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均しき望み 作者:奇伊都

第49回   均しき望み

 奥方達の部屋を整えたり、荷を整理したりと城についてから、均実はバタバタ忙しく走りまわった。
 人手不足なのは誰の目にも明らかだったが、それでももともとこの城にいた女官たちにも手伝わせたので、結構早く終わった。
 甘海が、では出発をするかと聞いたが、均実はあと少しだけ待ってほしいと告げた。そして先に城下におりておいてもらった。世話になったお礼ぐらいはいうべきだろうと思ったのだ。



 杯を傾けると、酒が卓の上にすこしこぼれた。
 それに指をつけ、この近辺の簡単な地図を描く。
「では兄者はもうすぐここに来られるのか。」
「ああ、それほど時間はかからないはずだ。」
 関羽の地図でここ古城とそんなに離れていない一点を張飛は示した。
 部屋には関羽、張飛、趙雲、糜竺の四人がそれぞれ座っている。普通なら今までのことの情報交換といったところだが、実際は張飛が「兄貴と再会できたんだ! これが祝杯をあげずにいられるか」で決まった宴だった。
 まあ情報交換も行っているので、ただの馬鹿騒ぎではないことだけが救いだが。
「俺が兄貴と別れたのはここだ。曹洪をひきつけておくといっていたから、結構大きな規模で戦ってると思う。」
「わしがここにいれば、もう袁紹殿の元には戻れまい。」
「仕方がないことだろう。まあ、袁紹に曹操ほどの器があれば許してくれるだろうが、あれは小さい。」
 趙雲は最初からそれを計算して、関羽を待っていたのだから否定しない。
 関羽は結果的に二人の袁紹の武将、顔良と文醜を殺している。
 劉備が関羽を受け入れれば、間違いなく戻ることなどできない。
 糜竺はなるほどと言った。
「ああ、それで一時期、殿が袁紹に曹操と通じているのではないかという疑いがかかったことがあったんだな。理由も知らされず、待遇が悪くなったことがある。」
「いいんじゃないか? 袁紹は三公を何人も輩出している名門とはいえ、劉備殿を立てるつもりはなく、戻っても飼い殺しだ。
 それなら飛び出したほうがいい。」
 趙雲の言葉に張飛は頷く。
 関羽はそれをみながら、考えていた。
 義弟の行動はあまりにも単純で、そんなに深く考えていないだろうが、頼るべき勢力がなければ自分達はやっていけないのだ。土台となる土地をもたず、傭兵集団のように流れている劉備は、袁紹には戻れない。曹操にもいけない。となると……
「……荊州、劉表か。」
「江東は安定してない。おそらくそうなるだろうな。」
 糜竺は関羽の考えを読み取ったかのように即座に肯定した。
 関羽は首を振った。やってしまったことはどうしようもない。均実に言ったように、自分は後悔のない選択をしてきたつもりだ。
「それにしても憲和殿も無事だったのだな。」
「あまり遅れもなく、河北にやってきたから、あれは下邳が落ちてすぐに殿の行く先を調べあげたのだろう。」
「そうだ、兄貴! 聞きたいことがあったんだ!」
 張飛が持っていた杯を勢いよく置いた。
「好きな女ができたって本当かっ?」
「ブッ!」
 突然といえば突然すぎる張飛の問いに、関羽は口に含んでいた酒をふきだし咳き込んだ。
 糜竺が背中をさすってくれるが、あとの二人はそんなこと気にしていない。
「それは確かな情報か? 益徳殿。」
「おお、俺もついさっきまで忘れていたんだがな。憲和殿の話で思い出した。」
 すこし自慢げに張飛は胸をはった。
「憲和殿が言うには、『あれは雲長殿もまだ自覚しておらんな。だがわしにかかれば、あんなものすぐにわかるわ』といっておった。」
「……っ…っ……」
 関羽はむせ返って目に涙を浮かべた。
 簡雍とは確かに下邳で何度か話した。そのときは別に均実のことを意識などしていなかったし、そういった振る舞いをしていたつもりもない。
 本当に自分はそういうことに疎いのだな。
 落ち着いてきた咳にホッとしながらそう思う。
「なぁなぁ兄貴。ホントのとこどうなんだよ?」
 内心情けなく思いつつ、関羽は好奇心を丸出しにして聞いてくる目の前の義弟をどうするべきか考えた。
 六歳下で、いつまでたっても幼い義弟でもすでに三十を越している。こういうことをそんなノリで聞いてくるのは、まだまだ子供だと思いつつ……
「わしも興味があるな」
「関羽殿が惑わされたとはどのような女人なのだろう。」
 ……お前らもか。
 趙雲と糜竺の裏切りに、関羽はシーザーのごとく嘆いた。
 関羽はため息をつきつつ、自分の杯を持った。するとそれがもう空だったのに気付く。
「ああ、もう酒がないな。」
「酒など呼べばもってくるだろう。」
「そうだ誤魔化さず、教えろよ。」
 逃がすまじ、と関羽を張飛と趙雲が押さえつけると、糜竺が自分が酒をとってこようといって席を立った。
「誤魔化しているわけでは」
「ほら。吐け、吐け」
 質問というより尋問である。酒も入っているので、下手すると刃物を出してくるかもしれないというほど彼らの目はすわっている。
 その様子を見ながら、糜竺が部屋をでようとした。
「わっ」
「おっと、すまない。」
 入り口で一人の女官とぶつかった。
 反動で後ろに倒れそうになったその女官の腕を捕まえる。
 だがそのとき糜竺は一瞬目をみはった。
「いえ、こちらこそよく見てなくて……」
 その声に関羽は邪魔な張飛を押しのけた。
「均実殿っ?」
 関羽のその言葉に関羽の首に腕を回していた趙雲も、押しのけられてすこしよろめいていた張飛も、驚いてその女官を支えていた糜竺も、皆一様に動きを止めた。
 糜竺の手から腕を放してもらうと、均実は部屋の中を覗き込んだ。
「あ、雲長殿。ここにおられたんですね。」
 関羽以外の三名は声を失っている。
 その美しさに。
 鮮やかな青の着物をまるで流れる水のようにまとっている。櫛などの頭につけている物や装飾品は全て深い青を基色にしている。白い肌に控えめに落とされた紅が、それでより一層引き立ち、まるで顔は輝いているようだ。
 水の精霊といわれても納得しそうな気がする。
 関羽のその隙に席をたつと、均実の側に走りよった。
「どうしてここに。」
「ああ、用事が二つほどありまして。」
「用事が?」
 均実は夫人達に挨拶をすませたあと、関羽をさがして城の中を捜し歩いていたのだ。
 関羽は三人がぼぉっとしているのをみて、均実を外に促した。
 逃げるチャンスである。
 均実と関羽が部屋をでてからしばらくして、三人は顔を見合わせた。
 また三人。関羽をおもちゃにする人間が増えたようだった。



 横を歩く均実を見下ろして、関羽はため息をついた。
 これほど綺麗なのに、本当に何故普段から着飾らないのか。
 張飛と糜竺はともかく、趙雲はすこしだけだが一緒に旅をした。
 均実が実は男装をしていたあの家人だったのだと聞けば、きっと趙雲は仰天するに違いない。
「雲長殿?」
 関羽の思案を知らず、均実は首をかしげた。
 そのときになる簪の音が、まるで川のせせらぎのように聞こえる。
「その格好はどうされたのか?」
「奥方様が、最後にと無理矢理。」
「……最後?」
 二人きりのところで言いなさい。
 という命令が夫人からあったというので、関羽は自室に均実を連れて行った。
 人払いを命じると、許都からついてきていた家人ばかりではないので、皆均実の姿に一瞬止まり、慌てて出て行った。
 ……明日からかなりの噂の的になるのは覚悟しなければならないだろう。
 関羽は気が重くなりながらも、均実をみた。
「それで、用事とは?」
「そうですね……。奥方様からと、私からとの二つなんですけど、どちらを先にしましょうか?」
 迷う選択である。
 自分のことを夫人たちが面白がっているのは、関羽も気付いていた。わざわざ均実を伝言に使うというのは、どうせそれ関連だろう。それなら均実の用件のほうだけでいいような気がした。
 だがどちらにせよ、どっちも聞かなければいけないのなら、先に気が進まないほうを済ませておくか、と関羽は判断した。
「では奥方様からで。」
「はい。『最後の機会だ』……以上です。」
「……なんだそれは?」
「さあ? 私にもさっぱり。」
 均実も心底不思議そうに言った。
 伝えろといわれたときに、一体何なのか聞いたのだが、夫人らは関羽は聞けばわかるからと言って教えてくれなかった。
 だがどうやら関羽にもわかっていないようだ。
 仕方がないので、関羽は話を進めることにした。
「それで、均実殿は?」
「はい。『今までお世話になりました。』です。」
「え?」
「一旦、隆中に戻ろうと思ってるんです。甘海殿と今なら一緒に行けますし。」
 関羽は言葉がでなかった。
 均実とはまだまだ一緒にいれるものと、勝手に考えていたのだ。
「状況もいい方に転がってきたみたいだし。あまりにも長くでかけてたから」
「隆中の、諸葛亮という者の元に戻るのか。」
「え、はい。あれ?
 私、雲長殿に亮さんのこと言いましたっけ?」
 関羽に言ったのは諸葛家に拾われたことだけで、亮のことは言っていないはずだった。夫人らに聞いたといわれ、均実は納得した。
 甘海が隆中に戻らずに、一緒に古城へ来たことにすこし不安は感じていた。だが本当に帰るとは思っていなかった。
 均実が亮という男の元に帰る。
 帰したくない。そう思ったとき、ようやく夫人らの言葉の意味がわかった。
 今が最後の機会、想いを告げるなら。
 関羽は喉の奥がカラカラになっているのを感じた。うまく声がでるかわからなかった。
「わしは均実殿にかなり救われた。ここにいては……もらえないのか。」
 願いをこめていった言葉だ。
 均実は関羽をみつめてから、ふっと視線を緩めた。
「……私もここにいたいと思わなくもないんです。」
 この女装は正直うっとおしいが。
 それを示すように腕を上げ、髪をとめていた簪をぬく。この一年で伸びた髪はふわりと背中に落ちた。
 これほど長い間。自分は関羽と行動してきた。
 だがそれでも、あの隆中を出るときの亮の琵琶の音や、彼の悲しげな笑みを忘れたわけではない。
「だけど隆中にも戻りたい。きっと凄く心配をかけたと思うから。」
 誰にといわれなくても、関羽はわかった。
 それゆえに言葉が、想いが口からあふれ出ることを拒否する。
「どちらも私の望みです。どちらも均しく望んでいることです。」
 均実は日本に戻る方法を探しているが、何の当てもない。これからどうすればいいかなんかわからない。
 ここにいて、生三国志演義をみるのもきっと面白い。危険はあるかもしれないけれど、そうそう死ぬ気はない。
 隆中に戻って、亮を安心させたい。優しすぎて苦しんでいた人への恩返しをしなくちゃいけない。
 二つ、自分が望んでいることがあると気付いたとき、均実はどちらを選ぶべきか確かに迷った。
「でもきっと、今戻ることが後悔しない選択だと思ったんです。」
 関羽は何かを言おうとして、口をあけたが何も言えず、代わりに笑みを浮かべた。
 均実もそれに笑みを返す。
「それにきっとまた雲長殿にはお会いできると思いますしね。
 この後、荊州に身をよせられるのでしょう?」
 均実の言葉に関羽は驚いた。
「さっきの話を聞いていたのか?」
「いいえ。でも知ってます。」
 純が教えてくれた、三国志演義で均実が知っている最後のこと。
『その後、劉備は、荊州の、劉表を頼って、いくんだよ。』
教えてくれた時は怒ったが、今考えると感謝するべきだろう。
このことが、均実の選択を助けてくれた。
「……まるで均実殿は予知でもできるようだな。」
 下邳で曹操に下るときも、劉備の行方がわかったときも、均実は関羽の行動を予測した。今日など、均実が声をあげなければ、自分は駆けつけてきた張飛の一撃目で死んでいたかもしれない。
 均実はもう三国志演義で得た知識を隠すことをするつもりはなかった。
「でもここで打ち止めですけどね。」
 否定をせず、均実がそういうので関羽は驚いたが、それ以上そのことについて均実は何もいわなかった。
亮の元に戻っても、また関羽と会うことはできる。
「だからさようなら、じゃありません。また、お会いできる日を楽しみにしています。」
 均実の言葉に関羽は笑った。
「ではしばしの別れだな。」
「はい。」
「最後などではないということだ。」
 関羽は想いを告げるのをやめた。
 均実の言葉は外れたことなどない。その彼女はまた会えるといった。
 だから均実が自分のことを考えてくれるのを、待つことができる。もう二度と会えないわけではないのだから。
「元気でな。」
「雲長殿も。」
 均実は頭を下げて部屋をでていった。
 しばらくその後ろ姿を見つめた体勢で、関羽は固まっていた。
 だがその残った微かな香の匂いに、関羽は目を瞑った。
 今言わなかったことに後悔はしない。それが自分の望みだったのだから。



 突然訪ねてきた友人を迎える。
「なんだ、嬉しそうだな?」
 いつものようにしていたつもりだったが、顔にでていたらしい。
 亮は持っていた書簡を除庶に渡した。
「甘海が均実殿を連れて帰ってくる。」
「そうか! よかったな。」
 自分と同じように喜んでくれる友人に、亮は笑った。
 均実が旅に出てから、ずっと無事だけを祈っていた。
「土産はあるかな?」
「……お前という奴は。」
 呆れつつも、嬉しさは隠せない。
 亮は書簡を返してもらうと、丁寧に畳んだ。
「無事であることが何よりの土産だ。」
 もうすぐ春が訪れようとしていた。






 風にのり、声は届く。
 思いをのせ、人は言の葉をつむぐ。
 あるがままに動くが故に、人の心は乱される。
 人の子よ、汝の道は一つにあらず。
 人の子よ、汝はさ迷い苦しむだろう。
 見定めよ、広き大地と空に挟まれ。
 選んだ望みは遥か遠くに。
 心を殺さずただ望み、天に高く舞い上がれ。
 それが均しき望みとなりて、汝の翼をもがんとも。


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Novel Editor by BS CGI Rental
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