賭けは成功した。 丁度一週間後、待ち望んでいた凌ちゃんからの電話が来た。 「真由美、俺」 私はすぐに凌ちゃんだとわかった。 毎日毎日待ち望んでいた声だもの、わからないはずがない。 だけど私は、わざとわからないふりをした。 「えっ、誰?」 「俺だよ」 「誰だっけ・・・」 「俺だよ、俺。わかんない?」 向こうも冗談みたいな口調で、俺を繰り返して、なかなか自分の名前を言わない。 「誰なの?」 私も頑として譲らず、わからないふりをした。 「もう、俺だよ、石崎」 凌ちゃんは笑いながらあきれたように自分の名前を告げた。 「あーっ、凌ちゃん?」 「そう、俺だよ。全然わかんなかった?」 「わかんないよー」 「たくさん男がいて、誰だかわかんなかったんだろう」 「失礼ね、その逆よ。いないから誰だかわかんないんじゃん」 「そっか・・・」 受話器の向こうから、凌ちゃんの笑い声が聞こえた。 私はドキドキして、浮かれそうになる心を必死に押さえ、少し冷静に接した。 「でもどうしたの?凌ちゃんから電話くるなんて思いもしなかったよ。暇だったの?」 「そ、ちょっとね。元気かなぁと思って」 「ふーん、だったら、遊びに連れてってよ。それとも、そこまでの暇はない?」 あくまでもさりげなく誘ってみる。 「いや、いいよ」 「ホント?」 「すぐに出れるの」 「うん、出れるよ」 「じゃ、割と近くにいるから、10分後くらいにはそっちに着くと思う」 「うん、わかった」 電話を切ると、私は素早く身支度を整え、はやる心を押さえて、駆け足で階段を下りた。 凌ちゃんはもう来ていて、息切れしている自分の動揺を悟られまいと、深呼吸して息を整えた。 「こんばんわ」 そう言って、助手席に乗り込むと 「こんばんわ」 凌ちゃんも笑いながら合わせてあいさつした。 「真由美、ご飯食べた?」 「ううん、まだ」 「あ、俺もまだ。どっかなんか食いに行かない?」 私たちは、郊外の小さな居酒屋に入った。 「乾杯」 ビールを注文して、2人で乾杯した。 「真由美、相変わらず、のみっぷりがいいねぇ」 私が一気に半分くらいを飲みほすと、凌ちゃんが感心したようにそう言った。 凌ちゃんは、すでに顔が赤い。 「凌ちゃんこそ、すぐ顔に出るのは変わってないねー」 「そうなんだ、嫌になっちゃうよ」 私たちはたわいのない話で、ずいぶんの時間をここでつぶした。 凌ちゃんは無意識に自分の話を熱心に語り、笑顔で私の話しに耳を傾けてくれた。 私は全神経を集中させて、彼の話に耳を傾け、全ての物事に意味を見つけながら話を聞いていた。 凌ちゃんの話す内容、仕草、全てが私の中で大切に大切に完全な思い出として心に記憶された。 話は尽きなくて、あっという間に時間は過ぎた。 「もう一杯飲む?」 私が5杯目のジョッキを空けたとき、凌ちゃんがそう言った。 私が少し迷って時計を見ると、11時を過ぎていて、「えっ、もうそんな時間?」と凌ちゃんは驚いて、「出よっか」と言った。 酔いを醒ますために、私たちはいつもの港についた。 今夜も星が綺麗で、ここでも話は尽きなくて、私たちは会わずにいた時間を埋め尽くすようにお互いのことを語り合った。 「よかった。こないだ久しぶりに会った時、真由美なんだかすましててとっつきにくかったけど、今日の真由美、あの頃の屈託のないままだ」 少しの沈黙の後、凌ちゃんが少し笑いながら私を見つめて言った。 私はハッとした。 確かに今日の私は浮かれていて、とても無防備だったに違いない。 私はとっさに思考回路がマヒして、黙り込んでしまった。 「俺ね、久々に会って大人っぽくなった真由美にもドキッとしたけど、今日みたいな真由美も好きだよ」 凌ちゃんが優しく微笑む。 私はこの時、なんと言ったらよいのかわからなかった。 凌ちゃんにとって、好きな私って、一体どっちなの? 私はどっちの私でいればいいの? だけど、私の心は決まっていた。 「凌ちゃんって、欲張りね。一体どっちの私が好きなの?」 「んー、両方」 「ふーん」 「しいて言えばどっちって、聞かないの?」 「まさか、くだんないもの。どっちでもいいし」 急につっけんどんになった私の態度を見透かしたように、凌ちゃんは鼻でふーんとうなづくと、意味ありげに微笑んだ。 私は作り物の自分にドキドキしながら、その動揺を悟られまいと、窓の外を見た。 「ま、どっちでもいいや」 凌ちゃんは笑いを含んだ声でつぶやくと、横を向く私の顎を指先でとらえ、自分の方へ向けさせた。 その仕草があまりにも自然で心地良くて、私はドキドキする心を必死で押さえた。 凌ちゃんの瞳が、真っ直ぐ私をとらえる。 「キス」 端正な唇から、単調な言葉が漏れた。 真っ直ぐ見つめられたまま、また唇が動く。 「キスして」 私はようやく我に返って、少し余裕が出て、凌ちゃんの目をキッと見つめて、そして魅惑ありげに微笑んで、唇を重ねた。 ただ、唇と唇が重なっただけで、体中に電流が走る。 凌ちゃんは今、この瞬間をどういう風に感じ取っているのだろう。 私がこんなにも深い快感を味わっている今・・・。 舌を絡ませるわけでもない、ただ唇と唇が触れ合っているだけの甘いキス。 それだけで私は深い快楽に引きずり込まれてゆき、心が溶けて自分を見失いそうになる。 私のほうからゆっくり唇を離した。 そして、気持ちを隠さず心から愛してるというまなざしで凌ちゃんを見つめた。 そして・・・、愛情の限界がきて、たまらなくなって目をそらした瞬間、私は凌ちゃんにギュッと抱しめられた。 「好きだ、真由美」 全身が身震いして、うれしいようなせつないようななんともいえない感情が渦巻いて、私は心臓をギュッとつかまれるような感覚に襲われた。 「好きだよ・・・」 首筋に、凌ちゃんの甘い吐息が吹きかかる。 私はなんと言えばいいの? 男を虜にする悪女は、ここで何と言うの? 私もあなたが好きよ。多分、あなたが思っている以上に。 でも、それを言ってしまったら・・・。 私は知っている。 こういう状況では、男の人は、どんな甘い囁きでも平気で言うことができるということを。 私は何も言えなかった。 そのかわり、私は凌ちゃんにギュッとしがみついた。 心の中で、私もよとつぶやく。 凌ちゃんに再び強く抱しめられて、私たちはしばらくの間、抱き合ったままじっとしていた。
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