■ 第三話 生きる 自殺未遂をした加奈は、両親の愛情の深さを知らされ自らの命を軽く扱った事を悔やんで いた。電車に接触した体はまだまだ完治していなかった。リハビリや検査の毎日が続いて いる。裕一のお葬式にでれなかった事もショックで酒屋さんのご主人達がお見舞いに来る 事も無かった。ただ、両親だけはそんな加奈の事を大事に思い加奈が辛くなるような事は 一切話さなかったし、毎日、笑顔を見せに来てくれていた。ただ、今日は両親のお見舞い がいつもより遅く、窓際に置いてあった花瓶の花がしおれてしまっていたから、加奈は看 護婦さんに頼んで、花瓶に水を入れてもらおうと思っていたけど、リハビリの意味も含め 自分で入れ替えてみようとベットから車椅子に移って、花瓶を手に取り廊下から洗面所に 移動していった。花瓶を洗面台に置き、蛇口に手を伸ばしたが、骨折している肩が痛み、 激痛にうつ伏してしまった。
「大丈夫かい?」 「えっ、えぇー」
車椅子から見上げるとそこには美少年が立っていた。入院患者であろうパジャマ姿で立て いる彼は、花瓶の水を取り替え続けて言う。
「病室は何号室なの?椅子を押していってあげるよ」 「あっ、ありがとう。3012号室なんです。わたし加奈、生島加奈」 「僕、花菱勇気っていいます。よろしくね」
彼は番号だけで病室が分ったようで車椅子をゆっくりと押し始めた。すれ違う看護婦さん は、みんな彼の事を知っているようで、ニッコリと声をかけて来る。
「勇気くん。今日は調子よさそうね。あら、彼女ができたの?可愛らしいお嬢さんよ」 「へへへ、可愛いでしょう。今、病室まで送っていくところ」 「勇気くん。その先、台車があるわよ。検温の時間までには、お部屋に戻るのよ」 「うん、これね。送ったらすぐに戻るよ」 「前から、ふたり来るわよ。ゆっくりしてらっしゃい」
などと、看護婦さんとも親しい会話をしている彼。今、車椅子を押してもらっている彼。 勇気くんの事を看護婦さん達は優しく見守っている。車椅子を押してもらいながら、ちょ っと、不思議な気分がした。看護婦さん達は必ず声をかけてくる。 「なぜ、だろう」と思っていたら、病室から大きな大きなシーツの山がゴロリと廊下に出 てきた。その大きさは人より大きい。勇気くんはそれにまったく気付かない。加奈が「あ っ」と、声を出した時、彼はそのシーツの山に車椅子を突っ込んでいた。
「あれ?前に何かあるの?」 加奈は、車椅子ごとシーツの山に突っ込んでいて、声を絞り出した。 「え、えぇー。シーツの山が転がってきたのよ」 「ゴメン、僕、目が見えないんだ…」 「えっ、ええーー」 加奈には、スタスタと歩く彼が目が見えないなんて思えなかった。どうりで、看護婦さん 達が、いろいろと言うと思った。目が見えないのじゃしかたがない。そこへ、加奈のお母 さんがあわててやってきて、加奈を部屋へ連れて帰った。
「彼、白内障なんです」 「なんで、目の見えない人に車椅子を押させておいて黙って見ているんですか?」 「完全に見えないってことじゃないんです。彼は白い物がよく見えないんで、シーツにぶ つかってしまったんだと思います」 「少しは見えているの?」 「ええっ、治療のかい無く、毎日少しずつ見えなくなっていっているみたいで、見えるう ちにいろんな物を見ておこうって、病院中探検しているんです」 「退院はできないんですか?」 「彼はここに来て、そろそろ1月くらいなんですけど、白内障が悪くなるばかりで、水晶 体の提供者を待っていた所なんです」 「待っていたって?」 「ええっ、先日、提供者がありまして、今日か明日か手術する事になっているんです」
加奈は、ドキッとした。彼の水晶体なのじゃないだろうかと直感した。彼が病院に運ばれ たときは店番をしていたが、確か救急車で運ばれた病院はここだったはず。彼の水晶体だ としたら、彼の目は花菱勇気の目となって生きる事になる。加奈はそのままベットに倒れ こんだ。
「どうしたの加奈?」と、母は心配した。 「その提供者って誰だか分るんですか?」 「えっ、それは…」 「最近、亡くなった人なんでしょう?」
看護婦さんは、急用だとかで部屋からいなくなってしまった。母も加奈が何を考えている のか見当がついたようだ。それ以上、その話題にふれようとしなかった。加奈はベットに 入って目を閉じた。時間が過ぎ、母が病室から出て行ったのを見て、車椅子に乗り廊下に 出て花菱勇気の部屋を探した。渡り廊下を幾つか渡り継ぎ、第三病棟にやってきた。誰か が、寝台で手術室に運ばれている。加奈はあわてて近寄って、寝かされているのが花菱勇 気だと確認した。
「加奈よ。勇気くん、頑張って来て」 「あれ、加奈さん。手術が成功した時は、一番最初に加奈さんの顔が見られるといいな」 「えっ、いいわよ。頑張って来てね。応援しているから」
手術は成功し、加奈は第三病棟によく訪ねてくるようになっていた。それは、勇気の目に 裕一の目が使われていると信じ切っていたからだ。目の見えない勇気にいろいろと世話を やくようにもなっていた。そして、数日が過ぎ、勇気の目の包帯が外される日がやってき た。その日は、丁度、加奈の退院の日でもあった。包帯はゆっくりとほどかれ、手術の日 に約束したように、最初に見るのは加奈の顔と勇気は決めていた。勇気はゆっくりと目を 開いていく。そこには加奈の顔があった。加奈は勇気の目を良く見たかった。そして、勇 気の眼球は、確かに裕一のものだと加奈は思った。
「同じ目。同じ色の目よ」 「えっ、この目の提供者を知っているの?」
加奈は涙ながら頷いた。裕一は勇気の目になって生きている。そう思うと胸が締め付けら れる思いがするのだった。加奈は両親に連れられ、病院を退院した。看護婦さんに見送ら れながら、お礼を言った。
「もう、自殺なんて考えちゃ駄目よ」 「は、はい。裕一のためにも、絶対に死のうなんて考えません」 「それから、あなたを助けてくれた人の住所はここよ。明日にでもお礼に行ったらいいわ ね。この人が命がけであなたを助けてくれなきゃ、今頃あなたも、向うの人になっていた んですからね」と、夜空を指差し看護婦さんはニッコリと笑った。病院の正面玄関で待っ ていると、加奈の父の運転する車が着き、加奈と母は乗り込み、看護婦さん達の手を振る 病院を後にした。車は、加奈が無理を言って帰宅する前に助けてくれた人の家に行く事に なった。両親と供に頭を下げお礼を言った。助けてくれた人はくったくの無い笑顔で、優 しい目で言った。
「いいんですよ。元気になってくれれば」 「はい」 「それに、僕が教員実習に行く学校の生徒さんだって聞いて、ビックリしているんです」 「えっ、うちの学校に来る実習生って」 「あれっ、聞いているんですか?それは助かった、知っている人がいたら心強い。よろし くお願いしますよ」 「いえっ、こちらこそ」
なんと、加奈の学校の加奈のクラスに来る事になっている教員実習生が加奈の命を助けて くれた大学生だったとは、世の中広いようで狭いものだと加奈は思った。狭いと言えば、 加奈の元彼の裕一の目を提供された花菱勇気も加奈のクラスメートとなるとはこの時は、 知らなかった。
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