――I remember me... and you.
『本当に、真奈なのか?』 「多分……な」 カノジョ――真奈の携帯から聞こえる声は、俊哉のものだった。 あのあと、救急車に無理矢理同乗させてもらった。 意識もない彼女に、俺が知り合いであることを証言してもらうことは無理だった。してもらえたとしても、あまりにも薄い付き合いだ。それでも俺には真奈に付き添わなくてはいけないような気がした。 あの時、俺と話していたのはカノジョなのか? カノジョの風貌を俊哉に告げると、確かに最後に会ったときのものだと俊哉は証言した。 「お前は言わなかった……果たさなかったのか? 責任を」 俊哉は明美に責任を果たさせた。彼自身が責任を放棄するとは思えない。 『言ったさ』 けして俺に怒気を生じさせないその声は、やはり間違った解をださない。 『もう、別れようってな』 間違ってはいない――少なくとも俺にとっては。 だが真奈にとってはどうだったのだろう? はっきり言われたほうが良かった、のか? たとえそれの状況が二股であり、客観的に見てあまり誉められた状況でなかったとしても、彼女には俊哉が必要だった。 側にいて、やれるのは、俊哉だけ。 俺は数回息を繰り返してから、電話口の向こうに呼びかけた。 「とにかく、お前も来いよ。病院の場所は」 『行かない』 「え」 『行かないっつってるんだ。お前、どうして別れたばっかりの彼女の見舞いにいけると思う?』 「そんな……」 『俺はもう、あいつとは別れたんだ』 だが俺はそれ以上言葉がでなかった。 俊哉の理屈からいって、切れた絆をもう結ぶようなことはしないほうがいいということなのだろう。それにあのカノジョが真奈だとして……真奈も望んでいるとは思えない。 最後にカノジョは元彼――俊哉に会うのを拒絶していた。 電話をきり、病院の中に入ると、白衣の男と話し込んでいる女性がいた。 「すみません」 「……あぁ、ごめんなさい。真奈なら今、病室にいるわ」 彼女は真奈の姉の佐奈という人だった。あまり真奈と年が変わらないようにみえるので、年子か違っても二、三歳だろう。初めて真奈に会った時の、あの真面目そうな雰囲気がそのまま伝わってくる。 男は顔面にしわがふかく刻まれ、それが厳格なイメージをつくりだしている。真奈の治療を担当した医者だというので、俺は納得した。 「彼女、大丈夫なんですか?」 俺が聞くと、佐奈は首を横に振った。 「え……どこかの怪我がひどいとか?」 救急車に乗る寸前の真奈が、頭から血を流していたのを思い出して聞くと、それにも佐奈は首を横に振る。 「怪我もたいしたことないわ。 精密検査はまだだからはっきりいえないけれど、脳に損傷はなさそう。頭の出血も止まったし、小さな傷だから痕が残ってもよく見えないだろうって。」 「じゃあ」 「でもね」 今にも泣きそうな顔をして佐奈は言った。 「記憶がなくなってるらしいの」
記憶にはエピソード記憶と深層記憶がある。 佐奈と話していた医者は、おそらく佐奈にした説明をもう一度俺にしてくれた。 俺が真奈と面会を希望したからだ。 失われたのは短期記憶であるエピソード記憶。海馬がつかさどる記憶だった。佐奈が言うには、真奈は今中学生のころまで記憶が後退しているという。
望み通り、忘れてしまったわけだ。カノジョは。
「入るわよ」 佐奈は声をかけ、病室に入った。 おそらくは佐奈がもってきたのだろう。青いストライプのパジャマを着て、ベッドの上で体を起こし、真奈はいた。ぼんやりと窓のほうをみていて、名前を呼ばれ、ようやくこちらをむいた。 「……アナタダレ?」 ぼんやりした表情で、日本語なのにどこか日本語のように聞こえない違和感のある片言で、真奈は言った。 俺は苦笑するしかない。 よく似た表情をオレはしていた。あのカノジョとであったとき。 時が、俺の記憶をよみがえらせ、真奈の記憶を消し去った。 それは時の慈悲。残酷な慈悲。 最初にそれを望んだのは俺だったはずなのに、最終的に叶えられたのは真奈。 だが、俺はうらやましいとは思っていない。 だが、真奈を弱いと責めるつもりもない。 あのカノジョはやはり真奈だったのかもしれない。俊哉との記憶の別れが自分の意思だということを、せめてよく似ている俺に伝えるために、俺に真奈が見せた白昼夢だったのかもしれない。 それはわからない。けれど…… ゆっくりと近づき、やはり俺のことを知らない真奈の無知の瞳にあえて、俺は言いたかった。 「たとえ君が忘れても、思い出せるのが俺だけでも……」 失われることは、もうない。 「俺は覚えている。俺と、そして君を」
|
|