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均しき望み 作者:奇伊都

第44回   曹操ひきずりだし作戦(しかけ編)

 甘海は目の前をいく長い列をみて、一息ついた。
 許都をでてから、一日にすこし足らないといったところか。
 急いで馬で駆けてきたので、それほど周囲の情報を集めるということに力を注ぎはしなかったが、どうやら白馬での合戦は曹操が勝利したらしい。
「助かりました。ありがとうございます。」
 自分の横を馬に乗って、同じく列をみていた男にむかって甘海は礼を言った。
 若い男で、自分の主よりすこし年上ぐらいだろう。どこか悟ったような目つきで、いつも不思議な笑みを浮かべている。
 彼は徐季という。仏を信じるという、今で言う仏教の教えを守る宗教団体の幹部だ。
「浮屠の民の情報は正確ですから。」
 甘海の礼をうけ、彼はそういった。
 このころは仏教という言葉がなく、浮屠といわれている。伝教などの活動のために各地に散らばっていた信徒たちは、様々な情報を得ることになる。
 普段から甘海ですらつかめない情報を逐一、徐季は伝えてくれる。今回も彼が甘海に曹操の勝利や、その後の軍の動きを教えてくれたのだ。
 でなければただ真っ直ぐに白馬をめざし、延津の地から官渡に移動している曹操軍とは入れ違いになってしまっただろう。
 ここまで案内してくれた徐季に別れをつげると、甘海は改めて馬を進めた。



 関羽はイラついている。
 はっきりと態度にでているようで周りの兵たちが、心許無さそうに視線をみかわしていた。
 こういうとき白馬に向かう間なら張遼が絡んできては、空気を揉み解していったのだが、彼の姿はなかった。徐晃が関羽のことを気にして、すこし後ろについていたが、彼は自分から会話をするような人物ではない。
 延津の地をひきはらっても、やはり曹操からは何もいわれなかった。
 一体どうなっているのか……
 関羽はわからない今の状況にすっきりせず、だが黙っていることにしたのでどうしようもなかった。
 黙々と列が進み、左手に大きな森が見えた。馬を進めながら、関羽はそれを横目でみていた。
「関雲長殿。」
 突然自分の名を森の中から呼ばれ、関羽は馬を止めた。
「こちらです。」
 木の陰に隠れるようにして老人が立っていた。
 関羽は徐晃を呼び、すぐ戻ることをいって隊列から離れた。
 礼をする老人にそれを止め、話を促した。
「私は諸葛家に仕える甘海と申すものです。」
 甘海の自己紹介に関羽は驚いた。
 諸葛家といえば、均実が拾われた家だ。そこの家人がなんでこんなところにいるのだろうか。
「色々事態が重なったため、私がこちらに来させていただきました。
これを……。」
 渡された手紙を関羽はうけとり、すぐに開いた。
 流麗な文字が並んでいる。
 その文字を目が追うにつれ、関羽の手が震え始めた。
「兄者が……汝南に……。」
 ずっと待っていた吉報だ。
 糜夫人は関羽のもとへいく甘海にこの手紙を預けたのだ。
 関羽は文面をもう一度読み返そうとしたが、甘海にとめられた。
「奥方様はすぐにでも許都を脱したいとお考えのご様子。すぐ許都に向かわれますか?」
「ああ、ああ……いや、すぐは無理だな。」
 関羽は言葉を変えた。
「一時とはいえ、わしは曹操殿の配下。暇乞いにいかねばならん。」
 生真面目にそういうと、甘海は頷いた。
「そういわれると思っておりました。」
「え?」
「均実殿が雲長殿は誠実な方で、けして何も言わずに許都に駆けつけることはないだろうと言われたのです。」
 均実は今の状況が三国志演義からすこし外れていることに気付いていたが、これまではちゃんとそれに沿っていた。ならばこの状況でも三国志演義どおり、関羽は律儀に曹操に挨拶をしようとするだろう、と考えたのだ。
「そうか……」
 見抜かれているようだが、不思議と悪い気はしなかった。
 関羽は甘海に自分の隊列についてくるよういった。
 行軍の途中で、将が勝手に持ち場を離れるのはあまり好ましくない。
 曹操に会いにいくのは、この先で休憩をとる場所にするべきだろう。
 関羽は逸る気持ちを押さえ、馬を進めた。



 結局、軍が止まったのは夜になってからだった。
 自分の帷幕でくつろいでくれるよう、関羽は甘海に言い、曹操に会いに行った。
 甘海は大人しく待っていたのだが、関羽があまりにも遅いのですこし外に出てみた。
 かがり火が焚かれ、空は真っ暗だというのに辺りは明るかった。
「……甘海殿か?」
 声の主は驚いたようにそこに立っていた。
「孟建殿……。いや、曹操殿のもとへ行ったとは聞いていたが、まさかこんなところで会えるとは……。」
 意外といえば意外だが、ありえなくもない再会に甘海も驚いた。
 亮の友人の孟建はぎこちない笑みを浮かべ、近づいてきた。
「こちらのセリフだ。何故ここに?」
 言ってもいいか迷ったが、孟建は自分が関羽の帷幕からでてくるのを見ている。下手な言い訳をしても無駄だろう。
 甘海は孟建を帷幕の中に招き入れ、劉備が見つかったこと。それを関羽へ伝えに自分がきたこと。関羽が今曹操を訪ねているということを説明した。
 孟建は再び驚いたようだ。
 細かい事情は説明しなかったが、甘海が大陸中を飛び回っているのは知っている。どういうわけか、その間に関羽とかかわりを持ったのだろう。
 甘海が説明し終わると、孟建は唸った。
「その三条の条件の話は知っている。そうか、見つかったのか……。」
 自分の属している陣営にとって、関羽が劉備の元へ去るというのは、手ごわい敵ができるということであることを孟建はわかっている。
 だがここで曹操が関羽を離さなければ、曹操は約束も守らないやつと思われるだろう。
「殿はそういうところはしっかり守られる。間違いはないだろう。」
「ですが……」
 甘海は関羽には時間省略のため言わなかったが、許都での事件を知っている。曹操が約束を守ろうとしてもそれに反対する勢力がいるということだろう。
 孟建は甘海の表情が曇ったのをみたが、それを指摘するよりも先に関羽が帰ってきた。
「……そちらの方は?」
「ああ、隆中での知人です。」
「孟建と申します。」
 孟建が礼をするのをみて、関羽も礼を返す。
 だがそのまま関羽は座り込んだ。
「曹操殿にはお会いできなかった。」
「え、何故ですか?」
「重要な軍議中だと追い返されたのだ。」
 関羽はいらだたしげにそう答えた。
 しばらく帷幕の入り口で待っていたのだが、一向に終わる気配がなく、関羽は仕方がなく戻ってきたのだ。
「変ですね……」
 孟建がポツリと言った。
「変?」
「この後は官渡の城の防備を固め、袁紹に備えることはもう延津で決まっています。
 相手の情勢に変化があったとも聞いていませんし、何も今軍議にかけるような重要な事案はないはずです。」
 延津での軍議には孟建も参加した。これからのこの戦いの見通しや、兵糧の補給、兵の配置など喧々囂々と談義して結論をだしたはずだ。
 甘海は孟建の言葉に黙り込み、そして言った。
「劉予州殿のもとへ行かすまい、という企みではないでしょうか?」
 孟建は否定したかったが、自分もその可能性がある、いや高いことに気付いていたので何もいえなかった。
 甘海が隊列に加わったことぐらい、曹操も知ることはできるだろう。何をしにきたのか、この状況で考え付くものなどそれほどない。
 関羽は腕を組んだ。
「そうなると、これから何度訪ねても会うことは叶いそうにないな……。」
 どうしたものか、関羽は頭を回転させる。
 仕方がないので、黙っていくというのはさすがにできない。許都では毎日のように宴を開いてもらい、屋敷も用意してもらえた。数々の贈り物はできるかぎり手をつけずに置いてあるが、それでも数え切れないほどの恩を受けたといっていい。
 顔良を倒し、一応恩返しは済んだともいえるが、それを曹操はどうやら知らないようだ。
「……孟建殿。文醜は今どこにいるか知っておられるか?」
 関羽に言われ、孟建は目を開いた。
 文醜は曹操が延津で生け捕りにした袁紹側の武将である。
 その武勇を買って、曹操は自分の下に下したいようだが、ガンとして首を縦に振らない文醜は、曹操に呆れられながらも捕虜としての扱いを希望した。
「確かここから右へおれたところに捕らえられていると聞いていますが……。」
「もし、文醜が逃げ出せば、軍議どころではあるまいな。」
 関羽の発言により孟建は目を見開く。
「な、何をおっしゃっておられる!」
「言ったとおりだ。文醜を逃がせば、曹操殿は帷幕からでてくるだろう。」
「敵将を逃がされるのかっ!」
 そんなことをすれば、文醜は袁紹のところに舞い戻り、延津での戦いが無駄になるといってもいい。それにもし、ばれれば曹操も黙っていないだろう。
「文醜は下るのを拒否しているのだろう?」
 熱くなる孟建に関羽は言った。
「相手に下る将ならば、延津からここに来るまでにすでに下っているだろう。ということは文醜は曹操殿にとって敵にはなりえるが、味方にはけしてならない。」
 関羽の言うことを理解できず、孟建は彼をみつめる。
 甘海はわかったようで、考え込むように首をかしげた。
「文醜を逃がし、そして騒ぎを起こす。そして曹操殿が帷幕からでてきたところを見計らって、わしが奴を殺す。」
 孟建は息を呑んだ。
 凄まじい計画である。それにこれは自分の武芸の腕に相当の自信がなければ、実行などできないだろう。
「一つ、質問があります。」
 甘海は関羽を見た。
「いつ、決行なさるのか?」
「すぐにでも。」
 帷幕内の空気が一瞬で重くなったように感じられた。



 曹操は言葉を選びつつ、目の前の者と話していた。
「聞いてはおらん。」
「ですが本当に白馬の地で顔良を倒したのは関雲長殿で間違いはないのです。」
 張遼は何度も繰り返した主張を、また繰り返す。
 曹操はため息をつき、荀に目をやった。
「のう、荀。」
「はい、そうご報告いたしました。」
 荀が感情を含まないような声でいうのが、張遼には勘に障った。
「あの時、あの場の責任者だったあなたが、何故そのような嘘の報告をされたのだっ!」
「嘘? ではあなたは関羽殿が顔良を倒したのをみたというのですか?」
 張遼はぐっと詰まった。
 自分はあのとき、関羽の後方支援をしていて、彼の姿はみていない。
 ただ関羽は自分が顔良を倒すと言っていたし、周りの兵も彼ら二人が薙刀で打ち合うところを見た者はいた。
 だがその後のことは誰に聞いても知っている者はいなかった。
 関羽は打ち合っている間に二人とも落馬したから、歩兵達には見えなかったのだと言った。
 その言葉を張遼は信じたし、嘘だとは思えなかった。
 実際顔良は死んだし、その首は陣中に関羽によってもってこられたのだ。
「で、ですが戦場に関羽殿がでられたのは事実。何故恩賞が一つもないのですか?」
「関羽殿が特徴的な格好をしているのは、皆知っていること。ですから誰かが関羽殿の武勇を利用しようとしてその格好を真似していたのだとしたら? 戦場で、馬に乗った髭が長い、大薙刀を振り回す男がいたからといって、それが関羽殿御自身とは限らないでしょう。」
 詭弁といえるような言葉だが、ありえないとはいいきれない。
 自分は戦場で関羽と言葉を交わしたわけではないのだから。
 荀の言葉に何度も詰まりながら、張遼は関羽の戦功を訴え続けた。
 一つに関羽に好感をもっているから、というのもあるが、今までにありえない奇妙なその報告に違和感をぬぐえなかったからでもある。
 そういった風に話し合っていると、帷幕の外が騒がしくなった。
 三人は話をやめ、外の様子をうかがった。
「おい、お前。何があった!」
「あ、殿! 捕らえていた文醜が逃げ出したのですっ。」
 走っていこうとする兵を一人捕まえて、曹操が問いただすとそんな答えが返ってきた。
「文醜が?」
「まずいですね。脱走されると、今後の士気にもかかわります。」
 荀が眉をしかめて言った。
 張遼は慌てて装備を整えようと、曹操の前を辞そうとしたが、兵たちの叫び声に足を止めた。
「美髯公が文醜と戦っているぞっ!」

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