■ トップページ  ■ 目次  ■ 一覧 

均しき望み 作者:奇伊都

第47回   47

 趙雲が仲間に加わった日。あの道の近くの村に関羽は宿を決めた。
 積もる話もある。だがそれ以上に趙雲の身なりをなんとかしなければいけなかった。あれでは物乞いとさして変わらない。
 宿に趙雲を預け、格好を正さなければ同行させないといって、髪も髭も整えさせ、着物も調達させる。ずっと放浪生活をしていたのだ。趙雲はどうもしっくりこないようで、戸惑っていた。
「あのような格好で奥方様のお側におくわけにはいきません。」
 以前均実に言ったものによく似たセリフを徽煉は趙雲に言った。
 やはり、一番強いのは徽煉殿だな。
 苦笑を浮かべつつ、徽煉に趙雲を任せて、関羽は宿を一旦出た。
 外はまだ明るい。いつもなら日暮れが近づいてから宿をとるが、今日はとにかくあの格好をなんとかさせるために早めに宿をとったから当たり前である。
 家人達も連日の歩き詰めに疲れたのだろう。早々に眠っているものもいる。
 だが関羽はそうしなかった。
 それほど疲れていないし、これからは趙雲もいる。疲れれば交代で休めるだろうし、何かあっても、自分一人で切り抜けようと気がまえる必要もない。
 それに徽煉が困ったように言ってきた言葉のせいでもある。
 趙雲を宿の者に言って、別室に連れて行くよう指示した後のことだ。
「均実がどこにもいないのです。」
「均実殿が? この村には入っただろう?」
「はい。それは確認できているんですが……家人らの話では宿をふらっと出て行ってから、帰ってこないと。」
 甘海に聞いたが知らないというし、もちろん奥方達も知らなかった。
「わかった。少し探してみよう。」
 関羽はそう答えたのだ。
 許都にいる間、外に出れなかったのだ。じっとしていられない均実のことだから、村中にはいるだろうがと聞いたので、危険はないと思ったが、最近の均実の様子が気になった。
 情緒不安定というわけではなく、きちっとするところはしているが、考え込むことがあまりにも多すぎる。
 建物がより集まったところから少し外れると、あまり人がいなくなった。
 それほど大きな村ではない。だが小さな村でもない。
 どういうことかというと民家は少ないのだが、畑が多い。今は残った雪が畑のところどころにあるが、もう少しすれば緑色が鮮やかな場所になるだろう。
「もし、そこの老人。聞きたいことがあるのだが。」
 景色をみながら関羽が道を歩いていると、一本の柳の下に一人の老人が座り込んでいた。
「おやぁ、これは目立つ方ですなぁ。」
 ゆっくりと関羽を見上げると、老人は感心したように声をだした。
 身長だけでもここらでは大きすぎで確かに目立つ。その上、長い立派な髭が歩くたびに揺れ、キラキラと日光を反射する。
 関羽はその老人の反応に苦笑しながら、均実の姿格好を伝え、どこにいったかしらないかと尋ねた。
「ふむ……男の子ですかな?」
「あ、いや……女だが、まあ今は男に見える。」
 あやふやな答えに老人は顔をしかめた。
 均実は男装をといていない。その状態ではまったく女らしい丸みがわからず、もともとの均実を知っている関羽ですら男の子に見える。
「あっちに歩いていった子かもしれんな。」
 老人は考えてからそう言った。



 水面に魚が跳ねた。
 ぼちゃんという音と共に波紋が広がり、それが糸まで届く。
 そのせいなのか糸が動いたような、動かなかったような……
「釣れるの?」
「当たり前だろ。じゃなきゃやってねーよ。」
「兄ちゃんもやる?」
 話しかけると子供たちは笑ってそう言ってきた。
「いや、私は……」
 均実はその元気のよさにすこし怯みつつ、頭をかいた。
 ほぼ強引に座らされると、余っていた竿を渡された。
 エサはそこらへんで捕ってきたミミズのようで、一瞬均実は顔をひきつらせたがそれを掴むとさっさと針につけた。
「兄ちゃん、手際がいいな。」
 手伝ってくれるつもりだったらしい男の子が驚いたように言う。
「昔、すこしだけやったことがあるんだ。」
 小さいころ二人の兄に連れられて、近所の沼に釣りをしにいったことがある。
 兄に負けるのが嫌で、エサのミミズへの嫌悪感よりも、できないという屈辱のほうが大きくて、必死に何度もやった。兄達は呆れていたし、かなり危なっかしくて何度も指を刺しそうになっては、やってやるからと針を奪われそうになった。
 もちろんそれを許そうとはしなかったが。
 懐かしいなぁ……
 均実は知らず口元に笑みを浮かべながら、竿を川の方へ突き出した。
 小さな川だ。すこし上流にいけば短い橋もかかっている。向こう岸まで三メートルちょっとといったたころだろう。所々深みがあるらしく、底が見えないところもあるが、基本的には綺麗に透き通っていた。
 川底に転がっている石の影に魚の姿が何匹か見える。
 釣り糸をたらしたまま、後ろから覗くようにしてみてくる四、五人の子供たちをそっと観察した。
 服装以外、大して日本と変わる点はない。
「この村は戦にはならないの?」
 動かない釣り糸の先をみつめながら話しかけた。
 子供たちはう〜んと唸った。
「南のほうでなんかやってるのは知ってるけど……」
「この前ここ、いっぱい通ったもんな。」
「曹操が劉表を攻めてんだろ?」
「ばっか、お前。あれは反乱が起こったから、それを倒しにいったんだって、母ちゃんいってたぞ。」
 がやがやと煩くなると、均実がやるより先に竿をもっていた少年が静かにしろよと怒った。子供たちの中では飛びぬけて背が高く、がっしりしている。ここらへんのガキ大将なのだろう。皆素直に従う。
「こえぇ……慈由の拳固はイテェからなぁ」
 こそこそと均実に聞こえるように説明してくれた子を、その慈由はギロっと睨んだ。
 慌ててその子は口を押さえる。
「そっか」
 均実はその仕草に微笑んだ。
 糸を垂らしていてもなかなか魚は寄り付いてきてくれない。
 きっと警戒心が強いのだろう。
 慈由の竿にはしばらく待っている間に二匹かかったが、均実の竿にはまだ何にもかからなかった。子分たちの前でいいとこをみせようとしたのか、慈由は均実に魚を見せびらかしたが、均実が素直に凄いというと、うろたえたように慌ててからフンと鼻をならした。
 それを見て子供たちがクスクスと忍び笑いをした。
 均実は釣れないことにいらつくこともなく、川面を眺めていた。
 これだけ綺麗な水が流れる川など、日本では田舎にいかないと見れないだろう。
 そろそろ家に帰ると子供たちが竿をしまい始めたので、均実は礼を言った。
 しゃがみこみ片づけを手伝っていると、彼らは楽しそうにいつもはこんな遊びをしているのだとか、これをやると面白いのだとか教えてくれた。
 昔から均実は子供には何故か好かれる。末っ子なので、自分より年下の扱いがいまいちわからないが、こういう弟や妹がいればおもしろいなと思う。
「兄ちゃん釣れなかったから、これ一匹やるよ。」
 慈由がくれようとしてくれた魚を丁重に断っていると、不意にあたりが暗くなった。
「あれ?」
 均実が雨でも降るのかと見上げると、別に空はまだ綺麗な青のままで雲などない。
 が、目の前の慈由たちの驚いたような顔をみて、均実は振り返った。
「あ……」
「みつけた。均実殿、行き場所を告げて、宿からはでてもらいたいな。」
 関羽がそこで呆れたように立っていた。
 子供たちはひそひそと、「慈由よりでけぇ」とか「髭、長っ!」とかいっているが丸聞こえである。
 関羽はそれに肩眉をすこし上げたが、別に気にしないようだ。
 均実が慌てて立ち上がり、関羽のほうを向く。
「すみません。ちょっと散歩しようと思っただけなんですけど、つい。」
 素直に謝ると、関羽は子供たちのほうを見回した。彼らの手に竿が握られているのに見止める。
「釣りをみていたのか?」
「いえ、やらせてもらえました。」
 均実がそういって子供たちに笑いかけると、恥ずかしそうに皆もじもじした。
 子供たちが家に戻るのを見送って、均実はさっき座っていた場所にまた座り込んだ。
「綺麗な川ですよね。」
 均実の言葉に答えず、関羽はその隣に座った。
 別に答えを期待していたわけじゃなかったので、均実は転がっていた小石を手にとると、川に投げ込んだ。
 ぼちゃんと激しく水があがると、側にいた魚が逃げるように散ったのがわかった。
 波立っていた水面が静まり始めると、関羽が口をひらいた。
「考え事は、まとまったのか?」
 なんだかすっきりした顔をしている。
 さっき子供たちに均実が笑いかけたとき、そう感じた。
 均実は関羽のほうをみることもなく、水面を見つめた。
「一応。」
「聞かせてもらえる約束だったな。」
「……私は一線を引いていたのかなと思って。
 なんだか思いもよらない体験をしてるのはわかっていたけど、それってどこか第三者の目で見てたんです。」
「よくわからないが……?」
「子桓殿に、好きだって言われたんです。」
 突然の言葉に関羽は声を詰まらせた。
「私が好きというのがよくわからないんだと言って断ると彼は、ならいつか好きになる可能性はあるかって。」
「……それで?」
「わからなかったんです。でも……」
 均実は川の波紋が完全に収まったのをみた。
「ない。っていいました。」
 待つといわれた。
 好きになってくれるのを待つと、そうなることを願うと。
 だから均実はその答えを選んだ。
「それは子桓殿が孟徳殿の子供だったから。だから出した答えなんです。」
 曹丕は曹操の跡継ぎだ。自分を妻にするなど、考えてはいけない。
 自分はこの世界の人間じゃない。
関羽は三国志演義にある五関を突破し、六将を斬るということをおこさなかった。ただでさえ歴史が変わっているというのに、そんな大きな変化はおこせない。
 だから言った。待たないでほしい。歴史を変えないでほしい。
 均実が言った言葉に、曹丕は悲しげに笑った。
「子桓殿はその答えを受け入れてくれました。でも……思ったんです。そんなこと考えずに出した答えを、彼に伝えるべきだったんじゃないかって。」
 例え結果が同じでも、理由がそれでは曹丕に対して失礼だったのではないか。
 均実はそう思って許都を振り返った。
 もう戻ることなどできないのに、それでもそのことだけが気がかりで。
 関羽は均実の言葉を黙って聞いている。
 均実はすこし息をはくと、もう一つ小石を拾った。
「そのことを考えていたら、今までもそんな風に行動してたように思えてきたんです。
 自分の気持ちではなく、辺りの状況やそれについての結果を考えてみて、この行動をやった方がいい。これはしては駄目。これはやってもいい。……失礼極まりないですよね。」
 川にまた投げ込む。
 川にできた波紋がまたみるみるうちに大きくなる。
 この小石は自分のようだ。突然まぎれこんだ異物。
「してはいけないことをした時の自分の影響が怖い。そう思ってたんです。なるようにしかならないと、一度は思ったけど……それでもその結果が、もしかすると悪いほうに向かうのなら。
 でもそうやって怯えているっていうのは、周りを見下してるってことですよね。」
 自分ができることなどたいしたことないのに。自分がこう動いてやれば、きっと周りはうまくやることができるだろうなんて考える自分は何様のつもりだろうか。
 三国志演義を読んだから分かっていた未来へ、それに沿うように。
 ……それは今を必死に生きている人たちと同じ目線ではない。
「でも雲長殿と一緒にきて、凄い人達に会いました。孟徳殿や子桓殿。趙雲殿も天下争いに重要な場所を占める人になるでしょう。だからまた状況をみて、自分の本当の気持ちなど考えもせずに行動してしまうことがきっとでてきます。」
趙雲という名も三国志演義にでてきていた。
 そのことを思い出し、均実はまた歴史を変える要因に自分がなりえる場所にいるのだと思った。
「それはしちゃいけないと思っても、きっと無意識にしてしまうだろうから……どうしたらいいかなと考えてたんです。」
「……答えはでたのか?」
 関羽の言葉に均実は首を振った。
「でません。でもさっきまで子供たちと遊んでたのは、あれは自分の意思です。ってちゃんといえます。
 こうやって一つ一つ、自分がはっきりと分かっていることが必要なんじゃないかな、と思いました。」
 そういった均実の手を関羽はとった。
 何だろうと均実が思ったとき、関羽がそれに口付けた。
「えっうわ、あの」
「自分のやったことから起こる結果全てに、責任をもてるやつなどいるわけがない。」
 そういいながら均実の顔を見た。
「だからそこまで深く考える必要はない。でた結果が悪いものかどうかなど、誰にもわからないのだから。
 均実殿が今、慌てたのが悪いことか良いことか、わかる者がいないのと同じことだ。」
 優しい笑みを浮かべそういわれると、均実も落ち着いてきた。
「行動の結果が良いか悪いか、考えるのは無駄ということですか?」
「何かを望むから人は行動する。その望み全てが叶うものではないから、人は喜んだり悲しんだりする。だからといって喜べば良い事、悲しめば悪い事というわけでもない。
 人の身でどれがよいとわかる者などいないのだ。」
 関羽はそういって立ち上がった。
「人は後悔しない道を選ぶ。それを果たせばいいのだと、わしは思う。」
 その言葉に均実は頷いた。

← 前の回  次の回 → ■ 目次

Novel Editor by BS CGI Rental
Novel Collections