■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

雨の音 作者:マロニエ

最終回   雨の音
 その日、村ではお通夜が執り行われた。人口僅か百人足らずのこの村では珍しいことだった。人口の少なさゆえ、ほとんどの村人が顔見知り同士だった。また、それゆえに悲しみも一入だった。
 死んだのはこの村唯一の中学校に通う女の子だった。女の子の死因は首を吊ったことによる窒息死だった。そして、女の子の自殺のニュースはあっという間に村中に伝わった。常に平穏だったこの村では自殺者などこの数十年近く出たことがなかった。
 自殺が発覚したのは死後数時間ほど経ってからだった。発見したのは畑仕事から戻ってきた両親だった。家に帰るのが遅いのを心配した両親が捜しに出て、近くの廃れていた神社の境内で自殺しているのを発見した。発見したときは既に手遅れで、彼女の心臓の鼓動は既に止まった後だった。
 自殺はその日のうちに村中に伝わっていたが、それがより鮮明になったのは翌日のことだった。学校の彼女の机の上に供えられた花を見てからだった。全校生徒十三人は涙に濡れた。彼女はいつも笑顔を絶やさない明るい子で、誰からも愛されていた。自殺など初めは誰も信じなかった。それだけに、彼女の自殺のニュースは彼女の周りに大きな影響を与えた。
 お通夜の席では絶えず参列者の嗚咽が漏れてきた。涙を必死でこらえる大人と、大声で泣き叫ぶ子供、それらが悲しい雰囲気をより増長させていた。
「みっちゃん、本当に死んじゃったんだね」
 お通夜の列で三条舞華は父と母にそう言った。
「これ、不謹慎ですよ」
「はい」
 三人は霊前で焼香をして手を合わせた。両親は目を閉じていたが、舞華は薄っすらと目を開けて写真の少女を見た。少女と舞華はよく一緒に遊んだ友達だった。写真の少女は生きていたときと変わらぬ笑顔を舞華に見せていた。
「ご愁傷様です」
 舞華の両親は少女の両親にそう一言述べてから、三人でお通夜の会場である少女の家を後にした。お通夜は夜を徹して行われるのがこの村の慣わしとなっている。舞華の両親は、舞華を家に戻して、戸締りを確認するとまたお通夜の会場へと戻っていった。これは舞華の家だけではなく、この村全体で行われていた。子供を家に残して、大人は夜を徹して行われるお通夜に参加していた。
 家に残された舞華は布団の中で眠ろうとしていた。普段なら既に深い眠りに就いている舞華だが、今夜は妙に目が冴えて全然眠れなかった。
「何の音?」
 外から妙な音が聞こえて、舞華は布団から出て窓の側まで行った。
 そして、カーテンの隙間から恐る恐る外を見た。
「あっ、雨だ」
 外は激しい雨が降っていた。お通夜のときから空模様が怪しかったが、夜が更けてきてから本格的に振り出したようだった。

 ぴちゃ……

 その時、舞華は部屋の外から音が聞こえてきているのに気づいた。音は断続的ではあるが、何度も何度も聞こえてきていた。
「誰?」
 舞華は部屋の外から声をかけてみたが返事は全く帰ってこなかった。ただ、この音だけが聞こえてくるだけだった。
 舞華はドアを少しだけ開けて部屋の外を覗き見た。舞華の部屋は二階にあって、部屋の外はただの廊下だった。その音は階段の下から聞こえてきていた。
 舞華はゆっくりと階段を下りて、静かにその音のする場所へと近づいていった。少しずつ音はどんどん大きくなって、舞華がその場所へ近づいていることを教えていた。
「お台所?」
 舞華は台所の中に入った。台所の明かりを点けて中を見てもそこには誰もいなかった。しかし、台所の水道が少し開いているのに気づいた。
「これね」
 舞華は水道をしっかりと閉めた。そうすると、さっきまで聞こえていた音は全く聞こえなくなった。音の正体は少し開いていた水道から漏れた水滴が、その下に置いてあった金属性のボールに当たって、その弾ける音だった。
「やだ、窓も開いてるじゃない」
 舞華は開きっぱなしになっている窓に気づいて、その窓をしっかりと閉めて鍵をかけた。舞華は他にも開きっぱなしになっている窓がないかを確認するために全ての部屋を回った。
「これでよし」
 最後の窓を確認すると、舞華は部屋へと戻るために階段を上がった。

 ぴちゃ……。

「えっ?」
 すると、冷たい感触と共にその音が聞こえた。舞華は足元を見てみると、階段が水で濡れているのに気づいた。
「何で?」
 さっき、舞華が階段を下りたときには水など全くなかった。しかし、今は階段の一段一段に水がついていた。まるで、誰かが階段を上り下りしたかのように。
「やだ……」
 舞華は気味が悪くなって、階段の掃除をせずに部屋へと駆け込んだ。部屋へ入ると布団を被ってじっとして動かなかった。

 ぎしっ……

 部屋の外、それも大して離れていない場所と思われるところからそんな音が聞こえてきた。床の上を何かから歩く音、舞華はそれを聞いた瞬間、体が強張るのを感じた。
 ゆっくり…ゆっくりとそれは確実に近づいてきていた。舞華は音が大きくなってくるのを感じると、布団を被って体を丸くしてただひたすらに両親が帰ってくるのを祈り続けた。
 すると、その音がぴたりと止んだ。
 そして……

 こんこん

 舞華は思わず飛び起きてしまった。それは舞華の部屋のドアをノックしていた。舞華は布団を握り締めたまま、じりじりと窓際の壁まで後ずさった。
 何度も何度も、それは舞華の部屋のドアをノックした。舞華は言葉を発することも出来ず、ただ震えていた。
「なあに、この有様?」
 すると、舞華のよく知った声が聞こえてきた。舞華はその声を聞くと一目散に部屋を飛び出してそこへ向かった。
「お母さん!」
 舞華は母を見つけると必死に抱きついた。母はそんな舞華を見て、いつもと変わらぬ声で言った。
「どうしたのよ? まさか、今まで起きていたの?」
 母の言葉に促されて外を見てみると、既に日は高く上っていて、雨も止んでいた。舞華は一晩中起き続けていたということに、今やっと気づいた。
「朝……?」
「それより、この有様は一体なんなの?」
「えっ?」
 部屋をよく見てみると、水でびっしょりと濡れていた。まるで、濡れた何かが歩いたかのように。
「これ、あんたがやったの?」
 舞華は即座に首を大きく横に振った。
「じゃあ、誰がやったの?」
「知らない。でも、昨日うちに変な人がいたかもしれない!」
「えっ? だって、しっかり鍵がかかってたわよ」
「でも! さっき、私の部屋をノックしたり家の中を歩き回っていた誰かがいたのよ!」
 舞華は必死で訴えたが、母は優しく笑って舞華に言った。
「寝ぼけてたんじゃないの? 誰かが入ってきたなら何処から出て行ったのよ? 家の窓もドアも全部しっかりと鍵がかかっていたわよ」
「でも……」
「それより、ちょっと掃除しなきゃならないから手伝って」
「――――はい」
 舞華はそれ以上何も言わず、母と共に濡れた床の掃除を始めた。しかし、舞華の疑問が払拭されたわけではなかった。むしろ、その疑問は舞華の不安を膨らませていった。
「きゃっ!」
 舞華は上から落ちてきた何かに驚いて思わず飛び退いた。
「どうしたの?」
 その声を聞いた母親がそこへ戻ってきた。
「何かが落ちて……」
 舞華が見つけたのは一体の人形だった。少し前に流行ったキャラクターの掌に収まるぐらいの小さな人形だった。
「何? この人形」
 舞華はそれを拾い上げて色々な角度から見てみた。しかし、別に人形に不審なところはなく、ただの人形だった。一つだけ挙げるのならば人形の背中にMの文字が入っていたことだった。
 しかし、舞華はこの人形を買ったことはなかったし、両親がわざわざこんなものを買うとは思えなかった。
「あら? あんたそんな人形持ってたっけ?」
「ううん。私、知らないよ。お母さんは?」
「あんたが知らないものを私が知っているわけないでしょ。そんなことより、さっさと掃除を済ませちゃうわよ」
「はーい」
 舞華は人形をポケットに入れて掃除を再開した。掃除は二人がかりで行って、三十分ほどで終わらせることが出来た。
「朝ご飯、どうする?」
「いらない。何だか凄く眠いから」
 舞華はようやく落ち着きを取り戻していた。そうすると、今まで感じていなかった眠気が途端にぶり返してきた。
「日曜日だから別に気にしないけどね、午後はみっちゃんと最後のお別れだよ」
「わかってる。その頃になったら起こして」
 舞華はそう言って階段を上がって自分の部屋へと戻っていった。部屋のカーテンを開けると燦燦と輝く太陽の光が部屋の中を明るく照らした。舞華はそのまま布団の中に入った。布団の中に入ると、一気に眠気がこみ上げてきて、眠りへと落ちていった。




「ん……」
 舞華が目を覚ますと、時計の針は一時を回ったばかりだった。
「やだ、起こしてっていったのに」
 舞華は布団から起き上がった。その時、手を置いた場所に何かがあるのに気づいた。
「えっ?」
 舞華は思わず目を丸くした。少なくとも、それは寝る前にそこには置かなかったものだったから。
「どうして……?」
 舞華の手にあったもの、それはさっき拾った人形だった。寝る前はポケットに入れっぱなしだった人形が舞華のベッドに置いてあった。その位置をよく見ると、眠っている舞華に寄り添うような形で置かれていた。

 とん、とん、とん、ぴちゃ……

 舞華は布団から出て数歩歩くと足音が変わるのに気づいた。それまで軽い音だった足音が、急に水を跳ねるような音に変わった。それに気づいた舞華はゆっくりと自分の足元を見た。
「きゃあ!」
 舞華は思わず悲鳴を上げてしまった。
「な、何! これ?」
 舞華は自分の足元が一面水でびしょ濡れになっているのを見て、わけがわからなくなった。
「お母さん! お父さん!」
 舞華は部屋を飛び出た。水の量は舞華の部屋よりも多く、足首まで水に使ってしまうほどだった。
「舞華ちゃん……」
 舞華は思わず足を止めた。突然かけられたその声には聞き覚えがあったからだ。だが、それを確認するのが怖かった。
「舞華ちゃん……」
「いやぁ!」
 舞華は振り返らずに逃げ出した。一目散に玄関へと駆け出していった。
「いや! どうして開かないのよ!」
 舞華は玄関のドアを開けようと何度もドアノブを回したり、鍵を開けたり閉めたりしてみたがドアはどうしても開かなかった。
「ひっ!」
 舞華は首筋に冷たい手で触られて思わず体が堅くなった。首に触れられた手は、ゆっくりと上へ上がり顔に触れた。
「舞華ちゃん……」
「み、みっちゃん……」
 舞華は振り返らなかったが、その声の主が死んだ少女のものだということはすぐにわかっていた。二人は仲が良く、いつも一緒に遊ぶ間柄だったからだ。
「……め……で……」
「えっ?」
「おめでとう」
 少女は確かにそう言った。舞華はその言葉を確かに聞いた。その言葉を聞くと同時に舞華は思わず振り向いた。
「あっ……」
 そこには生前のように舞華に笑いかける少女がいた。笑いながら少女は優しく舞華の顔に触れていた。
「お誕生日、おめでとう」
 その時、舞華は思い出した。あの人形はブームだったときに舞華が欲しいといっていた人形であったと。
 そして、人形の背中に縫ってあったMの文字はMaikaのイニシャルであることを理解した。
「じゃあね、舞華ちゃん」
 すると、少女は舞華の元を離れていった。
「待って! みっちゃん!」
 舞華は少女を追いかけたが走っても走っても少女に追いつかずにどんどん離されていった。
 しかし、舞華は離されていく中で少女の最期の言葉を聞いた。
「この恨み……晴らさでおくべきか」
 それは体の芯から底冷えするような恐ろしい声だった。その声には明らかな恨みの念が込められていた。
 その言葉を聞いた瞬間、舞華の意識が一瞬遠くなった。
「きゃっ!」
 舞華は布団から飛び上がるように起き上がった。
「あれ……?」
 舞華は布団の中にいた自分を見て驚いていた。時計を見ると、まだ一時を回っていなかった。
「夢……?」
 すると、慌てて階段を駆け上がってくる音が聞こえた。
「ま、舞華!」
 駆け込んできたのは父だった。駆け込んできたとき、父は血相を変えていた。
「ど、どうしたの? お父さん」
「さ、榊先生が死んだ!」
「えっ?」
 榊はこの村で唯一のお医者さんだった。まだ若い先生で、女の子からの人気が高かった。
「どうして、榊先生が死んだの?」
「わからん! だが、榊先生の首にはロープで首を絞められたような痕があったし、その遺体と部屋中が水浸しなんだ!」
 この時、父の言葉を聞いて舞華はすぐに少女の仕業だとわかった。最期の言葉で少女が恨んでいた人物は榊先生だったんだ、とすぐにわかった。
 この後、死んだ少女からは覚醒剤が検出され、榊の体内やその診療所からも覚醒剤が発見された。榊は少女に覚醒剤を投与し、更には肉体関係を迫っていたという事実が次々と明らかになってきた。
 そして、自殺したとき、少女は妊娠をしていたということは村中を驚かせた。
 優しいお母さんになりたいと願っていた少女の夢は無残にも打ち砕かれ、少女は自らの意思で命を絶った。
 舞華は今でもあの人形を見るたびに少女のことを思い出す。

 いつも優しく笑っていたあの少女のことを……。

■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections