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均しき望み 作者:奇伊都

第41回   帷幕の中で何思う?

 関羽は帷幕にもどると、具足をとり地面にたたきつけた。
 側仕えの人間がぎょっとするのもかまわず、さっさと関羽は落ち着ける服装に戻った。
 蔡陽がわしと顔良の会話を邪魔したのは確かだろう。あれは一体……。
 いらいらしながら、陣羽織と具足をしまうように指示した。
 あっさりと敵を蹴散らすことに成功した曹操軍に、新たな一報がもたらされた。
 白馬より西南の地、延津に袁紹軍が陣をはったというものだ。
 すぐにそこへ向かうこととなったのだが、どうもすっきりしない。
 誰から顔良は自分のことを聞いたのだろうか。
 確かに自分は有名だ。これはうぬぼれでなく、真実「関羽」という名は子供でも知っている。
 だがあれほど自分の姿かたちを正確にいいあてることなどできるものは、そうはいないだろう。
「何を苛立っているんだ?」
 帷幕の入り口から張遼が呆れたように言った。
「別に」
「あいつ、怯えてたぞ?」
 帷幕の外を指差しながら、張遼は入ってきた。
 おそらくさっき具足を預けた人間だろう。
 はっと短く息を吐くと、関羽は張遼のほうを見た。
「何か、こう、はめられているような気がするだけだ。」
「はめられ? 誰に?」
「……さあな。」
 ここで蔡陽の名を口にするのは簡単だが、確証はまだない。
 まっすぐな性格の張遼に、顔良のことを言えばおそらく面と向かって蔡陽を問いただそうとするに違いない。
 それには何の意味もないのだ。
「失礼します。」
 そこに徐晃もやってきた。
「この度の戦功。お見事です。一騎当千というのは雲長殿のことですね。」
「わしなど大したことはない。お二方の力がなければ、今回のことはうまくいかんかっただろうし。」
 関羽は徐晃の誉め言葉に苦笑しながらそう答えた。
 張遼、徐晃は確かにしっかりと役目を果たしてくれた。
 敵陣の兵力が自分たちの退路を断たないように、うまく兵を動かしてくれていたことを関羽はわかっていた。
 徐晃は礼をした頭をあげると、張遼の姿をみた。
「雲長殿はついさっき武勇をまた一つ多くしたところです。文遠殿、賛辞をもうすでに贈られたのではないですか?」
 張遼はおっと思い出した、といい関羽に頭を下げた。
「確かに大した腕だ。顔良をあっという間に馬から突き落としたと聞いたぞ。」
「ははは、あのようなこと。わしの義弟、張益徳であれば気迫だけで落としただろうよ。」
 関羽のその評価に張遼と徐晃は顔を見合わせた。
「それは絶対に殿にいっておかねばならんな。」
 張遼の言葉に関羽は苦笑したが、否定しない。
 自分の武勇は有名だが、義弟張飛の武勇はそれほどでない。まあすこし単純なところがあるから、自分で戦略を立てることを不得手としているので、常に義兄である劉備のすぐ下で働くため目立たないが、武芸という点だけでみると、自分はまず勝てないだろう。
「それにしても蔡陽殿とは雲長殿は仲が悪いのですか?」
 沛での一件を教えていない徐晃がそう言った。
 張遼は関羽が蔡陽に言われ、宿に留まっていたことを知っているため何も言わなかった。
「何か?」
「いえ、どうも敵対しているような空気を二人はピリピリとだしているので……」
 ただの勘らしい。
 結構鋭いと関羽は思ったが、特に肯定も否定もしなかった。
「そんなことより延津に陣がはられているとは、曹操殿も気付かなかったのだろうか?」
「いや、知っていたらしいぞ。」
 無理やり話を変えた関羽を助けるように、張遼はそう言った。
「知っていた?」
「ああ、だからもうすでに殿はこの地を発たれている。というか最初からここには来ていない。」
「それは初耳ですね。」
 徐晃も話に乗ってきた。
 張遼はそれを確認して話を進めた。
「白馬へ向かう途中、殿は延津に袁紹が兵を進めてきたのを知り、兵を二分してご自分は延津に向かわれたらしい。」
「……それは本当か?」
 低い声で関羽が言った。
 張遼はそれになんだか不穏なものを感じたが、首を縦に振った。
「ああ、どうかしたのか?」
「わしは今回、蔡陽殿が曹操殿に『顔良を倒せるのは関羽だけ』と進言して、それを曹操殿がうけいれたのだと聞いたのだが?」
 曹操がこの地にきていないのだとしたら、それはどういうことだろう。
 敵陣に突っ込むことも曹操に了承を得てからということで、一度曹操の帷幕に使者を遣わした。それなのに曹操自身がここにいないとは……。
 張遼も徐晃も首をひねったが、答えはでないようだ。
 だが徐晃が空気を吐いた。
「まあ問題はないでしょう。荀殿と程殿がこちらには来ていると聞いています。
 ここでの全権はその二人に渡されていて、作戦の実行許可はどちらかが出したのでしょう。」
「殿は情報戦がお得意だからな。士気を下げぬよう、自分が同行していないのを隠していたんだろう。」
 関羽は納得しないような顔をして、考え込んだ。



 延津ではすでに曹操軍が袁紹軍をほぼ制圧していた。
 関羽達が白馬の地を落とせば、援軍に駆けつける手はずとなっていたらしいが、曹操の妙計とやらがここで働き、もうほとんどやることはなかった。
「久しいな。といっても数日だが。」
 曹操は白馬から兵を引き連れてきた荀と程を、自分の帷幕に招きいれた。
 かなり歳の離れた参謀二人である。時折作戦を立てる上で言い合いをしたりするが、それはお互いにないところを補い合うためだと曹操は思い、今回二人で軍を動かすよう指示した。だが普段からその人知を超えた知識には、曹操でさえ舌をまくが、これほど早く白馬を落とすとは思っていなかった。
 二人は拱手をすますと、別段誉められ嬉しく思っているようにもせず、話を続けた。
「殿の方もうまくいかれたようで。」
「ああ、ちょっとおとりを使っただけで、相手が油断したものでな。」
 曹操もこれほどうまくいくとは思っていなかった。
 本来行軍では輜重――つまりは物資だが――を積んだ車は最後尾に続く。それを前にしてみただけだった。
 というのもいくら袁紹が白馬にも兵を割いているとはいえ、延津にいる兵も曹操軍よりはるかに多かった。ただぶつかるだけでは勝機がつかめない。
 もちろん諸将は反対した。襲われれば兵糧が簡単に奪われるだけでなく、その後物資なしでは戦ができないからだ。だがそれを強行した。
 見通しのあまりよくない道を選び、そこをゆっくり通った。
 これでは本当に襲ってくれといわんばかりだが、やはりそこを襲われた。
 輜重にはあまり兵を割いていない。ほぼ抵抗らしい抵抗もできず、輜重を放って曹操達は逃げ出した。文醜は疑いもせず馬も手にいれるよう命令をだした。
 これが罠だったのだ。
 馬をバラバラと点在させ、目論見どおり敵はそれを収容するため隊を乱し始めた。
 それを丘の上から待っていた曹操。今だ、討ち取れと指揮を下した。
 いくら兵の数が違えど、見通しが悪いところで、上から打ちかかられれば一たまりもない。その上敵は隊列などもう形を止めていなかった。
 文醜が曹操に気付いた時にはもう遅い。
 あっさりととられた輜重をとりかえし、曹操は文醜を生け捕りにした。
「それにしても主の甥はなかなかなものだな。」
 荀に向かって曹操はそう言った。
 この罠を張り巡らそうとしたとき、唯一荀の甥、荀攸だけがそれを見抜き、反論しなかった。
 それをいうと荀は嬉しそうに笑った。
 自分の一族が誉められるのは嬉しいが、自分の功を誇らぬところが彼らしいと曹操も笑った。
「白馬ではどのような策を使ったのか?」
 曹操がいうと、それに荀が答えた。
「策など一つも使いませんでした。」
「ほう、だが蔡陽だけでは白馬は落とせなかったのだろう?」
「兵力不足というのが原因だったようです。」
 荀はそういい程に目をやった。
 程はうなずいた。
「張遼殿、徐晃殿の二将軍と兵を与えれば、あっという間に白馬は落ちました。」
「そうか。……関羽殿は腕をふるう機会がなかったか。」
 曹操はそうつぶやくと、荀に残るようにいって、程のみ下がらせた。
 二人になった帷幕の中で、曹操は荀を見た。
「確か白馬には顔良という武将がいたはずだが? 誰が討ち取ったか?」
「さて……誰でしょうね。」
 そういいながら荀は、帷幕の外を厳しい目つきで見つめていた。
 敵陣の残兵を下し、延津の地を平定したあと行われた賞与では、関羽は何ももらうことはなかった。

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Novel Editor by BS CGI Rental
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