■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

均しき絆 作者:奇伊都

第18回   お見舞い

 静かな空気の屋敷に、訪ねてきた庶は首をかしげた。
 確かにもともと騒がしい屋敷ではないが、ここ最近はにぎやかだったはずだ。それは悪ノリをした均実と悠円が、庭に生えた雑草で二つの束を作り、先で結ぶようにしたものを幾つも作ったのがそもそもの原因だった。
 何も考えずに歩いていると、これが結構ひっかかって転ぶ。
 均実が言うには、許都から古城に向かう途中で寄った村の子供たちに、教えてもらった罠だそうだ。もともと雑草が生えまくっている庭だからわかりづらく、家人の何人かも綺麗にこけていた。
 さすがに甘海に均実は怒られたらしい。だが荒れ果てている庭を何とかしようと、これを機会に家人らが手を加え始めた。
 もう転ぶのが嫌なのだろう。
 好き勝手に伸びていた草もすべて刈られ、これではあの罠も作りようがない。ついでに、というかのようにボサボサだった木々も整えられ、庶が来ると必ず庭に、均実と何人かの家人がいた。悠円以外の家人とは接触をあまりもたなかった均実だが、その庭いじりを手伝うせいで最近は結構話しているようだ。
 なのでいつもはすぐに人の姿を見つけることができるといった感じなのに、今日はどうもシン……としている。
 整いだした庭も見たし、均実のいるはずである離れも覗いてみたが、誰もいない。
「元直殿?」
 さて?と思っているとようやく声をかけられる。振り返ると甘海がそこにはいた。
 旅は止めたと言っていたが、まだまだかくしゃくとしていて元気だ。足を悪くしたらしく、右足を軽く引きずっているようだが、よく見ないとわからなかった。
「甘海殿、今日は静かですね。均実殿もいない。」
「奥方様もいらっしゃいませんよ。」
 甘海はそういいながら、母屋のほうへ促した。亮はいるらしい。
「集団家出とか?」
「……ただ皆出かけているだけです。」
 その発想に呆れたのか、甘海は振り向きもせず歩いていく。
 冗談ですよ。かたいなぁ、相変わらず。
 庶は心内で舌をだし、その後姿をみた。
 この翁。未だに均実が異世界、未来から来たというのを信じようとしていない。均実も説明はしたのだが、結局信じてもらうのは諦めているようだった。
 だが甘海のおかげで、この静けさにも得心がいった。
 この屋敷の住人である亮、均実、純のうち二人もいないのだ。活気がなくても仕方がないかもしれない。
「殿。元直殿がみえられましたよ。」
 甘海とともに部屋に入ると、亮は部屋の中でぼんやりと座っていた。片膝を立て、手を顎にやり軽く撫でている。
 甘海に席を作られ、庶も座る。甘海はただ庶を案内するつもりなだけだったのだろう。そのまま部屋から出て行った。
 真面目で職務に忠実な彼は、きっとやることがたくさんあるのだろう。
「今日はどうしたんだ?」
 その気配が遠のいてから、亮は話しかけた。
「あぁ……いや、別に。均実殿を訪ねてきたんだが、今日はいないようだな。」
「均実殿を?」
 亮は顎から手を離し、庶のほうを見た。
「最近、多いな。何を話しているんだ?」
 庶はその言葉に苦笑した。
 均実の日本での話を聞いてから、何かと相談にのるようになっていた。他愛もないような疑問で、悠円に聞いてもよくわからなかったものなどが主である。
 もちろん「歴史を変える」という話題もよく出た。日本に帰りたいと思っていることを秘密にしている均実にとっては、庶か悠円にしか話せないのだろう。
「別に大したことは話してないさ。よくわからない一般常識とかだな。」
 秘密の共有者として信頼されていることがわかっている身では、その話題のことを亮にばらす訳にはいかない。
 庶はそう言った。だが……
「すぐ側にいて一応は兄である私より、元直にするような質問かい?
 このごろ元直は気がつけばいつも、均実殿と話しているね。」
 庶はそのやけに絡んでくる亮の物言いに、頭をかいた。
 遠くの地に自分の弟がいるからか、均実の相談にのるのは別に苦痛でもなかったし、知識をつけてきた均実との対話は、正直手ごたえがあり面白い。だからよく話をしていたのは確かだ。
 そういえば……生きていたころの均の話もしたな。
 庶はそんなことを思い出した。
 今までは均が生前やっていたことは、亮が自分を均と重ねないようにと、均実はやることを避けてきた。だが最近始めた釣りも庭の手入れも、まさに均のやっていたことだ。 
 均実は諸葛均として仕官する必要があると考えている。だからより諸葛均らしく、ここに存在しようとしているのではないか。
 庶にはそれが、今回の罠事件を起こした均実の目的だったのではないかと思えていた。
 雑草をくくって家人を転ばせまくった事件は、結果的には誰も手をつけなかった庭を手入れし始めるきっかけになっている。
 結構何でも話してくれていると思ったが、結局自分にも均実は肝心なことは言ってないのではないか。そう考えた時、誰にも目的を言わずに、やってのけてしまう均実にどこか危うさを感じた。だから今日はそれを注意してやろうと思い来た。
 だが……思いかえせばそんなこんなで最近は、亮より均実とよく話していたような気がする。
「なんだ、やきもちか?」
「少し面白くはないな。」
 庶の問いに亮は笑みと共にすぐ答えを返した。別段、虚をつかれた様子もない。
 その言葉の意味は友人を均実にとられた気がして面白くないのか、それとも均実を友人にとられた気がして面白くないのか。
 聞いてやろうかと庶は思ったが、なんとなく答えはわかったのでやめた。
 どうせ両方だ、と真顔でいうだろう。くさいセリフや、こっ恥ずかしいことも平然とこの男は言ってのけるのだ。
 一度でいいから、孔明の慌てふためいたところを見てみたいな。
 そんな考えを持ちつつ庶は首をふると、亮のほうをみた。
「頭がいいのは前から知っていたが、発想がやはり面白い。奥方の発明も、もともとは均実殿が考えているんだろう?」
 亮は頷いた。
 よくあんなに考えが浮かぶものだと感心しているのは確かだ。
「孔明ももっと話してみればいい。思いもしなかったことを言われるかもしれないぞ?」
 結局秘密であることは話さずに、庶はそう言って「均実からの話の内容」から焦点をずらしてやった。



 自分のことが、そんなふうに話されているとはつゆ知らない均実。そのころどこにいたかというと……
「……うざいですね、やっぱり。」
「普段男物を着慣れているせいですよ。」
 徽煉はそういって、さっさと身支度を整えさせる。
 ここは襄陽。日を改めて糜夫人の見舞いに来た均実を、徽煉がやはり女物の着物に着替えさせているのだった。
 ちゃんとした格好でない人間が、夫人らの側に行くのは許さないという彼女の持論に則った行為である。例外的に甘海に女であることをばらさない為に、男装を許してくれたことはあるが、ここではもう通用しないらしい。均実も覚悟はしていた。
 だがあいかわらず男として生活していた均実に、徽煉はかなり呆れきっているようで、どうせこんな時しか着飾らないのだろうと散々装飾品をつけられ、化粧もしっかりされた。よってかなりうざったい。
「今医師が奥方様のお部屋にいますから、どちらにしろ待ってもらわなければいけませんしね。観念しなさい。」
 ここまで手を込んでやる必要はないだろう。
 念入りに着飾ろうとする徽煉に呆れて、そう言った均実に対して、気にする様子もなく徽煉は言った。
 均実は徽煉がそういうのを聞いて、頷きとため息を同時に行った。
「雲長様にはお会いしたの?」
 徽煉はその様子をみながら、言葉を発した。
 均実は否定する。
「まだ機会がなくて……。襄陽入りするときに、姿は見かけましたけど、話しかけるわけにもいかないでしょう?」
「まあ……そうですね。ですけどきっと楽しみにされてますよ。」
 天井を見上げて、徽煉はすこし顔をしかめてから、軽く首をふりそう言った。
 徽煉は均実が古城を去ってからも、数度関羽と話している。そのとき関羽は均実とは荊州で会えるといっていた。
 だから……想いを告げなかったのだとも。
 徽煉はそんなことを考えつつ、動いたら怒られるために微動だにできない均実の髪をすくった。
「会いに行きますか?」
「今からですか?」
 驚いたような声をあげ、均実は聞き返した。
 ここは劉備に与えられている屋敷で、関羽も今はここに住んでいるらしいが、今いるのは屋敷の奥。関羽がいるであろう棟はここからかなり離れていて、会いに行ってまた戻ってくるのは億劫に感じる。
 髪をまとめなおした上に、いくつかの花飾りをのせられた。それらの小物は重くはないはずなのに、何故か重く感じるのは、精神的に女装を嫌がっているせいだろうか?
「奥方様を見舞った後ですよ。今は殿に従って州牧のところにいっておられるはずですから、帰ってこられてからになりますね。」
 徽煉は手際よく均実を飾りながら、そう言った。
 つまり関羽は出かけているが、すぐに帰ってくるのだという。
 会う……べきだろう。関羽にも世話にはなったし、せっかくここまで来ているのだから。また荊州で会うことができると、古城で予言したし。
 だがもう関羽は一人ではない。劉備と行動を共にしている。そうであるとすると必然的に劉備とも会うことになる。
 均実はそれを躊躇していた。
 まだ諸葛均が、劉備に会うのは早すぎるのではないか。均実の予定では亮が劉備に仕官するときに、一緒に仕官するつもりなのに今、彼と出会うのはまずいかもしれない。しかし直接、劉備という人物を見定めるチャンスであるのも確かだし……
 そんなふうに均実が決めかねていると、医師が帰ったという知らせが部屋にきた。
 重くうざったい格好を引きずって、部屋を徽煉と共にでる。
 ……こけそう。
 一年以上の女装ブランクは想像以上に大きいようで、均実はうまく歩けない。本当にゆっくりと、ときおり立ち止まっては息をついたりしながら、屋敷の中を移動した。
 必要以上の疲労を感じながら、目的地が見えてきた。そこにはまるで均実が待ちきれないように、部屋の前にでている人がいた。
「奥方様?」
 甘夫人だった。
 久しぶりに見たが、以前感じた幼さが抜け落ちているように感じられる。
 均実の姿に気づき、甘夫人はこちらをむいた。
「お久しぶりですね。均実、元気でしたか?」
「はい……服を着替える前までは。」
「ふふ、どうやら徽煉にしっかり支度させられたようですね。」
「はぁ……」
 均実の格好に笑みを浮かべたが、その甘夫人の笑みがどこか陰りを帯びているような気が均実はした。もっと何か話そうと思ったが、目の前の部屋から漂ってくる雰囲気が、あまりにも異質で、双方ともそれ以上何も言葉がでてこなかった。
 だからただそれだけの会話のあと、徽煉が部屋にはいることを促したとき、均実はそれを訳もなく拒みたい気持ちになった。だが、そんなことはできるはずがない。
 決心して部屋に入ると、空気が一瞬で変わったように均実には感じられた。匂い……だけではない。なんとなくザラリと肌の上を空気が滑るような、たくさんの膜の中に入ったような、そんな変わり方だった。
 均実は息を深く吸い込んだ。
 香だろうか。以前とかわらない甘い匂いの中に病人特有の匂いがする。
 糜夫人は奥の寝台に寝ていた。青白い顔で別れたときのイメージよりも、髪に白いものが増えている様に見えたのは気のせいではないだろう。
「お医者様のお話では、頭の痛みを抑えるための薬を先程服されたので、そろそろ眠くなるはずです。」
 甘夫人がそう言って、均実にあまりこうやって話す時間がないことを告げる。
 だから部屋の外にまででて、均実が早くこないか待っていたのだろう。
「奥方様……均実が来ました。」
 徽煉が糜夫人の耳元でそっとささやいた。
 閉じられていた目蓋がゆっくりと開く。
 こけた頬が痛々しい。目の焦点が合わず、輝きも鈍っているように見えた。
 専門的な知識を持っているわけではないので感覚的なものになるが、かなり悪いようだ。まったくその顔からは生気が感じられない。ここまでひどいとは、均実も正直思っていなかった。
「……均実?」
「はい。ここにいます。」
 糜夫人は均実の声を聞いて、口元に笑みを浮かべた。だが声を発しながらも、その目は均実を見ていない。正面から彼女の顔が見えるように均実が移動しようとすると、髪につけられていた簪がシャラリと鳴った。
 可笑しそうに糜夫人は言った。
「着飾っているのですか?」
 目の前にいるのに、どうして問うのか。
 均実が後ろを振り返ると、徽煉は目を瞑り、首を横に振った。
 目が……見えていないのだ。
 均実は音をたてぬように、息をもう一度吸う。
 そして泣きたくなるような重苦しい空気の中、より糜夫人に近寄った。
「……これ、お見舞いです。」
 均実はそういって、糜夫人の手の上にそれを持った自分の手を重ねた。柔らかかったはずの彼女の手がやせ衰えてゴツゴツと骨ばり、凍るような冷たさだったことに均実は思わず顔を歪めた。
 生きている人間の手だとは、到底信じられなかった。
 ゆっくりと手を開き、糜夫人がそれを手に持ったことを確認してから均実は手を離す。
 そこには、白い折鶴があった。メモ帳から自分で折ろうとしたが無理だったので、純に頼んで折ってもらったものである。
 日本の話を許都で興味深げに聞いていた彼女に、何か日本と関係のあるようなものを見舞いにしようと思いついた。だから苦労して作ろうとしていたのだ。
 目がみえないながらも、糜夫人は手触りでそれを何度も確かめていた。
「日本ではお見舞いにこれを千個作るんですけど、そんなにその紙はないから……」
 糜夫人は再び笑みを浮かべ、まるで割れ物をさわるかのようにやわらかく折鶴をなでる。
「ありがとう。」
 消えるかと思えるほど頼りない声を糜夫人は返した。
 あの毅然とした糜夫人と同一人物には、どうしてもみえなかった。
 均実と別れた後、劉備と合流できた彼女は、甘夫人が戦場から離れた農村に身をよせていたにも関わらず、戦場に留まっていた。
 だがそれまでに延々と続いていた苦労が、いい加減限界を超えたのだろう。
 劉備が曹操と一戦交えた直後に、突然倒れたらしい。それからというもの目から光は消え、酷い頭痛に悩まされているという。
 何故甘夫人とともに戦場を離れなかったのだろうか? 倒れた場所が戦場でなければ、より適切な処置を施せたかもしれないのに……。
 だがそれは聞いてはいけないことのように均実には思えた。その質問は、糜夫人の行動を非難するもののような気がしたから。
 だから倒れたときの説明を聞いた後、均実は即座に言葉を次げなかった。ほかにしゃべることを探して、必死に頭を働かせていると、
「均実、覚えていますか? 下邳で教えた『女の戦い』について。」
 そんな均実の考えを見通しているかのように落ち着いた声音で、糜夫人はそう言う。
「はい。」
 何故、それを今糜夫人が言い出したのか均実にはわからなかったが、はっきりと答えた。
 糜夫人は横たわったまま、均実のほうに顔をむけている。見えていないはずなのに、均実の様子を静かに観察しているようだ。
 顔をふせ、均実は思い出す。戦死者の墓に泣きすがっている女の人を、均実が目にしたときにこの女性が言った言葉。
『男は戦場で華のように散っていくのじゃ。女は男を支え、男を失えばそれに耐え、この地に根をはる大樹とならなければいけぬ。』
 耳に残った。彼女の持っている覚悟。そしてこれは……彼女自身が行っている戦いでもあった。
 彼女の行動はいつも気高かった。常に夫である劉備のことを考えて、彼のためにならないことを自分がするのを何よりも嫌った。
 支えようとしていたのだ、劉備を。
 そう考えたとき、何故戦場を離れなかったのかも自然とわかって、均実は顔を上げた。
 きっとそれも……劉備のためだったのだ。
 古城の地で劉備は、曹操と戦わないという決断をすることもできた。ただ荊州に行くことを有利にするためだけの戦だった。
 だがそのためだけに何人もが死んだ。敵も味方も、戦に直接関係のないその地の民も。避けることができた死だったが、劉備にとって望まざるをえなかった死だった。
 それを劉備が悼まないはずがない。人であるならば、自らが殺したといっても間違いではないその人たちを、簡単に忘れ去ることなどできるはずがない。
 その劉備の心を支えようとしたのではないか。誰よりも側で。
 均実がその考えにたどりつき何か言おうとして口を開いたとき、糜夫人は少し顔をしかめるように、悔しそうな顔をした。自分の言いたいことを、均実が理解したのを知ったのだ。
 見えないはずの目を糜夫人は細めた。
「戦いぬけぬ。それだけが無念じゃ。」
 死を覚悟している。確実に己に近づいているそれを理解しているからこそ、出た言葉だろう。
 それは糜夫人にとって、劉備を支えることがもうできないということだ。
 彼女は劉備を心から愛している。彼女のこれまでの振舞い、そしてその言葉からそれはわかりすぎるほどだった。
 戦場から去らなかったのはそれだけでなく、もしかするとただ劉備から離れたくなかったのかも知れない。
 均実はやはり何を言っていいのかわからなかった。元気になってください、なんてもう死を前にして、何もかも受け入れてしまっている彼女には言えない。あまりにも上っ面だけの言葉な気がする。
 ゆっくりと四肢の力をぬき、糜夫人は寝台に深く体を預けた。手からも力がなくなり、折鶴が掌からこぼれる。
 甘夫人がすぐに近寄ってきた。こぼれた折鶴が床に落ちないように彼女は拾い上げたが、糜夫人は手の内から失われた鶴を探そうともせず微笑んでいる。
 自分の持っていた物を、彼女に渡すために手放したかのように。
 次に劉備を支えるのは、彼女だというかのように。
「話していたいけれど……少し疲れて……」
 そういいながら、ゆっくりと目を閉じた糜夫人に均実は一瞬息を呑んだ。
 だが最悪の事態ではなく、ただ眠りについただけらしい。
 糜夫人の小さい寝息だけが、規則正しく聞こえる。
 だがまるでこの部屋の時間が止まっているかのような気がした。

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections