そうやって考え込む日々は続いた。 帰りたいことは変わらない。だがその方法がない。と何度も繰り返し、そのうちどういった答えを、自分が出したいのかすらわからなくなっていた。 それでも亮に心配をかけたくはなかったので、日中は元気に振舞っていた。今までよりも畑仕事に没頭したし、薙刀の練習もかなり時間を増やした。都合よく亮も忙しくて、長く顔を合わせることもなかったので気付かれはしなかった。 だが夜になると、部屋で一人になりたがった。多くの人が自分の世話をするのは変な気がして、基本的には悠円しか自分の部屋にやってくる家人はいないが、その悠円すら遠ざけた。 さがっていいというと、悠円は変な顔をしたが素直に従ってくれていた。 静かな部屋で均実は一人、床の一点を睨んでいた。 だがどれだけ考えても、思考が堂々巡りを繰り返し、同じ結論に辿りつくだけだった。 帰れない。 均実は何度ついたかわからないため息をまたついた。 「均実様っ!」 突然、大きな声が部屋に響き、均実は一瞬飛び上がる。 慌てて入り口をみると、そこには悠円が走りこんできたところだった。 「突然バタッでワーワーなりそうだから、先生がズルズルと」 「悠円。深呼吸しなさい。」 一瞬面食らったが、均実は笑いを含んだ声でそう言った。 一年経っても、変わっていないところは変わっていない。悠円は慌てていると、擬音語のみの説明になり、何を言っているのかわからないのだ。 スゥハァと四回繰り返したところで、均実は悠円の前に膝をおり、彼と目の高さをあわせた。 「何が、どこで、何を、どうしたのか。これに当てはまるようにしゃべってみて?」 とりあえず均実は、ゆっくりと悠円が落ち着くように言った。 悠円はしばらく考え込んでから、口を開いた。 「水鏡先生が、屋敷の門のところで、体を、倒した。」 「はあ?」 文章が微妙に変な上、なぜ水鏡先生の名前がでてくるのだろう。 純を訪ねてからは亮が忙しくて、彼の庵にはいっていない。旅から帰ってきたのだろうか。 いまいちわからないが、悠円はまだ考え込んでいる。 「まだあるの?」 今の今までずっと、答えのでない考え事をしていたのだ。あまり辛抱強く待つ忍耐力は残っていない。 悠円は均実の与えた文の形になるように、考えながら言った。 「先生が、倒れた水鏡先生を運んだ部屋で、均実様を、呼んでる。」 「……」 「いひゃいっ!いひゃい!」 手を離すと悠円は赤くなった頬を右手で押さえ、こちらを恨みがましそうな目でみた。 ほぼ前触れもなく、いきなり頬をひっぱったので悠円もその攻撃をかわすことができなかったのだ。 その仕草がまるで小動物のようで思わず均実が噴出すと、悠円は憤慨した。 「均実様っ」 「ほ〜ら、どの部屋に水鏡先生はいるの? まだ聞いてないよ?」 何か言ってくる前にそう言ってやると、悠円は眉をしかめる。 均実は小さく笑うと、ちゃんと謝ってから、悠円に部屋を案内してくれないかと言った。 だが均実の言葉より、悠円はそのときようやくきちんと見た、均実の顔色が気になった。確かにもう夜で、この部屋の明かりは燭台の火だけなので、暗いがそれでも悪いように見える。 一年前より大きくなった悠円だが、不思議そうに頭を傾ける仕草の、子供っぽさも変わらなかった。 悠円の返答がないので、均実は続けて口を開いた。 「何?」 「……どうかしたの、顔色悪くない? どこか悪いの?」 未だに敬語はできないようだが、言葉遣いも心持ち丁寧になった。彼は亮のことを先生と呼び、色々なことを教えてもらっている。この一年、均実が居ない間も変わらずに勉強をつづけていた成果だろう。 均実はその指摘に一瞬表情がかたまりそうになったが、なんとか笑みをつくる。 心配させてはいけない。 「ううん、なんでもないよ。ありがと。」 「熱でもある?」 悠円は均実の額に手をあてようとした。 だがスッと均実が立ち上がると、悠円の手は均実の額には届かない。 「もう夜だから疲れてるだけだよ、きっと。働き過ぎかな? そんな心配しなくても大丈夫だよ。 悠円は疲れてない?」 「……均実様、僕のことまだ子供扱いしてるでしょっ!」 いくら手を伸ばしても届くはずのない高さにむかって、悠円は訴えた。 子供だろうに。確かまだ八歳のはずだ。 もう十八の均実から、子ども扱いされないわけがない。 頬をひっぱったことも、どうやら含めた訴えらしい。 「そんなこと、ないない。あっ、でもお子様はもう寝なきゃいけない時間じゃない?」 からかうように均実がいうと、悠円は頬をふくらました。 「均実様っ!」 「ははは、冗談。」 そして口をとがらして言う悠円の小さな言葉は、均実の耳にも届いた。 「……どこも悪そうじゃないや。」 それでいい。 均実は心の中で笑みを浮かべた。 すこしまだ怒りながらも、悠円は部屋を出ていく。 悠円の頬を片方ひっぱったのは、悠円をからかうためだ。間違っても八つ当たりではない、ということにしておこう。 ついでに均実は、自分の思案を一旦隅にやっておくことにして、悠円の後をついていったのだった。
温かい食事が目の前に並んでいる。 菜の花のおひたしに、芋の煮付け。米も白い湯気を上げ、食欲をそそる。 一口味わい、感動し。また一口味わっては、幸福感につつまれた。 「先生、落ち着きましたか?」 自分の弟子が目の前に座り、笑みを浮かべてこちらを見ている。 「はい〜……いやぁ、助かったよぉ。 お腹がすいてぇ、どうしようもなかったからねぇ〜。」 そういいつつ、また一口、そして幸せそうなため息をつく。男は優しい容貌に独特な雰囲気をもっている。三十に近いぐらいだろうか。亮といると兄弟のようだ。 字を徳操というこの男は、徳を操るという名に沿うように、善人のオーラをあたり満遍なく放射していた。 亮も善人ではあるが、それよりも知識人であるような雰囲気のほうが強い。 そんな二人の間には親しい空気があった。 それは徳操が本当に亮の兄のような存在であるからだ。 話対食事の比率が、ゆっくりと変わってきていた。亮が一方的に近況を話している状態から、会話を交わすようになっていたのだ。 会話を後回しにするほど、腹がすいていたのだろう。 「やはりぃ、人はぁ食べることをせずしてはぁ、何もできないのものだねぇ。」 「前もって来ると言っていただければ、もっと違うものも用意できたのですが……」 「いやいやぁ、十分……んぐ」 「水をっ」 給仕をしてくれていた陽凛にそういうと、すかさず持っていた白湯を注いでくれた。 自分の師が喉をつまらせて白湯を飲む姿も、焦っているはずなのにどこかゆっくりで、見ているだけでも落ち着いてくるような気がする。 その不思議な空間を亮は楽しんでいた。 亮は杯を男が飲み干すのを待って、話を続けた。 「先生が帰って来られて正直ホッとしました。婚式の宴には招待しようと思っていたのですが、もしかするとそれまでに帰ってこられないかと思っていましたから。」 「すまなかったねぇ〜。もうすこし早く帰ってくるつもりだったんだがぁ〜……」 それから思い出したように言葉を継いだ。 「北のほうは物騒だねぇ〜。」 話が飛んだ。 だがこれはいつものことだ。亮は頷く。 「そのようですね。」 探るような目で徳操は言った。 「今回の旅はぁ北に行っていたんだがぁ、あちらで偶然甘海にあったよぉ。」 徳操は諸葛家に先代から仕えてきた甘海を知っている。今は確かに彼も北のほうに旅をしていた。 「だから今の戦況はぁ、甘海を通じて知っているはずだねぇ〜?」 今北方している戦争といえば、曹操と袁紹のものだ。 甘海はその旅先での情報を、亮に書簡で送ってくる。隆中にいてはわからないことが、それによってわかっていた。 襄陽の市場で人々が話しているようなことは、一週間ほど先んじて亮の元にもたらされるといってもいい。 亮は肯定した。 戦況は膠着状態をみせ、曹操が篭城していることに変わりはない。だが防戦一方の曹操軍は今までにない変わった形状の武器を作り出し、城の周りに土塀を築き射かけてくる袁紹軍に、最近一矢報いたのだ。 詳細は甘海に直接聞かなければわからないが、それは大きな動揺として袁紹軍全体に広がっているらしい。 そのことを言うと、頷いていた徳操は質問した。 「今一番北方でぇ、愚かなのはどの将かねぇ〜?」 「左将軍……劉備ですね。」 きっぱりと亮は言った。 左将軍と位を天子から拝命している劉備は、そうも呼ばれている。まったく現在の曹操たちの戦に関わることを避けるかのように、許都の南の古城の地にいる。その地で良政を心がけているようだ。 本当に愉快そうに徳操は笑った。 「何故〜?」 亮は数秒黙ってから口を開いた。 「もともと袁紹の客の立場ですから、現在、劉備は古城の地にて、曹操を後ろから突くことを、袁紹に命じられているはずです。もともとその為に汝南で反乱を指揮していたのですから。 ですが劉備は動かない。これは袁紹をも敵に回す行為です。」 位置関係としては北から許都、古城、汝南となる。 古城の城を落とした劉備は、許都に攻めかかれる体勢を見せている。だが動かない。 劉備の下に曹操の世話になった関羽がいるからだろうと見ている人間もいるが、亮は劉備がこの戦の行方を見定めようとしているのだと考えていた。 双方大きな領土を持つ将軍同士の戦いだ。勝った方は天下統一の最有力候補となる。つまりそちらでない方についているということは、身の破滅を示していた。 だが劉備はすでにどちらにもつけないのだ。曹操の下からは一度逃げ出し、今さらに袁紹を裏切っている。 それがわかっているなら、劉備はいつまでも古城でぐずぐずしていられるわけがない。 「戦いが終わればどちらが勝っても、劉備は攻められるでしょう。 古城の地で力をつけようと思っていたとしても、それは不可能。許都を逃げ出してきた民達は、許都に近すぎるあの地よりも、この戦のない荊州を目指すでしょうし。兵糧も人も集まるわけがない。劉備に勝ち目はありません。 ならば違う勢力に劉備は身をゆだねるしかない。」 その対象として一番有力なのがここ荊州の牧、劉表だった。 その決断が素早くできていない劉備は、戦乱の世においてつぶれてしまうだろうと亮には思えた。 「ん〜……そこまで劉備はぁ、愚かかなぁ?」 亮の話が終わると、徳操は口元に笑みを浮かべ、そうつぶやいた。 「どういうことでしょうか?」 「劉備にあるのはぁ、その強さへのぉ名声だけだということだよぉ〜。」 はっとして亮は師を見た。 自分のわずかなヒントに、すばやく反応した弟子を誉めるかのように目を閉じた。 「この戦いにどちらが勝とうがぁ、負けようがぁ。劉備にとってはぁ、攻めてきてもらえたほうがぁ、その名声を高めることになるねぇ。」 曹操は天子を擁している。これは中国全土を狙っているということを示しているといえるだろう。 今回どちらが勝っても、次は物流盛んで、地理的にも押さえておきたいここ荊州を狙うことは間違いない。 そんな中、劉備は今動かなければ、戦いの後、どちらの勢力が勝ったとしても自分を攻撃してくることを読んでいる。自分が無視できない勢力であるという証明を成せることもわかっている。 そしてある程度、相手と戦った後、荊州に逃げ込めば、今やってくるよりもきっと劉表は自分を高く評価する。荊州を守りたい劉表は、そんな有力な武将を放っておけるわけがないのだから。 そこまで劉備が考えているのではないかと、徳操は言いたかったのだ。 「ですが……それは」 必要のない戦の起こる方法だった。それに巻き込まれて死ぬ、兵士でもない民もいるだろう。 亮はそこで言葉をとめた。徳操はいわずともわかっている。 そんな方法を亮がとりたくないと思うことを。 「君はぁ将軍ではぁない〜。だからそれでいい〜。」 その方法を提案するのが参謀であり、とることを決断できるのが将軍である。 亮は頷こうとした。 「わしにぃ、弟子入りさせたい人がいるのだとぉ、聞いているよぉ。それが君の弟なんだって〜?」 また話が飛んだ。 独特のテンポで話されることも、いつものことなので亮はまったく動じない。 さっきまでの話とは一新した雰囲気に、徳操の一言でかわる。吸い込んだ空気が、とても清浄なものに感じられ、亮はゆっくりと息をはく。 「先生はおかわりないようですね。」 ほぼ彼の前に並んでいた皿の料理はなくなっていた。そのことに小さく苦笑する。 この師は、亮が屋敷を訪ねてきたことを知り、その旅から戻る途中にここに来てくれたらしい。ただ、お腹がすいていたことをすっかり忘れていたので、到着した途端、飢えで目が回ったのだという。 こういうことも初めてではない。 そして亮は、この師のそういうつかめない所も好ましく思っていた。 「失礼します。」 丁度そのとき、均実が部屋にはいってきた。悠円に来るよう伝えてもらっていたのだが、思ったより遅かった。 亮は声に反応して均実のほうをみた。一瞬表情が暗いような気がしたが、次の瞬間には何も感じなかった。 気のせいか…… 亮はそう考えた。 亮の考えに気付かず、均実はごく自然な動きで拱手をして男に挨拶する。 「諸葛均と申します。」 「ふむぅ、孔明〜。彼がわしに指示させたいという弟だねぇ?」 徳操はさじを指揮棒のようにして亮にむけた。 「はい。先生の塾にいれていただきたいのですが。」 「ふ〜むぅ……」 唸るような声をあげ、立ち上がると均実の側にやってきた。均実を見上げるようにして見る。 「わしは司馬徽。司馬徳操だぁ。みんなぁ、徳操先生とやらぁ、水鏡先生とやらぁ、色々呼ぶけれどぉ、好きに呼んでくれればいいよぉ〜。 ふむぅ、背が高いねぇ。孔明ほどはぁないけどぉ、さすがぁ弟だねぇ。」 亮の出身地である瑯琊では、土地柄か背の高い人が多い。海に近い土地なので、異民族の血統が混ざっているからなどと言われることもある。 だからここ中国大陸のど真ん中ともいえる荊州では、そんな亮は背の高いほうに入った。亮のほうが均実より背は高いが、どちらも百七十はあるので、均実も低いとはいえないだろう。 そんなこんなで均実は背のことは指摘されるのは慣れているが、徳操の言葉には変な顔をした。 この独特のしゃべり方には慣れないと、なかなかついて行きにくい。 スピードの問題もあるだろうが、妙に上がったり下がったりを繰り返すイントネーションがペースを崩させるのだ。つまり徳操の言いたいことが言い終わるまでは、相手の言葉を受け付けないような空間ができていた。 実際、均実はどこで口をはさむべきか機会が見出せなかった。 本当にこの人が亮や庶の先生であり、劉表からの誘いを何度も断っているという知識人なのだろうか? 徳操は均実の疑問を吹き飛ばす言葉をつづけた。 「でぇ、君の本当の名前はぁ、何というんだい〜?」 「え?」 均実は亮のほうをむくと、彼は笑った。 「先生は叔父の友人だったからね。叔父が亡くなってからは、いろいろと面倒をみていただいていたから。本当の均にも会われたこともあるんだ。 君がここの世界の人間でないことも、一応もう話してある。」 「そうそう〜、いやぁ君なら孔明の弟といってもぉ、確かに違和感はないねぇ。」 楽しそうに徳操は言った。 亮は二十歳をすぎたところだ。だというのに諸葛家当主という名を背負っている。 それは彼の保護者であった父諸葛珪、叔父諸葛玄ともに、政争に巻き込まれすでに死去しているからだった。とは言っても若輩者であることは間違いない亮は、玄の友人である徳操に何かと世話になっていたのだ。 説明をうけて納得した均実は、視線を徳操に戻す。 「辻本均実といいます。」 「やっぱりぃ、変わった名だねぇ〜」 徳操は目の端を下げ、微笑んだ。 「均実殿、先生は著名な人物眼の持ち主なんだ。」 「人物眼?」 亮の言葉に均実は聞き返した。 どうやらその人がどんな人であるか、見抜く能力のことをいうようだ。人相見、つまり手相ならぬ顔相を見るということらしい。 よくわからないが、均実がとりあえず納得すると亮は付け足した。 「通り名通りのね。」 通り名といえば、水鏡であるが……その通りといわれても意味がわからない。 均実は首をかしげたが、徳操はもう見る気になっていて、均実の目の前にたった。 「どれぇ…顔をよく見せて〜?」 正面から見据えるように徳操は、均実の顔を凝視した。その口調から想像できないほど、真剣な、そして厳しい顔に変わっている。 ゆっくりと一つ一つ顔のパーツをみていく。 全体的にいえば、中性的な顔立ちをしているためか、どことなく予想していたより大人びて見える。さすがに本当の兄弟ではないので、亮とは似てはいない。だが意思の強い光を目に宿している。それは亮の弟、均を昔みたときとよく似た光に感じられ、一瞬徳操はそこに目をとめた。 均実は本当に微かに顔をゆがめた。 ……落ち着かない。腹よりすこし下、ツボでいうと丹田あたりで、細かく大量の虫がうごめいているような、ザワザワとした感覚が気持ち悪い。均実の目を見ているその目が、まるで心の底までのぞきこんでいるように思えた。 無意識に腹を軽く押さえる。歯を食いしばっていないと、息が荒くなりそうだった。 すっ、と徳操はその目を細めた。 だが均実も徳操も互いの目から目をそらそうとはしなかった。 そらした方が負けという、ガンのつけあいに近い。 「……力をぬきなさい〜。」 目をそのままに、承彦は優しく言った。 空気はまったく動かない。 均実が何もいえないのを見て、徳操は腕を組む。首をかしげて、ようやく均実の目から目をはずした。 目線がそらされたことで、均実は息を小さく吐き出した。いつの間にか握っていた拳の内側は汗でぬれている。 亮の声が遠くに聞こえた気がしたが、何を言われたのかよくわからなかった。 「面白い子だね〜、君はぁ。」 一人楽しそうに徳操はそう言った。 もうあの不快感はない。 均実はようやく、普通に呼吸ができそうだと思った。 「あの……勉強を教えていただけるんでしょうか?」 均実は徳操に言葉を選んで慎重に尋ねた。 これが亮が自分を徳操とひきあわせた一番の理由だろうと思ったからだ。 均実はそれきり黙り込んでしまった。 なんだか……疲れた。 独特の口調にだけでもきっと疲労を感じただろうに。なんだったのだろうか、あの空気が動かなかったのは。 均実の言葉に徳操は微笑む。 またあの威圧感が襲ってくるような気がして、均実は身を硬くした。 「いつでもぉ塾に来なさい〜。」 だが今度はすぐに徳操は均実から目を離すと、次に亮のほうをみた。 「じゃあ今日はぁこれで〜。」 亮は目を丸める。 「もうお帰りですか?」 「はい〜、結構遅くまでお邪魔してしまったからねぇ〜。」 確かにもうすっかり日は落ちている。 せめて門までは、見送る必要があるだろう。均実は動こうとしたが、 「均実〜。君はぁ見送りはいいよぉ。」 ついて行きかけた均実を制した徳操は、さっさと部屋の入り口まで歩いていった。 「……わかりました。」 声を出すのも億劫だった。正直徳操の申し出はありがたい。 今日は早く寝ることにしよう。 立ったままで礼をし、均実は小さく息をはいた。 徳操は頷く。 「さあさぁ〜。孔明〜、君はぁちゃんと門まで送って下さいねぇ。」 亮は押し出されるようにして、部屋をでた。 均実は言われたとおりついては来ない。 しばらく歩いてから、徳操は息を吐いた。 「……本当に面白い子だねぇ、あの子はぁ〜。」 さっきから本当に楽しそうだ。 亮は師の言動からその空気を読み取っていた。 だが一体均実をどんな人間だと感じたのか、聞いても教えてはくれなかった。 「本当に先生はおかわりないようですね。」 亮の言葉に笑みを浮かべると踵をかえす。 徳操は手をひらひらと振って、夜道を去っていった。 「孔明〜。君はぁ……遠くのことはぁ良く見えているようだがぁ、近くのことも見えていなければいけないよぉ?」 一言そう残して。 亮は一瞬理解できなかった。だが劉備を受け入れる側となるだろう、襄陽の劉表の心も読むべきだということだろうと解釈する。 闇に消えるその姿に、亮は礼をした。
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