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均しき望み 作者:奇伊都

第8回   女の部屋に勝手にはいるか?
 結構右足の怪我はひどかったようだ。
 毎日亮はすこし話をしがてら、朝と夜、均実に薬をぬってくれた。
 一週間ほどすると、ようやく壁を伝いながら歩くぐらいはできるようになった。
 さすがにこれ以上じっとしていることが苦痛だったので、少しこの建物の外にでてもいいかと聞くと、亮は最初考え込んでいたが、
「完全に足が治っているわけじゃないから、無理はしないように。この離れとその周囲だけにしなさい。」
 といって許可してくれた。その上、動きやすい方がいいだろうと、亮は服もゆったりとしたズボンと、浴衣をいくつも重ねるようなものを用意してくれた。
 亮は日中は畑にでているらしく、均実は悠円に付き添われながら、とりあえず家の中を歩き回った。
 運動不足の解消と、何より部屋の外に出てみたかったからだ。
 確かにここが三国志の時代の荊州だとしても、純がどこかにいるかもしれない。帰る方法を探すにしてもじっとしていてわかるものではない。
 一度吹っ切るとあとは好奇心が先立ったのだ。
「悠円悠円。この家、広すぎない?」
 少し疲れて外壁にもたれかかりながら、均実は心からそう言った。
 広いのだ。この家。
 均実が寝ていた場所は離れだと亮は言っていたが、その離れにしても五部屋はある。均実が寝ていたのは最奥の部屋で、その部屋も十分広かったが、他の四部屋も同じぐらい広かった。離れの中だけを探検するにしても、結構時間がかかった。ゆっくりしか歩けないとはいえ、最初の一日目は本当に中を見てまわるだけで終わったのだ。それほど長いあいだ歩き続けられない均実は、よってまだ母屋にいったことはないが、ここから見る限りどう見てもこの離れよりも大きい。
 今日一日離れの外を外壁に沿うように歩いた。少し庭も荒れているし、掃除が行き届いていないようなところもあるようだが、これだけ広ければそれも仕方がないような気がする。
「ん〜まぁ。でも名家の家にしては小さいらしいけど。」
 悠円はフラフラと時々倒れそうになる均実に肝をひやしながら、後をついてきていた。
「名家って?」
「諸葛家ってなんか結構名前の通った家なんだって。よく知らないけど、先生の父ちゃんはかなり東の方の土地の偉い人だったし、叔父さんも結構偉くなってたんだって。」
「へぇ……だった?」
 過去形で言われたので、均実はひっかかって悠円を振り返った。
 悠円は腕をくみ少し考えこむようにしてから言った。
「先生から直接聞いたわけじゃないけど、どっちも死んじゃったんだってさ。」
「そう……なんだ。」
 確かにこんな広い家の主にしては亮は若すぎる。
 それは保護者と死に別れてしまったからなのだろう。
 均実はとりあえずまた歩き出した。
「均実様、もう部屋に戻った方がいいと思うんだけど。」
 休憩が多くなってきたので、体が疲れているのだと悠円は思った。
「ん〜……。そうだね。もどろっか。」
 悠円の心配そうな顔をみて、もう少し歩こうと思っていたが均実はいうとおりにすることにした。
 建物の中に入る前に一度太陽の位置を見た。
 中天よりもかなり傾いている。夕方とはいかないが、昼をかなり過ぎている。
「四時ってとこかな?」
 均実は離れの奥へと、悠円の助けを借りながら進みながらそう呟いた。
「へ?何か言った?」
「四時かなっていったの。今の時間のこと。」
 悠円が不思議そうに顔をしかめるのをみて、均実は笑った。
 時間の概念がないのだろうか?
 一々どうやって説明していいのかわからない。とそのとき均実はいいことを思い出した。
「ん〜……私がこっちに来た時、手首につけてたものってどこにある?」
「それなら部屋の机の横のもの入れにいれてあるけど。」
「その道具で時間がどれぐらい経ったのか測れるの。あとで見せてあげる。」
 朝連の途中で雨に降られてもいいように、防水機能を持ったGショックだ。ある程度の激しい衝撃なら壊れていないだろう。
 均実はそういいながら、自分の与えられた部屋の中に入ろうとした。
「……誰ですか?」
 だがそこには見覚えのない男がこちらに背中を向けて立っていたのだ。
 男は悠円よりも背は高いが、均実よりは小さい。百五十センチぐらいだろうか。
 声に反応するように男が振り返ると、均実の質問に答える前に悠円が声をあげた。
「元直先生!何でここに?」
「やあ悠円。孔明のやつが隠しているという囚われの姫君を見にきたんだ。」
 朗らかにそういう男はどうやら悠円の知人らしい。髭を生やしているので歳は亮と同じぐらいだろうが、背が低いためか子供のように感じる。
 亮のように美男子というわけではないが、それほど愛嬌のある顔だった。
 紹介を請うように悠円をみると、悠円はとりあえず寝台に腰をかけるように言った。
「この人は先生の友人の除庶様。ときたまおいらに勉強を教えてくれるんだ。……先生はこの元直先生の話は半分だけ本当だと思ってききなさいっていうけどさ。」
「おい、ひどいな孔明のやつ。そんなこと言ってたのか。」
「あっ、いけね。本人の前では言うなって言われてた。」 
 悠円がそういって慌てて口に手で封をするが、もう遅いだろう。
 そのことに均実は突っ込みたかったが、今の会話がいまいちわからずに混乱した。
「ちょ、ちょっと、悠円。この方は除庶さんっていうんでしょ?元直先生って誰のこと?それに孔明っていうのもっ?」
 孔明というのは聞いたことがある名前だ。確か三国志の話をしていたときに、純か圭樹が言っていたような気がする。
 庶は均実の質問に訝しげな顔をした。悠円も一瞬変な顔をしたが、すぐに了解した。
「ああ、均実様の国には字ってなかったの?」
「あざな? 何それ?」
「えっと、この国では名とは別に、もう一つ大人になったら呼び名を持つんだ。それが字。
 除庶様の字が元直で、先生の字が孔明なんだ。」
 なんかそういえば、三国志演義を読んでいるとき、同じ人なのに違う名前で呼ばれていて、ややこしいなと辟易した覚えがある。
「へぇ……あれが字だったんだ。」
 均実が逡巡してそういうと、庶が首をひねりながら聞いていた。
「聞いていると、君は……え〜と均実様?は違う国からきたのかい?」
「あ、はい。……というか様づけやめてもらえますか? 何か変な感じがどうしてもするので。」
「ははは。わかったよ。均実殿。」
 庶はそういいながら均実の姿を頭から足までゆっくりと見た。
 そしてすこし険しい顔をしてから考え込み、そしてふと顔をあげた。
「……男の子の姿をしているが、君は女性かい?」
「よくわかりましたね。っていうかこれってやっぱり男の人の着る物なんですか?」
 均実は庶の言葉に自分の服を改めてみた。
 いくつも着物を重ねていたが、その丈はそれほど長くない。ズボンのような物は足首近くで絞られていて、確かに歩きやすいデザインだったが悠円が持ってきたとき、これは男物なんじゃないかと思っていた。
 それを着ると自分でも男の子のように見えるなとも思っていたのだ。
 悠円は均実のために白湯を用意してきた。
「先生がそれを着せるようにおいらに指示したんだ。
 おいらもおかしいなとは思っていたんだけど、確かに女物よりもこっちのほうが動きやすいからかなと思って……」
 白湯のはいった器を均実に渡しながら、悠円はそう言った。
 悠円は均実の世話をする過程で、汗だくになった体をぬぐってくれたこともある。ほとんどないとはいえ、小さく膨らんだ均実の胸をみているので、悠円は均実の性別を知っている。
「そうか。……これは?」
 庶はそう言って、机の上に乗った木切れを示した。
「私の名前です。亮さんが名前の字を書けといわれたので。」
 その木切れを手に持って、庶は間違いなく一瞬固まった。
 数秒ゆっくりと息を吐き出して、庶は
「孔明のやつ、均実殿のことを男だと勘違いしてるな。」
 と言った。
 一口飲んだ白湯が器官に入ったのか、均実がはげしくむせると悠円が慌てて背中をさすってくれた。
 しばらくして落ち着くと均実は庶のほうを向きなおした。
「か、勘違いしてるって……どういうことですか?」
「勘違いも勘違い。あいつは女っ気がまったくないから気付かんかったんだろうな。
 第一に均実殿、君は背が高いしな。歳は?」
「え、十六です。」
「そうなのか?孔明はきっと君は十三ぐらいだと思ってるぞ。」
 髭がないからな。と庶は言った。
 亮も庶も髭を生やしている。どうやらこの世界では髭を生やして、一人前の男と認められるようだ。読んだ三国志演義では確か、関羽も立派な髭を生やしていて、そのために美しい髭の方、美髯公と呼ばれていたらしい。
「第二にどうやらじっとしているのは嫌いな性質のようだしな。」
「なんでわかるんですか?」
「怪我をしているのに部屋でじっとしていなかったからさ。」
 均実の布を巻いている右足を指差しながら言った。
 確かにその通りだったのでこれには反論しようがない。
「第三に……名前だ。」
 さっきから手で遊んでいた木切れをみせながら、庶は少し暗い顔をした。
「名前……ですか?」
「孔明はこの名前の文字を見て何かいわなかったのか?」
「え……姓が二文字というのは珍しいとはいってましたけど」
 そこまで言って、均実は木切れを見たときの亮が考え込むようにしていたのを思い出した。
「……そういえばなんだか黙り込んでいました。」
 そういうと庶はまた息を吐き出した。
「だろうな。」
 肯定してまた暗い顔をした。
「均実殿の名前の文字に均という文字が含まれているだろう?
 孔明には均という弟がいたんだ。……もっとも一年以上前に亡くなったが。」
 庶がそういうと悠円は目を見開いた。
 それをみて庶は少し苦い笑みを浮かべた。
「悠円がここに奉公にくるまえだ。知らなくても無理はない。
 元気のいい男の子だった。いろんなものに興味をもったし、それゆえか勉学も吸い込むように吸収していった。頭が良くて、私たち、孔明や私とかが最近の情勢を話しているときも、鋭い発言をしては皆をうならせた。
 だが……好奇心で馬にのって落馬したんだ。打ち所がわるかったらしい。」
「それで……」
「孔明の落ち込みようといったら見てられなかったな。今まで弟の為に頑張っていたところがあったし、この家の主として、兄として、かなり辛かったんだろう。」
 今でも簡単に、そして鮮明に思い出せる。彼の表情を。
 急を知らされこの家にやってきたとき、孔明はただ呆然と座り込んでいた。世捨て人のような生活をしていたので、喪式にはあまり人もこなかったが、涙も流さず、その姿をみて薄情な兄だと陰口を叩く人間もいた。
 だが庶や他の孔明と懇意にしていた友人や、嫁入り先からとんで帰ってきたという姉夫婦たちにはわかった。
 流さないのではなく流せないのだ。
 若すぎるこの家の主は自分の身を粉にして働き、諸々の物事全てを取り決めてきた。
 それは弟を守る、その家長としての責任を果たすためだった。
 その責任が突然消えた。
 守ろうと努力する暇すら与えず、指の隙間をすり抜けるかのように抜け落ちていった。
 やわらかく笑みをつくり「心配するな」と繰り返す孔明に、誰も何もいえなかった。
 一瞬で何かが崩れてしまいそうな笑みに。
 あの日から一年は経つ。
 庶は以前より頻繁にこの家に足を運んでいた。
 だが喪が空けても、半年すぎても、彼はその笑みをやめることはなかった。
 姉夫婦から一緒に暮らさないかという申し出があったらしいが、それも断ったようだ。
 そのことすらもまるで弟を守れなかった自分を責めているようで、庶は孔明に何もできなかったのだ。
「そんな……」
 庶が話終えると均実はそう呟いた。
 そこまで言われれば均実にもわかった。
 亮は弟と均実を重ねていたのではないか。
だからこれほど得体のしれない均実を厚遇してくれたのだろうか?
 亮は何も言わなかった。
 言う必要がないと思ったのか、それともあえて言わなかったのかわからない。
 だがこの服は弟さんのものなのではないだろうか?
 亮のものにしては小さすぎる。本当にあつらえたように均実にフィットしていたのだ。
「……どうする? 均実殿。」
「どうするって……?」
「君が自分が女だといいそびれて、言い難いのなら私から孔明にいってもいい。
 均を君に重ねるのは、孔明にとっても、君にとってもいいことではないだろうからね。
 だができれば君からいってやってほしい。私がいうより均実殿が言ってくれたほうが孔明も受け入れるんじゃないかと思うんだ。」
 間違ったことを孔明がやっているとしたら、友人である自分が止めてやらなくてはいけない。
 庶はそう思っていた。だが自分は彼の弟がなくなってから、亮が傷ついているのをただ見ていただけだ。何かできたわけではない。
 そんな自分が言った言葉を受け入れてもらえるか、自信がなかった。
 均実は考えた。そして
「そう、ですね。やります。」
 と言ったが、均実はまた考えて言った。
「あの、このせか、……国ってやっぱり女の人は外にあんまりでないものなんですよね?」
「ん?……ああ、そうだね。市井の人なら女も男も働いているけど、地位のある人の家族とかで女の人は普通、滅多に外にはでないね。」
 突然まったく関係のない話をふられて、庶は一瞬躊躇したが、そう答えた。
 均実はその返事にまた少し考え込んでから顔をあげた。
「あの……弟としてみないでくれ。っていうのはいいんですけど……、男だっていうのは否定しなくてもいいですか?」
 均実の発言に庶も悠円も驚いた。
「どういうことだい?」
「え……と……」
 均実は説明していいものか迷った。
 亮は孔明と呼ばれている。孔明といえば、三国志演義の中でかなりの重要人物のはずだ。詳しい年号とかは知らないから、いつ、どうやって亮がそんな重要人物になるかはわからない。だが日本に帰る手段がわからない限り、均実は亮のそばにいるしかないのではないか。そんな彼と関わりをもっている状態で、もし彼がぐんぐん出世して偉くなってしまったら、庶の言うとおり外にでることができなくなるかもしれない。
 そうなると純も探せないし、日本に帰る方法も調べにくい。
 だがこれをそのまま言ってしまうと、歴史の流れが変わってしまうなんてことはないだろうか?
 亮は今はただの畑を耕している一庶民だ。誰も彼が将来、凄い偉い人になるなんて知らないのだ。
 焦った上で考えていると、丁度よくあっちにいたころよく抱いた疑問を思い出した。
 『どうして男に生まれなかったんだろう?』
「私は男として、この世界で生きてみたいんです。」
 考えがまとまらないうちにそう口が動いた。
「女として部屋の奥深くでじっとしているのは耐えられません。きっと。だから……」
 最後らへんは妙にボリュームダウンしてしまった。
 真実、じっとしているのは耐えられないだろう。だが、これで納得してくれるとは
「わかった。」
 庶のその言葉に均実は驚いた。
「え、え、ほんとですかっ! 止めたりとかはしないんですかっ!」
「止めて欲しいのか?」
「そういうわけじゃないですけどっ!」
 悠円なんかはオロオロとどうしていいのかわからずに、ただこちらをみている。
 普通、止めそうなものである。女なのに男としてわざわざ生きようとするなんて。
「確かに均実殿はじっとしていれないだろう。それにこれが均実殿にとっていいかはわからないが、孔明が力を持った人間の下についたとき、あいつは間違いなく出世する。すると、女として孔明のそばにいれば、均実殿は苦しむことは間違いないと思う。
 ならいっそ男としていたほうがいいかもしれない。」
 そういって笑った。
「奴は見かけはいいからな。」
 一瞬何をいわれているのかわからず、均実は庶をぼうっとみていた。
 だが、
「ちょ、ちょっと待ってください。それって私が亮さんのことを好きになるってことですかっ?」
 思わず声をあげた。
 庶は均実が驚いたようにしたのでさも心外そうにいう。
「おや? 均実殿は孔明が嫌いか?」
「嫌いじゃないですよ。でもそれは」
「嫌いじゃないなら、いつか好きになるかもしれないじゃないか。男と女なんてどう転ぶかわかったもんじゃないんだからな。まああいつはそういう方面に関して、かなり鈍いからそうなった場合、面倒な相手だぞ?
……だけどこの国ではしがらみってものがある。孔明も好きに自分の嫁は選べない。」
 最初は均実をおちょくるように言っていたのに、後半は真剣な顔で庶は言った。
「おそらく黄承元先生の娘さんを、孔明は近いうちに娶ることになるだろうからな。
 だから孔明の近くにいるつもりなら男でもいいと思うよ。」
「だから! そんなことにはならないですってばっ!」
 思いっきり否定してから、ふとこれって亮さんに対して失礼かもと考えてしまうところが、均実のいつもの客観的な見方が自分にできているという証であった。
 悠円は話が落ち着いたのを感じ取って、息をついた。
「悠円?」
 均実が気付いて声をかけると、悠円は困ったように頭をかいた。
「え〜と、つまり均実様は女だけど、男として生きていくんだけど、先生の弟じゃなくて、それだけは否定して、それで……」
 話が彼を無視したまま進んだため、理解できてなかったらしい。
「悠円。とりあえずあなたは私が女だということを誰にも言わないでくれたらいいの。」
 そうまとめると、やっと肩の荷がおりたというように彼は笑った。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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