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麻里布の海 作者:真樹

最終回   麻里布の海
麻里布の海

麻里布(まりふ)
葉子
結城慎吾
伸吾
鎗田勇

結城と、葉子は、暮れた海岸を連れ立って歩きながら、お互いの彼、彼女の話しをしていた。

昨年の夏のことなんだけど、無理矢理退院許可をもらって婚約者の麻里布(まりふ)と、その家族で、海を見に行ったんだ。絶対安静のはずなのに外出
の許可ができるなんて、もう助からないってことだったんだって思うんだ。
結城の後から葉子はついて行った。たまに、相づちを打つくらいで、黙って聞いていた。

車椅子に乗せて駐車場から防波堤を無言で歩いていたんだ。でも、麻里布は嬉しそうにしていたなぁー。麻里布の妹は涙目で、正面から顔も見ることもできなかったようだった。

お母さんは、麻里布が好きなものをたくさん持ってきていたし、いろいろと世話をやいていたよ。
あれが、最後の外出になったんだもんなぁー。

でも、麻里布は楽しそうだった。なんとかして海を見たいと弱った体を一生懸命に動かして目を見開き、見ようとしているようだった。

今日みたいに、海渡る風と遠くの貿易船、行き交う漁船。防波堤に座り込む釣り人達。その向うに見えるビーチ。かすかに聞こえる海の家のBGMと歓声。
麻里布が発病しなければあの中にいたはずだったのに……。俺は、語りながら涙が出てきていた。思いだしたくない麻里布のことだけど、なんだか君が帰ってきたみたいで、今日は話すことにするよ。

そして麻里布が、家族に言ったんだ。
「結城君に椅子を押してもらいたいの……」
二人っきりにして欲しいってことなんだと、家族の人達も理解して、無言で俺と押すのを代わったんだ。ひざ掛けを直して、お母さんも心配そうな顔をして俺に会釈して、車椅子を押しながら、家族から遠ざけて行ったんだ。

俺は、この家族の中に土足で踏み込んでいるのじゃないかと思いながらも麻里布が望んでいることをしてやりたいと思ったんだ。

「結城君、海……。どんなだか教えて」
麻里布の目がまったく、見えなくなったことに、その時、きがついたんだ。
ゆっくり、大きく深呼吸をして、俺は、空の色や、雲の形、海の底に見えるものや、サーフィンをしている者たちのことや、水平線に並ぶ船の数などを話したよ。

俺の話しを聞きながら、自分の目で見ているように歓声を上げる麻里布だったな。

そして、「キスして……」と、麻里布は言うんだ。
俺は、潮風に乱れた髪を手櫛で整え、ゆっくりとキスをしたよ。
麻里布の口の中は氷のように冷たかった。そして、少し震えていたんだ。
俺は異変を感じ、車椅子を細心の注意をはらって加速し、家族のいる所まで駆けて行ったさ。

「おじさん!おばさん!麻里ちゃんの様子が!」
あわてた両親が駆け寄ってきたんだ。でも、麻里布は微笑みながら目を閉じてたな。

おばさんがシーツで麻里布を包みおじさんが抱きかかえて車に乗せて病院に連れて行ったんだ。病院には携帯で連絡を付けていたのですぐに集中治療室に入れ、家族の人たちは、特別な話しがあって、医師に呼ばれて、俺一人だけ廊下に取り残されたんだ。

そして、看護婦さんがやって来て俺に言うんだ。

「麻里布さんが来て欲しいって言っていますよ」

「僕が入っていいんですか?」

「何を言っているの、あなたは婚約者じゃない。いいに決まってるわ。さー早く!」

一刻を争う言い方をするんで、危篤状態なのか?って思ったさ。
中に入ると麻里布は、ニコニコしていて、ビックリだったよ。

「結城君、心配かけてごめんね」

俺は手を握って言ったんだ。

「よかった。麻里ちゃん、大丈夫なんだね」

「ごめんね……。こんな身体になっちゃって……。もう、あたし、何も見えない」

「俺、婚姻届を出そうって思っているんだ」

「だ、駄目よ!そんなことしちゃ!」

「麻里布を、妻として見届けたいって思ってる」

「駄目よ。駄目、そんなに生きられない……でも、、でも、嬉しい!」

「明日、婚姻届け、持って来るから」

「駄目よ。結婚できない。あたしが死んだら、新しい彼女をつくって」

「麻里布……」

「怖いよっ」って、抱き付いてきた。そうさ、誰だって、死ぬのは怖いさ。

     *     *     *

その日は、結城慎吾と鎗田勇は、パームテラス海水浴場に来ていた。
色とりどりの花園のような、ビキニやワンピースやらの水着の女性がたくさんいる。
ビーチバレーや、身体を焼いている。
溌剌とした、そんな女の子達を見ていると、無性に腹が立ってくる。
そして、思い出すのは、麻里布の事だった。

「慎吾……」
勇が、慎吾の腕を突っつく。見ると、売店で働く女性を指差している。冷房がかかっているはずなのに、汗で髪が顔にひっつき働く、葉子がそこにいた。
売店の外から窓ガラス越しに、葉子を見て、上目遣いて俺の顔を覗いた麻里布のその顔にそっくりだったからだ。

「彼女にそっくりだ」
飲みかけた缶コーヒーを、グビリと飲みながら勇が言った。
「あっ!」
勇は、まずい事を言ってしまったと、気が付いた。

俺は、夢遊病者のような足取りで、勇が止める間も無く、葉子の目の前に立って震える唇を動かそうとしていた。葉子は、目をパチクリさせ、慎吾が何かを言おうとしているのを、待っていた。
葉子の前で、何も言えない慎吾に、売店で働く者として、笑顔で応対して言った。

「お客様?何をお求めです?」

葉子は、ほんとうに麻里布にそっくりだった。その笑顔。その髪の色……。
声までもが、うり二つと、言っても良い。こんなことが、実際にあるのだなと、俺は呆然としていた。俺は、大きな声で、

「き、君が欲しい!」

と、身を乗り出して言っていた。ちゃらけた言い方ではなかった。真に迫った言い方だった。
しかし、その言葉で、周りにいた者達の視線が一斉に集まった。そばにいた勇が、慎吾の腕を取って、呆然とする店員と葉子の前から、逃げ去ったのだ。
葉子は、慎吾の言葉に自分と、同じ境遇を感じていたのだ。

−もしかして、あの人−

バイトの男性先輩が葉子の肩をポンと叩き。

「あの野郎が、また来やがったら、ブッ飛ばしてやるから安心しな」

葉子は、先輩の声などは、耳に入っていなかった。頭の中にかすめていたのは、サーフボードを抱えた恋人の姿だった。慎吾とは、似ていなかったが、なぜか心が引かれるように思えたのだった。それは、人前で『君が欲しい』なんて、大声で言える人なんてと、思ったからだった。

昨年買った水着は、包装されたままです。彼が、海に連れ行くとうるさかったから、買ったのだけど、彼はいつも波の上で自分を相手にしてくれなかったのです。いつも、浜で彼の帰ってくるのを待っていました。一緒にサーフィンをすればいいと、友達は、言うけれど、付き合いきれませんでした。よく飽きずにあーやって、波に乗っていられるものだといつも関心するばかりでした。
彼の目標は、ハワイで行われる波乗り大会に出場することだったから、自分がボードに乗るのは、足手まといになるだけだと、考えたのかもしれません。

あの日、彼は体調が悪かったのだろうか?なんで、彼のすべてを知っているつもりだったのに……。どうして、海に向かう彼をひきとめられなかったのだろうか?今は、そればかり思えて仕方が無いのです。あたしは、彼が必ず戻ってくるといつも信じて待っていた。何時間でも待っていられた。サーフボードを抱えて日に焼けた真っ黒なあの笑顔を見たかった。たったそれだけのために、夕日で赤く染まる波頭が砕けるのを、じっと見詰めていた。でも、一瞬にして、あたしのすべてが亡くなってしまう日が来るなんて、信じられませんでした。

その姿は唇が紫になり海岸に仰向けに寝かされ、人工呼吸を繰り返される姿に変わっていた。
恋人を目の前にして、葉子は立ちすくむ昨年の夏の事が、昨日の事のように思い返されるのだった。
彼は、サーファーだ。だが、帰らぬ人になってしまったのだ。あんなに泳ぎが上手で、ライフセーバーの講習まで受けていた彼が、まさか、海難事故を起こすなんて、とても考えられなかった。「ど、どうして?……」と、葉子は突然の事故に、動揺を隠せなかった。しかし、何があったのか語る者はもうこの世の人ではなく、理由を聞く事もできなかったのです。




   あたしは、海が嫌いです。だから、水着を着ません。

   彼を奪ったのが、海だからです。でも、海に来てしまいます。

   海を見ていると、彼の笑顔を見ている気になるからかもしれません。

   そして、あなたが、現われるなんて、
   
   海って不思議な場所なのかもしれません。




葉子は立ち去る結城と鎗田を目で追いつづけていたのだった。葉子の働いている海の店から逃げ出してから、慎吾は一人で、海を見つめていた。そこへ、気を取りなおした、勇が、二人の女の子を連れて、こっちにやって来る。

「女の子の二人ずれがいたんだ。連れてきたんだぜ、何か話せよ」

勇は、どうしても、俺に他の女の子を紹介したいらしい。それも、そうかもしれない。彼女が亡くなってすでに、一年が経っているのだから……。でも、それは、大きなお世話ってやつなんだ。
勇は、ほんとうに俺のことを、心配しているのだろうかとも考える。なぜなら、奴の軟派に付き合わされているだけなのじゃないかとも思えるからだ。水着の女の子は、奴と話しながら、俺を見つめている。やっぱり、俺を餌にして軟派しているんじゃないだろうか?……。

「ほ、ほんとうだわ。かっこいいお兄さんね」
「だろ、だろー。こんな奴が、彼女もいないなんて可愛そうだと思うだろう」
微かに、勇と女の子の会話が聞こえた。

−やっぱりだ。ふざけんじゃーねー。俺には、麻里布がいる。 −

俺は、奴をほっておいて、立ち去ろうとした。
「慎吾!待てよ」と、肩を掴まれた。
「俺は、麻里布以外の女に興味なんて無いんだよ」
「結婚してたわけでもないんだし、もう、そろそろ忘れて新しい恋人つくったらどうなんだよ」
「それが、余計なお世話だってんだよ!」
俺は、振り向きざまに勇の顔を殴っていた。

水着の女の子達の間に、倒れこむ勇を見向きもせずに、俺は海から駐車場に止めてある車に戻り、エンジンを吹かし帰ろうとしていた。あと一日、麻里布が生きていたら、婚姻届けを出せたんだ。そんな事も知らずに、勇の奴は、紙切れ一枚の事を言いやがった。届けはだせなかったが、あの晩から麻里布を、妻としたんだ。

そこに葉子が、駆け寄って来るのが見えた。そして、紙袋を手渡し売店に駆け戻って行ったのだ。
俺は、呆然とその後姿を見つめていた。遠くフェニックスの生える海岸から波音と、BGMが聞こえてくる。

「チクショウ。なんだってんだ」

紙袋を、覗き込むとオレンジジュースと、フライドポテトが入っていた。
それを見て、さっき『君が欲しい』と、言った事を怒っていないのだと、俺は感じた。そして、遠くに白波の波紋を打ち寄せる海岸線を見ながら、フライドポテトを口に運ぶと、なぜか、君が生きている気になってきた。

−ほんとうに、麻里布に似ている。− と、思いながら……。

俺は、日が暮れ閉店なり、葉子の帰るのを待っていた。バイトの先輩らしき男に突っかかられたが、葉子が俺の腕にすがり付いてきた事で、難を免れた。
葉子と俺は、そのまま、肩を寄せ合い波間を歩き出した。そして、口づけをした。始めて会った男女とは、どうしても、思えなかった。お互い失った彼、彼女のつもりだったのかもしれない。

「君は、亡くなった彼女にそっくりなんだ」
「やっぱり、そうだったの……」
「でも、君も同じ境遇だったなんて、偶然って言うのも不思議なめぐり合わせだよ」
「あなたは、彼とは、タイプ的には違うけど、そんな一途なところに好感が持てるわ」

二人で、海岸を歩きながら、お互いのことを、充分話し合った。

「君の彼って、どんな感じの男だったんだい」
「真っ黒な日焼けした顔で、真っ白な歯をして笑顔がとても優しくて……」
彼の事を思いだし、声を立てて泣き出す葉子だった。

     *     *     *

麻里布と最後の病室でのこと。
「結城くんのことを、もっと知りたいの。役者になるんでしょう?」
「あっ、あぁー。でも、全然役がもらえないんだ……」
「しっかりしろ!結城慎吾!」
「あっ、あー」
「何か、やってみてよ」

麻里布は、見えないのに、俺に演技をしろと、俺は、台本を読んでやりたいと、思う役の演技をしてみた。

麻里布は、見えない目をクリクリさせて、慎吾の台詞を聞いていた。
そんな、麻里布にしっかり感情を伝えたいと、慎吾は真剣にやった。

あの時、彼女が、見えない目で、慎吾の演技を、誉めた。
目が見えないと言う事が、どれほど感情自体を感じ取れるのか?
目の見える慎吾には分からない。でも、見える者には分からない何かが見えていたのかもしれない。

麻里布は手がはれるほどに、手を叩いてくれる。

その日の夜。
深夜に彼女は亡くなった。

     *     *     *

波打ち際を歩きながら、葉子は慎吾に言う。

「そうね。あなたが、あたしの前に現われたのも、不思議な事に思えるわ」

もう一度、口付けをかわしてから、葉子は慎吾に言う。

「でも、これっきりにしましょう」と、切り出したのは、葉子の方だった。

「お互いに身代わりにはなれないでしょう」

慎吾も、そのつもりだったからあっさりと「あー」と、言った。

葉子を、自宅付近で、車から降ろし、握手のために手を伸ばした。

「頑張って生きよう……」
「あなたもね」
「これで、もう逢わないのだから、彼の名前を教えてくれよ」
「彼の名前?……それより、あなたの名前、まだ、聞いてなかった」
「そ、そうだったっけ?俺の名前は、慎吾。結城慎吾ってんだ」
その名前を、聞くと彼女の顔は、真っ青になっていた。
その名は、亡くなった彼と、同じ名前だったからだ。何かの運命でもあるのだろうかと、葉子は思ったのだ。しかし、何も言わない葉子を残して、慎吾は車をゆっくりと走らせた。その発進は、後ろ髪でも引かれるような発車のしかただったが、葉子は見送ることにしていた。

−名前まで、同じなんて……−

でも、でも……。

彼じゃーないの……。伸吾は、もう死んでしまったの……。

テールライトが、角を回って見えなくなった。それでも、しばらく葉子は、立ち去った慎吾の行方を見ていた。

すると、慎吾の車がバックしてもどってくるのだ。

なぜか、葉子は自分の顔が、猛烈に笑顔になっているのが分かった。帰ってくる。伸吾が、戻ってくる……。

そして、葉子の前にあの笑顔が……。日に焼けた真っ黒な顔。笑顔に輝く真っ白な歯。なんと、慎吾は、車の中で、顔に黒いファンデーションを塗って、帰ってきたのだ。

役者志望だけあって、メイク道具なども、持っていたのだろう。そして、車から降りた慎吾は、ゆっくりと葉子を抱きとめていた。

「身代わりじゃなく、俺と付き合ってくれないか?」

葉子の顔は、晴々とした笑顔になっていた。

     (おしまい)

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Novel Editor by BS CGI Rental
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