わたしとおじさんは、いつの間にか河川敷に設置してあるベンチに二人して座っていた。手元にはホット緑茶のペットボトル。温かくてしかもおいしい。飲んだり手のひらでこねながらぼんやりしているわたし。おじさんはゆっくりと口を開いた。
「50年ぐらい前かな。おじさんがまだ子供のころね、ここらへんで毎年寒い時期に相撲大会があったんだよ。」
おじさんは遠い目をして話し、わたしは川の反射する光で目を細めながら話しを聞いている。
「で、その中でね。一人の女の子が相撲大会に出ていたんだよ。」
「へ〜」
わたしはそこで緑茶を一口飲む。ゴクリ。
「その女の子がね〜、また強いんだこれが。いつも優勝してしまう。」
おじさんは自分の額をピシャリと叩く。うむ。
「でね、おじさんはいつも遊びがてら友人たちと一緒に、その子と相撲ばかりとってたんだ。そしてその子にはいつも負けてばかりいたんだ。」
そう言って少し上を見上げるおじさん。見上げれば、青色だった空にオレンジ色が侵滲んできている。「ほんとに、いつもいつもだったな〜」おじさんは、なりかけの夕日につぶやいている様だった。
「あるときその子が転校する事になった。」うなずくわたし。
「ショックと同時に、心の中がカッと熱くなった。そんな気がしたんだな〜」
「へ〜」
「夕方、おじさんはその子を一人この河川敷に呼び出したんだ。そして一言だけ告げたんだ。」
なんだか告白な雰囲気。わたしドキドキ。
「『相撲してくれ』ってな。」
わたしコケル。おじさんはそんなわたしを見て声をあげて笑った。
「その子も呼び出されたときは顔を赤くして緊張していたはずなのに、おじさんが『相撲』なんて言うからな〜。きょとんとしていたよ。」
わたしとおじさんは腹を抱えて笑った。夕暮れの河川敷に見知らぬ二人の笑い声が響く。寒さが増しているのに、ぜんぜん寒くならない。むしろおなかの中がほのかに温まる。
「それからが大変だった。おじさんはなんとしても勝たねばと、思って彼女に向かっていったよ。でも、いつもより強めに投げ飛ばされる。帰ってきたときは全身擦り傷だらけだったっけ。」
「女の力はすごいからね、おじさん。」にこりと笑うおじさん。
それからちょっとだけ間が空いた。高めだったテンションが落ち着いてくる。頬を風が撫でて、とても気持ち良い。間を取るのがうまいおじさんは、わたしと夕焼けを見たながら、静かにそしてゆっくりと話し始める。
「最後に投げられたとき、もうすでに夜だった。」上を見上げた。まだオレンジ。
「仰向けにひっくり返されたおじさんは、上空に輝くきれいな星空を見ることができたんだ。」
「・・・」
「そんなきれいな星空を見上げたら、急に涙が出てきてね。もうボロボロ。」
私は今、上に星空があればいいなと思った。だって、見たいものは見たい。そんなことは当たり前。空を見上げながらおじさんの話は続く。
「少しして涙がひくと、おじさんの頭の上には彼女が座っていることに気が付いた。はっとして飛び起きてみると、彼女は嗚咽を挙げながら、目に大きな涙を浮かべていた。」
「・・・」
「おじさんは、恐る恐るヒザを握り締めている彼女の手に触れてみた。」
風があたりを撫ぜる。
「触れると彼女の体はビクッと強張った。でも、手を握り締めてあげると、その強張りも消えていったんだ。」
「・・・」
「おじさんは彼女に言った。『転校したらまた近いうちに帰ってくるよな。』って、そしたら彼女、『わかんない』だってさ。」
空気が凛と済んで、おじさんの顔はなんだか若返ったようだ。冷たいけど、胸の内は温かい。おじさんも凛とした表情で続けた。
「おじさんは言ったんだ。『絶対帰ってこいよ。この相撲の決着はまだついてないんだからな。』ってね。そしたら彼女、『うん』って何度も何度もうなずいてさ。もう見ちゃいられんかったよ。」
「・・・・おじさん、ティッシュ。」この春と冬の中間にあたる河川敷の夕焼けと、おじさんの話がなんだかわたしの涙腺を苛めたみたい。わたしの頬は涙が伝い、涙は顎を伝い落ちて服を濡らしていた。涙腺が緩みっぱなしのわたしは、照れ隠しににっこりと微笑んだ。おじさんもそんなわたしを見てにっこりと笑って、ティッシュを渡してくれた。
涙を拭いて鼻をかんだティッシュは草むらに放り投げた。いちいちごみ箱に捨てるのもめんどくさい。紙も涙も鼻水もみな自然。夕暮れもいよいよ赤々と空を燃え上がらせている。
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