になったが、桂木は自分の考えに確信を持っていた。 「では、聞かせてもらいましょうか? 私の名前を」 「お前の名前は……笹田真琴だ」 しばらくの間、犯人とこの現場に静寂が訪れた。全員がこの犯人の回答を待ち、その静寂に緊張感を漂わせた。 「ははははは!」 その静寂を打ち砕いたのは犯人の高らかな笑い声だった。いつものような高い声ではなく、少し低くどこか野暮ったい男の声だった。 「さすがですね。思っていたよりもずっと早く私の名前を言い当てましたね」 「まあな。さて、正解を言い当てたんだ。子供を返してもらおうか」 「勿論です。お約束は守りますよ。但し、もう一つのゲームに協力してくれるなら」 「何だと?」 桂木の声色に明らかな怒りの色が加わった。表情も硬く強張ったものに変わり、周りの刑事達も少し恐怖を感じてしまうほどだった。 「たいしたことじゃないですよ。そうですね、題するならお迎えゲームってところですか」 「お迎えゲーム?」 「そう。名前の通り、誘拐した絵美ちゃんをお迎えに来ると言うゲームです。あなた達にとっての勝利とは絵美ちゃんを無事に連れて帰ることができるかと私を逮捕できるかの二つです」 「結局は最後まで人質ってわけか」 「お付き合いくださいよ。人生で一度きりのゲームなんですから」 「……ルールは何だ?」 「察しがいいですね。ルールは唯一つ。明日の朝、貴方とそのパートナーの二人のみで私の指定する場所に来てください。携帯電話はお持ちですか?」 「ああ」 「では、明日の朝七時にお電話いたします。その時に私と貴方達が会う場所を指定しますので電話番号を教えてください」 桂木は懐から携帯電話の番号を呼び出そうとしたが、その呼び出し方がよくわからず、すぐに隣にいる唯が桂木の携帯電話を引っ手繰るように取ってその携帯電話の番号を画面に出した。桂木はその番号を犯人に伝え、二度の確認をした。 「それでは明日の七時にまたお電話します。尚、ルールを破って二人以上で来た場合は命の保証はいたしません。よろしいですね?」 「わかった」 「それでは、失礼します」 犯人はいつものように最後は優しい口調で電話を切った。 「桂木さん……」 「茜沢、明日がいよいよ最後だ」 桂木はその一言だけを言って宮園邸を去ろうとした。宮園夫妻も何か言いたげな表情をしていたが、何を言っていいかわからずにもどかしくしていた。 「絵美ちゃんは必ず我々が救出します。どうかご安心ください」 「よ、よろしくお願いします」 桂木の言葉に二人は涙を流しながら言った。桂木は二人に軽く会釈をして宮園邸を後にした……。
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