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均しき絆 作者:奇伊都

第38回   身近なる死

 城を何とかとったまではよかった。
 反抗する勢力はとりあえず一箇所にまとめ、味方に見張らしている。
 だが……と呂翔は首を回した。
 これからどうするべきか。それは樊城を攻め取る前にも考えたことだった。
 明るい答えはでなかった。
 すこし距離はあるが、再び曹操の下に戻ろうとするならば、新野にいる劉備と一戦交えなくてはいけないだろう。北に行けば、新野。南には州牧が住まう襄陽がある。
 土地の位置として何の利点もない。
 攻め取る前に兄にはそう進言した。だが、
 樊城以外なかった。
 兵を早く集めるためには、やはり拠点がいるだろう。てっとりばやくそこで徴兵できればいいのだ。
 そして落ちのびた兵の数、集った場所、残った兵糧で攻め取れるのが樊城だけだったのだ。
 兄である呂曠は、先の戦いで挙げられなかった功を挙げなくてはならないと意気込んで、樊城を落としてすぐ兵を再びまとめにかかった。
 今はもうすでに新野にむけ出兵している。
 自分も行くべきなのだろう。
 急いで兄は出兵したため、樊城では略奪暴行がまかり通る無法地帯となっていた。
 それを武力で押さえつけて、なんとか人民が反乱を起こさないようにという侵略の後始末を自分が請け負ったのだ。
 迅速に済ませて、早く先行している兄に追いつかないと……
 それはわかっていたが、呂翔は気がどうしても進まなかった。
 自分たちの立っている場所が酷く危うげで……いや、もうすでに崩れているのに気付けていないだけなのではないかと思えた。
 兵としても数百もいないだろう。たとえ新野を攻めたとしても、劉備に一矢報いることなどできそうもない。
 先程の戦場では、敵はわざと自分達を殺そうとはしなかったように思える。
 だが再び新野に向かえば……
 呂翔はぐっと下腹に力を入れた。
 我らの命運は、とうに尽きているのか……
 博望で兄弟がわかれ、再会できたことは奇跡に近い。だがその幸運もここまでか。
 新野から劉備が出てきて、新野と樊城の丁度中ほどにあたるところでぶつかっている。ねばっているが押し切られそうな勢いだという。
 動かせる将もいなければ、兵も少ない。
 自ら兄を助けにいくしかない。
 町のいたるところで起こっていた騒ぎも、幾分かおさまってきた。
 乾ききった唇で、呂翔は呻いた。
「……兵を出す。」
 それがただ死にむかう行為だとわかっていたとしても。



 均実はぼーっとしていた。
 暇である。
 まるで新野で一人庭にいたときのようだ。
 戦場だというのに、あたりは静かだった。木々が視界をさえぎっているため、辺りの音が遮断されているのだろうか。
 樊城のすぐ近くの山の中。
 関羽がこれ以上先には連れて行けないといったので、ここまでわがままを通してもらっている均実は待っているしかなかった。
 今頃関羽は樊城を直接攻めているはずだ。
 雲長殿、大丈夫かなぁ。
 色々あれから情報も増えた。
 残党を率いている武将は呂曠と呂翔という兄弟らしい。彼らは元々袁尚の配下であったというが、曹操が袁尚を攻める際に降服したのだ。
 おそらくもと敵将であったために、功を焦っているのではないか。
 劉備はそう言っていた。
「均実殿は直接戦場に出たことがあるのか?」
 いやに大人しく、何も言わない均実を怪訝に思ったのか、周倉が声をかけてきた。
 万一に備え、関羽の懐刀でもある彼が均実と一緒にここにいた。
 関羽の旗色が悪くなれば、後援に行く予定だが入ってくる情報ではその必要もないようだ。
「いえ、下邳では屋敷の中にいる間に戦は終わりましたし、直接は。」
 兵が押し合いへし合いをやるような場面は見ていない。
 ただ戦場の傷痕を見た。
 平和な日本で育ってきた均実には、それで戦争が実際に起こっていることを理解するのには十分だったのだ。
「それにしては落ち着いているな。」
 そうなのだろうか?
 均実は疑問に思いつつ周倉を見た。
 屈強な体を持ち、常に獲物を探しているかのような炯眼をしている。張飛に落ち着きを加えれば、彼のようになるのかもしれない。
「古城では……いや、何でもない。」
 周倉は言い切ることをせずそこで止めた。
「古城……」
 均実はその地名をつぶやいた。周倉とは古城では会っていない。彼の言いたいことは、自分のことではないだろう。
 糜夫人だ。
 均実はそう考え付いた。
 彼女は戦場を離れなかったと聞いている。おそらくは古城にいたのだろう。
 均実は下邳での彼女の様子を思い出そうとした。
 気丈に振舞ってはいたが、青ざめた顔で均実は後ろから倒れるのではないかとハラハラしていた。甘夫人などは実際に倒れたこともある。
 あれが普通の女の人の反応なんだろうな。
 自分の格好に目を落とす。
 女装は解いていない。徽煉に見つからないように新野をでてきたので、解く暇がなかったのだ。
「女性らしくないですか?」
 均実は少し苦笑いを浮かべた
「あ、いや……」
 すこし慌てたように周倉が変な顔をしたので、均実の笑みは普通の笑いに変わった。
 前は戦が実際に起こっていることがわかればよかった。だから戦自体は未だ自分からほど遠いものに感じる。
 これだけ実際に兵が入り乱れているだろう場所に近いというのに、それはまったく異次元のことのように思えた。
 純ちゃんもそうなのかな……
 ふとそんなことを考えた。
 もともと日本の人間じゃなかったからといって、十数年日本で暮らしていたことは確かだ。戦争などテレビや学校でとりあげられる程度の薄い知識しかない。
 糜夫人の態度が怯えたようなものになっていたのは、戦を身近なものとして実感しているからだろう。……それでも彼女は劉備の側を離れなかった。
 本当に、強い人だったな。
 均実は久しぶりに回顧する。彼女の生きていた時のことを。
 新野にいる間、特に避けたわけではなかったが糜夫人のことを誰も話さなかった。
 それが当然なのだろう。いつまでも亡くなった人のことにわずらっていては、この世界の奔流に飲み込まれるだけだ。
 それに糜夫人のいた場所に、甘夫人がいた。
 彼女は糜夫人の穴を埋めるように、劉備を気遣っている。
 糜夫人の戦っていた『女の戦い』という名の戦場に立っている。
 だから誰も話さなかった。
 必要がなく、またそれが当たり前だったから。
 だが亮が劉備に仕官したら、今度は純が『女の戦い』という戦場に立つことになるのだろうか。
『私にできるだろうか……』
 亮を支えるのは彼女の役目だ。
 だが……亮は純に戦についてや情勢について、できるだけ教えないようにしている。
 そんな亮が純にそれを求めることができるのだろうか。
 均実はそう思い、眉をひそめた。
 また亮の事を考えてしまっている。
 新野で一人イライラするぐらいなら、隆中で実際に彼に会って話したほうが確かにいいのだろう。
 とにかく早く終わらないかなぁ。
 均実は近くで起こっているだろう戦いをそう思っていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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