あんなに悩んだ夜がウソのように、凌ちゃんとの再会は、由美子によって、いとも簡単に成し遂げられた。 週末のたびに呼び出され、食事に行ったり、飲みに行ったり。 私達は断る理由もないまま、誘われるがままに出かけてゆき、そのたびに私は凌ちゃんに会えた。 でも、私と凌ちゃんとの間にほとんど会話はなく、微笑むことすら出来ない視線が交わされるだけだった。 毎回北岡君は、私に優しく、由美子は凌ちゃんに甘え、凌ちゃんは多分無意識にそれを受け止め、そのたびに、私の胸は痛んだ。 凌ちゃんはいつから、こんなに優しい男だったのだろう。 いつからこんなに優しい瞳をするようになったのだろう。 初めて会った時とは別人のような・・・。 店のドアは必ず先に開けてくれる。 道を歩く時の速度や、安全な道への誘導。 煙草の煙を吐くときには、必ず横を向く・・・。 それらのさりげない気配りが、ある確信を持つにつれ、ひとつひとつが気になりだしてしまう。 人は、誰かを愛すると、優しくなれる。 凌ちゃんの長年かけて培われてきた優しさが全て、由美子を守るためのものだったとしたら・・・。 時々、凌ちゃんの女性に対する優しさに、胸が締めつけられそうになって、あの頃は、「俺、こういうの初めてなんだ」という言葉に全てをかけていた。 今となってはもう、夢のような過去に・・・。
真夏の連休、今度も由美子の提案で、ペンションに一泊二日の旅行が計画された。 ペンションにたどり着くまでに、いろんな所へ寄り道して遊んだ。 高原ではグラススキーをして、ファーム牧場では、ソフトクリームを食べた。 転ぶ由美子を抱きかかえる腕や、前を並んで歩く彼の背中が、まぶしくて目が痛かった。 1泊2食付きで、夕食がついていたので、私達は、ギリギリにペンションに着いた。 広い座敷食堂で、少し豪華な懐石料理を食べて、温泉に入った。 由美子は暑いと言って、先に上がってしまって、私は一人でゆっくり露天風呂につかりながら、月を見上げて少し泣いた。 部屋はツインルームを隣同士で2部屋取った。 2時間近くも温泉につかっていた私に由美子がおっそーい!と言い、みんなはビールを飲んでいた。 赤い顔をした凌ちゃんが、ニコニコしながら、「いつもそんなに遅いの?」と言った。 くつろいだ、ビールを飲んだあとの、凌ちゃんの赤い顔がとても懐かしく思えた。 「こんな日は特別」 そう言って私は、いきおいよくプルを引いて、一気に一缶飲みほした。 「おー、相変わらず真由美、いい飲みっぷり。やっぱ真由美にはビールだよね」 凌ちゃんがパチパチ手を叩きながらそう言って、私はヒヤリとした。 酔ってるの?そう思ってテーブルの上を見ると、かなりの空き缶が置いてあった。 私が北岡君を見ると、北岡君も、あきれたように私を見て笑った。 これ以上飲ませないようにしないと・・・、そう思った時、北岡君も同じことを思ったのか、「そろそろ部屋に戻ろうか」と言った。 「あら、早く2人きりになりたいんでしょう」 くったくのない表情でひやかすように由美子がそう言った。 「このペンション、壁薄そうだから、仲良くするのもほどほどにしとかないと、聞こえるかもよ。隣同士なんだから」 すっかり私達がラブラブだと思い込んでいる由美子の、悪意のないセリフだった。 私はいささか傷ついていたけれども、北岡君が冗談のままとらえて 「君達にもそっくりそのままの言葉をお返しするよ」と言った。 由美子が、まぁ!と言って、照れたように凌ちゃんを見ると、凌ちゃんはテーブルに並んだ空き缶を両手で抱え込んで 「俺はこんなに飲んじゃったから、もう役には立ちません。だから君達も自粛するように」 そう言って笑った。
朝、起きるにはまだ早いんだろうな・・・と思える時間に目が覚めてしまった。 トイレに行こうと思って、そっと部屋を出ると、庭先のベンチに凌ちゃんが一人で座っているのが見えた。 「おはよ」 私の足はそのまま凌ちゃんのもとへ動き出していて、背後から静かにつぶやいてみた。 「おはよ」 驚くこともなく、ゆっくりと振り向いて、凌ちゃんはかすかに微笑んだ。 澄みきった高原の朝露に濡れた芝生の匂いが、ツーンと鼻にしみた。 小鳥のさえずりと、木々の隙間からこぼれる光が、その朝露にあたって、キラキラと辺り一面が輝いていた。 私達は、この状況にふさわしく、ベンチに肩が触れない程度の距離を保って並んで座った。 「何してたの」 「なかなか眠れなくて、朝も早く目が覚めて、外にでたら気持ちよかったんで、考え事してた」 「どんな?」 「真由美のこと・・・」 私達は、顔を見合すこともなく、正面を向いたまま、ぽつりぽつりと話をした。 「真由美は、俺のこと、もう忘れたのかなぁーって・・・」 「凌ちゃんこそ、私のこと、忘れちゃったんじゃないの・・・」 「忘れてないよ・・・」 凌ちゃんは、まぶしそうに遠くを見つめて、静かにつぶやいた。 「私もそうよ」 私も静かにそうつぶやくと、横を向かなくても、凌ちゃんの微笑が見えた。 顔を見合すこともなく、はたから見るとただ座っているだけのように見えるけれども、私達の心は、目に見えない安心という空気に包まれて、寄り添い合っていた。 この瞬間に、私達はお互いの愛の絆を確信したけれども、それをどうすることもできないこともわかっていた。 おろした手と手の甲が触れ合っていて、お互いの体温を感じていても、それを握りしめることの出来ないこの状況をうらんだ。 「どうして、北岡とつきあってるの」 「わかんない・・・。でも、淋しいからかなー。こんな女にはなるまいと思ってたんだけど・・・」 「ごめん、俺のせいだよね」 「そうよ、あなたのせいよ」 私は、一呼吸置いてから、冗談まじりに切り替えした。 凌ちゃんが考え込むように目を伏せたので、私は静かにウソよと言った。 私の言葉に凌ちゃんは静かに微笑んで、もう一度ごめんとつぶやいた。 太陽が高く昇りはじめて、陽射しが強くなるにつれて、この夢の時間が終わろうとしているのが感じられて、苦しくなった。 どちらかが立ち上がって、この場を去らなければならないのに、私達はどちらも立ち上がれずにいた。 もう少し、もう少し・・・。 小鳥のさえずりが、セミの声に変わっても、触れ合った手と手の甲のぬくもりが一体化して、触れ合っていることがマヒしてわからないくらい、じっとそこに座っていた。 誰かが私達を呼びに来るまで・・・。 私達を動かしたのは、ペンションの支配人だった。 偶然通りかかったその人が、私達を見つけておはようございますと言った。 止まっていた時が動き出して、私達の手と手の甲が離れた。 「朝食はもう、お取になりましたか?バイキングになっておりますので、お早めにどうぞ」 そう言ってゆっくり立ち去っていくその人の後姿をしばらく見つめてから、ようやく私達は立ち上がって、行こっかと歩き出した。 歩く途中にテニスコートがあって、凌ちゃんが「あとでテニスしよう」と言った。 「ダブルスで?」 私がいじわるくそう言うと、ぷんとふくれて「そう」と言った。 「サイクリングのほうがいい」 私がそう言うと、2人乗りで?と聞くので、うんと言うと、ダメと言われた。 なんでよぉー?私がそう言うと、「背中にしがみつくでしょ」そう言ってさわやかに笑った。 久々に面と向って言われたさわやかなやきもちが心地よかった。 部屋に戻った時、私達の行動を不審に思う人は誰もいなくて、私と凌ちゃんのさっきのひとときは夢の中のことのように時間に閉じ込められて、私達は4人できたときと同じカップルに戻って、そのまま時を楽しんで過ごした。
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