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均しき望み 作者:奇伊都

第46回   気になること

 関羽は均実が曹丕を訪ねた次の日の早朝、許都に帰ってきた。
 思ったより早かった到着に徽煉は驚いたが、夫人達にはそんなことはどうでもよかった。
 急いで荷をまとめ、許都を出立する。
 曹操に贈られた品々は李哲に管理されて、しっかりと倉庫に保存された。
 唯一、荷にいれたのは関羽がもらった錦の直垂ぐらいだ。(赤兎馬は荷にははいりません。)
 ここで暮らしたのはそんなに長い期間ではなかったはずなのに、なんだかいろんなことがあったような気がする。
 均実は後ろを振り返った。
 徽煉に散々粘った末、男装で馬にのることが許された。甘海もしばらく行動を共にするということで、女だとばらすわけにいかなかったからでもある。
 前、ここに訪れたときは関羽の馬に乗っていたが、今は一人で馬に乗っている。
 それに家人達も、必要最低限の人数にしたため、均実の他に徽煉や李哲を含め、十人以内ほどの小団体の旅になった。
「邦泉殿、何か忘れ物でも?」
 あまりにも何度も振り返るので、関羽が馬を寄せて聞いてきた。
 均実は黙って首を横にふると、関羽をじっとみつめた。
「雲長殿、本当に休憩されなくてよかったのですか?」
 ほぼ休みらしい休みをとらずにでてきた自分のことを、心配してくれていたらしい。
 均実らしいその言葉に関羽は笑みをうかべた。
「ああ、大丈夫だ。」
「そうですか……」
 だがそのまま均実はまた振り返った。やはりそのどことなく元気のない均実の態度に、関羽は不審がった。
 どうもぼんやりしているようだ。
 甘海も何度か話しかけていたが、その態度は関羽に対するものとさして変わりはなかった。
 許都についたとき、屋敷中の人間があわただしく動いている中、均実はただ徽煉に言われるがまま、荷を黙々と整えていた。
そのあまりにも大人しく、奇妙な態度に夫人達は気も気付いていたが、それよりも劉備のもとにいけるという嬉しさが、訝しがる余裕を吹き飛ばしていた。また徽煉は心配そうに均実をみるだけだった。
「何か気にかかることでも?」
「いえ、考えごとをしているだけです。」
「何を?」
「……すこし。」
 ごまかすような笑みを浮かべて、均実がいうので関羽は怪訝そうに顔をしかめた。
「許都をでられてからずっと、まるで何かを置いてきたかのようにあちらを振り返る。
 何かあったのだろう? 教えてはもらえんか?」
 均実が黙り込むので、関羽はより近づいて声を潜めた。
「……わしが邦泉殿を側で守りたいといったのを、承知しただろう。」
 その言葉に間違いなく均実は反応した。
 顔を強張らせ、唇をかみ締めた。
 黙々とすすむ皆の中で、黙っているのは別段不思議ではない。
 だが今の均実は声をだすのを拒んでいるように見えた。
「邦泉殿?」
「……考えがまとまったらお話しますから」
 絞り出すような声でそういうと、均実は関羽から離れた。



 均実のその元気のなさ以外は順調で、関羽達は許都から南下を続けた。
 夫人達を気遣いながら、必ず夜は村で宿を借りるので、関羽のことは周囲の村々に知れ渡ったらしい。彼らは結構好意的で、行く先々で食料などをくれた。
 見通しの悪い道では山賊・盗賊といった類がでるらしいし、戦場に近づくのだからより治安は悪くなるだろうと関羽は言っていた。家人らはそれを聞いて気を引き締めたが、特にそのような奴らには会わなかった。
均実は知らなかったし、もちろん関羽も知らなかったが、極力危険がなくスムーズに旅が進むよう、甘海が前もって徐季を通じて様々な根回しをしていたためでもある。
 日が中天に来たころ、切り立った崖に挟まれた道を歩いていた。道全てが影にはなっていなかったが、それでも地面は日なたより陰らのほうが多く、じめじめした感じがする。
 関羽が先頭を歩き、その後を夫人達の軒が続く。馬に乗った家人達は軒を囲むように、歩いていた。均実はその中の一人で、徽煉は馬には乗らず、常に夫人らの横を歩いていた。
 関羽はそれでも辺りを警戒していた。
 彼は宿をとっても夫人らの安全の確保のため、あまり睡眠をとっていないようだったが、根本的にかなりの体力があるようで、その覇気が損なわれることはなかった。
 そんな中、均実の態度はやはりあまり変わらなかった。
 後ろを振り向きつつ進むということはなくなったが、その代わり今度は深く考え込み始めた。
 そうなると「邦泉」という名では、均実は自分のことを呼ばれているのだと気付かなくなる。そうこうしているうちに、心配をしている徽煉と関羽も「邦泉」では話にならないので、甘海と同じように「均実」と呼ぶようになった。
「均実殿。」
「っえ?」
「……あまり考え事ばかりしていると馬から落ちるぞ?」
「そうそう。均実。いい加減、曹丕殿を訪ねて何があったのか白状しなさい。」
 徽煉は均実の態度の変化が、あの曹丕を見舞いにいってから変わったことに気付いていた。そのことは関羽も徽煉から聞いたが、均実は何も言おうとしなかった。
 徽煉は呆れたように、関羽はただ了解して、均実から少し距離をとった。
 関羽は均実がいつか話してくれるといったのを信じた。
 だから無理に聞き出すつもりもないし、聞こうとも思わなかった。
 だが今の均実の状態は少し危ない。
 馬に乗ることはそんなに下手じゃないが、手綱を握っている間も考え事をしているので馬が勝手に団体から外れることがある。
 今もそれを注意したのだ。
 確かに均実の馬だけ、両側の崖に近づいている。他の馬は道の真ん中を歩いているのに。
 均実は慌てて元に戻ろうと、馬の進行方向を少し修正した。
 が、
「っっ」
 いきなり口元がふさがれ、顔が空をむいた。ガクンとしたその衝撃に均実は
 落ちるっ!
 と叫びそうになったが、いかんせん声はだせなかった。
 地面に叩きつけられることを一瞬覚悟したのだが、衝撃は受けたがそれほど地面は硬くなかった。落ちた途端口元をふさいでいた布がおち、均実は息をはいた。
「タタタタ……」
「それほど痛くはないはずだ。わしを下敷きにしたんだからな。」
 均実が地面にぶつけた腕をかばいながら起きようとすると、地面がしゃべった。
 ………地面がしゃべるわけがない。
 均実がそぉっと自分の下をみると、そこには全く見たこともない男が顔をしかめてこちらを睨んでいた。
 しっかりとした体格で、関羽のようにというほどではなく、かといって小さいわけでもない。背丈で言うなら亮と同じくらいだろうが、筋肉のせいか大きく見える。武芸をたしなんだ武人のようだ。手には槍をもっている。
 何か気に入らないのか(まあ均実が乗ったままで思いのだろう)どこか不機嫌そうだ。ずっと剃っていなさそうな無精ひげによって、余計その感じを増している。
「何者だっ!」
 関羽の怒声が聞こえたが、均実の位置からは丁度馬が邪魔して彼の姿はみえない。
 男は均実を自分の上からどかせ、そして均実の二の腕を掴むと一緒に立ち上がらせた。
「……雲長殿、わしだ。」
 関羽の姿をみると、男は目をみはりそう言った。
「雲長は確かにわしだが、お主は?」
 関羽が馬上から、均実が彼につかまれたままなのをみて眉をしかめたが、そう答えた。
 均実は男の顔をみた。髪はかなり伸びているし、髭がぼさぼさ。怪しいことこの上なく、年齢すら見当もつかない。例え知り合いでもきっと、誰かわからないだろう。
 男は大きく笑うと、にこやかにその目を細めた。
「いや、わからんのも無理はないか。趙雲だ、趙子竜。」
「……あっ!」
「思い出されたようだな。」
 趙雲は関羽の声に笑みを深くした。
 趙雲、趙雲……どっかで聞いたことがあるような気がするんだけど……
 均実は腕をつかまれ、立たされた状態でそんな風に考えていた。
「子竜殿か。なつかしい。……とりあえずその者を離して頂けるか?」
 関羽の言葉に忘れていたように趙雲は均実をみた。
 手を離してもらうと、均実は彼を見返した。
「すまんな。ほら、こいつのせいだ。」
 均実は示されたほうをみてゾッとした。かなり大きな蛇が崖から突き出た枝に絡まってこちらをみている。
「こいつは毒蛇でな。お主の進行方向にちょうどいた。あのまま進んだら、噛まれる可能性があったからな。無理やり落とした。」
「……あ、ありがとうございました。」
 何でいきなり馬から引きずり落とされたのかはわかった。その枝は、乗馬していれば顔の位置にくるところに生えている。趙雲はそれを防いでくれたのだ。
 それにしてもこの人どこから現れたんだろう。
 均実の疑問と同じものを関羽は感じたのだろう。
「子竜殿、一体どこにおられたのだ? この道にはわしら以外おらんかったように見えたが。」
 そうである。こんな薄暗い道。あまり使われていないのか、昼だというのに人がいない。
「ああ、この上からだ。」
 あっさりと趙雲は指を天にむけた。
 どうやら崖の上から飛び降りたらしい。……おいおい五メートルはあるんじゃないの?
「……相変わらずだな。」
「お主もやろうと思えばできるだろう。」
 かなり人並みはずれた登場の仕方をした人物は、そういうとまた豪快に笑った。



 夫人らが関羽にそれは一体どういう知り合いなのかと聞き、関羽がそれに答えた。
 趙雲はもともと公孫瓚の部下である。以前黄巾の乱の際、劉備達が公孫瓚の元に身をよせたことがあった。そのときの知り合いだという。
 だが袁紹に公孫瓚は敗れた。劉備と別れた後に。
 そういえばかんんんんなり前に、亮さんと庶さんとそんなこと話したような気がする。
 均実は話を聞きながら、そう思っていた。
趙雲は敵に下るなど考えることもできず、あちこちを放浪していた。そんなとき関羽が汝南にいる劉備を尋ねて、この付近を通るという話を聞いた。
 以前話した時に、劉備に好感をもっていた趙雲。関羽が袁紹の配下である顔良を殺したという話も聞いていた。今は劉備は袁紹陣営にいるが、関羽が尋ねていけば劉備はきっと関羽を受け入れ、袁紹陣営から脱するだろう。
 ならば劉備に仕えたいと思った。よって先に汝南の地にむかっていたのだが……
 汝南のどこに劉備がいるのか、皆目見当がつかない。うろうろできるほど治安もよくない。
 仕方がなく、ここを通るであろう関羽を待っていたのだという。
 夫人らは喜んで趙雲を随行させることに許可をだした。
 だが均実はこのことによってまた、思案を深めることになったのだった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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