放課後、珍しく三年の連中からは何の誘いもなかった。だからってわけじゃねえが同好会に早々と顔が出せた。だが、俺が行ったとき、まだ部屋には鍵が掛かったままだった。鍵と言っても立派なものじゃない、ただの金具を引っ掛けるタイプのやつだ。 部屋の中は暗く、昼休み以降から誰も来ていない証拠だ。だがそんな事実はどうでもいい、おかしいのは明がいないことだ。あいつが俺よりも後に部室へ来ることはない。なるほど、だから三年の連中も珍しく接触してこなかったのか。 「明が遅れるくらいの珍しさだ、三年がやってこない程度、珍しいともいえないか」 に、しても、妙だ。俺が一人でここにいるというのは、たぶん初めてだ。いつもは明が入ってきた俺に言葉を掛ける、俺がそれに答える。一年間以上も、それがここでのやり取りの始めだった。だが、今日は暗い、無言の部屋だけが俺を出迎えてくれた。 「・・・・物足りない」 まあ、いい。あいつが来るまで、待つことにしよう。どうせあいつが来てやれといわれなけりゃ、俺は何もする気はない。あいつが遅れるくらいだ、相当に時間が掛かるかもしれない。 「何もすることがないってのも、つまんねえな」 椅子に腰掛けて足を投げ出す。天井を見上げて時間が過ぎるのを待つ、かちかちと耳障りな音だけが聞こえて来る。それにしても、あいつは今回の依頼をどうするつもりなんだろうか、あいつは自分ひとりで考え込むばかりで俺に話を持ってこないからややこしい。確かに、任せるとは言ったが全部を考え込めといった覚えはねえ。だってのに、あいつはそのまんま飲み込みやがって、こっちに見向きもしねぇ。 「・・・・・話せ、なんて言えるほど俺も軽くねえし」 いや、ただのひねくれか。どちらにしても、あいつから言ってくるまで俺は何もできないってことだ。くそ。 「同好会ですらねえな、これじゃあ。ただ、居るだけか・・・」 考えても始まらない物は始まらない、か・・・。それにしても、随分と面倒くさい依頼だったな。死体探し―――――いや、正しくは遺骨探しだろうが、まともとは思えねえな。 探してくれと、藁をも掴む思いでここに来たんだろうが、そんな外の事件は・・・いや、どんな事件だろうが知ったことじゃねえ。大体、ここはそんな事件を扱う以前にただの同好会だ。大塚の馬鹿がふざけたことを言いふらしたのが原因だ。あいつの事を助けたのは成り行きで偶然だ、あの馬鹿の味方になった覚えはない。 「だってのに、あいつは馬鹿みたいに懐きやがる・・・・・」 わけわからねえ。何をどう見たら、俺らを信用できる人間になれる。どう見ても、人間的に不完全すぎるのが二人、こんなところで油を売っている、 いや、明は違うか、あいつは少なくとも人間になろうとしている。友達が出来たって言っていたな、人間だから出来たんだろう。残念だが、俺は人間としては未完成過ぎる。こんな、こんな体をしていて、何が人間だ。 自分の手を見る。手のひらから伸びる五本の指。それは紛れもない人間の手だ、だがこの手は人を傷つけることが出来る。比喩じゃなく、自分の意思とは無関係に、だれかれ構わず。明でさえも――――― 「あ、あの・・・」 「―――――っ」 突然の声に振返る。明じゃない、あいつが控えめな言葉で俺に話しかけはしない。そこにいたのは、昼間の依頼を持ってきた見知らぬ女だった。名前は、忘れた。 「あんたは、昼間の・・・・誰だ」 「誰って、横山よ、横山 咲。さっきの今で、もう忘れたの?」 「生憎と、依頼に来る人間の名前は覚えたくないからな」 この女は明の客だ。俺が関わる理由はない、ちゃっかりと手近な椅子に座っている手前、明を待つ気なんだろう。ならあいつが来るまで俺は何もしないでいることにした。 「八神君、よね。噂の?」 だがそれは俺だけの考えであって、向こうは俺の気など知らず話しかけてきた。明がいないということはこういうことだ。俺は他人と群れる気はないし、ここも校則の面倒を掻い潜るための隠れ蓑に過ぎない。だってのに、なぜかどこの部よりも面倒になっているのはなぜだ。 「噂・・・・、またか」 「またって?」 「なら聞くが、あんたの言う『俺の噂』ってのはどんなのだ」 質問に質問で返す。言いたいことは相手に言わせるのがいい、一人で静かにいられる時間が長くなるのなら、多少の細かいことは水に流す。この女が俺の噂を言っている間は静かに過ごせるからな。 「噂は噂よ。三年生よりも強くて恐い同級生、この学校の裏番長で先生も目を合わせられないほどに凶暴で、近づく人間は全員殴り倒す・・・・とか」 「・・・・ああ、なるほど。確かにそりゃあ噂だ、真実が一つも入っていないなら本物だな」 「え、嘘なの、この噂?」 噂の意味も知らず、この女は言葉に振り回されていた。馬鹿らしい、噂は流れてくる言葉に過ぎない。真実でないから噂だ。今の人間は噂を真実と履き違えるくらいに馬鹿らしい。 「じゃあ、本当の八神君はどんな人間なの」 「そんな事を聞いてどうする」 「どうもしないけど、聞きたいだけ。私だって変だと思ったもの、噂の八神君は近づくことも出来ない恐い人だと思っていたのに、案外普通だし。どっちかというと物静かに見えるくらい」 「・・・・・・普通、俺が?」 そうだ、と女は言う。普通だと、何が普通なものか、真実を知らない人間のただの言葉遊びに過ぎない。本当の俺は騒がしいのが嫌いなだけだ。他人に自分を邪魔されるのがこの上なく不快に感じる。噂のイメージを固めた人間がその反動で言う言葉が『普通』。上でも下でもないただの言葉だ。 「それこそ噂だ」 「え、何が?」 聞こえなかったのか、聞き返す女は首をかしげている。だが俺はそれ以上口にしない。どうせいつか忘れられる言葉に繰り返す意味はない。それよりも、明が遅すぎる。あれから三十分は経過した。おかしすぎる、あいつがここまで遅れる理由も、意味もわからない。 「でも確かに噂は噂よね。そんなに凶暴なら誰かと同好会や困った人を助けるなんて事はしないでしょうし。でも、桐嶋さんも周りから変な人扱いされているから、それで合っているなんてことも聞くし―――――」 「黙れっ」 聞き逃せない言葉があった。それに過剰反応した俺は、三年を殴るような目つきで女を威嚇する。突然の凄んだ声に女は体を固め小さく声を上げた。まるで金縛りにあった小鳥。 「それ以上言葉を吐くな。ここに俺がいるのは俺の勝手だ、明がどうこう言われる筋合いはねえんだよ。あいつを変人扱いするな、俺よりもあいつの方が普通の人間だ。それを噂程度で捻じ曲げるな」 関係のない人間を例えに出されるのは腹が立つ。何よりも俺に関係がなさ過ぎて例えにもなっていない。 『凶暴な人間が変な人間と同盟を組んでいる』 この言葉に俺と明の関係を記すものは何一つ入っていない。俺は自分の意思でここに入った、それは明のことなど関係なく、安息を求めるために。あいつは俺を求めていなかった、人数が必要で部員を探していただけだ。 探していた人間、探す人間、元から在るもの同士が鉢合わせた程度でそれをどうこう言われる意味も権利もない。俺への噂に明が入ってくる矛盾は在りえねえんだよ。 「ご、ごめんなさい・・・・」 女は謝り、酷く居座りづらくなっていた。面倒なことになった、なんで不快を正しただけで居心地が悪くなる。俺には何も解らなかった。女が謝る理由すらも。 「噂に流されただけのあんたが謝る必要はない、行き成り睨んで悪かったな」 「ううん、いいのよ。軽率なことを言った私が悪かったんだし、意外といい人なのね八神君、桐嶋さんのことちゃんと考えてる。ただ居るだけじゃなかったのね」 言葉をつくろい、選びながら女は会話を続ける。俺に睨まれないようにしながら。だが言っていることは間違っていない。確かに、ここにいる以上は俺もここの役には立つ。面倒ごとは嫌だが、あいつが困っているのを見過ごすほど馬鹿でもねえ。一人で抱えられても困るんだよ。 「私もね、大好きだったお父さんの事、今でも考えるんだ」 「・・・・」 「お父さんね、生きていたときは友達も多くて、誰にでも優しかったんだ。でも無理なこととか、わがままを言うとすぐに怒るの。自分に出来ないことを人に押し付けるなって。小さい頃は「なによ、けち」って不機嫌になったんだけど、ちゃんと考えられるようになってからは、お父さんの言葉って本当なんだなって思うの、誰にだって無理なことや理不尽なことを言われれば嫌になるって。 だから、今八神君が怒ったのもわかる気がして・・・・」 「・・・・そうか」 「でも、ううん、だから、だからそんな優しかったお父さんが生きていたって証拠を、誰かに盗られたのがすごく悔しくて、警察も誰も、ちゃんとは捜してくれないの・・・・・」 いつの間にか、言葉に涙が混じっていた。顔をうつむかせ、震える手の上に涙が落ちていた。感情的になる俺には、確かにその悔しさは感じられた。 「大好きなお父さんを忘れたくないの、自分で失くすならまだしも、盗まれるなんて嫌だよ・・・・・、だから誰でも良いから助けて欲しかったの、それが出来るって聞いたから、ここに来たの・・・・」 「それも確実性のない噂じゃないのか」 「でも大塚君は助けてもらったじゃないっ」 「出来ることと、出来ないことはある」 俺は目を覚ますように言葉を吐く。横山はそんな、とショックのように言葉を漏らすとまた震えだした。犯人への悔しさではなく、何も出来ない自分への不甲斐なさと、俺への落胆に。だが、まだ話は終わっていない。 「そうだ、出来ることと出来ない事はいくらでもある。だが勘違いするなよ、やってもいないうちから出来ないと決め付けるほど、こっちは脳みそが腐っているわけじゃねぇ」 「・・・・・・・・・・え?」 「とりあえず、俺の独断で決められねえが、明に言ってみる。どうせあいつはやるって言うに違いないだろうが、一応は聞いてみる」 「そ、それじゃあ」 「だが言っておく、確実に何でも出来ることなんてないんだ。俺たちに見つけられなくても、恨むなよ」 「わ、判ったわ、恨まない。むしろ、ありがとう・・・ありが、とう・・・」 「震える声で、泣きながらありがとう、といい続ける。くそ、何に情が移ったのかしらねえが、結局引き受けることになった。期限は無期限にしちまったが、明は一ヶ月と事件を長引かせたことはない。学生の身分でなんで学業以外に精を出す必要がある。くそ、また面倒なことになりそうだ。 女を見送り、静かな部屋に戻る頃、俺は自分のいった言葉に後悔した。この広い世界のどこを探せば、墓荒らしなんて見つかるんだよ。後悔しながら待つ、明が来たのはその十分後だった。
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