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均しき絆 作者:奇伊都

第16回   劉備が街にやってくる

 その日、均実は季邦とともに襄陽へ行った。
「すげぇ人だな。」
 季邦の言葉に均実は頷いた。
 以前来た時より断然人が多い。
「どこかから聞きつけて、見物に来たんだろうな。」
「私たちのようにね。」
 均実がいった言葉に季邦は笑った。
 二人とも別々のルートで、今日劉備が襄陽入りをするという情報を掴んでいた。
 季邦は言わずともがな、蔡家の筋からの情報だ。こういうとき政治の中枢に近い人間が身内にいる奴は、それなりに情報も正確で早い。注目すべきその情報を、季邦は知らせに均実を訪ねてきた。
 だが季邦がやってきたとき、均実はちょうど屋敷を出ようとするところだった。
 徽煉から書簡が届いていた。
 劉備の奥方である、糜夫人が寝込んでいるという。
 賢夫人と名高く、そして劉備の妻としての名に恥じない行動をしていた。それには気苦労も多かったのだろう。けして誰に対しても気高さを失わずに対し、凛としたその態度は下邳で兵が部屋に乗り込んできたときにも発揮された。それは均実もよく覚えている。
 そんな彼女が寝込んでいるというのはイメージできなかった。
 書簡の最後には襄陽に今日入るので、都合がよければ見舞いも兼ねて訪ねてこいと締めくくってあった。
 糜夫人に世話にはなったのは確かだから、そのうち行こうかとは思ったが、今日は訪ねていくつもりはなかった。落ち着くまでは均実が行っても、邪魔なだけだろう。
 ただ噂でなく、実物である劉備を見にいこうとしていたのだ。
「おい、邦泉こっちだ。」
 季邦が手をひっぱり、人ごみを抜ける。
 どこかにあったのだろう木箱を台にして、季邦は人ごみの向こうを見た。劉備達が列を組んで、道を歩いているのだろう。均実も倣って台に上った。
 なんだか自分が許都にはいったときも、こうやって人がたくさん集まっていたことを思い出す。
 あの時、自分は関羽とともにその列の中にいたが、今はこうやって人ごみのなかにいるのか、なんとなくおかしく思えた。
 一人の武将がそこからは見える。季邦がすこし爪先立ちになりながら、目の上に手で屋根をつくった。
「でかいな。なんだろう。張飛か?」
 劉備に義弟として武芸に秀でた関羽、張飛がいるのは情勢に聡い者なら誰でも知っている。
 均実も顔をあげて、その姿をみた。
 だが即座に否定をする。
「あれは趙雲殿だよ。」
 遠目だが間違いない。長い槍を携え、馬上から辺りを警戒しているその姿には見覚えがある。確かに古城に行く時に会った彼だった。
 均実が教えてやると、季邦はほぉっと声をあげた。
「お前、もしかして前に見たことがあるのか?」
「……まあね。」
 季邦には、均実が関羽について過ごしていた一年については教えていない。
 だいたいにして信じてもらえなさそうだ。それに……
「なんだよ、いつ見たんだ?」
 絡んできた季邦に均実は苦笑いした。
 こんな人ごみの中で、長い昔話をする気にはならない。
 それに……第一、めんどくさい。
 その時辺りの歓声が一際大きくなった。
「ほら、誰がきたんだろうな。」
 季邦の興味をそらすために、均実は列のほうを見た。
 趙雲が通った後に続くのは、関羽だった。その横に張飛が並んで歩いている。
 関羽が曹操の下から劉備の下へもどったという話は、この襄陽でもかなり話題になっていた。その義兄弟の誓いを貫こうとする関羽の姿勢に、皆好感情をいだいていたらしい。
 民衆は関羽をみて、声をあげたのだろう。
 懐かしいなぁ……
 均実は思わず笑みを浮かべた。
 古城で別れてからもう一年と半年ほどになるだろうか。彼らはまったく変わっていない。
 張飛は虎のような風貌だが、それよりも先に仏頂面をしているのがよくわかる。蛇矛という矛の刃先が蛇のように波打っている特長的な武器を持っている。動きがガチゴチしているようにみえるが、少し緊張しているのだろうか。
 そして人より良く焼けた赤黒い顔の関羽は、あいかわらず長く美しい髭が目立つ。青竜偃月刀をもち、かたまっている義弟に時折声をかけたり、辺りをゆっくりと見回したりしている。
 二人の周囲の空気は独特なものがある。武芸の達人とまでなれば、そういったものなのだろうか。
 その二人を一目でもみようとするのか、辺りの熱気はより強く感じられる。均実ですら背伸びをしても、人の頭が邪魔でみにくい。
 あまりにも人が多いので、自分の姿に関羽は気付かないだろう。
 覚えてくれているだろうか、自分を。
「ってごまかすな。邦泉!」
 完全無視をきめこんでいた均実に、季邦は叫んだ。それが大きい声だったので、周りの人間がうるさそうに顔をしかめる。
「季邦。うるさい。」
 均実も遠慮なくそういってやると、季邦はぐっと口を閉じた。
 まあ均実の言葉に、というより目の前にいた腕がかなり太い人相凶悪な男に、ギロリと睨まれたためだろう。
「それよりどっちが劉備?」
 そんな季邦を助けるかのように、全く別の話題をふってやった。
 関羽らの後ろを、一回り小さな男二人が進んでいる。右側の男は恰幅がよく、楽しげに左側の男に色々話しかけていた。
 季邦は示された二人をみて、右側が劉表であるという。
 ではあれが劉備……?
 劉表でないほうが、劉備に違いない。
 均実は目を細めた。
 彼に……自分はいつか仕えることになるのか。
 顔までしっかり見えるほど近いわけではないが、曹操のように鋭さは感じられない。一応堂々とした雰囲気を持っているが、豪傑というよりも温和な感じがする。それなりに武芸にも強いらしいが、どちらかというと凄腕の側近に守られているような、頼りなさげな男に見えた。
 まあ義弟にもつ二人の背が、彼と比較して高すぎるからというのもあるだろうが。
 同じく三国の内の一つを建てるといっても、違うものだなと均実は思った。
 劉表とかなり親しげに話しているのは、ここからでもわかる。城外にまで劉表は彼を迎えにでたのだから、荊州全体が劉備を歓迎しているようにも見えた。
「大耳公はかなり優遇されるようだな。」
「大耳ね……」
 横の季邦がもらした感想に均実はつぶやいた。
 関羽は美髯公――髭が美しいということで知られているが、劉備は大耳公――文字通り、大きな耳をもつということが有名だった。腕は長く、垂らすと膝までつくとも聞いたが、さすがにそれは作り話らしい。実際に耳も、妖怪の如く特大というようではない。だが大きく張るように立っていて、よく目立つのは確かだ。
 福耳ってやつかな。
 人より大きめの耳が福を呼ぶといってありがたがるのは、日本の風習なのかあまりこちらでは聞かないため、均実は声に出さず思った。
「なんだかどんな小さな音でも聞こえそうだな。」
 季邦はそう言ったので、均実はすこしふざけて
「悪口をいってみたら? 飛んでくるんじゃないかな?」
 と言ったのだが、季邦は少し本気にしたらしく、口角をあげた。
 口元に手をあてて、メガホンのようにする。
「尻軽男や〜い。」
 ……心持ち小声だったのは、やはり本当に聞こえたら嫌だからか、言おうとしたときに人相凶悪男がこちらを再び睨んだからだろう。
 ほぼあたりの喧騒に掻き消える程度のその声がなくなったところで、均実は列の後ろの方に目をやった。
 その後も何人か武将が続いているのがわかる。見覚えがあるのは他にも数名いたが、ほとんどは知らない。均実が古城に着いたとき、劉備に従っていた将だろう。
「さて、じゃあ劉備も見たし、帰るか。」
 台から降りようとすると、季邦も頷いた。
「そうだな。どこで趙雲と会ったのかとか、どうして劉備の夫人付きの侍女から書簡がお前に直接届くのかとか、聞きたいことは山ほどあるからな。」
 ……忘れてろよ。
 散々答えをごまかし続けてきた問いを口にされて、均実は顔をしかめた。
 均実はかなり都合のいいことを考えていたが、そうは問屋が卸さない。
 かくなる上は……
「あっ、あれなんだ!」
 古より使われし、意識そらしの術っ!
 均実が何もない空を指して叫ぶ。だが季邦がじとりとした目でこちらを見た。
「……お前それ何度目の同じ手だ?」
「う〜ん、……五度目?」
「六度目だ、阿呆っ!」
 いや、すでに五度もひっかかっている点で、お前のほうが阿呆だろう。
 季邦が均実を逃がさないように、捕らえようと手を伸ばしたところで、均実は人ごみの方に目をやった。
 驚きの表情と共に、声をあげる。
「あれ? 劉備が馬から下りてこっちに歩いてくるっ」
「えっ?」
 季邦も均実の見ているほうを慌てて確認する……が、そこにあるのはただの人ごみ。
「邦泉っ!」
 すでに六度目の成功を確信した後姿が、その中に紛れ込もうとしているのを季邦がみた時、再びさっきよりも大きな声が辺りに響いた。



「どうした雲長?」
「いや……」
 慌てたように振り返った関羽に、劉備は馬を寄せて言った。だが別に異変はない。
「知り合いの名が聞こえたような気がしたから……」
 劉備は耳を澄ました。
 だが自分達についての評価の声が、聞こえるだけで他には何も聞こえなかった。
 こんな喧騒の中から、一人の名前を聞き分けられるものだろうか?
 怪訝そうな顔をして、劉備は腕を組んだ。
「襄陽に雲長の知り合いがいたとは聞いてい……」
 そこまで言うと劉備は人の悪い笑みを浮かべた。
「姫の名か?」
「……兄者。いい加減、それでからかうのは止めてくれ。」
 古城で再会したとき、劉備は関羽以外の口から均実のことを聞いていた。
 それからというもの、関羽はずっとそのことでからかわれていた。
 荊州入りで皆が緊張し始めて、ようやく落ち着いてきたというのに、劉備にむしかえされるとまた皆でよってたかって関羽をからかうだろう。
「いいじゃないか。兄貴は真面目すぎる。
 こういう話題でもふらなければ、面白くない。」
「荊州にいると聞いて、わしもその姫には、ぜひ一度会ってみたいと思ってはいたのだ。」
 張飛まで劉備と同調するように言ってきたので、関羽は疲れたように息をはいた。
 あの娘は隆中にいるはずだ。ここにいるわけがない。空耳で名前を聞くほど会いたいのだろうか。
 後ろから怪訝そうな顔をして、劉表が問いかける。
「玄徳殿、どうかされたのか?」
「景升兄。いやすこしな。」
 劉備は字を呼ばれ、小さく苦笑した。劉表のことを兄と呼ぶのを、張飛が嫌そうに顔をしかめたのを目の端にとらえたからだ。だが、関羽に睨まれて彼は何も発言することはなかった。
 愛すべき彼の純粋な性格だが、時と場所は考えてもらわなければいけない。
 今ここで張飛が変なことを言い出せば、せっかく友好的に受け入れてくれているというのに、いきなり戦争にもなりかねないのだ。
「雲長の色恋について、面白い話があるのだ。」
 張飛の短気が炸裂しないうちにという風に、劉備は楽しげに事の次第を劉表に話し始めた。
 関羽は思いっきり顔をしかめたが、下手に否定すればよけいからかわれるだけだと、それを止めるのを諦めた。
 天下の大通りで、民衆の間を行く英雄たちの話題が色恋というのもいかがかとは思うが、そんなことを気にする神経をもった奴は、残念ながらそこにはいなかったようだった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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