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均しき絆 作者:奇伊都

第14回   相思相愛

 純はホッとしていた。
 均実が元気になった。
 これといったちゃんとした理由はないが、昨日薙刀の練習を終えて屋敷に帰ってきた均実の姿をみて、そう感じたのだ。
 うまくいったんだ。
 純はそう思いつつ、手元の物に集中していた。
「どうしたんだい、嬉しそうだね。」
 振り向くとそこには亮がいた。
「嬉しそうに、私、見える?」
「ええ。かなり。」
 安堵していたのが顔にでていたのだろうか。
 自分の正面に向かうようにして亮は座った。
「それは?」
 純の持っていた物に目をとめ、指差す。
 机の上には白い変わった材質の紙に、黒く細い線で詳細まで書かれた図面のようなものが数枚。そしてさまざまな形の小さな木片が転がっている。
 そして、その木片の一つを純がカッターナイフで加工しているところだった。
「これ? 水車の模型。」
「水車?」
「水の流れる力を利用して、色んなことをするの。」
 均実が工作物のことを話したとき、動力を何にするかすこし迷ったといっていた。
 ここはちょうどよく漢水(長江上流)の流れの近くだ。川の流れを利用しない手はないだろう。
 そのことを話すと、均実はパパッと水車の設計図のような物を、純の持っていたメモにボールペンで書き起こしてくれた。
 実際の水車を作るのは純一人では無理だから、模型サイズの物を。
 その設計図にそってつくるために、純は均実からカッターだけを返してもらって図工の時間を過ごしていたのだ、
 均実はやはり頭がいい。歯車が色んな向きにつながっているもので、設計図を見ただけでは、純にはどういう動きをするのかわからなかった。よくこんなものを考えられるなぁと感心すると、均実は手先が器用じゃないと考え付いても宝の持ち腐れだよ。と笑った。
 確かに均実は不器用だった。だが純はその真逆で、頭はそれほどでもないが、手先は器用である。
「ヒトが考えて、私が作れば最強でしょ?」
 純がそういうと、亮はなるほどと言って、転がして加工済みの部品のうちの一つを手に取った。
 亮はよく自分を気にかけてくれている。
 最初のうちは敬語を使っていたが、一応夫婦なんだからとため口でいいといわれた。暇があれば今のように様子を見に来てくれるし、文句のつけようのない夫だろう。
「それで? 綬は何が嬉しいんだい?」
 自分へのその呼び名を聞いて、純は数日前のことを思い出した。
 純を日本の名である「純」と呼ぶのは均実だけだった。
 腐っても?純は亮の妻だ。つまり亮が均実の兄であるとすれば、間接的に純は義姉になるので、綬と呼ばせるよりも義姉と呼ばせるほうが正しいだろう。
 均実がそう言って、純のことを何と呼べばいいのか聞いたとき、まさにニヤリという効果音が似合う笑みを純は浮かべた。
「お義姉様って呼んでいいよ?」
「絶対ヤダ。」
 本気の提案ではもちろんなかったが、即答されたことに純は頬を膨らました。……そんな討論の末、結局「純」でいいことになったのだった。
 最終的に純がそう呼んでもらうのを望んだのだ。それのほうが日本にいたころと変わらずに、均実の友達のままでいれるような気がしたから。
 まあ亮と同じく人前では、純のことも義姉上と呼ばなくてはいけないだろうが。
 そんなふうに、日本での会話と同じノリで均実とは話せる。……だから気付いていた。
「ヒト、元気になったでしょ?」
「均実殿が?」
 純はカッターナイフで削り取った木屑を机の端に寄せた。風で飛ばないように、その上から適当な器をかぶせる。
 そうしてから純は細工をしていた部品を色んな角度から見た。
 均実がどうやら自分に隠し事をしているようだということぐらい、こうやって部品を裏返すぐらい簡単にわかっていた。
 話すときの態度に変わりはない。だが話がとぎれたときや、一瞬黙ったりしたときなどは、何か苦しそうな顔をする。
 一瞬のことで、気付かない人も多い。だが気付き難くはあるが、よく見ていれば誰にでもわかることだと純は思う。
「そういえば……顔色が悪いように見えたときがあったな。」
 亮が思い出していうと、気付いていたことにすこし驚きつつ純は頷いた。
「日本に帰りたかったんだと思う。」
 何を隠しているのかも、考えずともすぐわかった。というか今の状況ではそれしかないだろう。
 純はそう言って、つくり終わった部品をおき、新たに加工前の木切れを手にとった。
「日本に?」
「こちらで友達もできたみたいだけど、ね。
 私が日本に帰るための『門』をみることができるって聞いて、日本に帰るにはどうしたらいいのかって、やっぱり悩んでたんだと思う。」
 塾での話は時折聞いた。どうやら同年代の青年と友人になったという。
 うるさい青年らしく、だけどなんやかんやと世話を焼いてくれるのだと、肩をすくめて均実は話していた。
 そんな何の変哲のない会話はしていた。会話の内容は亮も純から聞いて知っている。
「だが、日本のことは何も言わなかったじゃないか?」
 亮は部品をおくと、そう言葉にした。
 言ってから亮は、初めて気付いた。日本に帰りたいのだと、今まで純に、そして亮にも均実が一度も言わなかったことを。
 元々亮はこの世界の人間であるから、「日本に帰る」という感覚がないため、気がつかなかったのは仕方がないことなのかもしれない。
 だが純も本来はそうだとはいえ、一応長い間日本にいた人間だ。均実が純と再会してから、もうかなり経つ。それなのに日本に帰るための『門』のことを、おそらく誰よりも知っている純に、均実はなぜ何も言おうとしていないのか。
 そしてなぜ……純は均実を日本に帰そうと話をしないのか。
 亮のその疑問は声にだされなかった。
 悲しげな表情で、純が首を振ったから。
「……ヒトは言っても仕方がないことは言わないのよ。」
「どういう……?」
「日本にいたころからそうなの。言っても仕方がないと判断したら……特に自分の弱いところを見せるようなことは、隠そうとするみたい。」
 意味がわからず、純を見つめる亮に、作業の手を止めると、純はどこか遠くを見つめるような目をした。
 均実の両親の葬式に行ったときの均実を良く覚えている。
 来てくれてありがとう、と泣きもせずにそう言った。泣かないどころか悲しそうな顔すらしていなかった。本当に学校での表情などと変わらない。
 心配していた中三のときの担任が、拍子抜けするほどだった。
 ただ純にはそれが、泣き崩れたり、感情にまかせて他にあたったりすることを、周囲に均実がみせないようにしているのだということはわかっていた。
 以前から弱みをみせようとしないところはあったが、あの時から一層その癖が強くなったような気がする。
 なんでも(細かい作業以外は)こなす均実が苦手なのは、説明することである。そんななかで一番苦手なのは、自分の感情を説明することなのだ。
 長い付き合いで純にはわかっていた。
 弱みを徹底的に外に吐き出さないことで、均実は自分を守っているのだということを。
「あれはきっとヒトの、唯一の自己防衛の手段なんだと思う。だから何かを隠していることに気付いても、気付いていないふりをしなくちゃいけないの。」
 日本に帰りたいだろうに、均実はその方法の鍵である純に何も言おうとしない。
 均実の行動は結果だけ見れば、ああこういうことだったんだと思うものばかりだ。承彦の屋敷でのように。
 だからきっとこれも何か考えがあるのだろうと思った純は、均実が日本に帰らないのかということをけして話題にはしなかった。するわけにはいかなかったのだ。
 だがそれでも心配は心配だった。
 日本ではたとえ自分に話さなかったとしても、彼女には頼ることのでき、隠し事などする必要のない兄達がいた。
 ここには……。そう考えた時、純の頭に徐庶が浮かんだ。
 そう。徐庶に均実の話を聞いてくれるよう、純が悠円に間接的に頼んだのだ。
「ヒトが悩んでいても、話してくれないものは、私はきっと助けにはなれない。そう思ってたけど……元気になってくれてよかった。」
 安堵から思わず頬がゆるむ。
 亮にも話していない自分の性別について、均実は徐庶と悠円にだけ明かしている。ならばきっと、日本での彼女の兄に対するように、二人には悩みを打ち明けるのではないかと思ったのだ。
 純が再び作業を開始するのを見て、しばらく亮は黙っていた。
 どちらも何も言わずに、時が緩やかに流れる。
 そして全ての木片が何らかの形に細工された時、ようやく言葉がそこにあらわれた。
「友人が……大切なことを教えてくれないのは、悲しくないか?」
 純の先程の表情に、自分が弟を亡くしたときのことを亮は思い出していたのだ。
 皆が自分の落ち込みを案じていた。庶など毎日のように訪ねてきた。
 心が晴れていないのがわかっていながら、「心配するな」とだけ口にのせていた。あの時はそれしかできなかったからだが、今考えるとせっかく差し伸べてくれた手をふり払っていたように思え、申し訳なかったような気がする。
 純は部品の細かい箇所を何度も削りながら、サイズを確かめた。
 その表情は穏やかなもので、けして曇ってなどいない。
「仕方があることはちゃんと言ってくれるから、そのときは絶対に力になるって決めてるんだ。私がヒトの話を聞くことが、悩みの解決法であるとは限らないし。
 それに全部を明かすだけが、友達じゃないでしょ?」
 秘密を明かさないことで、均実が自分自身を守っているのを知っている。なら秘密があることに気付いていても指摘しないのだって、一つの友達としての形だろう。
 純は手早く木くずを部品から払い、机の上に並べた。
「私には私しか出来ないことがあるはずだから。」
 微笑んで亮を見返す。
 助けることができるのが、自分でなかったとしても、均実が元気になったのが何よりもうれしいのだという証明のように。
 亮はその微笑から少し視線をそらした。
 あの時、自分の周りの人間もそう思ってくれていたのだろうか。
 心の内を吐き出すことだけが、落ち込んでいる時に必要なものではないのだと。
 ただ見守ってくれているのがわかるだけでも、大きな力になるのだと。
 そう思うと助けの手をとれなかった事に対して、気が楽になったように亮は感じた。
「……お互いを理解しているのだね。」
「相思相愛だもん。」
 純はふざけ半分でそういいながら、部品をすべて完成させた。
 おそらく今行っている塾から均実が帰ってくるころには、始動できるぐらいにまで組みあがるだろう。
「すこし妬けるかな。私は君の夫だから。」
「は?」
「相思相愛なのだろう?」
 純は一瞬キョトンとして亮と見たが、すぐに噴き出して笑った。
 均実を女だと知らないということは、こういうところにも弊害がでてくるのか、と思い、それが在りえなさ過ぎることなのでおかしくて仕方がない。
「ヒトはそういう対象じゃなくて、だ〜い好きな親友なんだからね。」
「わかっているよ。」
 純の否定に、亮も最初から冗談のつもりだったのか、笑みを浮かべて答えた。



 夏から秋へ。
 純の工作は順調そのもので、均実が提案しては作るというのを繰り返しているうちに、いつの間にか純は発明好きな変わった娘だという噂が立っていた。
 しばしばやってくる、遊びにきた(と本人は言うが、おそらく純の様子を見に来た)承彦が、水車の模型を興味深げにしてもって帰った。どういうルートかははっきりとは知らないが、そこからその水車の話が漏れ出たのではないかと均実は睨んでいる。
 まああながち間違いではなかったし、均実も純も噂を否定するつもりはなかった。
 隆中はそんなふうに相変わらず平和だったが、だからといって世の中全てが平和なわけがない。そして確実に世界の状況は変わってきている。
 早春からずっと続いていた、曹操と袁紹の戦いが終結した。
 結果は……とりあえず曹操の勝利だった。大軍である袁紹の兵糧を奪ったため、袁紹は引かざるを得なかったのだ。
 隆中に戻ってきた甘海はその話を告げ、続けて曹操が逃げた袁紹を追ってさらに北上へ進んだという。
 季節も進む。秋から冬へ。冬から春へ。
 倉亭という場所で本格的に袁紹に打ち勝った曹操は、一旦弱体化した袁紹軍を放置して、許都を狙っている劉備に兵をすすめた。亮は顔をしかめた。予想通りの展開になってきたようだ。
 自分の望まぬ方法をとることができる男。一体この後どうするのか。
 亮はおそらくそれも予想通りになるであろうと思い、ため息をついた。
 平和なこの荊州が、戦渦に巻き込まれる日もそう遠くはないだろう、と。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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