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ゆーかいはん 作者:マロニエ

第11回   名前(1)
「只今戻りました」
 宮園邸から警視庁に戻ると、桂木はソファに横になった。この二日間で相当神経をすり減らしているので桂木の疲れも限界まで溜まっていた。
「茜沢、課長への報告は任せた」
「はい」
 桂木は唯に報告を任せて自分はそのまま眠りについた。眠りにつくまでさほど時間はかからず、すぐに桂木は深い眠りについた。
「さすがに疲れているようだな」
 その様子を見ていた島津は唯に向かって言った。
「犯人との交渉もいつも桂木さんがやっていますから」
「君も一度家に帰ってもいいぞ。さすがに若い女性が何日も家に帰らないのはご両親も心配するだろう」
「大丈夫です。父も警官ですから事情は察してくれているでしょうし、何より桂木さんが家に帰らないのに私だけ家に帰ることはできません」
「それもそうか」
 二人が会話をしていると、眠っている桂木のいびきが聞こえてきた。二人はそれを見て思わず笑ってしまった。
「桂木さんのこんなに無防備な姿を見るのは初めてです」
「そう言えば、こいつも久しぶりに生き生きしているような気がするな。こんなに奴の生き生きした姿を見たのはあの時以来だな」
「あの時?」
「……まあ、ちょっとした昔話になるんだけどよ」
 島津は煙草に火をつけて軽くふかしてから話し始めた。
「あれはもう十年近く昔の話になるかな、警視庁はある殺人事件に手を焼いていた」
「殺人……ですか」
「それもただの殺人じゃない。同一犯による連続殺人、お前も話ぐらいは聞いたことがあるだろう?」
 唯もその事件のことは覚えていた。当時、マスコミはこぞってその事件のことを大々的に取り上げていて、警察が相当マスコミに叩かれていたので印象強く残っていた。
「はい」
「その時、俺と桂木はパートナーでその事件を追っていた。悔しいことに今回の事件のように犯人にこっちの裏をかかれてばかりで犠牲者は五人を越えていた」
「五人……」
「ただ桂木だけは少しずつ犯人に近づいていった」
「桂木さんが?」
「元々、刑事としての能力は俺なんかよりもずっと上だったからな。頭も切れるから犯人の考えることを誰よりも早く察知することができていたんだ。今だって他のどの刑事より頭が切れる。お前だって一緒にいてそう思う部分があっただろ?」
「た、確かに……」
 唯は眠っている桂木の顔を見た。今は普段の刑事の顔ではなく眠っている一人の男の顔だったが、思い返してみれば桂木は常に他の刑事よりも一歩先へ進んでいたようにも思えていた。
「まあ、そんな刑事としての能力の高さが災いしたってところだろうな。あの事件は」
「えっ?」
「あの事件は当時としては他に例のないぐらい世間の注目を集めていた事件だ。警察はその威信にかけて犯人逮捕に全力を注いでいた」
「はあ……」
「そして、その頃の桂木は仕事になると他のことが目に入らなくなるような男だった。いや、加減を知らなくなるといったほうが正確だな」
「加減を?」
「ああ。常に全力で事件にぶつかっていく。当然、あの時の事件も全力で解決に向かって働いていた。それが犯人を刺激しちまった」
「えっ?」
「五人目の被害者になっちまったんだよ、桂木の奥さんが」
「桂木さんの奥さんが!」
 唯は驚きのあまり思わず部屋中に響き渡るような声で言ってしまい、それを慌てて島津が口を塞いで黙らせた。横目で桂木を見たが、桂木は相変わらず眠ったままで今のことには気づいていないようだった。
「す、すいません」
「あんまりこのことを言うな。桂木はこのことを話題にされるととことん機嫌が悪くなって手がつけられなくなる」
「わかりました。それで桂木さんはその後どうしたんですか?」
 島津は少し間をおいてからゆっくりと話し始めた。
「平然としていたよ。奥さんの亡骸を見ても誰よりも平然としていつも通りに仕事をこなしていた。まるで全く関係ない他人を見ているかのように遺体を調べたり、事件現場を捜査していた」
「奥さんが亡くなったのに……ですか?」
「ああ。俺達の間でも仲のいい夫婦として有名だったからな。そのときの桂木を見た時は、俺達全員、目を疑ったものだ」
「……」
「結局、桂木の奥さんがあの事件の最後の被害者となったわけだ。その後、桂木はそれまで以上に冷静に事件を追いかけ続けた。何も語りはしなかったが、そのときの桂木の言い知れぬ気迫は今でも覚えている。表現こそしないが、奥さんを殺されたことは相当桂木を怒らせた。その怒りが事件を解決させたと言っても過言ではないな」
「じゃあ、犯人を逮捕したのは……」
「桂木だ。一人で証拠全てを揃え、犯人の両手に手錠をかける段階まで全て一人でやってのけた」
「桂木さんも奥さんを亡くしていたんですか……」
「桂木も?」
 唯の言葉が気になった島津は思わず鸚鵡返しに聞き返してしまった。唯は桂木の方を見ながら話した。
「私の父も私が幼い頃に母を亡くしているんです。もっとも、私の母の場合は癌による病死でしたけど」
「そうか……」
「私も悲しかったんですけど、母が亡くなった時の父の辛そうな表情は今でも忘れられません。いつも堂々として大きかった父の背中がその時はとても小さく見えていました」
 唯は話しながら昔のことを思い出していたが、島津は唯にこんな話題を投げかけた。
「刑事に一番必要なものって何だと思う?」
「えっ?」
「いいから、答えてみろ」
 突然の質問に唯は驚いて少し考え込んだ。時間にしてほんの僅かだったが、唯の中ではそれが長く感じられていた。
「信念……でしょうか?」
「それは個人が必要としているものだな。刑事に必要なものじゃない」
「じゃあ、一体……?」
「どんな状況下にあっても全体に動じない冷静さだ」
「冷静さ……ですか?」
 唯にはその言葉がどうもぴんとこなかったが、島津は構わずに言葉を続けた。
「はっきり言ってしまえば、警察官なんて仕事は法律違反者を取り締まればいいだけの仕事だ。刑事だってただ犯人を逮捕すればそれでいいという仕事だ。犯人を裁くのは俺達じゃなくて裁判所だからな。ただ、余計な私情を挟むと犯人の嘘や戯言にいちいち動揺して事実を基盤にした論理的な考えができなくなる」
「まあ、それはわかりますけど……」
「わかっていても、それをやるのは難しい。俺達だって人間だ、事実を知ることによって心が動かされることは往々にしてある。それが犯人逮捕の妨げになることだって珍しいことじゃない」
 島津は唯から目をそらさずにその目をまっすぐに見つめながら言った。唯も今までとは全く違う島津の気迫に圧されて何も言えなくなっていた。
「お前も桂木に言われているだろう? 何があっても動揺するなって」
「はい」
「あれは自分の経験の上で語られている重い言葉だ。君もその言葉はいつも頭に入れて仕事をしろ。俺から言えるのはそれだけだ。じゃあ、報告はもういい。君も帰らないのなら今のうちに仮眠を取って休んでおいたほうがいい」
「……失礼します」
 唯は島津に一礼をして離れた。そのまま部屋を出て自動販売機のあるスペースへ行った。そこで缶コーヒーを買ってしばらくそこに留まって考え事をしていた。
「冷静さ……か」
「よう、茜沢」
 すると、相田がコンビニの袋を片手にして現れた。相田はそのまま唯の隣に座って買ってきたコンビニの弁当を開けた。
「どうした? そんなにしょぼくれた顔をして」
「いえ……別に」
「何か失敗をして桂木さんにでも怒られたか?」
「そういうわけじゃないんですけど……」
「じゃあ、もっとしゃきっとしろ。こっちがそんな態度で誘拐された家族を納得させられるだけの力があると思うか?」
「すいません……」
 相田は一通りのことを言うと、弁当を食べ始めた。唯はしばらく黙り込んでいた。いや、黙り込んではいたが、時折話しかけたそうに相田を横目で見ていた。相田もそんな視線に気づいていたが本人が何も話しかけてこないので無視をしていた。
 しかし、それが長い間続くと、さすがにどうしても気になってしまうので相田から唯に話しかけた。
「人を横目で見るのはやめろ。気になってしょうがない」
「す、すいません」
 相田に怒られて唯はますます聞きたいことがあるのにそれが切り出せなくなった。相田はそんな唯の様子を見て小さくため息をついてから自分から話しかけた。
「何かあったのか?」
「……あの、相田さんは刑事に必要なものって何だと思いますか?」
「刑事に必要なもの?」
 さっき自分が島津にされた質問と同じ質問を唯は相田にしてみた。相田がどんな回答を出してくるかが気になっていたからだ。
「そうだな……まあ、俺個人としては冷静さだと思うぜ」
「……そうですか」
「何だ? 二日目にしてもう刑事に嫌気が差してきたのか?」
「そういうわけじゃないんですけど……自分の目指しているものと皆さんの意見が違っているので……」
「人それぞれ、意見が違うのは当たり前のことだ。皆が皆、同じ意見だったらどんなに世の中平和なことか」
「はあ……」
「ただ、ここは都内の警察組織の中枢の警視庁だ。ここにいる人間にはそれ相当の能力が求められる。俺が今言った意見だってその一つにしか過ぎない」
「能力主義……ですか」
「何かを成そうとするのなら時には自己を犠牲にすることも必要だ……これは桂木さんから教わったことだ」
「桂木さんから?」
「どんなに色々な御託を並べようとも俺達の仕事は法律違反者を取り締まることだ。それにいちいち動揺を繰り返していたらこの仕事は続けられない」
 相田は弁当を置いて自動販売機で暖かいお茶を買った。缶を開けて一口飲んでから言葉を続けた。
「この仕事は他人の人生に大きく関わってくる仕事だからな。俺だって後味の悪い事件を何度か担当したことがある。その時のことは昨日のことのように思い出せる」
「だから、冷静さが必要だと?」
「同情ばかりしていたら先へは進めないからな。だから、俺は敢えてお前に言っておくぜ。続ける自信がないのなら早いうちに転属願いを出すか、警察を辞めろ。ひどく聞こえるかもしれないが、そのほうがお前のためだ」
 相田はそれだけを言うと弁当とお茶を持って捜査一課へと戻っていった。唯は相田の言葉がしばらく頭の中に残り、それをずっと考えていた。
――私は刑事にはなれないのか?――
 唯は自分という人間が刑事になれるのかどうかで葛藤していた。僅か二日間だが、この二日間は自分が刑事として働けているかどうかの指針にはなっていた。
 そして、その結果はご覧のとおり。ほとんどが桂木の考えで行動していて、自分はまだ刑事として何もできていない。その事実が唯に重くのしかかった。
 そんなことを考え始めてからどれくらい経っただろうか……気がついてみると真っ暗だった空に段々と光が差し込み始めてきた。
この日、唯は結局一睡もしなかった。眠気など全く感じさせないようなことばかりが起こった夜……気がついてみれば自分の刑事としての素質まで問われ始めていた。
「何だ? 眠らなかったのか?」
 すると、まだ眠たそうな目をした桂木が目を覚ましてやって来た。唯の目の前で大きく欠伸をすると、缶コーヒーを買って眠気覚ましにそれを飲んだ。
「今更だが眠っておかないと辛いぞ。今日と明日で全てが終わってしまうんだからな」
「はい……すいません」
 いつものような動揺とは違った元気のない声に桂木はすぐに気づいた。それを問い尋ねようとしたとき、逆に唯から話しかけてきた。
「桂木さん……私、役に立っていますか?」
「はっ?」
「私……刑事としてちゃんと働けていますか?」
「それこそ今更だ。ここに配属された時からお前は刑事なんだ。働けているか働けていないかなんて問題外だ。働くという選択肢しか選べないんだよ、俺達は」
「はあ……」
「それにそう簡単に役に立てるなんて思うな。まだ刑事三日目のお前に俺は何も期待はしない」
「そう……ですか」
「今のお前に期待できるようなことは何もない。だから、色々と叩き込めるうちに叩き込む」
「えっ?」
「若いうちはまだまだ柔軟なところがあるからな。乾いた綿が水を吸い込むように、若いうちに教えられることは教え込む。そうして経験を積み重ねていけばそれも役立つようにすることができる。お前だって経験を重ねれば役立つようになる」
「ほ、本当でしょうか?」
 いつもの癖で桂木に詰め寄ろうとした時、逆に桂木から唯の眼前に詰め寄ってきた。そして、両手で唯の顔をしっかりと掴んで言った。
「大体、刑事になったばかりの奴が役に立ちたいなんて図々しいんだよ。経験積んで、知識を頭に詰め込んでそれを活かせるようになってやっと一人前なんだ。まだ半人前にもなれていないお前が役に立てるなどと思うな。とことん先輩に迷惑掛けて一つずつ覚えていけ。誰だってその道を避けては通れないんだ」
 桂木は唯の顔を掴んでいた手を離して、自分も唯の眼前から顔を離した。再び缶コーヒーを口にすると勢いよく立ち上がった。
「よし。そろそろ行くぞ。今日こそ犯人の鼻を明かしてやる」
「はい!」
 唯は自分に喝を入れる意味で大きな声で返事をしたのだが、それを聞いた桂木は一瞬きょとんとした表情をした後、口元に笑みを浮かべて唯を見た。
「どうかしましたか?」
「いや……いつも今ぐらいの元気があればいいと思っただけだ。さあ、出陣だ」
「はい」
 二人はいつものように覆面車に乗って宮園邸へ向かった。一睡もしなかったことと、桂木の言葉で少し安心感を得たからか、車に乗ってすぐに唯は眠りについてしまった。桂木は起こそうかとも思ったが、その寝顔が余りにも健やかだったので起こすのを止めてそのまま車を走らせた。ただ、時折助手席のほうを向いては唯の寝顔をじっと見て、その度に自然と笑みがこぼれていっていた。
 やがて、車が宮園邸へ近づくにつれて起こすのが名残惜しくなったが、仕事だと自分に言い聞かせて唯を起こした。
「す、すいません。仕事中なのに寝ちゃって……」
「別に構わない。今から眠らなければ別に文句はない」
「頑張ります」
「ん?」
「少しでも一人前になれるように頑張ります」
「そんな大口もまだ早い。とりあえずは言われたことをやれるだけのことはできるようにしろ。それからだ」
「わかりました」
 車を降りると人目を忍んで宮園邸へと入った。中は相変わらず宮園夫妻の夫婦喧嘩による嫌な雰囲気が漂っていた。
「さてと、そろそろ七時だな……」
 トゥルルルル……
「来たな」
 桂木はもう逆探知の確認などせずに受話器をとった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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