■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

REMEMBER 作者:奇伊都

第3回   よろしく言う
――He asked to be remembered to you.


 俺たちはよくつるんで遊んだ。
 といっても主に俊哉とだ。やはり車があるというのは良い。行動範囲がかなり広がる。真奈とも数回遊んだが、資格の試験が近いとか、彼女が住んでいるのが実家なために親がうるさいとか、遊ぶ予定を立てるたびに何かと理由が発生して、俊哉とセットで頻繁に会うことはなかった。
 俊哉はなんとデザイナーの卵なのだという。専門学校もすでに終え、日本でも有名な高……なんとかとかいうデザイナーの下で、勉強しながら働いているのだという。今はそれだけでは生活がなりたたないので、バイトをしたりもしているが、いつかは自分のデザインした服が、パリコレなどの本場に進出することを志している。そのことを教えてくれたとき、あの笑みはより輝いていた。
 同じくバイトをしている身とはいえ、親のすねをかじりつつ、ふらふらと単位さえとればいいか、というような生活をしている俺からみて、俊哉は間違いなく眩しかった。だからなのか、行動の一つ一つが魅力的に思えたのだ。



 前日にきた明美からのメールは、とても簡潔なものだった。
『俊哉は明日バイトなんだって〜、あ〜あ』
 この後に泣き顔の顔文字が続く。俺はこの文面でだいたい理解した。外に遊びに行くつもりで、まず俊哉に連絡をとったがムリだった。ということだろう。
『どこか行きたいとこあんのか?』
『ん〜、どこか連れてって』
『どこかってどこに?』
『どこか』
『せめてどんなところ、とかさ』
『どこか』
『やりたいこととかは?』
『なにか』
 実際はもうすこし長く、無駄に顔文字やら絵文字が入るが、要点をまとめるとこんな感じのメールの応酬。結局、前も行ったショッピングモールをウロウロするか、ということで決まった。長く付き合うと、デートのネタも尽きるものなのだ。
 が、
 ザーーーーー……
「雨かよ」
 俺はノイズのような雨音で目覚めた。体を起こした流れで、TVのリモコンに手を伸ばす。赤の電源ボタンを押すと、ちょうど天気予報がかかった。
『例年よりも太平洋高気圧の勢いが弱く、梅雨前線はいまだ停滞している状況です。特に太平洋側では現在の雨がしばらく続くと思われ――』
 お天気キャスターの女性が特殊画像の地図の上で、雲と一緒に動きながら解説している。それを見ながら、俺はしばしボーっとしていたが、覚醒し始めた頭が今日のデートプランの問題点を指摘した。
 あのショッピングモールはアーケード部分もあるが、基本屋外だ。小雨ならともかく、この雨ではびしょぬれになる。
『やっぱりお前の家に行くか』
 俺はメールを打ち、急遽、久しぶりに明美の家に行くことにした。最近、本当に俊哉のおかげで行動範囲が広がったため、互いの家に行くということがなかったように思える。
 メールの返信はなかった。しかし今日は俺と出かける予定だったのは確かだし、迎えに行くと言ってあるのでどちらにしろ明美は家にいるだろう、と判断し俺はでかけた。
 数駅電車に乗りたどりついたアパート。グレーのタイル張りの共同玄関のインターホンを鳴らすと、「今開ける」と聞きなれた声がスピーカーからした。間もなくガラスの自動扉が目の前で開く。ホールのような場所を抜け、左手にインフォメーションボックスを見ながら、明美の家の六階を目指すためエレベーターを待つ。いちいちめんどくさく、久しぶりに違いはないが、もう俺には慣れた動作だ。すこし家賃は高めだが、セキュリティがしっかりしていることを最重要点にして探した物件らしく、明美は気に入っているという。
 玄関のチャイムを鳴らしたが、すぐ家主は現れない。しかしもう一度鳴らそうとする前に扉が開いた。蔦の模様が描かれたTシャツに、ダフッとしたズボンをはいた明美が現れる。化粧がいつもより薄い。髪もすこしぼさっとしていた。そして滅多にかけない眼鏡をかけている。
 明美はそれほど目が悪いわけじゃない。確かに良くはないが、普段から眼鏡をかけるほどではないのだ。おしゃれでカラーコンタクトをいれたりはするが、眼鏡は目の疲れるような、細かい作業のときなどぐらいしかかけないことを俺は知っていた。
「何やってたんだ?」
 招かれて靴を脱ぎつつそう聞くと、明美は俺を放って先に部屋にはいるために背を向けた。
「英語の勉強」
 部屋にあるテーブルの上は、俺の記憶ではいつも数枚の皿とグラスが食後、といった感じで片付いていない。悪い時は明らかにコンビニの弁当の空や、お菓子の袋がおいたままというときもある。付き合い始めた当初は確かいついっても片付いていた部屋だが、いつごろからか片付いていないのが当然になっていた。それを明美は俺の目の前で片付けるのもまた当然だった。
 だが今は違った。テーブルに広げてあったのは本だった。明美はいつもどおりそれを片付け始める。壁際の小さな棚の上に積み上げられたそれらの本を俺はめくってみた。本の題名は『誰でもわかる英会話』、『初歩の英文法』、『海外旅行にこれ一冊』……確かに英語の勉強である。
「俊哉がさぁ、貸してくれたの」
 本を眺めている俺に明美が言った。
 俊哉の夢は世界に通用するデザイナー。確かに外国語もしゃべれなければいけないのだろうから、こんな本の持ち主であることは納得できた。
「なんか飲む?」
「あ〜、なんでも」
 明美はテーブルの上を片付けると、キッチンでグラスを用意し始めている。俺は伸びをしながらテーブルの前で胡坐をかきながら座った。
 ぐっと伸びをするように後ろに手をついて上体をそらすと、すこし甘い香りが鼻をくすぐる。グレー、というには明るい壁紙には、白い二匹の子犬の写真が上半分を占める今月のカレンダーがかかっていた。オリーブ色のストライプのシーツのかかったベッドの上に、小さなテディベアが倒れている。文字盤に筆記体で英単語の書かれた壁掛けの丸い時計。俺と撮った写真が入った写真たてが前に来たときにはあったが、その写真は違うフレームに入れ替えられていた。何かのお土産のような変な置物、雑多な小物が小さなタンスに敷かれた麻っぽいマット上で並べられている。以前見たのと変わっているところと変わっていないところ、どちらもなんとなく見るのは楽しかった。
「私、英語って、日本で暮らす分には必要ないと思ってたけど、改めてやってみると結構奥が深いね」
「そういうもんか?」
 ゆっくりと部屋の中を見回してから、結局俺は刻々と時を刻む時計に視線を戻した。五分ほど、あれ、早いかな……? と思いながら、別にそれ以上の感慨はわかなかった。
 明美はトポトポトポとペットボトルからグラスに飲み物を注いでいる。彼女はミネラルウォーターを好んで飲む。おそらくそれだろう。
「例えばねぇ、簡単なので言うと……辰巳。『夢』って英語でなんて言う?」
「……『dream』?」
「正解」
 冷蔵庫が閉まる。下を向いたときに落ちた髪の毛を耳にかきあげながら、明美はにぃっと笑った。
 自信がなかったわけではないが、義務教育を真面目に受けたならばさすがに間違ってはまずいレベルの英単語だと思ったので、明美の正解コールに俺はかるく安心した。
「でもその『夢』っていうのは、将来の『夢』っていう意味?
 それとも寝るときに見る『夢』?」
「え……」
 だがこの問いには正直、俺は一瞬混乱した。
 夢は夢っつーか、え、どっちって……ぁぁ〜〜〜〜〜〜????
「正解はどっちも」
 すこし真剣に悩んでしまった俺に、すこしフザケ気味に言う明美。正解できなかったことに、俺は正直、不快感を覚えた。少々馬鹿にされたような気がする。
「じゃあ『remember』って単語、どういう意味かわかる?」
 そんな俺の心境にも気付かない明美は、次の問題を出す。
 今度も中学時の単語力でわかるレベルの単語だ。けして俺の英語の成績は、優秀とはいえないが、それぐらいならわかる。
「『思い出す』だろ?」
「うん。それも正解」
 二つのグラスを持って、その一方を俺に突き出すと明美は自分の分のグラスに口をつけた。受け取ると手の中がひんやりとして気持ちよかった。
「でも他にも意味があってさ。
 『覚える』っていうのも『remember』なんだよ」
「へぇ〜」
 俺は興味がわかなかった。さっきの不快感もその原因の一つだろう。馬鹿らしいことだと思うが、明美に馬鹿にされたような感触は俺の英語への興味への壁となって変換されたようだ。
 しかしどうやら興味のなさは俺の言葉に雰囲気としてにじみ出て、明美にも伝わったらしい。
 すこしむっとしたような表情で明美はもう一口、グラスから飲む。
「面白いと思わない?
 記憶にとどめておくことも、記憶から引き出すことも、同じ単語なんだよ?」
 面白いことだろうか?
 あえてそういわれれば、確かに日本語では別々のことが英語では同じように表現されているということに気付きはするが、それを面白いとは俺には思えなかった。地球上には六十億を越す人間が生きているんだ。言語なんてそれぞれがぞれぞれに使うものだし、俺には直接関係のないことだ……つまり本音を言うとどうでもよかった。
 流れ的に、否定するのは避け、かといって肯定するでもなく、俺は自分のグラスをあおる。カーテンがしまっているので外は見えないが、耳をすませば雨音が確かに耳に届いた。
「それでね、実際に英語を使ってみたいしぃ、とか思って。ちょっと旅行にいこうかなぁ〜なんて考えてるんだけど……」
「ふぅん?」
 同意を引き出すことを諦めたのか、明美は違う話題をふってきた。すげぇ雨だなぁ……と思いつつ、明美の言葉に耳を傾けながら生返事をしていると、
「ちょっとバイトも増やすし、夏の終わりまでにどこかに行きたいんだ」
 明美は飲みきったグラスをテーブルに置いた。
「ハワイとか、さ?」
 そういって明美は俺の目を覗き込んだ。最近こういう目をコイツはよくする。
 何かを期待してる。それはわかる。長い付き合いだ。そういえばこの前、俊哉と遊んだ時、彼がハワイに行ったときの話に明美はすこぶるよく食いついていた。
 連れてけっていうのか? ……あぁ、なるほど。
 俺には明美の突然の英語の勉強すら、これの布石だったんじゃないか、と思えてきた。
 なんだ、やっぱり明美も英語が純粋に面白いと思ったわけじゃないんじゃないか。
 安心したような、気が抜けたような気分の俺は明美から目をそらすと、ふと目に付いた明美の携帯をつかむ。見慣れないストラップがついていた。
「ちょっと、返してよ」
 それに気付いた明美は俺に手を伸ばしてくる。その手を避けながら、俺はそのストラップをしばし観察した。
 付け根が白で端が茶色の羽が数枚に、シルバーの小さな十字が重なるようにして隠れている。それに束ねられるようにしてサイコロのようなストーンビーズが円になっていた。ビーズに彫られている文字はT、&、Aの三種類。
「T……辰巳? ってことはAは明美か。こんなストラップ持ってたっけ?」
「え、うん。でも辰巳、こういうの嫌いでしょ?」
 そういいながら携帯を取り返し、明美はそう言った。
 まぁ確かに、俺は彼女と物を揃えるとかいったことはすこし抵抗がある。付き合い始めたとき携帯をお揃いに、少なくとも同じ会社のものに変えようという提案が明美からされたこともあるが、俺は嫌がったし、結局変えはしなかった。事あるごとにお揃いの物を持とうとする女の心理が、俺には理解できなかったのだ。
 だがこのストラップのデザイン自体は、俺の好みだった。
「いいじゃん、これ。手作りっぽくてかっこいいし。どこで買ったんだ?」
 純粋にそう思ったからでもあるが、話題を変えるためにもそういった俺に、明美は渇いた笑い声を返し、空になったグラスをキッチンに戻した。
 窓の外の雨は激しく降り続いていた。





「ほんの小さなことなんですよね」
 カノジョはずっと黙り込んでいた俺に話しかけるような、ただ独り言を言ったかのような、そのどちらとでもとれる口調で言った。
 その声でオレはどれほど自分の記憶に浸っていたのか、と思った。とても長い間黙り込んでいたように思えるし、短かったような気もする。あのときの雨音のような人のざわめきがすーっと小さくなった気がする。
「気付かないでいようと思えば、気付かないでいられるほど、小さな。
 気付くっていうのは、覚えることと思い出すことを同時に行うことでしょう? でもそれを覚えた時は、思い出すことはできなかった。覚えてはいたんだ。覚えたからこそ、今でも思い出せるんだから。それはとても小さかったって。
 でも気付いたら終わってしまう。どこか無意識でそう思っているから、どうしてもそのときは思い出せない」
 『REMEMBER』
 ふ、と俺は明美の言っていた単語が、カノジョの話に耳をかたむけながら脳裏をよぎった。
 思い出す、と、覚える、とでは全く意味が違う。だがそれが同時に行われれば気付く、という行為になる。だが英語では『気付く』というのはまた別の単語であるはずだ。
 英語の発生がどこだか俺は知らないし、今まで興味もなかったが、英語をつくりあげるとき、この違いは明確にわけられるべきだとされたのだろうか。
 異なることを同じことで表現される。
 同じものを異なるもので表現される。
 こうなってくるとどこに境があるのかが、わからなくなってくる。
 ナニガタダシイノカ、マチガッテイルノカ
 遠くのほうでするサイレンの音が聞こえた。ドップラー効果で波のように高くなって低くなる。しかしもう道路の上にユラユラ揺れる陽炎はなかった。周囲はかなり涼しくなってきていた、真昼に比べれば。そう、夏だってずっと暑いわけじゃない。
「私のね。彼氏……ううん、元彼氏はこの道をまっすぐ行ったとこにある『アンダンテ』っていうイタリアンカフェ。今頃はそこでバイトしてるの。私はそこに、会いに行った……はず」
 苦しげに息を吐く。カノジョは確信なさげに、そう言った。
「どうかしたのか?」
「ん……なんだろう、すこしボンヤリして……
 そう……うん、行った。そこに……」
 ふぅぅぅ、と長いため息をつきながら、片手を頭にやって彼女は軽く頭を振った。
 頭痛でもするのだろうか?
 オレがそう声にだすよりも先に、カノジョは続きを口にした。
「元彼が私より好きになった子がいた。
 一緒のバイト先だなんて知らなかった。すこし前までは、その子、違うお店で働いてたし。そんなこと聞いてなかった。
 でもきっと教えてくれるつもりもなかったんだ」
 カノジョは頭を押さえたまま、つぶやく。
「だから気付いた時には、もう遅いの」





「久しぶりだなぁ」
 俺は駅前で真奈に会った。明美も俊哉もそこにはいなかったが、別に二人きりで会おうと画策したわけではない。その日はいつもどおり俊哉の車で、すこし遠出して雑誌に載っていた洒落たレストランに行くことになっていたのだ。予定時刻よりも早く着く派の二人が、二人で会っている状況が生じるのはし方がないだろう。
 大学が夏季休暇に入ったため、バイト先から直接待ち合わせの駅前に行くと、そこには真奈がいた。真奈は前よりすこしかわいくなっていたように見えた。化粧の仕方や服装の選び方を明美に最近教わっているのだという。そういえば以前より肌の露出も多いし、なんとなく明美とよく似た服を着ている。
「今度、髪も染めに行くんです」
 そう言って笑う真奈は、以前見た笑顔よりすこし陰りがあるように見えた。すこし痩せたのだろうか?
 結局、真奈は俺だけに対して敬語を貫いた。確かに俺は明美よりいくつか年上のはずだが、明美はそんな俺よりも一年余分に年食っている、間違いなく年上にあたる俊哉にはため口だ。だからため口でいい、と言ったのだが、違和感があるらしくなおさない。堅苦しさを嫌うらしい俊哉は眉をしかめていたが、真奈は頓着しなかった。
 ほどなくして明美が現れた。ここにくる途中に俊哉と会って、ここまで乗せてきてもらったらしい。ロータリーのほうに行くと、やはり案内されるまでもなく、あの特徴的な車はすぐに見つかった。
「よぉ」
 俺たちに気付き、ドアのロックを解除に車内に招き入れた俊哉は、あの笑みで軽く手を上げた。が、その視線が真奈を捕らえたとき、確かに俊哉の顔は曇った。
「何?」
「真奈、お前…………………………いや、いい」
「……俊ちゃん。だしていいよ」
 何か微妙な空気がこの二人の間に流れたのを感じたが、俺ははいりこむのを避けた。彼ら二人の問題が何かあるのだろう。
「この車、さ。どうにかなんないのか?」
 だから走り始めてからまもなく、その微妙な空気を振り払うかのように俺は俊哉に聞いてみた。
「どうにかって?」
「だからどうしてこんな派手な車体にしてるんだ? この色とか、わざわざ塗装してるだろ? すこし改造もはいってるし」
 俺はあまり車にはくわしくないほうだが、それでも改造がはいってるのはわかっていた。俊哉は駐車場にはいるときなどには段差を異様に気にするし、すれ違う車の駄目だしをよくしていたから。
「好きだから、わざわざこうしてるんだ。いいだろ?」
 さすがにもう見るたびに驚くということはないが、それでも人通りのけして少なくはない駅前のロータリーで、この車に乗るのは微妙な恥ずかしさがともなうのは避けられない。デザイナーを目指しているとはいえ彼の服装や言動から、感性が一般のものから激しく逸脱しているというわけではなさそうだ。ということで改善の余地があるのか……と期待をこめて聞いたのだが、まったくなさそうである。
 俊哉はそういいつつ、カーブをまがるためにハンドルをきる。ハンドルさばきは相変わらずスムーズだ。
「もうすこしさ、落ち着いた色にするとか。せめてもうちょっと改造してる部分を少なくするとかさ
 ……する気ないよな」
「ないな」
 聞くだけ無駄だとわかりつつする質問はやはり愚問だったらしい。俊哉は即答でそう返答してくれた。
「人間ってのは最初の印象つーのが大きいもんだ。あとでどれだけ修正しようとしても、限界がある。日本人は個性がないとかいう奴もいるけど、あれは嘘だ。今は情報が溢れているから、いくらでも自分をアピールする術はあるし、実際に皆多かれ少なかれしている。そんな世の中だから、埋没するのは目立つより簡単で堕落した状態なんだよ。俺はそれはいやだ。
 俺は俺だ。俺の考えにそって行動するし、発言する。
 車だって同じことだ。印象深ければ印象深いほど、誰だって俺のことを忘れられないだろ?」
 個性を生かす、そんな世界を志す俊哉だからこそ、そういうことには敏感なのかもしれない。
「だから派手な車体にしてんのか」
「まぁ、それも一つの理由、ってことだ」
 すこし納得しかけた俺に、やはり俊哉はあの笑みをみせた。
「お前らが車にのるとき、すこし居心地悪げにしてるのを見るのもおもしれぇしな」
「おぉ〜い……」
 俺がだした情けない声に、女性陣が声をたてて笑う。もう気まずい空気はどこにもなくなったようだった。
 そんな歓談をしつつ、気がつくといつの間にかレストランについていた。
 座った席から真奈と連れ立って化粧室に立った明美を見送り、メニューを示す。
「お前は何を食うんだ?」
「何でも」
 メニューをちらりとみて、特に心惹かれるものがなかったので俺はそう言った。
「……もうすこしお前は物事に執着したほうがいいぞ?」
 そういいつつ、俊哉はさっさと俺の注文も決め、店員をよぶボタンを押した。すこし大きめのチャイムが厨房のほうで鳴る。
「執着は個性の一端だからな」
「さっきの話の続きか?」
 俺はいい返事でテーブルにむかってくるウェイターを見つつ言った。
 俊哉はよく自分の考えについて熱く語る。時々その考えを押し付けようとするかのようにきつく言う時もあるほどだ。
 またそれか、と俺は思いながら彼の話の続きを促した。
「どんな個性であろうと、ないよりはマシだ。つーか本当はないはずがないんだがな。
 もしないとすれば、それはその人が傲慢である証拠だ。自分であることを知っていれば、人はおのずと個性がにじみ出るもんだからな」
「その一端が……執着か」
「ああ」
 会話を一旦止め、やってきたウェイターに適当な注文をする俊哉。
 ぼんやりと俺はそれをみていた。
 執着、か。俺は今、何に執着していると言えるのだろう?
 店員が去り、俊哉が俺と向かい合う体勢に戻ると、俺は得体の知れない焦りに襲われ、
「俊哉もそんなに物事に執着しているようには見えないけどな」
 まったく考えてもいなかったような俺のそんなふとした呟きに、俊哉は笑った。もちろん、すこし不敵に。
「俺は執着したものは、確実に手に入るように周りを仕向けるからな。何も考えずに俺といると、いいように利用されるだけだぞ?」
 そう言った。
「そんなものか?」
「気付かれないだけさ。
 何に焦がれようが、何を求めようが、全て俺の勝手だからな。
 ……誰のものを奪おうが」
 俊哉も俺を残して、席を立った。



 数日、明美と連絡がとれなかった。
 ようやく彼女の声を聞いたのは、俺がバイト中にかかっていた留守電。
「ハワイから戻ってきました。あっちは思ったより日本語が通じたよ。お土産があるし……それに話もあるから、また連絡するね」
 そこで明美はきろうとしたのだろう。だが電話口からすこし離れたところで、交わされた会話が数秒続いた。
 そして最後に一言。
「俊哉が辰巳によろしくってさ。
 ……ごめんね」
 気付いた時には、もう……

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections