■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

均しき絆 作者:奇伊都

第35回   ちょっと会ってきます。

「孔明は断ったらしいな。」
 部屋を訪ねてきた庶の言葉に均実はうなずいた。
 純からの書簡にそう書いてあった。そして……
「間違いなく、あいつらしい。」
「そうですね。」
 居留守を使ったというのも、権力にこびるつもりのない亮らしいと言わざるをえない。
 二人とも苦笑していた。広元も庶の後ろで声をたてずに笑っている。こうなるだろうというのは見当がついていたのだ。
 もともとあまり劉備に好感情を、亮は抱いていない。
 それに、それほど進んで仕官しようと思っていないように見える。
 それはもしかすると……彼の覚悟ができていないからかも知れない。
 均実は一瞬考え込みそうになった。
「だがこれでは均実殿の目的が達せられないな。」
 その現実の声に、均実は思考の海から戻ってきた。
 庶の言葉は確かである。亮が劉備に仕えてもらわないと、わざわざ推挙してもらった意味がない。
 だが均実はそれほど慌てていなかった。
 『三顧の礼』というのは、劉備が亮を三度訪ねる話だ。
 亮が三度目に劉備に仕官すると言ってくれればいい。
「玄徳殿はどうおっしゃっておいでですか?」
「日を改めて訪ねるといっていたらしい。」
 均実はそれだけ聞けば今は満足だった。まだ劉備の亮への興味は消えてはいない。
 だが庶は、その亮の無礼としかいいようのない態度を危惧していた。
 せっかく紹介したのに、劉備が亮への興味を失したら……とも思うし、それに一応劉備は彼の主だ。少し面白くもない。
「私は一度隆中に戻って孔明に会ってこようか。」
 庶はそう言って、さっきから黙ってこちらの話を聞いていた広元を見た。
「今、急ぎの用件はないはずだよな?」
「ああ」
 以前の博望の戦いから、庶の仕事は増えていた。しかし広元も手伝っているし、曹操も今は荊州に手が回らないので差し迫ったものはすでに処理できている。
 庶は行くなら今だと思っていた。
「出ている間のこと、頼んでもいいか?」
「善処する。」
 広元はさほど考えるそぶりも見せず了承した。もしかすると庶が言い出す前に、彼の頼みを予想できていたのかもしれない。
 この短いやり取りで、庶は隆中へ行く気持ちを固めたらしい。
「均実殿はどうする?」
 広元からこちらに顔を向け、問うてくる庶に均実は一瞬迷った。
 話によると州平が劉備と会って話したらしい。だが彼はきっと亮に仕官を勧めてはくれない。どちらかと言えば庶へ言ったことと同じ事を言って止めようとするだろう。
 均実はそれをわかっていたが、首を縦にはふらなかった。
「……今回はいけません。」
「今回は?」
「奥方様が子が生まれるまでは……その」
「ああ、なるほど。」
 みなまで言わずとも、庶は理解した。
 均実は甘夫人のお気に入りの人間だ。暇があれば側にくるように言うし、笛の練習も彼女がつけてくれている。
 その甘夫人の腹は一目でわかるほど大きくなっていた。
 皆が彼女を大切に扱う。
 今、新野は彼女のわがままなら誰もが聞くのだ。
 そして均実は……
「均実様。甘夫人がお呼びです。」
 ちょうどよく呼びに来た家人に向かって、均実はため息をついた。
 本当によく呼び出されるのだ。
 これさえなければ自分も隆中にいきたいのに……
 だが妊娠中の甘夫人を邪険にもできない。
「仕方がないな。一人でいってくるか。」
 よくよく均実の事情がわかった庶は笑った。
 立ち上がった庶に、一応均実は頭を下げることにした。
 だが庶が亮に会ったとしても、事態は変わらないのではないか。
 均実はそんなふうにも思っていた。



 では時間を一気に早送り、場面を隆中へうつすこととしよう。



「とまあこういうことなわけだ。」
 庶は努めて明るく今までの簡単な経緯を語った。
 ここは隆中、亮の屋敷である。
 亮はすこし不機嫌そうに、庶の話を聞いていた。
 手を顎にやりつつ、口はまったく開く気配がない。
 いつもなら相づちぐらいは打つ。だがそれすらもなかった。
 少し気圧されながら、庶は亮の顔色をうかがう。
「……勝手に名前をだしたことを怒っていたりするか?」
 別に頼まれたわけでもないのに、劉備に推挙したことに怒りを感じているのだろうか。
 庶はそう思ってそう言ったが、それはまずないだろうとも思っていた。
 そこまで器の小さい男ではないはずだ。
 亮はその考えどおり首を横に振った。
「州平から元直が左将軍に仕官したのは聞いていたし、人を自分の主に推挙するのも臣下の役目だから、いつかはこうなるとは思っていた。」
 人材を求める劉備が、目をつけた庶から有望な者はいないか聞くのは当然だろう。
 そして庶が友人を勧めるならば、仕官をする気がまったくない州平よりも、一応その気がなくはない亮だ。
 手にした杯を亮は口をつけずに回す。
「左将軍に仕官することは、選択に入っていないこともない。」
「じゃあ……」
「だがまだ結論を出す必要もないかと思っているんだ。」
 庶が再び仕官を勧めるのを聞く前に、亮はそう言った。
 その後、均実の予想通り、けして亮から肯定の答えをひきだすことはできなかった。

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections