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抱きしめたい 作者:真樹

第3回   抱きしめたい(3)
抱きしめたい(3)

ジャラジャラー、ジャラジャラー。

パチンコ球をかき出すより、出てくる球の数の方が多い留蔵の台。せっかく、足してもらったのに、数えるほどしか残っていない一也の台。

カシャッカシャッ……。

空振りする音が。もう、球は残っていない。

「これが、僕の人生そのものだ」

留蔵の横には、箱が台車に乗せられ、20箱近い。お金のたまる人にはかなわない。手を上げ一也はパチンコ屋を出ることにした。その後ろ姿は寂しそうだ。一也は何をやらせても駄目人間。いったいどこでどう道を誤ったのだろう。中学、高校、大学と成績はトップだった。それから、会社に入っても、いつも、業績はトップだった。それが、いつの間にやら、うだつの上がらない人間に成り下がっていた。パチンコ屋を後にして、空を見上げる。大きなため息をついてトボトボと旅館に戻っていく。学生時代と、社会人になってからの事を思い出している。何か変わったことは無かっただろうか。旅館に着き、玄関の入ってすぐのロビーと思わしき場所で、物思いにふけっている。

「町はどうだったですか」
気さくに女将が話しかけてきた。
「珠音さんのお師匠さまのところで、踊りを見させてもらって、お食事処で珠音さんと一緒に食事をして、帰ってきました。人情の深いいい人がたくさんいる町ですね」
「それにしては、浮かない顔をしていますよ」
「帰りに、パチンコをして来たんですけど、全然入らなくて、僕の人生のように当たらない台でした」
「まぁー。お客さんって、そんなに当たらない人には見えないですけど」
「女将さん、僕はほんとうに駄目な人間なんです。人に好かれないし、人に尊敬もされない、ありふれた人間です」
「そんな事はないでしょう。珠音ちゃんだって、あなたの事を気に掛けているから、踊りを見せたのでしょうし、昨日のお客さんのように、初めて出逢ったあなたを、お座敷に誘ったりもするんでしょう。あなたは、あなたには分らない魅力の持ち主じゃないでしょうか」
「そうですか」
「少なくても、わたしにはそう感じます」
女将はそう言い残し立ち去った。

「はぁー」と、ため息をまた一つ付いた。
「そうだな。留さんはなんで僕なんかに親切なんだろう。お金も無し、取得も無し、どんな魅力があると言うのだろう。あるとしたら、人より運が無い分、相対的に人を幸せに感じさせる事ができるのかもしれないな」
「馬鹿な事を言っとる」
ドキッとして、辺りを見回すと、老人が一也の真後ろに背を向けてソファーに座っていた。

「若いの、そりゃーあんたの僻みじゃな」
「そうかもしれません。僕は僻み根性が丸出しで、嫌な奴なんです」
「夢を持ったらどうなんだろう。そんな小さな事でくよくよせんでも済む」
「夢……ですか」
「あんたには何の目的も無いから、過去を振り返って、良かった時のことばかりを考えておるそれが進歩しない理由なんじゃなかろうか」
「この世の中、どうやって夢を見たらいいんでしょうか」
「そんな事は、自分で考えるもんじゃ……」

そう言われ一也はがっかりした。自分でどうしようもなくなってしまったから、旅をしているのだ。そうたやすく分ったら、誰も苦労なんかしない。
「温泉でも入ってこう」

旅館から出て、外風呂めぐりに行くことにした。ここらは低料金で、銭湯なみの外湯が点在している。旅館の浴衣で歩いていると、同じように銭湯めぐりをしている子連れの人と出会う。同じ旅館の浴衣で、向かう先も同じようだ。

「外湯めぐりですか」
「は、はい」
「それじゃ、ご一緒に」
「ごいっしょに!」と、小さな女の子がオウム返しに言う。
鉄筋でできたビルの中に温泉がある。中に入ると、ちょっと変わっている。古めかしいつくりの露店が並んでいる。アミューズメント施設のようだ。

「なんだか、不思議な空間ですね」
「タイムスリップしたようだ」
露店は、廃材で作られているようで、組木とは違う場所に切り込みが入っていたり、すすけた感じが、心が和むようだ。

「昭和の30年代を意識して造られているようですね」
入り口にパンフレットが置いてあり、それを見ながら、教えてくれた。脱衣所の前にカウンターがあり、入浴券を買い中に入った。裸電球の光の中で、湯に煙った浴室内を見た。
富士山の絵が描かれた、昔ながらの銭湯だ。しかし、その向こう側にまだ続いている。
銭湯の裏側には薬草風呂だのジャグジーだのがあって、滝風呂や流水風呂がある。

「パパっ、ここお尻のところからお湯が出てるよ」
小さな女の子は、いっしょに男湯に入ってきている。腰や腕に湯があたりマッサージ効果があるのだろう。なぜか、癒される。
「あぁー、どうでもいいって感じになってくるな」
「そうですよ。あの頃は良かったって、日本全国の国民がみんな感じているんです。だから、高度成長時代の頃のアミューズメント施設がはやっているんでしょ。何も無かった時代じゃないですか。わたしも、働くまで、何も無かった。扇風機も冷蔵庫もテレビでさえ、二十歳まで持っていなかった。それが、今じゃ、子供の頃からなんでも持っている。そんな時代ですよ」
「そうですね。欲しいものがあったから、がむしゃらに働けた。今、その欲しいものが見当たらない。夢が見難い時代になったと言えますね」
「オリンピックに出場する夢のある人や、スポーツで全国制覇するとか、有名になるとかの、実力のある人や、有名人はいいですが、わたしたちのような凡人がどうやって夢を見る事ができましょう」
「人間らしい生活。それが、おくれさえすればいいと僕は感じます。会社の組織の歯車となって、機械のようになって働き出した頃から、どうも、自分を見失った気がします」
「そうですね。明日から、魚でも釣りに行きませんか?」
「何泊の予定なんですか」
「何泊でも……」

女の子はあっちこっちの風呂に入って、遊んでいる。一也は、この子連れの男と気が合った。その悩みが同じような気がするからだ。男の誘いを受け、魚釣りに行く事にした。
そう言えば、小学校以来魚釣りに出かけた事が無かったと思う。

釣れない。釣り糸は垂れているが、まったく魚がかかる見込みはなかった。退屈で、退屈で、いらいらしてくる。何かをある時間内にどうにかしなければならない。現代人の一種の病気のようだ。外湯の温泉で出逢った親子はのんびりと針に餌を付け、小さくパトンと落とした。女の子はお父さんにもたれかかって、眠そうにしている。時計を見ると、もう、お昼ちかい。朝からずっとこんな調子だ。夕暮れまで、同じ事の繰り返しで、今日一日は過ぎ去って行った。空のバケツと釣竿を持って、旅館に戻る。

「釣れましたか?」
「一尾も……」
「まぁー、それは残念ですね」
「そうそう、明日は船を出してもらおうかと」
子連れの男は、やる気満々で言う。一也はもう、ため息をついていた。
「やっぱり、僕には釣りは……」
こんな事をしているなら、仕事をしていた方が良かったと思うほどだ。でも、彼は強引に釣りに誘う。
「それじゃ、明日の朝5:00にここで」と、言い残し自分の部屋に戻っていった。
女将さんによると、子連れの彼らは母親を病気で亡くし、母親を忘れるための旅行のようだと、言うのだ。傷心旅行であることは、間違え無い。自分はと言うと、なんの取得も無い自分の再発見のための旅行と言えた。ロビーに入ると、いつもの長椅子に座って考え込んだ。酒も飲めない、パチンコもできない、釣りもまるっきし駄目ときている。もう、人間失格だ。ソファーでクヨクヨな悩んでいる内に寝てしまったらしい。僕は夢を見ていた。課長に怒られる夢だ。

「こんな事くらいできないでどうするんだ!」
僕は、机の上の書類をブチ撒き怒鳴りちらした。
「うるさいんだよ。そこまで、言うならお前がやったらどうなんだ。こっちだってできる限りの事をやってんだよ。駄目なもんは駄目なんだ。どうにもならないものはどうにもならないんだよ」

そう怒鳴ったら、何か胸の内のものがスーっとした。いままで、そんな事を言う事もできないで、ずっと来たからだ。お前なんかに、何が分るって言うんだ。一から十まで、自分のする事なすこと、すべてが気に入らないように、怒鳴ってばかりで、前もってこうするんだ。こうしておけば、失敗しないですむぞ。などと、アドバイスしてくれることもなし、自分が失敗するのを待っているかのように、自分の失敗に対して、怒鳴る事が、自分のストレス解消であるかのように怒鳴る。ストレス解消のために怒鳴られているこっちの身にもなってもらいたい。

「うわっ」と、うなされたように、目を覚ました。
自分は病んでいる。心の病に侵されている。そう、気が付いた。頭を抱え、冷静さを取り戻そうとしている。
「そうさ、できないで当然なんだ。小学生の頃からずっと、釣りなんてしていなかった。
釣れないのは当然なんだ。パチンコだってそうだ。やったことも無いのに、急にできたら、誰も苦労しないだろう。

「そうなんだ。何を悩んでいたんだろう」
当然だ。当たり前だ。普通の事なんだよ。自分は、完璧主義者だったのかもしれない。できるはずも無いことを完璧にやり遂げようとして、それが、できなければ、自分を最低の人間だと思い、人間失格とまで思い込む。なんて、恥ずかしい。

「なーんだ。そんな事か」
肩から重荷がゴロゴロと音を出して零れ落ちる気がした。そう思ったら、また、欠伸がでてきた。
「明日の朝、5:00だよな」

一也は、部屋にもどり食事が終って、布団に入っていろいろと考えていた。課長は自分を虐めの対処にしていたのだろう。社会に出てから虐めに合うなんて、思ってもいなかった。これを社内虐めと言うんだろうなと、うとうとしながら寝てしまった。

     *

船に乗っている。海原で船酔いをしていた。釣りどころの騒ぎではなかった。ゲーゲーと、吐きながら、その日の漁は終了する。陸に上がると、なぜか笑いがこみ上げてくる。何も収穫なしに、今日も一日が終わった。バケツの中身は今日も空。でも、清々しい。見ると、珠音さんが立っていた。

「どうだったの?」
「この通り、さっぱり駄目でした」
「あらあら」と、珠音もにこやかだ。

誰も、自分の失敗を叱ったりしないのだ。自分をこれまで、苦しめていた会社の上司はもう自分を苦しめることはしない。いいんだ。これで、いいんだ。そう、一也は思った。

昔の東京はよく水が出たものだ。小さな子供の頃の事でよく理解できないのだが、その当時はビルもあまりなく、東京湾は開拓途中で、霞む遥か向こうに東京タワーと羽田空港が見通せた。何よりも我が家の窓から富士山が見られたのだ。断片的な記憶を繋げてくれる人はいない。自分が住んでいただろうと思われる場所は江東区の辺ではないかと思う。その住んでいた場所へ中学生頃にたった一人で行った事があった。今はまるで違う場所になってしまったので、記憶だけで行く事は不可能だと感じるがその頃はまだ面影があり、塀のいたずら書きとか、古ぼけた駄菓子屋やパン屋さんで住んでいた場所に行きつけたのだ。
そして、よく遊んだフェンス前の広場に行って見た。そこには、高層マンション郡が立ち並び、見えていた海はもうそこには影も形も残っていなかった。

自分の生まれた場所だけは戸籍に残っているので、海辺町と言う場所を探して見た。しかし、東京都内には海辺と記載された場所があまりにも広くどこが自分の生まれた場所なのか、住所では分らない。区画整理されると、何丁目の何番地になるのだが、それでは、昔の住所がどこだか見当も付かない。道幅も広がり、路地も長屋も何も無くなった。途方にくれて帰った中学の頃の話だ。都内と言うけれど、当時はまだ市だった。路面電車と、張り巡らされた電線の網の目。石畳と、三輪トラック。白黒の写真の風景はここはどこなのだろうと、思わせる風景ばかりだ。ポンポン船の行き交うのを見ながら、そんな昔話を珠音とした。珠音はにこやかに聞きながら、東京湾を見ている。

「そうかもね。この船着場も無くなってしまうかもしれないわ。東京から下町の風景がどんどん無くなっていって人が住まなくなって、昔から住んでいた人は田舎に、お金持ちが東京に住んで、下町の人情とか江戸情緒とかの残っている場所がなくなってしまうんだわ」

「使い捨て時代とか、オイルショックとか、土地の高騰とか、せこせこした生活がもう嫌になってしまったんだ」
「ねー、その一也さんの生まれた場所に今度一緒に行ってみない」
僕は珠音のその言葉が信じられなかった。

「ねっ、いいでしょう。毎日、どこへ行くって事もないんだし、連れて行ってよ」
「まっ、いいけど。さっきも言ったけど、どこだか分らないんだよ」
「それが、なんだか楽しそうなのよ」

それを、聞いてまた笑ってしまった。自分の昔、住んでいた場所。そんな頼りない事で、東京都内を歩くなんてと思った。彼女も暇なのだろう。でも、よく考えたら、それは珠音とデートをする事ではないだろうか。そう思ってすぐに「いいよ」と言った。彼女は大喜びで、船着場から帰っていった。

船着場で、子連れがこちらに手を振っている。行ってみると、バケツの中にハゼが一匹いた。

「これが、今日の収穫です」と、笑った。
一也の収穫は珠音とのデートだったから、バケツの中身は空でも収穫ありだ。山肌にある旅館に歩いて上っていく。その道に、一也は子連れの父に聞いた。

「実は、ここってどの辺なのでしょう」
「あはは、どの辺かも知らないで長らくいるんですね」と、笑われた。

ここは、東京ではなく、神奈川の鶴見辺の扇と言う場所だと言う。東京湾を挟んで、羽田の向こう側からやってきたと言う事になる。珠音を連れて出かけるなら、鶴見線で新宿に出てから中央線でとか考えていた。旅館に着いてから女将さんに相談した。それは、旅館に泊まり続けているのもそろそろ限界があるからと、どこかに下宿したいと言った。

「そうですね。下宿ならけっこうありますよ。ここらは学生さんも多いですからね。知り合いの人に聞いて見ますね」と、すんなりと聞き入れてもらえた。女将さんに連れられ、坂道を登っていく。

小ぢんまりした民家の屋外の側面に別階段があって、二階が下宿先だ。一階の母屋の奥さんに挨拶して、すぐにそこへ入ることにした。小さな台所と、テレビ、冷蔵庫もあって一月の下宿代も格安だ。風呂は旅館の風呂を使わせてもらう事で、女将さんとも話はできていた。それだけでなく、当面の仕事先も世話をしてもらえた。なんと、珠音たちの働く芸者さんたちのお世話をする事となった。フラフラと立ち寄ったこの町に根付く事になるとは、駅に降り立った時には想像もしなかった。

日中は、親子と魚釣りに出かけ夜には芸者衆のお供で荷物などを持って旅館やらホテルなどを回る。時として遠出もした。珠音の今度の休みに自分の昔住んでいた場所に一緒に行く約束をしていたので、珠音の休み待ちだった。その日の宴会が終わり、珠音がある酔っ払いに絡まれていた。

「いいじゃねーか、一緒に出かけようって……」
「お客さん、今日の宴会はもう終わりなんですよ」
「違うって、どこかのホテルに部屋を借りて、一発やらせろって言っているんだ」

なんと、露骨な事を言う。すでに、数人の芸者衆はお客と宴会場を後にしてまばらになった後の事で、珠音は、その人たちとは一緒にならず、いつも、宴会が終わると帰る組だった。
「申し訳ありません。もう、お時間ですので……」
一也は、お客と珠音の間に割って入った。
「なんだね君は!」
そう言うが早いか、客は立ち上がり一也を蹴りつけてきた。
「キャー」
珠音の叫び声と、一也が膳にぶつかり転げたので、食器の割れる音とで、騒然となった。
仲居さんたちも飛んできて、客を止める。
「うりゃー、てめーら!」と、客は大騒ぎだ。

「早く、逃げて」と、仲居さんに言われ珠音を連れてお座敷を後にした。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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