「彩子、しっかりして、彩子」 ベッドの横で、ママが叫んでる。 あたしの命はあといくらもない。 あたしの病名は白血病。 1年位前にそう診断されて、いままで闘ってきた。 でも、もうそろそろ限界がこようとしている。 それが、自分には充分すぎるくらいわかる。 だって、自分の体だもの。 わかってあたりまえ。 でも、あたしはまだ死にたくない。 だって、だって、あたしまだ15だもの。 デートだってしたことないもの。 まだ死にたくない。 1年の時から片思いの夏樹君と、まだしゃべったことないもの。 死ぬ前にもう一度会いたい。 あたしが入院する前に会ったっきりの夏樹君に。 神様お願い。 夏樹君に、会わせて。 一目でいいの。 一秒でもいいの。 会話なんかなくていいの。 遠くから見てるだけでもいいの。 だから・・・。 お願い・・・。 「なつ・・・きくん・・・にあいた・・・い」 あたしは朦朧とする意識の中で、つぶやいていた。 「何?あやかちゃん、何て言ったの?」 ママや看護婦さんの必死の呼び声が聞こえる。 夏樹君に会いたいの。 「な・・つ・・き・・くん・・・」
あたしは朦朧とする意識の中で夢を見ていた。 夏樹君の夢。 夏樹君は、あの頃のまま、白い歯を見せて笑っていた。 夏樹君はとっても思いやりのある、優しい人。 人の悪口言ってるところなんか一度も見たことないし、いつもたくさんの人に囲まれて、みんなの人気者だった。 サッカーやる時の夏樹君は、みんなの憧れの的だった。 夏樹君を好きな子は、あたしだけじゃないんだ。 あたしはこんな病気だし。 元気だった時もしゃべったことないし。 とっても不利。 でも、あたしも夏樹君とおしゃべりしてみたかった。 あの輪の中に、入っていきたかった。 あたし、夏樹君のこと、なんにも知らないんだ。 誕生日とか、血液型とかは知ってるけど、好きな食べ物とか、嫌いなものとか、好きな芸能人とか、よく聞く音楽とか・・・、何にも知らない。 でも・・・、ひとつだけ知ってることがある。 動物好きだってこと。 居残りで遅くなった時、偶然見たんだ。 夏樹君、捨て犬とお話してた。 パンと牛乳あげてた。 首をいとおしそうになでながら。 「俺んちで飼えたらいいんだけど、だめなんだ、ごめん」 って。 「俺、おまえの顔覚えたから、今度会った時にも買主見つかってなかったら、またパンおごってやるよ」 って。何時間も何時間も、犬がどっか行っちゃうまでそこにいた。 優しい人なんだって思った。 ああ、あたし、夏樹君ちの犬になりたい。 そしたらこのまま夏樹君に会えなくても、心残りせずに死ねるのに。 もしも生まれ変われるのなら、いつか、夏樹君ちの犬にしてください。 神様、彩子の、最後のお願い。 神様、彩子を犬にしてください。 夏樹君ちの犬に・・・。
あたしは夏樹君という声を聞いて、意識がはっきりした。 「あやちゃん、なつきくん・・・なつきくん」 えっ、まさか夏樹君が会いに来てくれたの? あたしは意思とはうらはらになかなか開いてくれない目をしばたかせた。 ママと目が合う。 夏樹君はどこ? 「あやちゃん、夏樹君って誰?」 なぁんだ、来てるんじゃないのか。 「ねぇ、あやちゃん、あやちゃんの好きな子なの?だったらママが呼んできてあげようか」 「いい、違うから」 あたしは会いたかったけど、反対のことを言った。 来てくれるわけないもの。 そりゃ、来てくれたらうれしいけど。 どうせ会ったって、どうなるわけでもない。 会ったって、夏樹君にとって特別な女の子になれるわけじゃない。 あたしはもうすぐ死んじゃうんだから。 でも、でもやっぱり会いたい。 お話したい。 会いたい、会いたい、会いたい。 でもこんなこと恥ずかしくて、ママには言えない。 はぁ、、、あたしはため息をついた。 眠ってしまおう。 そうすれば、何も考えずにすむ。 あたしはスーッと意識が遠のいてゆくのを感じた。
「あっはっはっ」 遠くで楽しそうな声がする。 「あにき〜、そっちそっち」 「やめろよ、冷たいじゃないか」 あたしは、目の前に夏樹君の姿を見た。 どうして? 何故こんなところに、夏樹君がいるの? 不思議だ。 一体どうしたんだろう。 「やめろってば」 暑い日差しの中で、水しぶきが虹の輪を作っている。 とってもきれい。 あたしは頭がボーッとしていた。 「キャッ、冷たい」 突然、頭の上から、水が降ってきた。 「あ、ごめんごめん、冷たかった?」 夏樹君がホースを慌てて下に落とすと、あたしの元へ駆け寄ってきた。 「大丈夫・・・」 そう言いかけて、あたしはハッとした。 あたし、犬になってる。 茶色いポメラニアン。 これは、夢・・・? でも、ちゃんと意識はある。 何故だろう・・・。 なぜあたしは今、犬になってるんだろう。 「リッキー、ごめんな」 夏樹君が、犬のあたしの頭をなでた。 「大丈夫よ」 あたしは、そう言ったつもりだった。 でも、クゥ〜〜ンってうなっていた。 「リッキー、夏樹が悪いんだぞ〜、夏樹にかみつけ〜!」 夏樹君に少し面差しの似た少年が言う。 誰だろう。 でも、かみつくことなんかできなかった。 あたしは、夏樹君の手を、ぺろぺろなめた。 「やさしーな、リッキーは」 夏樹君は、あたしの頭を、なでなでした。 うれし・・・。 「変だなぁ。今日のリッキー。いつもなら俺の言うこときくのに」 頭上で、不思議そうな声がした。 「いい加減、晃の性格の悪さに、嫌気がさしたんだよ。な、リッキー」 クゥ〜ン。 あたしは返事した。 「ほ〜ら、みろ」 「チェッ」 晃君が、口をとがらせる。 あたしは、晃君が少しかわいそうになって、近寄って、体をすりすりした。 「あっ、ホラ、みろよ。やっぱりリッキーは俺のことが一番好きなんだぜー」 得意そうに言う。 でもあたしは、やっぱり夏樹君がよくて、夏樹君のところに戻った。 あたしは今、夏樹君の腕の中。 あたしが駆け寄ったとたんに、夏樹君が抱き上げてくれたの。 あ〜、幸せ。 あたしはおとなしく抱かれていた。 「ホントに変だなぁ、今日のリッキー。なつき〜、またたびでも食わせたんじゃないだろうなぁ」 「ばーか、またたびは猫。なにもしてないよ。な、リッキー。リッキーは俺のことが一番好きなんだもんな」 「ワンワン!!!」 あたしはそうそうって感じで、思いっきり甘えた。 なんて幸せなんだろう。 思い切り、甘えて、抱しめてもらえて。 犬としてだけど、思い切り、愛されて・・・。 あたしも愛し返して・・・。 ホッとするあたしは、どんどん意識が薄れていった。
あたしは目覚めた。 周りは白かった。 夏樹君は、どこ? 晃君は? ああ、あたしは、元に戻ってしまったんだわ。 あたしは、唇をかんだ。 楽しかったのに。 すっごく楽しかったのに。 わけもなく涙が頬を伝った。 でも、あたしは、たびたび犬になって、夏樹君と遊んだ。 夏樹君と夕焼けを見に行ったり、公園で遊んだり、膝の上で眠ったりした。 いつも一緒にいた。 まるで恋人同士のように。 あたしは、夏樹君が、リッキーってあたしを呼んで、ふわって抱き上げてくれる瞬間がとても好きだった。 夏樹君の瞳がそこにあって、キラキラ光ってて。 あたしは幸せだった。
あたしは人間の姿で、夏樹君の家の前に立っていた。 人間の姿でこの家にくるのは、最初で最後。 もう長くない命だから、一度だけでいいから、人間の姿でこの家に来てみたかった。 夏樹君に会いたかった。 「誰?」 どこからか戻ってきた夏樹君があたしの姿を見つけてそう言った。 私がびくっとして、後ずさりしようとすると・・・。 「あ、香月さん」 夏樹君があたしの名前を呼んだ。 「香月さんじゃない?」 あたしは涙がぽろぽろ溢れてきた。 話したこともないあたしのこと覚えていてくれた。 ものすごく、ものすごくうれしかった。 もう、思い残すことはない。 あたしは近づいてくる夏貴君を、じっと見つめた。 涙が溢れて、夏樹君の姿がぼやける。 「どうしたの?」 あたしは首を横に振った。 「ありがとう。そして、さようなら」 あたしは小さくつぶやいた。 「えっ?」 「さようなら」 あたしは思い切って、夏樹君に抱きついた。 ふわっと香る、夏樹君の匂い。 「ありがとう」 あたしは駆け出した。 「リッキー?」 ふいに後ろで、声がした。 あたしは振り返る。 「リッキーなんだね」 あたしは黙ってうなづいた。 「さようなら」 「まって、リッキー、いや、香月さん」 あたしはかけだした。 気づいてくれた。 走りながら、涙がぽろぽろこぼれて止まらなかった。
あたしは倒れこむようにして病院に戻った。 朦朧とした意識の中で、パッと目を開けると、ママが心配そうな顔であたしを見ていた。 あたしはニッコリ笑った。 「ママ、あたし今、夏樹君に会ってきたの。かっこよかった・・・。夏樹君、おひさまにあたってキラキラしてて。私うれしかった。とってもうれしかったよ」 あたしはそう言い終わると、光がスーッと目の前から消えていくのを感じた。 でもそれは、犬になる瞬間ではないことはわかっていた。 「あやこ?」 ママの叫ぶ声がかすかに聞こえてくる。 あたし、死ぬんだね。 あたしは、薄れてゆく意識の中で思った。 でも、幸せだった。 あたし、幸せだったよ。ママ、なつきくん・・・。
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