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コケティッシュな微笑み 作者:晶子

第15回   15
 それから一週間後、凌ちゃんは何の連絡も無しに突然私の家にやってきた。
「どうしたの?」
「ごめん、こんな遅くに」
 時計を見ると、11時を過ぎていて、凌ちゃんは少し酔っているみたいだった。
「別に構わないけど・・・、早く入ったら?」
 少しふらついて、玄関先でボーッと立っている彼の手に大きなスーパーの袋が見えた。
「あれっ、そんなに酔ってるのに、またビール買ってきたの?」
「そんなに酔ってないよ。今日会社の飲み会だったんだ。早い時間からだったからずいぶん飲まされたけどね」
「会社の飲み会だったんだ。でもそれにしては終わるの早くない?」
「うん、みんなは3次会に行ったけど、俺はちょうど気持ちよく酔ってたから、真由美と飲みなおそうと思って、帰ってきた。突然でごめんね」
 いつもより少し強く酔っている彼は、伏し目がちな甘い瞳で私を見て、申し訳なさそうに微笑んだ。
「ううん、飲もう」
 私たちはソファーに座って、さっそく缶ビールを開けた。
「真由美は俺に合わせて、ビール2本一気のみすること!」
 凌ちゃんが私の肩に手を回しながら言う。
「えー、どうして」
「だって真由美は全然酔ってないだろ」
「大丈夫よ、少しずつ飲んで酔っちゃうから」
「だめ、真由美は強いんだから、2本くらい一気しなくちゃ」
「じゃ、1本にする」
「それでもいいよ」
 私は1本目のビールを一気に飲みほした。
「さすが、真由美。いい飲みっぷり!」
 凌ちゃんが浮かれて拍手する。
「じゃあ、真由美さん、もう1本一気しちゃおうかな〜」
 私は調子にのってそう言って、もう一本も飲みほした。
 さすがに立て続けに2本は少しクラクラしてきて、少し気持ちよくなってきて、凌ちゃんの肩にもたれながら、話をしていると、雲の間をふわふわ渡り歩いているようでとても心地よかった。
 今日の凌ちゃんは、かなり酔っていて、かなりご機嫌だった。
「真由美といると、あっという間に時間が過ぎるような気がするよ。なんか楽しいんだよねー。俺、このままここに住んじゃおうかなぁー」
 ビールを片手に、独り言のようにつぶやく。
 私は驚いて、どんな顔をしていいのかわからなかった。
「真由美、俺たち、同棲しない?」
 凌ちゃんのその言葉に、私の何かが弾けた。
 私はいつのまにか涙を流していた。
「真由美・・・?」
 驚いたように凌ちゃんが私を見つめる。
 けれども私は、この溢れる涙を止めることが出来なかった。
 あなたは覚えているの?
 数年前にも言った、その罪なセリフを。
 あの時のあなたの言ったことは、ただの冗談だった。
 それを本気にして喜んでいた私の気持ちを踏みにじり、あなたは突然私の前から姿を消した。
 今回のその言葉は、何を意味しているの?
 酔ったいきおい?それとも、本心?
 私が凌ちゃんと初めて会った日、凌ちゃんと由美子がまだ付き合い始めたばかりの頃、あなたが私の部屋で由美子を待っていて、私の布団で一緒に抱き合って眠ったあの夜。
 私がされるがままにあなたに身をゆだねていた時、あなたは性的興奮が高まって、感情も高まったのか、私に「同棲しよう」と言った。
 私が慌てて、「でも、由美子にバレたらどうするの?」と言うと、「でも由美ちゃんあんまり来ないでしょう」とあなたは言い、私は「来るよー」と強く否定した。
 私はその時はまだ、凌ちゃんに対する思いは完全ではなくて、とにかく由美子のことが気になって、その話は曖昧に終わらせた。
 私はその後、ずっとそのときのことを思い出しては後悔していた。
 あの時私がもう少し大人で、もう少し恋愛というものを知っていて、もう少し勇気があって、あの瞬間に恋に落ちていたら・・・。
 私は迷わず、同棲しようと言ったあなたに対して、あっけらかんと、「うん、してみる?」と明るく話を進められたのに。
 始まったばかりの2人の恋は、始まったばかりゆえに、壊れるのも簡単だったはずなのに。
 あの時私が明るく勇気を出して凌ちゃんに接していたら、凌ちゃんは振り向いてくれていたのだろうか。
 それならば、今は?
 あなたは今、どんな気持ちでそのセリフを言ったの?
 あの頃とは違う気持ちで、私を心から好きだと思って言ったの?
「真由美・・・。どうして泣くの?」
 少し困ったようで、でもとても優しく、凌ちゃんは私の背中に手を回し、自分に引き寄せると、そっと髪を撫でた。
 あなたが好きなの。もうどうしようもないくらい・・・。
 心の叫びが、軽い嗚咽になる。
「真由美、泣かないで・・・」
 凌ちゃんは私の髪を、優しく優しく撫で続けた。
 しばらくして、だいぶ落ち着いてきて、私は顔を上げてごめんなさいと謝った。
「だいぶ酔っちゃったみたい」
 私がそう言うと、凌ちゃんは優しく微笑んで、私を背後から抱え込んだ。
「ねぇ、真由美。俺は今、本当に真由美のことが好きだよ」
 私の肩の上に顎をのせながら、ゆっくりと語り出した。
「真由美が俺のことをどう思っているのか、それはわからないけれど、俺は真由美のことものすごく大切に思ってるし、大事にしたいとも思う」
 凌ちゃんのあたたかい吐息を感じながら、私は信じられない気持ちでいっぱいだった。
 凌ちゃんの気持ちがとてもうれしかった。
 ありがとう、凌ちゃん。
 私もよ、私も凌ちゃんのことが好き。この上なく好き。誰よりも一番に愛してる。
 ずっとずっと、あなたに初めて会った日から。
 だけど、私は自分の気持ちは打ち明けなかった。
 凌ちゃんの気持ちはうれしかったけれども、まだ私は怖かった。
 凌ちゃんの愛情を受け止めて、私の狂おしいほどの愛情を見せてしまったら、またあなたは私のことを重苦しく感じて、また私から逃げていきそうで、それが怖かった。
 私のことを好きだと思ってくれていても、由美子のことを少しでも好きだと思っているうちは、私はまだ本心は打ち明けられない。
 打ち明けるのが怖い。
 あなたがまた去っていってしまうのが怖い。
 私は少し心を落ち着かせてから、もう一度、ごめんなさいと謝った。
「昔、好きだった人に、冗談で同棲しようって言われて、喜んでたらふられちゃったの。凌ちゃんが変なこと言うから、思い出して涙出ちゃった」
 少し拗ねた声で言ってみた。
「俺はそんなことしないよ」
 凌ちゃんに再び強く抱しめられる。
 私はせつないくらいに嬉しい感情を静めるために、目を閉じた。
 あなたはやっぱり覚えていないのね。
 あなたが言った言葉だったのに。
 この瞬間を始まりととらえ、昔の凌ちゃんと切り離して考えてみれば、あの頃の凌ちゃんと今の凌ちゃんは別人なわけで、そう考えると、昔好きだった人という形容も嘘じゃないけれども、覚えていないほどあの頃の私の存在は薄かったのかという淋しい思いと、今の少しでも私のことを気にしてくれている凌ちゃんの気持ちがこの上ない幸せに思えて、私の胸のうちはとても複雑だった。
「もう少し、こうしていたい」
 凌ちゃんに抱しめられたまま、私はつぶやいた。
「何時間でも、真由美がいいというまで、朝までずっとこうしているよ」
 凌ちゃんの腕の力が少し強まって、凌ちゃんのぬくもりを強く感じた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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