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均しき望み 作者:奇伊都

第43回   星の告白

 関羽もおかしいと思っていた。
 賞与では張遼も徐晃も、蔡陽ですらなんらかの褒美をもらっていたのに、自分は名前すら呼ばれなかった。
 別にもらったところで、劉備の元へいくときは返すつもりなのでもらってもしょうがないのだが、一体どうなっているのだろうか。
 信賞必罰は国の基本といってもいい。それを曹操が行わないとは思えなかった。
「どうも殿の口ぶりでは本当に白馬では、雲長殿はただ見ていただけと思っているようだな。」
 張遼も関羽の待遇がおかしいと思ったのか、それとなく曹操に聞いてみたらしい。
 褒賞が確かでなくなれば、ついていく将はいなくなる。
 確かに白馬での戦功に何もなし、というのは関羽も腹がたたなくもないが、それほどでもなかった。それよりも……
「なぜそう思われたか、ということのほうが大事だな。」
 あの白馬での作戦の最高責任者は確かに曹操かもしれないが、彼は実際にあの場にはいなかった。
 参謀である荀と程、彼らがあの場の責任者だったはずだ。
 曹操が正しく戦場での情報を把握していないというのは、ひいていえば彼らが嘘の報告をしているということではないか。
 なぜそんなことをするのか……。
 関羽は先程からそのことを考えていたのだが、一向に思いつかない。
 というかそんなことをして何の得があるのだろうか。
 曹操が知らなくても、実際に戦場に出ていた者にはわかっていることだ。
 だから戦功のある関羽は誉めないというのは、これからの戦いの士気に関わるだろう。
 帷幕の中で考え込んでいる関羽の姿を、張遼はじっとみていた。
 何か、何かわからないが、陰謀が働いているのだろうか?
 沛でのこともまだはっきりしていないが、ここでこのような不可思議なことが起こるとは。まるで……
「まるで雲長殿を怒らせようとしているみたいだな。」
 張遼の言葉に関羽も頷いた。
 まだ二つのことがつながったわけではないが、蔡陽が関わっている時点で、その可能性は濃厚だといわざるえない。
 沛の事件もここでのことも、共通して言えるのは関羽を怒らせるようなことであるということだ。
「わしが怒って得をするのは……わしがここにいることを好ましく思っていない輩ということになるが」
「……蔡陽殿か? あまり考えたくはないが。」
 張遼はそういいながら首を振った。
 沛のときもそうだったが、ここで関羽が短慮を起こせば、曹操は間違いなく関羽を処罰するだろう。許都に人質に近い形で奥方たちがいる関羽にそれはできない。
「……どういうことが裏で働いていたとしても、わしは我慢するしかない。」
 劉備の行方がわからない以上、曹操の配下でいることは降服するときに誓ってしまった。
 今は、仕方がない。
 関羽はそう判断し、黙っておくことに決めた。



 曹丕は、自分の屋敷に戻った。
 とらえてある秦は彼に渡した。
 というか引き取ってもらった。あんなむさい男、いるだけで邪魔である。
 取調べはきちんとやると曹丕は言っていたが、どうなったことやら……
 均実はため息をついた。
 それにしてもまたこの格好かぁ。
 以前やったときはもう嫌だと思ったが、今回も感想は変わらなさそうだ。
 ずるずるずるずる……重いし、邪魔だ。
 軒が揺れるたびに、均実は逃げ出したいと思っていた。その回数はもう覚えていない。
 甘海はあの事件のあとすぐ、許都を発った。
 すこしでも早く関羽に劉備の行方を伝えてくれと夫人らに頼まれたからでもあるが、何より馬で荒れた屋敷の片付けから逃れるためだったのだろう。
 甘海の馬は興奮しすぎてバテバテだったので、三つ目の厩舎に残っていた屋敷の馬を彼は乗っていった。
 逃げたな……くそぅ。
 さっさと行ってしまった甘海に毒づきたくなるほど、屋敷は結構ボロボロだった。
 扇風機もどきをつけられた馬だけでなく、二つ目の厩舎で均実が尻を一発叩いただけの馬も屋敷で暴れたらしい。
 柱に激しくぶつかったり、整えられていた庭園の樹木を倒したり……
 時折、他の家人がちらちらとこっちをみては、ひそひそと何か言っている。
 確かに自分のせいであるところが、八割ほどあるような気もしなくはないが、もとはといえば夫人らを人質になんかした秦が悪いのだ。
 まったく私は悪くない!
 均実は割り切って掃除をしていた。
 李哲が恨みがましそうな目でこちらを見ているのは、ちょっと良心の呵責を感じたが。
 倒れた木々を植木屋に頼んで整えさせ、折れた柱を修復して、逃げ出した馬たちを何とか連れ戻したりしているうちにその日は終わった。次の日ある程度、綺麗になったところで徽煉は均実を着替えさせたのだ。
 いわく、曹丕を見舞い、ついでに礼を言ってこいとのこと。
 見舞いっていっても、曹丕は一発後頭部を殴られたぐらいだろうし。それに礼って何の? と聞くと徽煉は
「最後、曹丕殿は起き上がって犯人達を取り押さえてくださったんです。」
 っていうかその犯人達を屋敷にいれたのは曹丕だろうが。
 という突っ込みは社交上、使えないらしい。
 一応の礼をしなければならず、その使者としてあのとき曹丕の目的だった均実に白羽の矢がたったということだった。
 見覚えのある角を曲がって、ゆっくりと軒は進む。
 前来たときは雲長殿と一緒だったんだよなぁ。
 確実に屋敷に近づいているのを感じて、均実は逃げるのを断念した。
 見覚えのある人間が門のところに立っている。
 え〜と確か、延寿殿だっけ。
「これはこれは、わざわざご足労いただきありがとうございます。」
 前と同じように出迎えられて、均実はなんとなく居心地が悪く感じた。
 以前は関羽と一緒だったので、周りの人間がへこへこするのもしょうがないかと思っていたのだが、今は自分ひとりである。
 均実は窮屈そうに屋敷にはいると延寿につれられて、屋敷内を歩いた。
 ひっそりしている。
 前は離れで曹操と宴をしただけなので、こちらの母屋にきたのは初めてだ。
 館の主がいないのだから仕方がないかもしれないが、何となく活気がない。
「邦泉殿っ!」
 屋敷内を見回してながら歩いていると、元気のいい声がした。
 みると喜色満面といったような表情で曹丕がこちらに駆けてきていた。
 数人がその後ろを追いすがるようについてきている。均実が訪ねてきたことを聞き、全て放り出して出迎えようとしたのだ。
 延寿が渋い顔をするのをみて、均実は笑みをうかべるべきか迷った。
「子桓様……。そのように走られては」
「来ていただけて光栄ですっ! どうぞ、こちらへ。」
 延寿の言葉をきく様子もなく、均実をエスコートしようとする曹丕はどこからどうみても元気だった。
「あの、お怪我のほうは?」
「ああすこしコブができたくらいです。ご心配ありがとうございます。」
 均実の言葉に曹丕は楽しそうに答えた。
 結局連れて行かれたのは庭園に造られたあずまやのようなところだった。
「一言お礼とお見舞いを申し上げれば、帰るつもりだったのですが……」
「そんな事言わず、しばし私の話し相手になってくださいよ。」
「はぁ……ですが何かの途中だったのでは?」
「ああ、書簡を読んでいたのです。また後で読みます。」
 困惑しながらも均実はうながされ席につく。
 曹丕の後ろを追いすがっていた家人達は、彼の言葉を聞いておいかけるのをやめた。おそらくはその書簡を片付けにもどったのだろう。
 延寿はあずまやまで一緒に黙ってついてきていたが、短くため息をつくと母屋のほうに帰っていった。
 曹丕によると曹操がいないため、屋敷内の全てをあの冢宰が仕切っているという。
「お邪魔だったんじゃないですか?」
「いえ、とんでもないっ。私は邦泉殿にまたお会いできてとても嬉しいのです。」
 わざわざ均実を訪ねて館まで行ったのだ。会えないと思っていたからそれは余計だった。
 均実は曹丕のその歓迎ぶりをみて嬉しいというより、困惑する。
 本当に嬉しそうな彼の表情をどこかでみたことがあるような気がした。
 思い出すことができず、均実はとりあえず聞こうと思っていたことを聞くことにした。
「秦殿はどうなったのですか?」
「彼には今、自宅謹慎を命じています。処罰をするにも父に伺いを立てなければいけませんし。
 一応今回の事情は聞こうとしたのですが、何も口にだすことはありませんでした。」
「そうですか……」
 まあ将一人を勝手に処罰できるほど、まだ曹丕には権限がないのだろう。特に今は戦争中であるから、人材は貴重なのだ。
「贈り物は喜んでいただけましたでしょうか?」
 均実が考え込んでいると、曹丕はすこし照れたように言った。
 それに均実は一瞬眉をよせそうになったが、何とかこらえた。
 屋敷を片付けている間に、李哲が気をきかせたのか、自分の部屋にそれらは運び込まれていた。嫌な予感は的中したと均実がため息をついた品は、やはり香だった。
「珍しいもので、これは邦泉殿にさしあげなければと思ったんです。」
 キラキラと目を輝かせていう曹丕に礼は言う。
 ここで香は嫌いだといっても、かわいそうなだけだろう。
「……何故、私を訪ねてこられたんでしょうか?」
 均実はそう言った。
 曹丕はすぐその問いに答えようとはせず、あずまやの柱近くで待機していた家人達に母屋に戻るように言った。
 家人らが自分の視界からいなくなるのをなんとなく心持ち悪く感じながら、均実は曹丕の答えを待った。
「本当は、もっと早くお訪ねするつもりだったのです。」
 周囲に人の気配がなくなってから、曹丕は口を開いた。
「それこそまだ関羽殿が許都にいらっしゃる間に……。劉予州殿の行方がわかったのは、あの宴の夜でしたから。」



 関羽と均実が屋敷に戻るときき、急いで門に向かったが見送りは間に合わなかった。くさっていると、父の楽しそうな声が聞こえてくる。
 自室に帰られたのではなかったか?
 曹丕はそう思い、声のするほうへ行くと確かに聞き覚えのある声と、父の声が会話しているのが聞こえてきた。
「よい。それよりも沛での一件の真相を暴くほうが先だ。」
 父、曹操の声がそう言った。
 沛での一件……曹丕にはすぐそれが何を指すのか分かった。父は自分の後継者として、曹丕に自分の仕事を見させようと普段、側においている。自然と沛で劉備の奥方が襲われたことも耳にはいっていたのだ。
 誰と話しているのか。あの事件のことは曹操は口止めを曹丕にしていた。まるで犯人を捜しているかのような……
 曹操の部屋の前の庭まで来た。窓から曹操の横顔がみえた。だが相手は部屋の壁に近いほうにいるらしく、誰だかわからない。下手に動くと隠れて話を聞いているのがばれてしまう。
 それでも一体誰が父と話しているのかと、窓からすこし離れた木の後ろから首を伸ばして窓を覗き込もうとした時だった。
「では予定通りに白馬では動きましょう。」
「……張良もそのような気をまわし続けたのかな?」
 曹丕は父のその言葉で相手がわかった。
 これは曹操陣営では有名なことだ。袁紹のもとからやってきた参謀を、曹操が過去の名参謀、張良が来たと喜んだという話。
 荀殿か。
 正式な話し合いの場でなく、このように曹操の部屋で話しているということは、あの沛での事件には、結構な地位をもった人間が関わっていたということだろうか。
 曹丕がそんな風にかんがえていると、話は関羽のことに移った。
 このように立ち聞きしていることを、そろそろ気が咎めだし、戻ろうとした時だった。
「劉備の居場所も隠す必要がありますね。」
「わかったのか?」
「はい……袁紹のところに身を寄せているそうです。」
 荀の言葉に曹操はいらだたしげに舌打ちをした。
 劉予州殿が……?
 曹丕は次の父の言葉に耳を疑った。
「隠せ。」
 三条の約束を守るのではなかったのか。関羽が義を尽くして動く人物だというのに、それを裏切るのか。
 曹操はそういうと顔をこちらにむけた。
 気付かれた?
 曹丕は慌てて全身を木の幹の裏に動かした。
「小さき星も、月の力が弱まるのを待てば、輝くものだな。」
 どのような表情で父がそういったのか、曹丕には見えなかったが特にその後、声は聞こえてこなかった。
 だがその言葉がまるで、自分に劉備のことを関羽達に伝えに行けといったように感じた。



「父が本当にそのような意味で言ったとは思っていませんが、私が普段、父という月に照らされ、満足に輝くことができない星であるような気がしたのです。」
 感受性の強い一家である。
 均実は黙って曹丕の話を聞いていたが、自分が曹操のそんな言葉を聞いても、きっと自分には当てはめないだろうと思っていた。
 何故曹丕が人払いをしたのかわかった。沛の事件がかかわっていることを、家人らに聞かせるわけにはいかないからだろう。
「なので次の日、すぐお訪ねしようと思ったのです。」
「ですがいらっしゃったのは昨日でしたよね?」
 素朴な疑問である。
 均実がそういうと、曹丕は均実の手をとった。
 へ、な、何?
 冷たいが大きい手に自分の手がつつまれ、均実はどうしていいのか戸惑った。
 曹丕はかまわず均実の目をみつめ、話し続ける。
「劉予州殿の行方がわかれば、きっと関羽殿はすぐにこの許都をでていかれる。そして私たちは敵同士となる。……あなたとも会えなくなる。それが嫌だったのです。」
 曹丕の顔から目が話せない。
 必死で、何かをこらえているような表情。
 どこかで見たことがある。
 そればかりが頭の中で繰り返される。
「……どうしてですか? 私とはあの宴で一度会っただけなのに。」
「あなたの声や姿、全てが私にとっては愛おしく感じたのです。ずっと、側にいて欲しいと思えるほど。」
 その答えに均実はやっと思い出した。
 許都を出発する前日の、あの関羽の表情だ。
「許都をでられれば、側にいてなどもらえない。それを考えたら耐えられなかった。」
『今のように寒さからも。そして危険からも。ずっと邦泉殿の側で。
……もう下邳でのようなことは起こしたくない。』
 関羽の声がかぶって聞こえてくるようだ。
 その真剣な表情は、まったく顔は似ていないというのに、あの夜の関羽とほんとうにそっくりなように感じた。
「あなたが好きです。」
 手を掴まれたまま、均実はその言葉を聞いた。
 突如として突風がふく。あずまやの中にいるというのに、それは強く、均実は思わず目をとじた。
 だがそれと共にふわりと暖かいものにつつまれた。
「どうか……ずっと側にいただけないでしょうか。」
 曹丕のささやくような声が耳元でする。
 暖かいものが、強く均実を締め付ける。
 抱きしめられているのだと、やっと気付いた。
 香が鼻をつく。
「いやっ!」
 慌てて均実は曹丕の胸を押した。
 落ち着かない。違う。何か、違う。
 だが均実のその拒絶も曹丕の腕の中では役に立たず、均実は離れることができなかった。
 どうして、こんなに力が強いの!
 立てば均実の方が若干であるが、背は高い。それに曹丕の方が歳下のはずだ。だが力では敵わない。
 泣きそうになりながら、均実はそれでも曹丕から離れようとした。
「放して……っ」
 彼を押していた両手首をつかまれ、均実はビクッと顔を上げる。
 曹丕が悲しそうな目でこちらをみていた。
「……怖がらせてしまい、すみませんでした。」
 そっと腕を下ろし、均実の腕も離してくれた。
 均実が解放されたことに安堵し、息を吐くと曹丕からすこし離れた。
 しばらく二人の間に無言の時が流れる。
「……邦泉殿はやはり、関羽殿のことを想ってらっしゃるのですか?」
 曹丕は離れた距離を縮めようともせず、ただ均実をみた。
 恐る恐るといったその口調に、均実は何だか悪いことをしたような気分になった。
「やはりって……?」
「以前の宴で私が退室する際、邦泉殿が声をかけてくださいましたよね。あのとき関羽殿が凄い目で私を睨みつけていましたから。」
 そうだったのか……と均実は思った。
 そんなこと、知らなかった。あのあと曹操が何かを言ったのに、関羽がため息をついたのは覚えているが……
「別に雲長殿のことを、というわけでなく……。
私は人を好きだと思ったことがないのです。だからどう思うことが、相手を好きだと思うことなのか、わからないのです。」
 すこし頭は混乱していたが、均実は素直にそう答えた。
 夫人らにも聞かれたことだから、考えることなく言葉がでてきた。
「……私のことも、好きかどうかわからないのですか?」
 曹丕が聞いてくることも、その通りなので、頷く。
 その答えに曹丕は考え込み、また口を開いた。
「では……私のことを好きになる可能性もあるということですよね?」
 均実はその言葉には、頷くことができなかった。
「……わかりません。本当にわからないんです。」
 うつむいて自分の腿の上につくった握りこぶしをみつめた。
 日本で純が圭樹と付き合うことにしたと聞いた時、何故かと聞けばカッコいいと思ったからという答えが返ってきた。
 ならカッコよかったら誰とでも付き合うのか?
 均実のその言葉に純は苦笑した。
 ヒトも誰かを好きになればわかるよ。
 初めて紹介され圭樹に会った時も、同じことを言われた。
 だが未だにその答えはわからない。
 均実のその様子をじっと見てから、曹丕は言った。
「いつかその日がくればいいと、私は勝手に願っておきます。」
 日はかなり傾き、空には一番星が輝いていた。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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