明の住むマンションは、この辺りでも高級な部類に入るだろう。こいつがどこぞの令嬢だとか、そういう訳ではない。単純に、親が明を疎く思っているが故に、自己責任で補え得るだけの状況を用意し、維持し続けているだけに過ぎない。  オートロック、警備、地域的治安、保障、全てにおいてこの辺り一帯とこのマンションは堅固に出来ている。年端も行かぬ女が一人で暮らすには十分な物だと言えた。夜間の外出さえ、我慢すれば、完璧に近い安全が保障される。  だから、明は親から突き放された。  一人で生きろと、こんなおかしな思考を持った子供はいらないと、だが世間体が許さない。子供を突き放すことは許さない。だから、社会勉強をさせる一環という理由をつけて、中学の三年から今日まで、一人で暮らしているらしい。  世間体は守られ、明は近くから居なくなる。親は、仕送りだけは無駄なほど送ってくる。それなりに余裕のある家庭らしいが、そんなものはなんの意味も持たない。  心が貧乏な連中に、飲ませる薬はない。明は、好きでこうなったわけではないというのに。  「相変わらず、何もないな」  「必要なもの以外、不必要だからね」  当たり前なことを言う。部屋は2DKの広い間取りだった。だが会議室にあるような長い机、本棚、テレビ、ベッド。それ以外に何もない。生活に必要な掃除機や冷蔵庫、洗濯機、備え付けの厠と湯殿、調理器具。時間さえ決めれば、毎日同じ行動が取れそうだと、瞬時にして思った。  「毎日、何をしているんだ」  部屋を眺め回すと、ふと頭に何かが被った。手に取ると、ハンドタオルだった。  「とりあえず、これで拭いて。悪いけど、僕お風呂に入るね。風邪は引きたくないし」  「ああ。こっちも風邪をひかれても困る」  僅かなやり取りを終えて、明はそそくさと湯殿へ移動していった。普通の男なら、行き成り部屋に招かれたうえに、誘った人間が湯殿に入る事になった場合、相当に慌てると聞くが・・・・・・・解らない。  「明は、マイペース過ぎてそういう状況にはぜってぇならない」  適当に体を拭いて、床に腰掛ける。案外濡れなかったのは不幸中の幸いだったな。しばらくすれば乾くだろう。  それにしても、あいつは普段何をして過ごしているんだ。本棚―――――とはいっても、縦横目一杯に収まっている本棚は、本棚というよりも標本棚に見えなくもない―――――に敷き詰められた大量の本。それも、背表紙が古そうなもので、なおかつ分厚い。明は、これを全て読んだということだろうか・・・・  「俺には、できねぇな」  一冊読みきれば僥倖だろう。まあ、日々本ばかり読んではいないはずだと思うがな。そのためのテレビだろう。だが、随分と立派なテレビ。このご時勢に大画面液晶か、それも豪勢にチューナー付き。さしもの俺も、実物を持っている人間をはじめてみたな。  「まあ、興味本位で使うのもいいだろう」  手近においてあったリモコンを手に取り、テレビをつける。最初に映ったのはニュース番組、夕方の報道中だった。適当にチャンネルを変えてみることにした。この時間なら、やっている番組の種類も多いだろう。  次に映ったのもニュース番組だった、次もニュース番組、地方のものだ。そして次も地方報道特番、次もニュース、次も、そのまた次も、そして巡り巡って―――――株価の専門チャンネル。  そこで、ようやく電源を消した。  「あいつは、ニュースキャスターかディーラーにでも成りたいのか」  ニュース番組など、見慣れたものが一つあれば事足りるだろう。そういう種類の番組なのだから。チューナーが、もったいないように思えてきた。  そうして、何をするでもなく時間は流れた。適当にドライヤーを借りて服を早めに乾かし、暇を潰した。そうして、明が湯殿から上がってきた。  「ごめん、待たせちゃったね」  私服に着替えた明は、見た目だけならどこにでもいる今時の女性にみえるだろう。だが、中身を知っている俺は、素直にそれを受け入れらない。まだ髪はやや濡れている。俺は勝手に借りたドライヤーを返した。  「光夜も入る?」  「入らない」  がーがー、とドライヤーの音の中できっぱりと断る。普通、自分が入った後の風呂に、特に男など入れたくないだろうに。やはり、妙に感覚がずれている。  「でも、風邪引くよ?」  「毎日行水で爺さんに鍛えられている。気にするな」  「そういえば、そうだったね」  髪を乾かし終えて、明はようやく一息ついた。キッチンから持ってきたと思しき飲料水(カフェオレ)を俺に渡す。  「お前、あれからこれ、気に入ったのか・・・・」  「うーん、気に入ったというよりも、なんか都合がいいというか・・・よく解らないや」  気にした風もなくそれを飲み始める。以前、女の癖に水や麦茶しか飲まないのは何かおかしいと、こいつを飲ませて以来、こいつの冷蔵庫の中には水と麦茶とカフェオレという、妙な組み合わせが常時置かれている。  本当に、こいつは必要最低限のものしか持たないらしい。  「結局、何も見つからなかったね」  「・・・・・ああ、さっきのことか」  「うん、現場に行けば何かあると思っていたんだけど、考えが浅かったかなぁ」  首をかしげて困った表情をする。そうだ、忘れていたな、それを。あの時は雨に降られたせいで、後回しにしていた。俺はポケットに手を入れて拾ったそれを取り出す。  「明」  「ん―――――っと。なに、これ?」  投げ渡したそれをキャッチして、明は言った。明が手にした、俺が拾ったそれは、丸い形をした片面に模様が彫られたキーホルダーの本体だった。 	キーホルダーがキーホルダーとして機能するための金具のリングは鎖の途中からなくなっていた。 	「墓の近くかで、帰る間際に拾った。お前の言う『手がかりになるかもしれない可能性を持った物何か』ってわけだ」 	「なんだ、早く行ってくれればよかったのに―――――って僕がさっさとお風呂に入っちゃったからだね」 	「そういうことだ。だが、そんな場末のキーホルダー、どこにでもあるだろう」 	俺には明確な手がかりになるとは思えず、それはただのガラクタと判断する他なかった。だが、明はそのじっとそのキーホルダーを観察して、そしてそれを見つけた。 	「ねえこれ、後ろに数字が彫ってあるよ」 	「数字?」 	俺は明からキーホルダーを受け取ると模様の裏側を見る。確かに、小さく『1915』と彫られていた。 	「ああ、確かに、何かの番号か?」 	「どうだろうね。ほら、数量限定の商品て、よくシリアルナンバーって彫られているでしょ?限定品って言う証拠を残すためにさ。でも、それは数字だけで『No.』とは彫られていないから、違うのかもしれない」 	なるほど、確かに数字だけで何かの番号とは限らない。もしかしたら忘れないように個人が彫った数字かもしれないからだ。最近はなんでも個人で出来る道具が多いからな。 	「まあ、キーホルダーだけなら直ぐに何かは判るかもしれないね。インターネットって、便利なものもあるし」 	「お前、パソコンなんて持っているのか?」 	「うん、あまり使わないけど、引き出しにノートが一台」 	机を指差す明、つくづく、こいつの情報力の底が見えないと思った。それにしても、まあ、ひとつくらい物を見つけられてよかったと思う。これで何も見つからなかった場合、出だしから行き詰まりだったからな。 	「でも、それなんの模様だろうね?」 	板の表面、確かに何か細長いのが彫られていた。これは蛇か? 	「・・・・・蛇だな。それも、羽の生えた、蛇だ」 	「蛇?」 	そう、蛇だ。どこかの御伽話にでも出てきそうな、羽の生えた、妙にリアルな蛇の模様だ。 	「ケツアルコアトル」 	「・・・・・ケツア、なんだ?」 	「たぶん、ケツアルコアトルっていう、アステカ神話にでてくる神様の絵だと思うよ」 	「それは、どんな神だ」 	「どんなって言われても・・・・・あ、そうだ」 	明は本棚に向かうと一冊の本を取り出した。『神話体系〜想像と創造〜』と書かれていた。なんだ、その脈絡のないタイトルは・・・・どんなことを考えて本を買っているんだこいつは。 	「ケツアルコアトル・・・・・あったよ。アステカ族の神話に出てくる『羽毛ある蛇』で、古くは水や農耕の神様だって言われていたらしいね。詳しいことは省くけど平和の神でもあったらしくて、生贄を止めさせたら生贄が大好きなほかの神様の恨みを買ったらしいね。その時、自分の姿を金星に変えて、宇宙に逃げたらしいよ。だから、金星の神様でもあるらしいね」 	「・・・・・そうか」 	「ん?どうかした?」 	「いや、だから、そのキーホルダーの模様が蛇神だって言うのは解ったが、だからなんだろうか、と」 	ああ、そうだね、と明はあっけらかんとした態度でいた。 	「ケツアルコアトルが何かって言うのは、別にただ、本当にこの彫られている番号がシリアルナンバーなのか、ケツアルコアトルの事なのか、わからによね」 	「どういうことだ?」 	ナンバーとしての確証はないにしても、それがケツアルコアトルを明示するものだというのは、知らないな。 	「小惑星にも番号があってね、1915番の小惑星の名前は『ケツアルコアトル』なんだよ。だから、そのキーホルダーかなと思って」 	「なるほど、そういうことか」 	そうなると、やはりただのコレクション商品の一つと考えるほうが妥当だろう。表がケツアルコアトル、裏にはその小惑星番号、どこぞのプラネタリウムの土産ものだと考えられる。 	「とりあえず、キーホルダーの模様の意味は解ったけど、キーホルダー自体はどこのものかは解らないね。それは調べておくよ」 	「ああ」 	「それにしても、どうして骨なんか盗み難いものを持っていったんだろうね。普通の人なら、恐れ多くてお墓なんて掘り返す気も起きないだろうし」 	確かに、知性がある分、自分たちの取り決めた文化を自ら破る行為ほど恐ろしいものはない。それが死人に対する反逆であるなら尚のこと・・・・ 	だが、それは文化を理解する普通の人間の感覚。まさかとは思うが、その犯人は――――― 	だが、そこで俺の思考が止まった。思考の邪魔をするように、違和感が心臓の辺りを包み込んだ。そして―――― 	「うっ―――――っ!?」 	「光夜?」
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