ヒャラー……パヒッ……プッフーペー 「下手っぴ。」 「っぐ。だからできないっていったじゃん。」 「できるまでやるの。」 あっさりとはっきり純に言われ、均実はへこみながらも練習を続けた。 だがやはり一向にうまくなるようには思えない。 当事者である均実と純以外には、悠円と陽凛がここにはいるが二人とも顔が強張っているのがよくわかる。だというのに彼らは面とむかって下手だといってこないのが、よけいに気が重くなった。 「……はぁ。」 綺麗とは言い難い笛の音が耳に痛い。 あれから毎日のように純は均実の離れにやってきては、強制的に笛を教える。 均実も納得しているとはいえ、勉強や薙刀に費やす時間が減るのは嫌だった。よって、もともとそうだったがここ最近はかなり寝不足気味である。 脳にこの甲高い音は結構ダメージを与える。それでも目を瞑っても幻聴として聞こえてくるほど、均実は頑張ってやっていた。 だがもちろん努力と実力が比例するには、均実は不器用すぎるのだった。 そしてその夢にまで現れる奇音に誘われてやってくるのは、やはりあまりいいものではなかったようだ。 それは部屋の入り口から顔をだした。 「おや、笛の練習か。」 承彦が現れた。 「下手だな。」 承彦の正直な感想! 均実は百のダメージを受けた。 ……いや、確かに面とむかって言われないのが余計に、って言ったけどさ。ここまではっきり言われると……。 そんな繊細な均実の心の微妙な葛藤に気付かず、承彦は部屋に入ってきた。 悠円に座る場所を用意してもらうと、承彦はそこに座る。さすがに笛の練習を続けるわけにもいかず、笛をしまい、均実も純の隣に座った。 その際承彦には聞こえないほどの小さな声で、均実は純に言う。 「……率直なところは父親似だったんだね。」 「てへっ」 カワイコぶって誤魔化そうとする純を均実は見やってから、承彦のほうをみた。彼女には別に意味のある反応を求めていたわけではないし、どうせ笑って済まそうとするだろうというのは予想の範疇である。 それよりこの目の前の人のほうが謎だった。 亮に会いにくることは時折あった。だが今日は亮が庶たちと呑みに出かけている。おそらくはここにくるまでに家人にそのことは教えられたはずだが、ここまで来たということは間違いなく均実に用があるに違いなかった。 だが全く用とやらに心当たりがない。 心当たりがないなら仕方がない。直に聞こう。 均実は正面から承彦に対した。 「今日は何かご用でも?」 「ああ、前から約束していただろう。」 「約束?」 「良縁を世話してやるとな。」 ……そんな約束した覚えがないぞ。 必死に奇音によって働きが鈍くなっている頭を働かせて、過去の言語録を探ったがヒットする気配はない。 均実が黙り込んでいると、膝を進め承彦は熱のこもった調子で言った。 「以前はまだ早いかと思っていたが、聞けば綬と同じ年だそうじゃないか。 なら話を進めても、悪くないだろう。」 ……聞けばって……、情報源は純に違いない。 じとぉりと均実は純のほうを見たが、それを何と勘違いしたのか承彦は 「席をはずす必要はない。お前も義姉として同席しなさい。」 と純に言った。 悠円が困ったような顔をしてこちらをみている。承彦の気迫に、下手に口を挟めないのだろう。 ここで理由も無しに均実が断ることは、立場的にできない。 理由……性別をいうわけにはいかない。となると…… 「林家の娘でな。気立てがいいし、何より……」 何も思いつかないため、その場から逃げ出すこともできず、均実は流れるようにでてくる承彦の言葉に堪えた。 アピールポイントを重ねる、重ねる、重ねまくってもう一丁……といった感じ。均実が口をはさめば、その言葉の端を拾ってさらに誉めまくる。 下手に何も言わないほうがいいと判断した均実は、冷静にそんな彼の姿を見る。 なんだか純とよく重なった。 良いと思ったことは絶対に均実にやらせるのも、この親子の共通点らしい。 いい加減、誉め言葉が尽きたころに承彦は言った。 「おや、もうこんな時間か。詳しいことはまた今度にしよう。」 あ、嵐がすぎた。 均実はその言葉に心からホッとする。 とりあえず見送るために門まで行くと、承彦は重々しく頷いた。 「今日はこれだけだが、また次は他にも話をもってこよう。 気に入った娘の話があれば、いいなさい。」 「いや……あの」 「君の縁談の世話は楽だよ。評判がいい。 誰にでも優しく、おごった態度もない。節度を守った生活で、いい夫になるだろうと皆がいうからね。」 隆中での生活で丁寧にどの贈り物を断っていたことで、皆にそういう好感情を抱かれていたらしい。 均実が引きつった笑みで見送る。 少しぐらいキツイ物言いで贈り物は断っとくべきだったな。と思いながら。 部屋に帰ると、純は同情を寄せるようにして言った。 「父上、きっと諦めないよ。」 だろうね。この子にしてこの親ありだから…… さすがに口に出すのを控えたそれは、均実の心の奥底からの感想だった。 何年も離れていても、ああ親子だなぁと髣髴とさせるようなところがあるなんて……血のつながりというのはまったく不思議なものだ。 人間という生き物の神秘に、均実はつくづく感心する。 「何だか凄くはりきってたよね……」 ドッと疲れた気がして、均実はそう言った。 「……どうなさるおつもりですか?」 そのとき珍しく陽凛が口を開いた。 基本的に純が話しかけないと、彼女は何も言おうとはしない。まあそれは侍女の鏡なのかもしれない。 だから話しかけてきたこと自体に驚いたし、その内容には考え込んだ。 「そうなんだよね。……まさか本当に女の人と結婚するわけにはいかないし。」 「均実様。僕、黄先生に無理だって言ってこ……きましょうか?」 「無理無理。黄先生は純ちゃんの親だよ?」 均実はまだ上手く敬語の使えないらしい悠円にはそういいつつも、それぐらいしかできないのではないかと思っていた。 だが無理というのを性別を明かさずに、納得させられるほどの理由というのが思いつかない。 ……というか何言っても、納得なんかしないだろうな。 均実は肩をおとして純のほうをみた。 この娘のほうですら、自分は逆らえないのだ。ましてこの純をパワーアップさせたような承彦にかなうはずがない。 「あの勢いでは、すぐに話をまとめてしまいますよ。必要最低限の了承をとったら、後は当人の意思などあまり関係ありませんからね。こちらでの結婚というものは。 ここにいては一年経たないのうちに、話はほぼ形になりますよ。」 陽凛のその言葉に、均実はうっと顔をしかめた。 純が結婚する時も、純は承彦からただ「結婚しろ」と言われたから結婚したらしい。前にも言ったが、結婚前に面通しすらしないのもこちらでは常識だった。 均実は自分の娘ではないから、承彦もそこまで横暴はしないだろうが、承彦にさっきの勢いで次もこられると、質問の意味を把握する暇もなく、「はい、はい」と言ってしまってそうだ。 「……ならとりあえず」 均実は一つの解決案を選び取った。 「逃げようか。」 最も単純明快な案だった。 承彦が自分の行き先を知らなければ、結婚の話など決められまい。 均実は亮に一応了承を取って屋敷をでることにした。 ここにいてはいつか結婚させられそうだ。 そう言うと亮は苦笑しつつ、わかってくれた。 ただし家出先は指定された。だがそれに関して均実は何も文句はなかった。 向かうは徳操の庵。すでに塾には行っていなかったが、そこの蔵書にはまだ読んでいないものもある。ついでに読書を楽しむことにしよう。 均実は荷物をまとめて、屋敷をでた。 悠円が一応見送ってくれたが、別に見送るほどの距離を行くわけではない。……はずだった。 プチ家出のつもりだったのだが、これが思わぬ人と会い、結構遠くまで行くことになるとは均実もこのときは考えもしなかったのだ。
|
|