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水平線に向かって 作者:真樹

第1回   馬鹿ヤロウ
■第一話 馬鹿ヤロウ

まだ風が冷たい4月の海。
海の近くに住んでいる加奈は自転車で海までよくやってくる。
国道から駐車場に降り、そこから防風林の松林の中の遊歩道を抜けると海岸線が続いてい
る。ジョギングする人や犬の散歩の人もいる。加奈はむしゃくしゃしたりすると、一人で
海に向かって叫びに来る。

「馬鹿ヤロウ!」

加奈は去年の夏に終った恋の事を思いだしていた。
拓哉が新しい恋人ができたとかで、別れ話を持ちかけてきた。
拓哉はニヤニヤして新しい彼女の事を自慢気に話している。
「彼女さー、モデルのタマゴでさー、オスカー事務所に所属していて」
聞く耳持たないって言うのは、こう言う事だ。
別れる女に、新しい彼女の事を一生懸命に話す大馬鹿だ。
涙もでやしない。
それ以上、聞きたくなかった。
「あ、あたし、そんな話を聞くほど、暇じゃーーーない」
「あぁー、そう。じゃー」
手を上げ帰ろうとする拓哉。
その後姿がやけにウキウキしているようで、なにか言ってやりたくなった。
「あたしは、どうすればいいのよ!」
 振り向きながら、拓哉が言った。
「そんなことは、自分で考えろ」
あまりに腹が立ったから、石を拾って投げてやった。
でも、弱々しく足元をかすめていった。
その石ころを見ながら拓哉は、つばをはきかけた。
「チクショー」
悔しくて、涙をこらえながら、石やら砂やらを投げつけた。
拓哉はポケットに手をつっこんで口笛を吹きながら去っていった。
「あんな奴と付き合うんじゃなかった!」
一人取り残されることの惨めさが体をブルブルと震えさせる。
道端にしゃがみこんで雑草を握り締め怒りを抑えていた。
これが、捨てられたって事なんだと、加奈の頭の中に「捨てられた」と言葉が渦巻き始め
てそれ以上の事を考えられなくなっていた。
自分の気持ちを整理する必要が加奈にはあった。
だから、拓哉と出逢った時の事から今に至るまでの事を思い返していたのだ。

拓哉と付合い出したのは、中学の1年生の時から、去年の中学3年生の夏まで。
そして、今月から高校1年生。
あれから、半年が過ぎても加奈の心の傷は癒されていなかった。
「絶対に男の子なんか好きになってやらない」
加奈は、握りこぶしをブルブルと震わせてもう一度叫んだ。
今度は、拓哉の名前も叫んだ。
「拓哉の馬鹿ヤロウ!」
今まで、名前を呼ばなかった。
拓哉の名前を叫んだら、何かが砕けて散った気がした。
この半年間、ずっと我慢してきた何かが弾け飛んだ気がした。
そう、この3年間の思い出は、綺麗なままでいて欲しかった。
あんな別れ方をしてだいなしになってしまったように思える。

「帰してよ。あたしの中学時代の3年間の思い出を」
楽しかった思い出があの別れのシーンで台無しになってしまう。
「あんな奴だったって思わなかった。出会った時は、優しくてカッコ良くて背が高くて、
でもあんな馬鹿だったんだ。お前なんか、オスカーのモデルのタマゴに振られちまえ!」

海から来る風が加奈の髪をかきあげている。
今年も夏はやってくるのだろう。
加奈は、今でも拓哉の事を忘れられないでいる。
そんな気持ちをこの海に捨てに来たのかもしれない。
今年から新一年生。
新しい出逢いと、新しい恋がきっと見つかる。
加奈はそう信じたかった。

海には、ウエットスーツのサーファーたちが転々としている。
防波堤には、釣り人の姿も見える。
貝殻を拾う子供たち。
恋人たちも浜辺をデートしている。
でも、加奈は我慢していた。
「絶対に泣くもんかー」
いくら大声を出したところで、海は山と違って言葉が木霊したり、人に聞き取れたりしな
い。言葉を吐き捨てるには絶好の場所なのは海。

波の音と風の音。
水平線まで何も隔てる物がまったく無いのが海。
加奈の心は綺麗に洗い流された思いがした。
そろそろ帰ろうと海岸線を行く遊歩道を自転車を引きながら防風林の松林の脇を通って駐
車場へと出てきた。

そこには、喧嘩するカップルがいた。
それも、見覚えのある男。去年の夏に捨てられた拓哉が車の前で女性と喧嘩をしているの
だ。
その女性がオスカーのモデルのたまごなのだろう。
加奈は自転車を引きながら、ふたりの前を知らないふりをして通っていった。
ふたりがなんで喧嘩をしているのか検討も付かないが、そんな事はどうでもよかった。
女性の顔もしっかりとチェックできたし「なーんだ、それほどでもない」って思えた。
通り過ぎるとき、拓哉は気まずい顔をした。
きっと、加奈だろ気が付いたのだろう。振り向きざまに「あっかんべー」をした。
カップルの喧嘩はやまない。
関係ないから、自転車にまたがり駐車場から去っていった。
国道に出るとさっきの駐車場が小さく見えた。

女性は車に乗らずにどこかへ行ってしまった。取り残されたのは、拓哉の方だった。
加奈は、去年の自分の別れの事を思い返していた。
「今度は拓哉が捨てられる番ね」
そう叫ぶと、拓哉は聞こえたように立ち上がり、何かを叫んでいた。
加奈は聞こえないふりをして自転車で立ち去った。
しばらく走っていると拓哉の車が加奈を追い越し停車した。
窓から拓哉は顔を出し、加奈に話しかけてきた。

「加奈!」
でも、加奈は無視してそのまま通り過ぎようとすると、拓哉は車から降りてきて、加奈の
服を掴んだ。
「キャッ、離してよ!」
「ちょっと、待てって」
「嫌よ。誰か!」
「大きな声だすなよ」
それでも、加奈は大声を上げた。拓哉は照れ隠しで、加奈を追ってきただけだったのだろ
う、すぐに車に戻って立ち去った。

「ふん!最低!」
あんな男のために涙なんか出さないでよかった。
そう、加奈は思えるようになっていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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