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均しき絆 作者:奇伊都

第46回   人の心を得んがため、竜は支えを欲す

 琵琶も陽凛に渡し、亮は均実の部屋で飲むと言い出した。
 陽凛は少し顔をしかめたが、確かに今は亮の部屋には喬がいるはずだ。幼児の前で酒というのは教育上よくないかもしれない。
 部屋に戻ると、悠円に席を用意してもらい、対面になるよう座った。
 ゆっくりと杯に酒が注がれる。
 口に運ぶと、やはりあまり好きではない風味が口の中に広がる。
 なんでこれを好んで飲む人がいるんだろうな。
 均実はそんなことを考えていた。
 おいしいわけではない。まずいとは言わないが、どうしてこれが万民共通の嗜好品となるのかわからない。
「均実殿は顔色がよくなったね。」
 亮は杯を傾け、そう言った。
「そうらしいですね。」
 関羽や庶、それに純にも言われた。
 よほど以前は顔色が悪かったのだろうか。
「新野で何かいいことがあったかい?」
「えと……」
 基本的に女装生活である。亮には言えないことも多い。
 いいこと、いいことねぇ。お祝い事とか……
「あ、そうだ。甘夫人が子を産んだんですよ。」
 劉備の子として生まれた劉禅は、かなりおめでたいことだろう。
 赤子というのはどうしてあれほど弱弱しい生き物なのだろうか。
 喬はもう二歳になるから、確かにもう自分でも歩けるが、阿斗はこの前生まれたところだ。
 一度抱かせてもらったが、柔らかい肌に素早く動かない四肢。全く無防備な存在。
 親の保護を何より必要とする時期だろう。
「甘夫人……といえば左将軍の奥方か。」
「はい、本当に仲がいいんですよ。」
 甘夫人を思い出すと、当然劉備と話しているときのことを思い出す。
 糜夫人が亡くなる前は知らないが、甘夫人を劉備は信頼しているようで、隠し事などしていないようだ。彼女の前でどんな血生臭いことも必要であれば話題にのせていた。
 甘夫人はけして気持ちのいい顔はしないが、それでもそれを聞くのを拒否したりはしなかった。
「そうか。」
 亮は空になった均実の杯に酒を注ぐ。
 そんなことを話しつつ、酒はどんどんあけられていく。
 何杯飲んだか覚えてなどいないが、均実は別に酔っていなかった。
 もしかすると酒に強い体質なのかもしれない。
 新野での話が主になる。
 必然と均実が口を開き続け、亮は話を聞いていた。
 時折質問を亮が挟んでは、均実が考え込んでは答える。
 しばらくそんなふうに二人で飲んでいた。
「亮さん。……大丈夫ですか?」
 均実の言葉に亮は頷いた。
 だがとても大丈夫そうには見えない。
 いや別に顔色が悪いわけではないので、体調がおかしいとか、酒に酔いつぶれたとかいうことではないだろう。
 だが手を顎にあてて、ずっと何かを考え込みはじめたのだ。
 酒を飲む手も止まり、杯は机の上に置かれている。均実の話に質問をはさむこともなかった。
 考え込んでも亮は均実と違って、周囲のことが見えなくなるほど考え込むことはない。
 だから話しかければ頷きもするし、短く返答もする。
 だがどう見ても亮は険しい顔をして考え込んでいた。だから……
「……答えがでないんですか?」
 均実は唯一思い当たる言葉を発した。
 亮は顎から一瞬手を離して、そして苦笑した。
「そうだな。均実殿には話していたな。」
 自嘲するかのようなその笑みに、均実は言葉をうしなった。
 さっき琵琶を弾いていたときと同じ顔だ。
 悲しげで……辛そう。
 亮が杯を再び手に持ったので、均実が黙って酒を注いでやる。
「人の死を望むなど、人のすることじゃない。
 ……できることじゃないはずだ。その死を望まなければ、より多くの人が死ぬとわかっていても。」
 杯にゆっくり酒が注がれると、亮はそれをゆっくりと回した。
 琵琶を演奏している手つきのようだ。演奏している間、亮はそんなことを考えていたのだろうか。
 均実は何か言おうとしたが、軽々しく発言していい話じゃないと思い、一旦口を閉じ考えた。
 彼が劉備に仕官をするのは、けして楽な道ではない。
 どちらを選んでも、悔いる。どちらを選んでも、何かが犠牲になる。
 後悔のない選択など、仕官をすればできないのだ。
 その選択をこれまでしてきた劉備はどうだ?
 そう……彼には糜夫人が、そして今は甘夫人がいる。
 糜夫人の死は自分に様々なことを教えてくれた。特に……人は一人では生きれないのだと言うことを。
 彼女は死んだ後、甘夫人が劉備を支えてくれるとわかっていた。だから折鶴を渡して微笑んだ。
 そして現在、甘夫人は彼女の志を注いで、劉備の側にいる。
 必要なのだ。人の上に立つ人間は、側にいてくれる人が。
 人の死すら望まなくてはいけない、その孤独ゆえに。
 だが誰よりも亮を支えるべき立場にいる純に、亮は優しすぎる。あの笑顔を曇らせてはいけないといつも考えている。
 だから純が糜夫人のように亮を支えるのは不可能だろう。
 それは亮が亮であるなら、当然なのかもしれない。
 なら……
「……私がいます。」
 均実はぽつりと言った。
 いつまでも側にいられないのはわかっている。いつかは帰るのだから。
「一人で苦しむ必要はないでしょう? 望まない決断をせまられて、それで犠牲となる者に心が痛むなら、せめてそれを私には教えてくれませんか?。」
 だけどこれは……恩返しだ。彼には返しきれないほどの恩がある。
 ずっと苦しませてきた。自分がこの世界に現れたことで、辛いことを思い出させた。
 そんな自分を、いつも暖かく迎えてくれる亮への。
 亮が驚いたように目を見開く。
「均実殿……」
「何もできないけど……一緒に苦しむことはできる。一緒に、悲しむことはできる。」
 どれほど多くの人を統べたとしても、どれほど多くの犠牲を望んだとしても、人の心を失いたくない。
 それが亮の望みなら、それを叶える事こそが恩返しになる。
 だから……
「私があなたを支えます。」
 出しゃばりかもしれない。たとえそうだとしてもこれが自分にできる、最良の恩返しだと思う。
 均実は亮をじっと見た。
 答えがでないようで、亮は黙り込んでいる。
 支えるというが、それは望んだ物事への責任を、均実も負うということ。
 その責を……
 亮が眉をしかめたのをみて、均実は唐突に笑った。
「不公平ですよね。」
 その言葉に亮が不可解そうに均実をみた。
「私は一つ亮さんと約束しましたよ? 『亮さんより先に死なない』って。」
 それは均実が下邳に行く前にした約束。
 亮がしてくれと均実に頼んだ約束。
 そして均実はその約束を今守っている。
「なら亮さんも何か約束してくれないと、不公平ですよ。」
 亮が欲した約束を、均実は承知した。
 なら今、均実が欲する約束を、亮が拒むのは……
 呆気にとられたように亮は均実を見つめていたが、ようやく笑った。
「わかったよ。……均実殿には言うことを約束する。」
 その長い夜を均実は亮と呑んで過ごした。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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