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均しき絆 作者:奇伊都

第13回   変わって…いたはずだった

「両親が死んだんです。」
 顔の横の草が、頬をこそばす。その感触を楽しむかのように、均実は一瞬笑みを浮かべた。
 言葉には何の感情も入っていなかった。それは均実にとってただの事実だったから。
「私が高校に入る直前のことです。
 二人の兄もまだ社会にはでてなくて、評兄ぃは大学生、芳兄ぃは高校を卒業したところでした。」
 辻本評司と辻本芳人。自分の兄である彼らがいなければ、どうなっていただろう。
 春休みの突然の電話。高校の準備をして、新しい学校に期待を膨らませていた均実に、それは思いもよらなかった事実を告げる。
 両親が死んだ。
 銀婚式に、と兄弟三人で贈ったアメリカ旅行。夫婦で決めて見にいった観光地は、歴史的価値のある建物が多いが、その代わり治安が悪く、マフィアの闘争もよく起こるところ。そこで流れ弾にあたったのだといわれた。
 均実は両親の死に顔は見ていない。評司が遺体を引き受けに行き、再会したときには、遺骨の入った壷二つだった。
 だからかもしれないが、かなり冷静だった。喪服を着せられ、たくさんの人に頭を下げられても泣くことは一度もなかった。
「すごく押しつけがましい考えかもしれませんけど、できるなら親とは一緒にいるべきですよ。自分の目の前じゃないところで死んだと聞いても、実感できないですから。
 ……親が死んでも涙も流さないような、そんな親不孝者にはならないほうがいいでしょう?」
 庶にそういうと、彼は戸惑ったような顔をした。だが頷くこともできず、ただ話の続きを促す。
 それを別に何の感慨もなく、均実は一つ頷くことで受け入れた。
 均実の今の口調と同じく、葬式は淡々と行われた。それは全て二人の兄が仕切っていたため、均実は未だに他人事のように感じていた。
 純も彼女の養父母に連れられ来た。
 だが親戚はこなかった。
「父さんと母さん、駆け落ちだったって、その時初めて知りました。頼れる身内もいないから、必然とお金を稼いでいく必要ができたんです。」
 生活費だけでなく、学費も馬鹿にならない。
 ようやく両親の死が現実味をおびてきた。
 残された兄妹三人での家族会議。その結果、兄二人は迷うことなく大学に通うことを諦め、働くことを決めた。
 均実はそれが仕方がないことだと理解していた。だが……
「私も働く……って言ったんですけどね。」
 そのときのことを思い出し、均実は表情をゆがめた。
 それは駄目だときつく叱られたのだ。
 兄達は年子であるが、均実はすこし歳が離れていた。そのためか小さいころから可愛がられていた。
 だから長男の評司に怒られることも初めてで、均実はおもわず尻ごみをしそうになりながらも、自分の主張をし続けた。芳人がそんな均実に言った。
「高校はでないと駄目だって。
 バイトもしなくていい。行事やクラブに打ちこんで、学生生活を楽しんだ経験は、きっといつか生かされるからって。
 だから私は兄に守られて、日本では過ごしていたようなものなんです。」
「それって……」
 悠円のつぶやきに、均実は肯定を示した。
「似てるでしょ?」
 自分の兄と亮。
 保護してくれる人間が亡くなった状態で、自分だけでなく他の者まで庇護できる人がどれだけいるだろう。
 兄と境遇が同じ、いやそれどころか亮はもっと過酷かもしれない。
 親も死に、叔父も死に、自分を守ってくれる人がいなくなった。亮はその上に、自分が守ると決めていた弟すらなくしてしまった。
 だがそれでも諸葛の家の当主を立派に務めている。
「亮さんこれまでの辛さは、ほんのすこしだろうけど想像がつく。これ以上私を守ってくれる人の……苦しむ姿は見たくない。」
 日本とこちらとは様々な点が違うのはわかっている。亮が味わった苦痛は、兄が耐えてくれたものと異なるところもあるだろう。
 だがそれでも……似ていると思ってしまった。
 自分の高校生活を優先し、大学を諦め、働いてくれた兄達。
 自分の意思を尊重し、下邳に行くことを止めないでくれた亮。
 それは均実の中で確実にダブった。重ねているのは……均実の方だったのだ。
 恩を返すために、旅から戻ってからは働き続けていた。亮が自分の兄であるかのように。……日本では返せなかった恩を返すかのように。
 それはいつか日本に帰れるだろうと、漠然と考えていたからだった。
 だがいきなり思いもよらないところで純と再会した。こちらにきた方法もわかった。
 そして純がこちらの世界で亮の妻という、彼女だけの居場所にいるのをみた。
 辻本均実であるのに、諸葛均という違う居場所にいる自分に、急に落ち着かない気持ちになった。そして……無性に帰りたくなった。
 だが、
「帰れない。」
 それだけが頭の中に繰り返された。
 兄達のいうとおり、自分は学校を楽しんだつもりだ。それでもできる限り兄達の負担を減らしたくて、勉学も頑張って奨学金も受けていたし、寄り道したりして遊ぶことも極端に少なかった。
 そして高校生活が終われば、均実もすぐに働きだして、自分から兄を解放するつもりだった。
 それは均実が自分で決めていた、自分の場所であり、日本での未来だった。
 だが突然こちらに来てしまった。
 自らの手にあったものが、手にあったはずのものが、失われてしまった。
「……均実様って、やけに恩返しにこだわってると思ってた。」
 均実の話が終わってから、しばらくして悠円はそう呟いた。
 よくわからない単語も多かったが、均実が二人の兄にかなり世話になったことを恩に感じているのはわかった。そして兄を亮に重ねているから、亮を苦しませたくないと思っていることも。
 この数週間、均実がずっと一人で悩んでいたのを悠円は知っている。
 側にいることを拒まれたので、均実が悠円のいない部屋でどうしていたのかは知らない。だがきっと今のように苦しんでいたに違いない。
 そっと気付かれないように顔を覗くと、日本のことを思い出しているのか、均実は目を閉じていた。拳の影が邪魔でよく見えないが、眉間にしわが寄っている。
 泣くのだろうか。
 ふとそう思ったが、その瞳からは何も流れ出なかった。
 悠円が二の句を次げずにいると、それまで黙っていた庶が口を開いた。
「それで怒らないかと聞いたのか。」
 散々自分達は、亮に対して均実と均を重ねるなといってきた。それを横で聞いていた均実は、余計にこのことを誰にもいえなかったのだろう。
 均実は頷いた。
「すみません……。」
「……約束したから怒りはしないが、とりあえず呆れさせてはもらおう。
 それにしても……おそらく孔明がいつまで経っても、均実殿の性別に気付かないのは、そのせいもあるんだろうな。」
「え?」
 ため息をつきつついわれたその言葉に、均実は上半身を起こして庶を見た。
 草が髪や背についているが、構おうとしないその格好をみて、庶は苦笑する。
 まったくこの格好では男にしか見えない。
「兄を見る目で、均実殿は孔明を見ているのだろう? 孔明にとってその目で見てくるのは均しかいなかったからな。弟が自分を見ている感覚を受けてるんだろう。」
 なるほど……
 均実は納得しつつ、考えていたことがすべて吐き出せてスッキリした。
 どうすればいいのかという答えがもらえることは、最初から期待していない。ただ純にも言えなかったことが言えたので、均実の心はだいぶ軽くなったのだ。
 伸びをすると、頭がさえてきたような気がする。
「それより均実殿は帰りたいんだな?」
 庶の確認に均実は一瞬止まったが頷く。帰りたくないわけがない。
「他にその『門』を見ることができる人間がいればいいんじゃないのか? それを探せば……」
「いませんよ。」
 いやにはっきりと断言する均実に、庶が怪訝な顔をする。
 その気配に気付いたのか、均実はすこし笑った。
「みつからない、といったほうが正しいかもしれませんね。」
「何故だ?」
「純ちゃんは特殊な例だと気付いたんです。」
 一旦こちらの世界から日本に来て、そして再びこちらに戻ってきた純。その純自身が話してくれたために、均実は純が『門』をみれることを知っているのだ。
 だが純は承彦がその能力を秘密にしようとしたと言っていた。屋敷で純が何をふさいでいるのか心当たりを聞いた時も、彼は純が日本に行っていたことを、均実に説明しようとはしなかった。
 自分の娘が特殊な能力を持っていると、必要以上の人間に広めないためだろう。
 これは他の人が『門』を見れた場合も、同じことを考えるのではないか?
「隠すと思うんですよ。『門』を見ることができる以外は普通の人間と何ら変わりもないなら、わざわざ特異な目で見られたいとは誰も思わないでしょう?」
 こちらでは日本のように霊能力者だとかイタコだとかふれまわって、テレビでもてはやされるということはない。妖術だとかそういったものは恐れられていて、どちらかというと毛嫌いされているようなところもある。
 そのことは沛の事件でただのGショックに、何故あれほど暴漢達が戦いたのか、という問いの答えになるだろう。得体の知れないものへの恐怖は、かなり根深いのだ。
 均実がこの世界に来るずっと前に、黄巾の乱という大きな乱があったらしい。その族の頭領は、そういった奇妙な力が使えたと言われている。その上で黄巾族は各地で簒奪を繰り返した。逆らう者は棟梁の妖術でひどい目にあうと噂が流れ、逆らう民はおらずにその勢いは激しいものとなったのだ。
 その噂のせいで特殊な能力が、嫌悪に近い対象であるのは確かだろう。
 均実は説明を終えると、こう付け足した。
「その噂自体は黄巾族の流したもので、実際には頭領にそういう力はなかったと思いますけどね。」
「……詳しいな。均実殿はこの前塾に通い始めたばかりだっただろう?」
 黄巾の乱といえば、庶ですらまだ幼いころの話なのだ。
 庶の疑問も最もだと思った均実は、この世界のことを日本でも本として読んだことがあるのだというと、庶は驚いた。
 もうこの世界の人間に隠すこともないだろう。別に三国志演義が必ずしも、正しくはないとわかった今となっては。
 三国志演義に黄巾の乱の事はのっているのだが、頭領のその妖術を体得した方法というのが、人から本をもらってそれに書いてあったというものなのだ。
 そんなんで妖術なんて使えてたまるものか。
 均実はそう思っていた。
 庶は息を吐いた。
「……ということは、均実殿は未来からきたということか。」
 この時代のことが書かれた本を読んだというのならば、すでにこの時代が過ぎ去った過去となった場所、つまりは未来に均実はいたということだろう。
 庶はあまりにもスケールの大きな話に頭が痛くなりそうだった。
 均実は頷いてから、苦笑いをした。
「話がずれましたけど、とにかく純ちゃん以外に『門』がみえる人間をみつけるなんて、無理と考えて間違いないでしょう?」
「そうだろうな。通常、そんな能力をおおっぴらに明かしたりはしないな。」
 庶も考え込み始めた。
 彼の意見はまず均実が最初に思いついたことだった。だが説明と同じ思考の末、無理と結論がでていた。
 まったく厄介な問答だった。
 本当なら黄巾族の頭領のことのように、純の『門』がみえるという主張を却下してしまいたいところだ。
「『門』とは全く別の、日本に帰る方法はないの?」
 悠円がそう言った。
 純の見える『門』も、他の人の見える『門』も使えないのならば、それしかないと素直に考えたのだろう。
 だが均実が再び口を開く前に、庶が首を振った。
「『門』の存在すら、誰でも知っていることではない。他に帰る方法があったとしても、探し出すのは至難の業だろう。」
「そっか……」
 残念にそうにいう悠円をみながら、均実は『門』について考えていた。
 一体どうしてそんなものが生まれるのかすら、わからない。純は『生きる』か『死ぬ』かの選択だといっていた。だが、誰がそんな選択の場を用意するというのだろう。
 まるで目に見えない力にでも……そう、例えばそこではそういう選択ができることが歴史上、最初から決まっているかのよう……
「……歴史?」
 自分の思考にひっかかって、均実はつぶやいた。
 怪訝そうな顔で悠円と庶がこちらをみているのを感じたが、それに構わず考えを深める。
 三国志演義は詳細まで正しくはないだろうが、概略は歴史の通りだ。日本では本となっているその過去の歴史にそって、この世界はこれからも動くのだろう。
 一体、歴史とはなんなのだろうか。
 均実が日本からここにきたことも、歴史どおりであるならば、均実が下邳や許都へ行ったことも、最初から決まっていたことだというのだろうか。
 なら……もしこの世界に均実がいなければ、どうなっていたのか。
 均実ではなく劉備の奥方達のどちらかが、あの沛の事件で怪我を負っていたら? または許都で秦に襲われたときに、均実が馬を暴走させて事態をおさめなければ……?
 関羽は、劉備のもとへ無事に戻ることは……できなかった。
 均実は考えが、百八十度変わるのを感じた。
 歴史は……変わっていたのだ。均実さえ、あの場にいなければ。
 自分が歴史を変えているのではないかと、均実は悩んだ。だがこの考えが正しいのだとすれば、それは真逆なのではないか。
 自分は……歴史を変えないために、ここにきたのではないか。
 均実は口元を押さえた。
 自分の導き出したその仮定があまりにも大きすぎて、把握できなくなりそうだ。
 あのとき均実の前に開いた『門』は、均実に『生きる』か『死ぬ』かの選択をさせるためのものではなく、この世界の歴史を変えないために開かれたものだった、とすれば全て説明がつくのではないか?
 純は歴史を変えないために、亮の妻という場所を空白にしないために、戻ってきた。
 均実も歴史を変えないために、関羽を無事に劉備のもとへ導くために、やってきた。
 『門』が開いたから。
 歴史を変えまいとする、何らかの力が働いたから。
 自分達が歴史という大きな機械の、歯車の一つのように思える。
 そう思ったとき、均実は『扇風機もどき』のことを思い出した。
 歯車が一つかみ合わなければ、その歯車で作られているものは動かない。
 では歯車である自分が、歴史を変えたらどうなる?
 歴史を変えないために、『門』が用意されているのだとしたら、歴史が変わりそうになったとき、死の危険にさらされずとも、再びあの『門』は開くのではないか。
 乱暴な考え方だが、今までの考えの中で、一番自分が求めているものに近いような気がする。
「均実様? 何か思いついたの?」
 均実のその様子に悠円は言った。
 思いついた。
 だが、そんなこと可能だろうか?
 一人の人間が、すでに決まっている歴史を変えることなど……
「……。」
 変えれるかもしれない。
 この世界では均実は諸葛均。名門諸葛家の末っ子。この世界に関わることができる下地は既にある。
 それに今この世界に英雄と名を馳せている人も、一人の人間には違いない。
 戦場にでて武勲を立てることは、さすがに今薙刀を練習しているとはいえ、無理だろう。だが有力な人間に仕えて、自分の発言によって、歴史を変えることは不可能ではない。
 可能性など、いっていては何もできない。帰れるか帰れないかは、探すか探さないかだ。
 そう考えたことを全て話すと、庶は顔をしかめた。
「しかし均実殿はこれからの未来はわからないんじゃないのか?」
 均実が読んだ三国志演義は、関羽が劉備のもとに行くまでだという。これからの未来を均実は知らないだろう。
 均実は勢いよく、首を横に振った。
「いいえっ。純ちゃんも、三国志演義は読んでますから、大筋は聞けばわかります。」
「へえ、例えば?」
「確か……単福という人が劉備に仕えるとか。その人が亮さんを劉備に紹介するっていうのも純ちゃんは知ってましたし。」
 均実がそういうと、驚いたような顔をしてから、庶は数度頷いた。
「単福が、ね……ありえない話ではないか。」
「やっぱり亮さんの知り合いなんですか?」
「ああ。
 ……ならそれはいいとしても、どうすれば歴史が変わるかが、問題になるんじゃないか?」
 庶は質問を繰り返した。
 均実がいうその三国志演義という本は、事実とは異なることも書いている本だという。この世界の歴史について、その本の知識しかない均実には、歴史が本当に変わったかどうかの判断などできないのではないか。それはどうすることが、歴史を変えることなのかわからないということではないか。
 庶はそう思ったのだ。
 均実は息を大きく吸った。
「……諸葛均は純ちゃんの話では、この時代、亮さんほど活躍しないらしいんです。」
 庶はじっとそういう均実を見ていたが、いきなり笑った。
「簡単にいうが、そうそうできるものではないぞ?」
 均実の言葉の意味を理解したのだろう。
 活躍していないものが活躍する。そして諸葛均が亮よりも偉くなる、それは歴史が均を無視できない状態だ。たとえ三国志演義が脚色をされまくった話であったとしても、均の名前がでてこなければ話が続かないぐらいに。
 三国志演義では諸葛均が活躍したという話はない。亮をしのぐほどの実績を均実が立てることが、この世界の歴史を変えるということになるのだ。
「やります。
 私に今できることがあるのなら。
 塾にも通えていますし、勉強もこれまで以上にします。
 亮さんが劉備に仕えることになったとき一緒にいけば、確実に劉備陣営での発言権は、ある程度確保できるだろうし。
 私が歴史を……」
 純はこちらに帰るのに、十数年かかったらしい。
 それでも日本に帰れるなら、長期戦を覚悟してやって……みよう。
「変えてみせます。」
 もちろんそれは諸葛均が偉くなるということだ。より一層自分が辻本均実でなくなる必要がある。だが歴史を変えるにはそれしかない。
 日本に帰ることを諦めない。
 そう思うことを続ければ、たとえ諸葛均を名乗っても、辻本均実としてここに生きているのだと思えた。
 均実の考えを聞き、
「僕も勉強頑張って、均実様を助ける。」
「まあ普通の仕官の仕方では、それを達成するのは難しいかもしれないな……」
 悠円が素直にそう言ったのに対して、庶は考えながらそう言った。
 だが均実が自分をみているのを感じ、庶は力強く頷いた。
「私も協力しよう。」
「……ありがとうございます。本当に、二人とも。」
 悠円はその言葉に嬉しそうに笑った。均実の手をひっぱって、屋敷に戻ろうと促す。
「そして均実殿に負けないよう、私も自分の未来は自分で決めるとしよう。」
 後ろから均実には、庶がそういうのが聞こえた。振り返ったが何もなかったかのようについてくる庶は、それ以後何もいわない。
 だからその言葉に、どんな思いがこめられているのか均実にはわからなかった。

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