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均しき望み 作者:奇伊都

第45回   曹操ひきずりだし作戦(戦闘・解決編)

 思ったより事はスムーズに運んでいた。
 関羽が作戦の実行を決めると、甘海は渋っていた孟建を舌先三寸で丸め込み、騒ぎを起こす手伝いをさせることにした。
 闇に紛れ、文醜の牢に近づくと、文醜はこちらを睨んできた。
「わしは下るつもりは毛頭ない。はよう殺せ。」
 獣のような顔つきで、まさに噛み付くようにいう文醜に関羽は話しかけた。
「どうせ棄てる命なら、わしと賭けをせぬか?」
「賭けだと?」
「お主をここから出してやろう。そしてわしと勝負せい。
 勝てばどこへなりとも逃げるがいい。負ければその首、わしが落とさせてもらう。」
 実際に文醜の手足首にかけられた縄を切りながら、関羽はそう言った。
「……何を考えておる?」
「わしの益となることだ。」
 取り上げてあった鉄の槍を放ってやると、文醜はそれを受け取った。
「ふん、後悔をしても知らぬぞっ」
 お互いの獲物を構えながら、外に転がるように飛び出した。
 騒ぎになってもらわねば、こんなことをやる意味がない。
 関羽は陣中でも人が多く、明るいところを目指して文醜と打ち合い始めた。
「ひぃっ! ぶ、文醜がにげだしたぞぉっ!」
 途中で出会った孟建も声をあげ、あたりの人間をそれぞれの帷幕の中からだした。
 一突きしては動き、相手の攻撃を払っては動き、関羽は目星をつけていた場所まで文醜を引っ張り出した。
「そろそろ観念せよ!」
 関羽の眼前を鋭い槍の切っ先が風を切った。
 逃げの一手しかうたない関羽に痺れをきらしたのか。だが文醜は場所がかなり移動していることにまで気付かなかった。
 頃合いか……
 関羽は青竜偃月刀の持ち手を変えると、文醜の頭上から振り下ろした。
「この程度ではわしを倒すことなどできんわっ!」
 文醜はその薙刀の柄の部分に自分の槍の柄の部分をあて、弾いた。関羽がバランスを崩し、一歩後ろに下がったのを見逃さず、そのまま間合いを詰める。が
「ガハッ……」
 関羽が体を回転させるとともに、その勢いのまま文醜の腹に蹴りを放った。
 一瞬ふらついた足元を狙って、関羽は武器で薙ぐ。
 そのまま倒れてしまった文醜の肩を関羽は踏み、起き上がれないようにした。
「キサマッ!」
「不運だな。わしと戦うとは。
冥土の土産だ。主が負けた男の名、関雲長と覚えておけ。」
 文醜は身が固まった。
 関雲長の名は袁紹のもとにいたころの劉備にきいたことがある。
 その武勇は果てをしらぬ、と。
 関羽は文醜を目を細めてみてから、青竜偃月刀の刃を見事に彼の喉元に振り下ろした。
 かがり火に照らされ、微かな草の色が黒く染まった。
 周りの兵たちが声をふりあげ、叫んでいる。口々に言われる言葉は意味を聞き取ることはできないが、関羽をたたえていることはわかった。
 その三百六十度その歓声が響いている中、一角が割れそこから目的の人物が現れた。
「おお、豪傑といわれたあの文醜を倒すとは……」
 曹操が地面に転がった首を見とめ、感嘆の息をもらす。
 関羽は曹操に近寄り、膝をついて礼をした。
「陣中を騒がせましたこと、お詫び申し上げます。」
「いや、つまらぬことに雲長殿の手を煩わした。こちらこそ礼を言おう。」
 曹操がそういい、関羽に立つよう言ったが、そのままで関羽は続けた。
「でしたらこの度の功をもちまして、今までの恩返しとさせていただきとう存じます。」
「恩返しだと?」
「我が主、劉備玄徳の居場所がわかりました。」
 関羽への歓声が止む。
 皆一様に二人を見守った。
 誰もが関羽の三条の降服を知っているのだ。
 曹操はそうか、というと荀を見た。
「このような良い将を失うのは痛いな。」
「されど約束は守らなければなりませぬ。」
 決まりきったことを荀が返すので、曹操は笑った。
「雲長殿、立たれよ。別れの宴を催そうぞ。」
「いえ、私はすぐにここを出立いたします。」
「すぐに?」
 これには曹操も驚いた。
 もうすっかりあたりは夜である。確かに今から寝ずに馬を飛ばせば、朝には許都につくことができるだろう。
「少しでも早く奥方様を兄者に会わせて差し上げたいのです。」
「う〜む、やはり惜しいな。」
 今度はそれほど未練を感じさせずに、曹操は笑った。
 関羽の面白いまでのその律儀さに、一種尊敬の念を抱いたのかもしれない。



 その後、関羽はまるで逃げるかのように準備を整え、甘海と共に陣を後にした。
 一秒でも早く許都に戻りたいと考えたからでもあるが、それよりも関羽に反発している勢力に何らかの手を打たれるのが怖かったからだ。
 たったの二騎が道を走る。
 だが甘海の馬が息切れを起こし、しばらく行った所で休憩を余儀なくされた。
「隆中から来られたにしては貧相な馬だな。」
 凄い勢いで息を吸っている馬の首を撫ぜながら、関羽は言った。
 彼の馬である赤兎馬は息など切らしていないし、むしろまだまだ走れるといった余裕を見せている。
 甘海は荷物から水のみを出し、一口飲んだ。
「ええ、私の馬ではありませんから。」
「どういうことか?」
 甘海の言葉を訝しがって、関羽は言った。
 馬が使えないとなれば然したる距離も進めない。
 甘海は許都で夫人らが襲われたこと、均実の一見滅茶苦茶な(本人は計算の上だと言い張るが)行為の結果、何とか窮地を脱したことを告げた。
「そんなことが……」
 関羽は眉をしかめて聞いていた。
 自分は最初、白馬に出陣するのを渋っていた。それはそういう危険がありそうな気がしたからだ。
 だが実際許都でそのようなことが起きた。
 曹操にしっかり後を頼んだから、よほど力のある人間が関羽を排除したいと考えているのだろう。
 そこでふと、白馬でのことを思い出した。
 あのときの責任者である参謀二人が、もしこの首謀者ならわからなくもない。
「甘海殿。許都では一体誰がそんなことを実行したのですか?」
 それなりに実績をもつ武将は南方や西方の守りに行っているか、今回の遠征に参加しているはずである。
「秦という男です。曹操殿が帰られた後、きちんと処罰するといわれたので曹丕殿に引き渡しましたが。」
「秦……どこかで」
 関羽は考え込み、唸り声をだした。
 それほど歳のいった将ではない。曹操の宴で紹介されたわけでもなさそうだが……
 そう考えた時、関羽は思い出した。
「そうかっ、秦というのは蔡陽の甥のはずだ。」
 関羽の言葉に甘海は驚いた。
 だが考えてみれば蔡陽が事件に携わっているというのに、その身内が何のかかわりもないわけがなかった。
 この時代は日本以上に一族の意識が強いのだ。
 蔡陽が宴から帰るとき、彼を待っていた男を呼んだ。その場所には夏侯惇がおり、自分の甥であるから、そのうち側において面倒をみてやってくれないか、と秦を紹介していたのを関羽は見たのだ。
 その時、後方から馬の蹄の音が聞こえてきた。
 馬上の男の手にしている松明の光が、こちらにどんどん近づいてくる。
「蔡陽殿か。」
 その赤い光で照らされた彼の顔を確認して、関羽は自分の馬に乗った。
「甘海殿はそこにおられよ。」
 武器を携え、彼に向かって馬をかる。
 あちらも馬に乗っているので、すぐに二人の距離は縮まった。
「蔡陽殿、一体何の用かっ!」
「お主の首を頂きに参じた、いざ神妙に勝負!」
 蔡陽が言葉を言い終わるか、終わらないかといったところで、二人の薙刀は火花を散らした。
 勢いで薙刀を引き、そこを突いてくる蔡陽を交わしながら、関羽は声をあげる。
「お主の甥も許都で捕らえられたっ! これ以上立場を悪くするでない!」
「わしは忠に、そして義に従っているまで。立場など関係ないわっ!」
「曹操殿がわしを送り出したのだとしてもかっ!」
「お主は必ず殿の害となるっ。ならば今ここで芽をつみとる。」
 一閃した薙刀に関羽は刃と刃があうように振り下ろした。それを押し、巻き取るように手元を動かすことによって、相手の武器を落とさせた。
「ならここでお主が死ぬまでっ」
 武器を失った蔡陽に、関羽は薙刀を振るった。
 ひぅっと音がして宙に血が飛んだ。
 首のない人間を乗せた馬は、そのまま走り、しばらくして体を落とした。
 関羽は心持ち重くなった青竜偃月刀を露払いすると、甘海の元に戻った。
「さすがですな。」
 甘海は動じた様子もなく、関羽を褒め称えた。
 その様子に関羽は苦笑する。
 目の前で人の首が落ちようが、まったく様子の変わらないこんな男を家人として使っている、その諸葛家当主に興味がわく。
 邦泉殿の……想い人か……。
 首をふり、そんなことを考えている暇ではないのだと、甘海に馬に乗るようにいった。
 馬もだいぶ回復したようで、切らしていた息ももう通常通りだった。
 二人が歩みを始めようとすると、また馬の蹄の音が聞こえた。今度は複数の音が耳に届く。
「まずいな……」
 関羽はそう漏らした。
 蔡陽はおそらく独断で陣を抜け出してきたのだろう。それを知った蔡陽に同調する武将が、この蹄の原因ならまた戦わなくてはいけない。
 だが関羽はこれ以上、曹操の武将を殺してしまうつもりはなかった。
 それはあまりにも恩知らずの行為に思えたからだ。
 関羽のその考えに気付いたのか、甘海は笑い声を上げた。
「雲長殿。みてごらんなされ。あれは先走った武将ではありません。」
 いわれてみると、一騎を先頭にして三騎が後に続いていた。
 先頭の一騎は、見間違えようのない人物だ。
「曹操殿っ?」
 関羽はそれでも警戒を怠らず、甘海にすこし先に進んでおくよういった。
 合計四騎は二メートルほど近づいたところで止まった。
「蔡陽が来たか?」
 曹操の言葉に関羽は下っ腹に力をいれた。
「はい。ですが命を狙ってこられたので、返り討ちにしてしまいました。」
 曹操の後ろにいるものも分かってきた。
 張遼に荀、そして程が曹操に付き従っていた。
 関羽の言葉にあたりを見回し、主のいない馬が一匹視界にはいって曹操はため息をついた。
「すまんな。再び雲長殿の手を煩わせてしまったようだ。」
「こちらこそ曹操殿の配下の将を斬ってしまい、申し訳ございません。」
「いや、これは完全にこちらの監督不行き届きだ。」
 曹操が一歩、こちらに近寄ろうとしたので、関羽は一歩後ずさった。
 それをみて曹操は笑い、張遼に合図をした。
 張遼は持っていたモノを関羽にむかって投げる。
 一体何かわからないので、関羽は青竜偃月刀の柄の部分を宙に突き出し、それを受け取った。
「白馬での雲長殿の戦功がわかった。本当ならどこかの村を領地としてさしあげたいのだが、それはわしの下から去るのであれば不可能。
 せめてその錦の直垂、餞別代りに受け取ってくれ。」
 曹操が言うとおり、それは錦でできた衣であり、上質な布地であることは夜目でもわかった。
 はっとして関羽は張遼をみる。すこし誇らしげな顔をしてこちらを見ている彼に、笑みを浮かべた。
「ではありがたく頂きます。
 また他日、お目通りいたす折りもございましょう。」
 関羽はその衣を抱えると、そのまま甘海の待つ闇へと姿を消した。
「……気持ちの良い武将であるな。」
 曹操はそういいながら程を見た。
「雲長殿ほど義を正す者はおるまい。天下の至宝とよべるのではないか?」
「至宝もあかぬ箱に入っていれば、ただの空気とおなじです。」
「ではすでに手にある至宝が、気に食わぬ輝きを放てばどうかな?」
 程がその問いにつまったのをみて、曹操は笑った。
「荀、お前はどう思う?」
「……孟徳殿は、その至宝が気に入る輝きを放つ箱をお探しになられるでしょうね。」
 楽しそうに聞く早々に、荀はすこし呆れ顔でその問いに答えた。
 今回の首謀者は程である。
 よく考えればおのずとわかることだ。
 沛では曹操は程だけを残して、土砂崩れの様子を見にいった。
 それだけですでに曹操は程が真犯人であることに気付き、荀に程が下手に先走りをしないよう白馬では共に行動させた。
 ただ程もただの参謀ではない。許都に残ることとなった秦に策をさずけ、白馬では関羽からの使者に一人で応対した。
 蔡陽を行かせたのは程の指示ではなかったが、おそらく程が指示していたら、関羽達が夜通し走り疲れきった、許都到着直前を狙わせたことだろう。
 だが張遼の必死の訴えや、荀の緻密な調査結果をつきつけられれば程はそのことを認めざるえなかった。
「程、今回のお前の行動は確かに処罰することもできる。」
 真面目に曹操がいう声をきいて、程はうなだれる。
「だがわしは自分の信念を曲げない根性のあるやつも好きでな。
 この罰は、老体にまだまだ鞭をうってもらうことにするぞ。」
 程は心から頭をさげた。

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