ばしんと体育館の隣に立てられた格技棟から気持ちのいい高い音が響いてきた。今剣道部が練習の最中だった。畳の上でペアを作った部員達が互いに見合い自由に技を出している、つまりは乱取りをしていた。その中に孝太の姿があった。一心に相手を見据え竹刀を構える。無言の中に迫る気合が感じられる。相手も負けじと孝太を見据える。こちらからも力強い意志が感じられる。互いに一歩も動かない。どれくらい立っただろうか周りの部員達は既に三回以上乱取りを繰り返しているが孝太と彼はまだ一回の乱取りも終わっていない、始まったばかりなのだ。五分、十分と時間が過ぎた。部員達はノルマ分の乱取りを終らせている者が出始めた。自然、孝太と彼の方に目が行くのは必然だった。まだ動かない。精神力だけで同じ姿を維持している。少しでも動けば負ける。彼はそう考えた。全員の乱取りが終わった。残っているのは孝太と彼のみ、全員が注目する中孝太が手元を持ち上げた。囮のつもりだ。それにはまったか彼が一歩飛び出た。孝太も向かい撃つように前へ跳ねた。一瞬の交差の中、ばしんと静まった格技棟に響いた。背で構えたままの二人が竹刀を下ろし面へ手を伸ばす。ふうと孝太は熱さから逃れるように息を吐いた。後でも小さく息を吐くのが聞こえた。振り返り孝太は参ったと言った。 「いやあ、さすがに強いですね主将は」 孝太がシン達の前でも言った事の無いような敬語を使った。 「そんなことは無いさ、孝太も俺に当てただろう。胴だったな。これは引き分けだ」 面を取った彼は少し孝太より背が高かった。握手を求めて孝太へ歩んだ。 「練習でもお前の本気が見れて良かったよ多分俺より強くなれるなお前は」 握手をしながらそう言った。 「そんなこと無いですよ、俺はまだ練習不足です。今度相手する時は絶対に勝ちますから」 期待しているよと言って主将は全員を集合させた。ノルマ数より数は少ないが部員達はその一戦が見れただけでも十分感動を表していた。集まり際部員達が孝太を誉めていた。 「主将と引き分けるなんてすごいな」 そう言った声だった。この格技棟には部で行われた大会の賞状が額縁に収められ壁にかかっている、今全員が列を作っているその左側の壁にもそれはあった。剣道大会二年連続優勝の賞状だった。賞状には主将と呼ばれていた彼の顔写真もそえてある。確かに兵の証拠だった。孝太が敬語を使う理由も解る気がする。言わば憧れの存在とでも言おうか。 「今日はこれまで、全員よく休むように」 号令がかかったあと全員は帰り支度へと入った。孝太も道具を持って少し離れた更衣室へ行こうとしたとき出口に人影があるのが見えた。警戒する事無く近づき「よお」と声をかけた。 「どうしたんだ唯、部活は終わったのか」 出口にいたのは唯だった。どうやら部活が終わった後葵に言ったように孝太を迎えに来たようだが少し様子がおかしい、保っとしているようだった。孝太は訝しがりもう一度唯の名前を呼んだ。 「おい、大丈夫か唯」 孝太に言われ慌てたように返事をした。 「え、ああ。うん大丈夫、お疲れ孝太」 いつもの唯だとわかり孝太はおう言い返した。 「なんだ、まさかむかえに来たのか。先に行けばいいのに」 孝太がそう言うと唯はむっとなった。 「なによ、せっかく来てあげたのに」 と怒り出し始めた。孝太は訳がわからず頬を掻いた。 「なによもう、見とれて損した」 更に何か言ったようだが孝太には聞き取れなかった。 「おまえ、何を一人で言ってんだよ、図書部だろ、すぐに着替えてくるから待ってろ」 そう言って歩こうとした時後ろから声をかられて振り返った。声の主は主将だった。 「どうしたんですか」 主将は孝太に目をやったあと隣の唯に目をやり「彼女か」そう言った。 「え、あ、いえ・・・そのなんと言うか」 唯はやたらと慌てていた。 「お前何慌ててんだ?」 孝太は流すように言った。すると慌てていた唯がまたむっとなった。声には出さないが孝太が平然としているのが気に入らないようだ。 「だから何を、いやそれは後にして。で、何ですか主将」 孝太はとりあえず主将の話を聞く事にした。 「ああ、さっきの乱取りだけどな」 そう聞くとあれが何かと聞き返した。 「おまえ、構えが変わってないか」 孝太は眉をひそめた。構えが変わっている、そうかなと思い返した。 「ああ、多分変わっていますね。前は竹刀を逆手には持っていなかったし」 確かにそれは変わっている。先ほどの胴を当てたとき孝太は竹刀を逆手にして振り切ったようだ。 「まあ、それは構わないがもう少し剣道らしい構えにしたほうがいいぞ」 じゃあなと付け加えて主将は去っていった。 「斑鳩の所為だな、あと『斑匡』の」 一人呟いた。着替えを終え外に出ると唯が待っていた。黙って歩き出す。 「孝太、なんでさっきに人には敬語を使うの、普段は先生にもタメ口なのに」 唯はふとした疑問を孝太に投げた。 「さっきの・・・ああ、主将の事か。そりゃあ尊敬しているからさ」 尊敬と唯が繰り返した。 「ああ、あの人は剣道が強いだけじゃなくて誰にでもやさしい面をもっているんだ」 そういう孝太の顔は笑っていた。 「人ってのは強いだけじゃあだめなんだ、誰かの気持ちを動かすやさしさも必要なんだ。俺もその一人。そういうのを俺は主将に見たんだろうな、だから敬意を表するために敬語を自然と使ってたんだな」 そうなんだと唯が言った。 「孝太って意外とロマンチスト」 唯がからかうように言った。 「そんなわけないだろ、俺は現実主義者だよ」 そうなのと唯が聞き返してきた。格技棟を曲がると校舎が見えた。空は黒と赤のツートンカラーになっているのが視界に入る。 「そういえば」 唯が思い出したように言った。 「なんだ突然」 「文化祭って全部のクラスが出し物をするんだよね?」 唯が孝太の顔を見ながらいうと孝太は何を今更と言う顔でふうと息をはいた。 「当たり前だろ、祭りって言うのはそこにいるみんなの共同制作なんだからな」 「へえ、孝太もいい事言う時もあるんだ」 唯は珍しく孝太を誉めたが話がそれそうになったので 「聞きたいことはそれだけか」 そう言って話を戻そうした。 「あ、そうだった」 思い出したように唯が手を叩くと隣で全くと言う声が聞こえた。 「それで、他のクラスはどうかなって。何を作るんだろう」 そういう事かと孝太は言うと顎に手を当てて「そうだなあ」と考え始める。 「一年からは、祭りらしく射的に展示、あとはお化け屋敷と言った所か」 「お化け屋敷かあ、いってみようかなあ」 孝太は唯の予定立てが終わるのを待って言葉を続けた。 「三年は、ほとんどが飲食店だろうな。焼きそば、お好み焼き、フライドポテト、エトセトラ。のこりの二年はどうかな」 孝太が少し考えてから「わからん」と言って顎から手を離した。 「でも、夜叉君のクラスは『あーむ』何とかって言うのをやるらしいよ」 あーむ、の部分で少し考えたが誤魔化して続ける。あーむ、孝太も繰り返しそれを口に出すと思い出したように「ああそうか」と手をたたく。 「アームレスリング、腕相撲か。アイツらしい企画だなステージを俺たちに取られちまったからな教室でやるしかないんだろうけどまあ力自慢の連中が多いから丁度いいだろうな、客は来そうに無いが」 先日のジャンケン勝負で孝太はいつも敵対している夜叉とそのクラスの狙っていたステージを見事獲得した。だがライブをやろうとしていた夜叉のクラスは仕方が無く教室での出し物となった。それを孝太が笑っていると何かが引っかかり「あれ」と口にした。 「ちょっとまて、なんで唯があいつのクラスの出し物を知っているんだ」 孝太が不思議そうな顔をして唯に聞く。孝太の記憶では唯が夜叉とあったのはそのジャンケンをする時の一度しかない。 「個人的に会いにでも行ったのか?」 自分で言って言い方がおかしかったのか最初の部分を濁した。 「ううん、孝太達がこの前町にコアを倒しに行った時丁度教室に帰るところで夜叉君と会ったの、最初はビックリしちゃった。この前あったときよりピアスの数が増えていたから」 そうかと孝太が頷く。 「あいつ、会うたびにピアスの数を増やすからなあ、この前窓越しに見たときも三つは増えていたからな」 そう言って唇の端から三ヵ所突いた。そのあたりにピアスが増えたのだろう。 「へえそうなんだ、それでねそのとき向こうから言ってきたの「うちじゃあアームレスリングをやるから見に来てくれよな」って、それだけ言って帰っちゃたけど」帰ったと唯は言った。 「帰った?ああ早退か」 孝太が夜叉の行動を推理したが唯がちがうよと否定した。 「教室に帰ったの、なんだかそれだけ言うためにきたみたい」 「はあ、なるほど。そういうことか」 孝太が立ち止まった。それに合わせて唯も止まった。 「どうしたの孝太」 そう聞くが孝太は何か考えている。 「(あいつ、まだ唯を狙っているのか)」 ちらと唯の顔を見た、まだこちらを見ている。ふうと息を吐いた。 「いや、何でも無い。それよりも唯ちょっと来てくれ」 そういうと校舎の入り口まできていたが孝太は通り過ぎた。 「何処行くの?」 尋ねながらもその後に続く。孝太からは返事が無いのでしばらく後についていくと校舎の東側へ移動しているのに気づいた。校舎を曲がり薄暗い道を歩くと「ここだ」孝太の声が届いて二人は立ち止まった。 「倉庫、なんで?まさか孝太」 「あ?なんだよまさかって」 孝太は驚いた唯の声に訝しがって振り向いた。唯は一歩引いて驚愕の顔で口を開く。 「まさか孝太、ここに私を連れこんであんな事やこんな事を―――――きゃあ強姦魔」 更に一歩引いてわざとらしく叫んでみた。孝太は大きく肩を落とした。 「ははは・・・・・唯、ちょっと来い」 孝太は低く笑って唯を手招きした。 「ん、なあに孝太」 唯は楽しそうにとことこ近づいた。孝太の目の前に来た時なにと繰り返した。おもむろに唯の額に中指をぶつけた。ぱちっと軽い音がした。 「いったい!孝太、なにすんのよ」 額を抑えて孝太に文句を言った。 「くだらない事を言ったお返しだよ、たく俺がそんなことするかよお前に」 そう言って倉庫の入り口へ歩き出す。 「ちぇ、冗談なのに、孝太のバカ」 孝太と同じように歩こうとして二歩足を進めたとき何かに顔をぶつけた。 「いた、何で立ち止まるのよ」 二回目の痛みに唯は少し声を強めていった。孝太は頭に手を置いていった。 「わるい、よく考えたら倉庫の鍵を持ってくるの忘れた、仕方ねえな部室に一回行くか」 そう言って踵を返そうとしたとき横から覗いた唯が素っ頓狂な声を上げた。 「あれえ、孝太鍵かかって無いよ」 「ははは、まさか」 今度は高く笑って返そうとした足を戻した。扉の前まで行くと鍵を確認した。そこにはかかっているはずの錠が無かった。どう言うことかと下を見るが何処にも落ちていない。 「マジかよ、どう言う管理をしているんだこの学校は」 呆れた声で鍵の無い扉を見た。手を扉に掛け力を入れるとガラガラと重い音と一緒に暗い空間が広がった。 「で、孝太。何で倉庫に来たの」 唯が本来の謎であるここへ来た理由を孝太に尋ねた、孝太は「看板捜し」と言って中に入った。 「あ、そうか。ステージの看板だね、一緒に持っていったほうが楽だもんね」 孝太の考えを察し唯もその看板捜しに賛成して中へ足を進めた。昼間に入った太陽の熱で中は幾分と温かかった、孝太は壁伝いに手を這わせ何かを探す。その出っ張りを見つけ押すと唯一ここに設置されている電球に灯りがともった。 「時間がかかりそうだから」 そう言って唯に振り向く。 「うん、ドアは閉めるね」 そう言って重い扉がまた音を立てて入り口を塞いだ。 「よし、探すか」 看板捜しが始まった、扉が閉まった瞬間外には冬場を思い知らせるような強いかぜが走ってきた。作業の続く倉庫の外、立てかけられたバランスの悪い棒はユラユラと揺れている。
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