「なるほど、天女はまた手からすりぬけたか。」 簡雍の笑いを含んだ声が耳に痛い。 関羽は戦いを終え、樊城にはいった劉備についてきた簡雍にからかわれていた。 ほぼ戦いの後始末は済んだ。 後は新野に帰るだけだろう。 やるべきことを終え、あとは樊城を出発するという劉備の命令を待っているところに、簡雍がやってきたのだ。 「均実殿に対して甘すぎではないか?」 「ああ、それはわしも思う。何故わざわざ恋敵のもとへ想い人を送り出すのか、わしには理解できん。」 からかわれている間に、趙雲まで自分を訪ねてきた。 彼も自分をからかいに来たに違いない。 まったく…… 関羽はうんざりしながら、その二人の客に応対していた。 「側にいてくれ、と正直に言えばいいではないか。」 二人が関羽の行動についてそう指摘する。 関羽は今回そう言うつもりはなかった。 前、古城で別れるときはそう言った。 だが彼女はそれで留まらなかった。 だから言わない。もう言わない。 無理に留めることは、自分にはできない。 均実が笑っているのが、関羽は一番嬉しかった。 だがもし怒っていても、困ったような顔をしたとしても、それでもいいと思う。 せめて……泣いてほしくはないのだ。 「それが甘やかしているというんだ。」 すこし呆れ気味に言う簡雍に、なんともいえない。 彼女の涙を何よりも見たくないと思ってしまう。その時点で関羽は均実に強くでられない。 仕方がないだろう。 彼女を守ると約束した。 守りたい。 自分にできることなら……彼女の心までも。 本当なら、側で、を守りたいの頭につけたいところだが、それはできない。 彼女の束縛は……自分にはできない。 話をきりあげるように、関羽は顔をあげる。 そういえば何故彼らはここにいるのだろうか。 劉備と簡雍は友人のようなもので、よく一緒にいる。趙雲も劉備の護衛としてついていなければおかしくないか? だが彼らは劉備とともにいなかった。 「兄者はどこに?」 「県令殿に会っているさ。」 簡雍はそういった。 なるほど。もうそれなりに治安も落ち着いてきた樊城であるし、県令として地位のある劉泌をたずねているのなら、それほど身の危険もないだろう。 だが関羽は眉をしかめた。 「ここに来られてから一度会われただろう。なんでそう何度も。」 「県令殿に用があるのではない。寇封という若者に用があるらしい。」 今度は趙雲が関羽の問いに答えた。 「どうやら養子にと望んでいるという。」 何故っ? 関羽は一瞬叫びそうになった。 劉備にはもう劉禅という息子がいる。 男子を養子にとる必要はない。 というより…… 関羽は養子をとるというその案に、必要どころか危険を感じた。 跡取り争いは、大将の子供である兄弟間で争われる。 それは袁紹しかり、劉表しかり。 寇封は好青年にみえた。だがそれとこれとは別問題だ。 将来、劉禅との争いの種になるのが目にみえている。 「どこへ行く?」 簡雍は二人を放って歩き出した関羽に、どこか諦めたような声をかけた。 「兄者を止めに行く。」 関羽はそう言った。 趙雲は関羽を止めようともしない。 だが簡雍も趙雲も、そして関羽もわかっていた。 劉備は言い出したらきかないことを。
隆中に向かう途中、均実は寇封が劉備の養子になったという話を風の噂で聞いた。
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