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均しき望み 作者:奇伊都

第7回   自覚のち苦悩
 熱は二日で引いた。頭痛もどうやら消えたらしい。
 均実は声を取り戻すとまず悠円に礼を言った。
 彼は恐縮していたが、彼に助けられなければ確かに均実はあのまま野たれ死んでいてもおかしくないのだ。
 それから亮にも礼を言おうとしたのだが、悠円がいうには今亮には客が来ているらしく、足の怪我のために寝台から起きれない均実は会うことができなかった。
「私は均実。辻本均実。」
「じゃあ……均実様?」
「様なんてつけなくていいよ。」
「え、でも。一応先生のお客さまってことになってるし……。おいら、普段から先生に最低限の礼儀、守りなさいっていわれてるし……。」
 困りきったようにいうので仕方無しに様付けでもいいというと、彼は安心したようだ。
「やっと名前がわかった。ここ数日なんて呼べばいいのか困ってたんだ。」
 名を聞かれそういうと、悠円はニカッと歯を見せた。
 本来なら敬語を使わなくてはいけないが、そんな難しい言葉使えないからそれはいいと亮に許されているのだという。
 均実が笑い返すと、悠円は空になった食器を均実の膝の上から盆ごと下げだ。
「先生も名前がわからないと不便だなっていってたから、お客さんが帰ったら教えてあげよっと。」
「あ、ねぇ。悠円はなんで亮さんのこと先生って呼ぶの?」
 そのまま部屋を出て行こうとする悠円を呼び止めた。
 すると悠円は不思議そうな顔を一瞬して、ああ、と笑った。
「おいら塾にいってないんだ。だから勉強なんてしたことなかったんだけど、ここに奉公にきて、先生が文字とかを教えてくれたんだ。」
「勉強をしたことがない? ……悠円って歳いくつ?」
「ん〜と、七。」
 短く考えてそう答えた。
 本来なら小学校にいってるはずだ。
 やっぱりここは……日本じゃないんだ。
 悠円が出て行ったあと、均実はため息をついた。
 外に出ることはできなかったが、悠円の口ぶりや、亮の服装などその他諸々からして外国の匂いを感じ取ってはいた。
 ただ言葉が通じるので、日本の山奥の凄まじく田舎で奇妙な風習が残っているところなのだと無理やり結論づけていた。だが義務教育の法律がないというのはやはり日本じゃないと考えざるをえない。
 均実は自分の着ている服に目を落とした。
 薄くて白に茶色が混ざったような色の布地で柄のない浴衣のようなものだった。
 さすがにあれだけ熱をだせば汗をかなりかくというので、数回似たようなものに着替えていたが、いまだに慣れない。着ていたジャージは汚れていたし、一部破れたりしていて今は着ておらず、悠円によるとちゃんと保管してくれてるらしい。
 動けないとはいえ、ここまで亮にお世話になっていいのだろうか。実際に身の回りを細々と世話してくれるのは悠円だが、こういった物は全部亮が指示して均実に与えているようだった。
 再び悠円が部屋に戻ってくると、手には小さな花瓶のようなものを持っていた。
「食後に少し白湯を飲む?それとも少し眠る?」
 ずっと横になっていたので、別に眠気はない。
 白湯を飲むというと、悠円は手早く準備を始めた。
 均実は背中に大きな枕を置かれ、上半身を起こした状態で寝台の上で寝ていたのだが、いい加減布団をじっとかぶっているのも疲れてきたので、体を動かし足を寝台から下ろした。
「った!」
 熱は下がっても足のほうはまだ治っていない。亮がいうには骨は折れていないようだが、筋をしっかり痛めているという。少しの衝撃でもかなり痛んだ。
 均実の声に悠円が驚いて、すぐさま近くに寄ってきた。
「まだ歩くのは無理だよ。先生もしばらく安静にっていってたじゃないか。」
「歩くつもりはないけど座るぐらいはいいでしょ?」
 足に気を配りながら、腕を前にのばして伸びをすると結構肩がこっていたのだがわかる。
「んん〜。やっぱ運動不足は辛いかなぁ。」
 毎日毎日、バレー部で殺人メニューをこなしていた均実である。体を動かすのがもともと好きなのだ。
 すると廊下の方からこらえるような笑い声が聞こえてきた。
 そちらをみると亮が口元をおさえて立っていた。
「思ったより元気だね。もう大丈夫なのかい?」
「あ、どうも。すみません、色々ご迷惑をおかけして……」
「いや、気にしなくていいよ。それよりも無理して、足を悪化させないようにね。」
 亮はそういうと悠円に目配せをして、自分の分の白湯も入れるように指示した。
 前みたときと似たような格好だが、灰色の着物を上着のように羽織っていた。
「先生、お客様は?」
「帰られたよ。また来ると言っていたけれどね。
……すまないが、名前を聞いていいかな?」
「あ、辻本均実です。」
 均実がそういうと、亮は首をかしげた。
「つじもと……ひとみ?変わった名前だね。文字は書けるかい?」
 部屋の端にあった机からささっと小さな木切れと筆をとりだし、亮は均実に渡した。
 習字なんて小学校以来だし、木に墨で物を書いたことなんてない。どうも変な感じがするが、筆で自分の漢字を書いて亮に返した。
 亮は木切れを見て一瞬目を見開いた。
「ほう……。」
 考え込むようにそうつぶやくと、しばらくそれから目をあげようとしなかった。
 悠円に白湯を渡されたが、そのままじっとしている亮は口をつけようともしなかった。
「あの……何か変なことでも?」
 均実にいわれ、ハッと顔をあげると亮は首を横にふった。
「いや、そういうわけじゃないんだ。……ただ凄く変わった名前だね。姓が二文字というのも珍しいし。」
「え、でも亮さんも二文字ですよね?」
「まぁそうだけどね。」
 亮は木切れと筆を机にもどすと、均実の前に膝まづいて右足の布を解きだした。
 薬を塗ってくれるのだろう。草臭い塗り薬を毎日、亮は均実の足に塗っていた。薬をぬり布を巻くと、少し暖かい感じがする。温シップの代わりだろう。
「それにしても辻本なんて姓は聞いたことないしね。……やはり君は異国からやってきたのかい?」
「え〜と、多分そうなんだと思います。」
 均実は自分の国はこんな服を普段着たりしないことや、いきなり気がついたら山のなかにいたことを亮に話した。
「ふむ……。悠円の話と状況からして、均実殿は確かにあそこに上から落ちてきたようだったが、あんなところに塔や櫓なんてものはないし……。」
 亮はそういいながら、右手をあごにやった。
 どうやら考え込む時の癖のようだ。
「あ、あの。ここってどこなんですか?」
 均実はそんな亮に声をかけた。
 亮はゆっくり均実に目をむけると言った。
「ここは荊州が隆中。といってもわからないかな?」
 亮は苦笑を浮かべながら、問いかけた。均実の話が本当なら全く違う場所からやってきたのだから、このあたりの地名などしっているはずがない。
 だが、均実は言われた地名を何度も頭の中で繰り返してみた。
 どこかできいたことがある気がする。しかもこちらに来るまでに。どこだったか……本当につい最近だったはずなんだけど……。
……いくんだよ。
 ……を頼って、いくんだよ。
 純の声が思い出された。
 そう……あれは、あの朝、一緒に走っているとき……
『その後、劉備は、荊州の、劉表を頼って、いくんだよ。』
「あっ!」
 突然均実が叫んだので、亮は驚いた。
「どうしたんだい?」
 悠円も驚いたような顔でこちらをみている。
 二人の視線をうけて、声をあげたことを少し恥ずかしく思いながら、均実は恐る恐る今考えたことの確証を得るために質問した。
「え〜と、その荊州の一番偉い人、というか責任者というか」
「州牧のことかい?」
「ああ、そうそう州牧。その人の名前わかりますか?」
 心臓が凄い速さで脈打っている。
 まさかありえないと思いながら、そうであると確信しているような気がする。
「名前?……劉表殿だが」
 訝しげに答える亮の答えを聞いて、均実は一瞬息がとまった。
 これって……つまり……ここは三国志の時代ってことなの?
 均実はくらくらしながら何とか落ち着こうとした。よく小説などではある話だが、タイムスリップとかそういうのなのだろうか。
「大丈夫かい?まだ気分が悪かったりとかするかい?」
 少しうろたえた声で亮がいうのを聞いて、黙り込んでしまっていたのに均実は気付いた。
「いえ……大丈夫です。」
 背中をさすってくれようとする悠円を止めて、そういうと均実はため息をついた。
 悠円や亮が嘘をいって均実をはめようとしているようには見えない。
 だがやはりすんなりと受け入れるには難しい事実だと思った。
「確かに荊州っていうのは、私の国の地名ではないですね……。」
 苦し紛れにそう言葉を続けた。
「……まぁ何故突然異国からここに来てしまったのかはわからないが、怪我が治ってからこれからの身の振りを考えればいい。ここにはいつまでいてくれてもいいから、あまり今は深刻に考えないようにね。」
 今はこれ以上刺激しないほうがいいか、と亮は判断して話を切り上げた。
 亮には均実が何にショックをうけているのかいまいちわからないが、怪我の治らない身であまり感情を高ぶらせるのも好ましくはない。
 そんな亮の言葉も均実の耳には素通りして聞こえた。
 ここが三国志の世界だとして……日本に帰ることなんてできるのだろうか……。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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