翌日、基本的に目覚まし時計を持たない俺は時間を気にしながら起きたのだが―――――  「わっ、起きた」  頭上から間の抜けた声が聞こえ、それが横から俺を覗いている明だと理解したと同時に、二度寝に突入することにした。  「え、ちょっと光夜、なんで寝るの!?」  「やかましい、現実逃避だ」  「それは困るよ。壺を返しにいかないと、横山さんが困るよ」  それは、ここで使う材料なのか。いや、そうじゃない、寝起きで考え方を間違えている。  「問題は、何でお前がここにいるかって言う事だ」  「え、おかしいかな?」  おかしい、おかしすぎる、何がおかしいかというと、こいつが俺の家に来るという可能性は通常はゼロだからだ。だというのに、なんでこんな状況が出来上がっているんだ。  「おかしいかどうかは言わないが・・・・。お前、昨日の言い分は理解できないこともないが、だからといって今まででありえない行動を取るのはどうかと思うぞ」  俺は上半身を起こして、隣で正座している私服の明に振り向いた。問題は私服の格好は珍しいとか、こいつが家に来たことではない。その足元に丁寧に置かれている一冊の本だ。  「明、それなんだ」  「これ?・・・・・参考資料?」  疑問符をつけるということは自分すらも誤魔化せていないらしいな。とりあえず本を取り上げた。
  『萌えマンガから学ぶベタベタな男と女の関係全集』
   全集という辺り、コンプリートを狙っている気持ちが伝わってきそうな気がした。でだ、なんだこの栞の数は、数ページに渡って何枚も色んなところに入っている。適当に開いてみた。
   『朝は、恋人・幼なじみの男子の家に行って、男子の寝顔を堪能する』
   放り投げた。有無を言わさずに庭へと本を投げた。落下前に明がキャッチしたのが面白かった以外、落ち着けなかった。  「お前、馬鹿かっ!その前に昨日の今日で何でそんな本がある!」  「コンビニで売ってたよ」  最近のコンビニの商品選択を疑うしかないな。なんだ、ここに来て俺は明にすらも注意を払わないとまともに生活できないとでもいうのか。そんな不条理、認めるわけがない。  「とりあえず、出掛ける準備だ」  俺は立ち上がって背筋を伸ばす。  「はい、着替え」  「どこから、取り出した・・・・」  「いや、勝手に人の衣服に手を出すことはしないからね。修行僧の人が渡してくれたんだよ」  ならば、まあいいが・・・・いや、この状態は既によくない気がする。絶対にまずいだろう。  「お前、キャラクターを変えすぎだ」  「そうかな、普通だと思うけど?」  自身の変化は気づき難いとはよく言ったものだが、これはどうかと思う。  「着替える、お前は向こうに行ってろ」  「うん、ご飯は用意してるって」  そうか、と俺は一言返事して明を別な部屋に移動させたあと、着替えることにした。明の極端な変貌は置いておくとしても、いや、後回しにすればするほど危険な気がするが・・・・  「とりあえず、壺を返しにいかねぇとな」  俺は夜着から私服に着替えて布団を片付けた。そのとき、たん、と後ろの方で物音が聞こえてきた。振り返ってみれば、件の猫だ。今度は何の用があってここにいるんだ。  と、その猫の視線は部屋の隅に向けられていた。そこには、横山に返すべき壺が布に包まれていた。流石に裸で持っていくわけには行かないからな。  「おい、何をしている」  「・・・・・」  俺に声をかけられた猫は、俺を一瞥するとそのまま庭に向かっていった。何だというんだ。  明を家に入れたの爺さんのいつもの甘やかしだとはすぐに判断できた。そんな事に一々目くじらを立てる必要もないし、第一家に誰も来るなというルールがない以上は、誰だってここにくることは可能だと言う事だ。  休日の朝から、俺と爺さんと明で飯を食って、身支度を済ませて玄関に向かった。手には壺を来るんだ布を持っている。  「気をつけてな」  「ああ」  「いってきます」  爺さんに見送られて、俺たちは昨日の病院へと足を運んだ。と、少しばかり気になることを忘れていた。横山は、意識不明の重体だ、昨日の今日で治るかどうかも判らないのに、このまま足を運んで会えるというのだろうか。  だが、その予想とは裏腹に横山との面会は可能だった。何の滞りもなく病室に通された俺たちは、一昨日と同じような感じだった。  「意識は戻ったんだね」  「ええ、今朝ね。さっき検査が終わって、異常はないって」  それはそうだろう、原因がなくなった以上は縛られていた戒めもなくなったという事だ。意識不明というよりも、ケースの珍しい眠りだったのかもしれない。どの道、話せるのであれば、それに越したことはない。俺は包みを寝台の上に置くと、中を改めた。  「お、お父、さん・・・・」  「約束どおり、君のお父さんを取り返したよ。犯人も更生させたから、二度と横山さんのお墓が荒らされる事はないから、安心して」  明の言葉を聞いているのかいないのか、どちらとも付かない顔で、横山 咲は壺を手に取った。そして、愛しいものを抱くように胸に包み込み、小さく震えていた。  「お父さん・・・・お父さん・・・・っ」  しきりに、父親のことを呼んでいた。これで、とりあえずは一件落着だってことだが・・・・まだだな。  「行こうか、光夜」  「ああ」  感動の再会を邪魔するつもりもないし、用件が済めば『探求同盟』の仕事は晴れて終了。俺たちは揃って病院を出ることになった。  「さて、と。これからどうする?」  「俺は出掛けるところがある、お前は帰っていいぞ」  「出掛けるところ?」  俺の言葉に明は興味津々と言う顔を向けてきた。しまった、黙って一人で行けばよかった。  「ねぇ、どこに行くの?」  「いや、今のは嘘だ、どこにもいかねぇ」  「いや、それこそ嘘でしょ。僕も行くよ、なんだか気になるし」  くそ、結局こうなるのか。少なくとも、こいつに帰れといったところで強情な馬鹿は動きはしないだろう。ならば、腹をくくるしかないのだろうか。  「・・・・事件は、まだ終わっていない」  「え、それってどういう・・・・」  「山に行くぞ」  俺はそれだけ言って、駅へ向かって歩き出した。  郊外の駅に、山道まで続くハイキング向けの場所がある。全ての事件の発端ともいえるのは、その山だった。行きの電車にゆれる中、明は俺に聞いてきた。  「光夜、事件が終わっていないって、どういうこと。今から向かう山に何があるって言うの?」  「・・・・横山の父親の、心残りだ」  「心残り?」  俺は、到着までの間、明に横山の父親から聞いたことを話した。まず知るべきなのは、横山の父親が二ヶ月前、どういう理由で死んだかだ。  横山の父親は大のアウトドア好きだったらしい。休日には気の知れた仲間とともに登山やら海水浴やら、ともかく外での行動が多かったそうだ。二ヶ月前もそうだった。  その日は会社の仲間と横山の父親の二人が、今俺たちが向かっている山に登山に向かったそうだ。その山は、特に危険があるような山ではなく、子供でも二時間程度で頂上まで上れるほどに、きちんと舗装されたハイキングコースもある。  ただし、例外もある。ハイキングなどのイベントは、休日や夏季休暇などが目立つとき、参加者はどっと増える。それが原因で、立ち入り禁止を区切る柵やロープなどが壊され、それが改修されずに今も残っているそうだ。当然、それが元で、あってはならない事態も起こる。  それが、件の二人だった。  ハイキングコースを横山の父親と友人は登っていた。だが、途中で大雨に降られたそうだ。引き返すも頂上を目指すも、どの道時間の掛かる場所だったらしく、友人は頂上を目指そうといったそうだ。その途中、柵の壊された場所を見つけ、よく見れば頂上の方角へ一直線に茂みがあったらしい。  後は簡単だ。止める横山の父親を無視して、友人は道をはずれ柵の向こうへと足を踏み入れ、姿を消した。何のことはない、二歩踏み出したところは崖だっただけの話だ。横山の父親は崖に落ちた友人に叫びかけ、友人は両足を骨折したらしく動けなかったそうだ。  助けを呼んでくる。横山の父親はそういうと来た道を全力で戻った。そして、雨で視界の悪い中、道路に出たと同時にトラックにはねられ即死したそうだ。つまり―――――  「その友人さんって、まだ・・・」  「見つかっていない。家族にもハイキングに行くとしか言っていなかったし、その友人も身内のいない独り者だったそうだ。家に帰っていなくても不思議がるのは家賃を滞納されているアパートの大家くらいだろうが、実家の一戸建てに住んでいるそうだから、それもない」  つまり、誰とも知らずにその友人は、今も木々の生い茂る山の中で一人で助けを待っているのだろう。  「ねぇ、その人って生きているの?」  「考えても見ろ、両足の骨折がどの程度か知らないが、骨が飛び出ていたとすれば出血による死亡、食料もハイキング程度なら一週間と持たないし、ここ最近は雨も降らなかった。人間に必要な物は、消費されていく一方だ」  「じゃあ、もう・・・・」  「だから、助けに行く」  電車から降り、改札を出ると、公道を挟んで向こう側にはハイキングコースの入り口が見えた。この公道で、横山の父親はトラックにはねられ、帰らぬ人となった。その道の隅には、ハイキング客が置いていったのか、花が手向けられていた。  「地図はさっき買った。ハイキングコースから外れるが、その友人が落ちた場所まで行くぞ」  「あ、じゃあ迂回だね。ハイキングコースの地図に柵の壊れた危険区域が書いてあるよ。っということは、この辺りから入ればたぶんその友人さんが落ちたところにいけるかもね」  「もともと、舗装される前も地元の人間は入り込んでいた山だ。地面伝いにいけば、自然とそこまでいけるだろう。簡単に言えば、ハイキングコースは三日月のように弧を描いた道のりで、下に土台が広がるような形の山だからな」  ならば、最初のスタート地点はここではない。俺たちは公道沿いに左へ進み、手近な茂みから、磁石を使用しながら進むことになった。上に向かう山登りは時間は掛かるだろう、だが、草木があるとしても、平地を進むということは山を登るよりも幾分か簡単である。ただ草を踏み分けて前方に進むだけだからな。だから、三十分くらいだろうか、その開けた場所に出れたのは。  「この辺りか、ちょうど頂上との半分辺りだな」  「うん、手分けして探してみる?」  言うが早いか、明は自分勝手に動き出した。あの馬鹿、今日までの転校で放置された人間を見たことないだろう。あのまま探させるとトラウマを持つはめになるぞ。  「なんか妙なのみつけたら、俺に言えよ」  「うんわか―――――」  返事が途中で止まった。まさか、と俺は訝しがりながらも明のところへ向かった。と、茂みの方を向いて、明は僅かに震えていた。  「何があった」  「あ、足が・・・・」  震える手でその場所に指を刺す明、そこには、明らかに人間の足が茂みから伸びていた。そして予想は裏切られず、その足は膝の部分から無数に白い何かが飛び出していた。  考えるよりも先に、明の腕を引っ張って後ろに下げた。  「来るな」  「え・・・でも」  「来るなっ」  俺は躾けるように明に言い捨て、茂みの方へと回りこんだ。そしてそれを見つけてしまった。大木に背を預け、だらしなく四肢を投げ出した格好は弱弱しく、生前のその人間を想像させることは難しかった。  死んでいた。やはりというべきか、もしかすると思っていたが、淡い期待など必要なかったらしい。ここで、寂しく一人の人間が死んだという事実があるだけだった。  顔には無数に虫が這い回り、腐食の始まっている匂いが鼻を突いた。手を握って引っ張れば、煮込んだ骨付き肉のように、骨から肉が剥がれるだろうと思う。眼窩は暗くへこみ、ムカデが出入りしていた。ああ、死に行く中でこの男は、何を考えただろうか。  「探し出したぞ」  俺は、ポケットから実験などに使う細いコルク栓のしてある試験管を取り出した。中には白い粉が入っている、あの骨壷から失敬した、横山の父親の遺灰だ。  その遺灰を、俺は醜く腐った男の死体に振りかけた。  「これで、俺の役目は終わりだ。あとは、好きなだけ二人で話でもしてくれ」  「ああ、そうさせてもらうよ」  いつの間にか、俺の隣で横山の父親が立っていた。  「君には苦労をかけたね。ありがとう」  「やかましい。恨まれっぱなしで終わるのは性にあわねぇだけだ。それよりも、待ってるぞ」  「ああ、それじゃあ」  横山の父親は、森の向こうへと歩き出した。その先には、見知らぬ男が一人、立っていた。この、死んだ男だろう。二人は肩を抱いて、ともに森の奥へと消えていった。  まあ、どうせ最初は口げんかから始まるだろうがな。  「光夜・・・」  と、森の奥をぼうっと見ていた俺は、次の展開に反応し切れなかった。あろうことか、明が興味本位に負けてこっちに歩いてきた。  「さっきの死体はどう―――――きゃっ」  「この馬鹿っ」  俺は咄嗟に明のほうへ駆け出し、視界を覆うように頭を抱いた。  「お前、自分がどういう人間か、いまいち理解してないだろう。お前は死体を見れるほど、精神力に抗体を持っていないくせに、興味本位で来るんじゃねぇっ」  「あ、あの・・・光夜、えっと・・・・はえっ?」  「いいから目を瞑れ」  「え!?」  俺は念の押すように、もう一度明に言って聞かせた。二度の言葉に明は頷くと、目を瞑り、瞑り・・・・なんで俺に顔を差し出す。無視して、俺は明を反対に向かせて背中を押した。死体の見えないところまで移動させると目を開けさせた。  「あれ、契りの儀式は・・・?」  「お前、死体の前でそんな事する趣味でもあるのか・・・・」  ないよ、と簡単に否定されて嘆息した。あほらしい、何が契りの儀式だ。勝手に頭の中でシナリオを進めるな。  「帰るぞ、連日まともに寝てないんだ、今日くらいは寝かせろ」  「あ、じゃあ僕も寝る。光夜の家で」  「帰れ!」  俺たちの休日が無駄に消化されていった。
  
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