「へぇ…ヒト、読むの、はやいね。」 やはり純は均実がどこまで本を読んだか聞いてきた。 「まあ、ね」 ランニングで荒れる息を整えるのを心がけながら、均実は答えた。 関羽が曹操の下にいるとき、劉備は袁紹を頼って落ち延びていた。その袁紹と曹操が争うことになったとき、関羽は曹操に助力を頼まれ、袁紹の部下を二人殺してしまう。そのあと劉備が袁紹のところにいることを知り、劉備の妻を守りながら曹操の下を出て行く。劉備を探しているうちに義弟である張飛、仲間に加わりたいという周倉と合流し、最後にやっと劉備と再開を果たすのだった。 結局昨日はそこまで読んでからの記憶が無いので、そこで寝てしまったのだろう。 それでもかなりの読書スピードだろう。一日でそこまで読む均実に純は心底感心した。 「その後、劉備は、荊州の、劉表を頼って、いくんだよ。」 「……純ちゃん。まだ読んで、ないとこの、進展、いわないでよ。」 実はそのあとどうなるんだろうと、本の中のことながらドキドキしていた均実は純の言葉に少しむっとした。 だが純はまったく悪気無く、 「あはは、ごめん、ごめん。」 という。 均実はその態度に短くため息をついた。 荊州というのも確か本の中の地図上で見た地名だったような……。劉表とかいうのも見たような気がする。劉備が頼っていくってことは親戚なのかな? そんなことを考えて均実はハッと我に返って少し頭を振った。 真剣にこんなこと考えてたら、トレーニングにならない。ある程度筋肉を意識して走らないと意味がないのだ。 結構長い間ぼーっと走っていたのだろう。いつも曲がる角直前まで来ていた。 「と!純ちゃんここ曲がるよ!」 「あ、ヒト。今日こっちいこ。」 曲がろうとした均実の腕を純は無理やりひっぱり、まっすぐの道を走りだした。 勢いが違う方向に向いていたので均実はすこしつんのめりながら、それでもかろうじてこけなかった。 まだあたりが暗いので、視界も良くない。もし足元に石でもあれば確実にすっころんでいただろう。 「ちょ、ちょっと!なんで?」 何とか体勢を立て直しながら、腕をひっぱったままの純に均実は慌てて聞いた。 下手なコースを走ると予定時間内に家に戻ることができなくなる。 均実が何とか体勢をもちなおしたのを確認してから、純は腕を離して言った。 「買いたいものが、あるの。そこのコンビニなら、遠くないから、大丈夫でしょ?」 「コンビニ?」 均実は進行方向の地図を頭に思い浮かべるまでもなく、純がどこに行きたいのかわかった。 この道をまっすぐ行くと、四車線ほどある大きな道路にでる。その道路をわたって向こう側には、最近できた大手チェーン店のコンビニがあった。 学校への通学路でもあり、均実も何かと利用する結構便利な店だった。 均実はそこまでのルートと、そこから毎朝の待ち合わせ場所にしている電信柱までのルートを頭の中で描いた。 確かにコンビニであまり時間をかけなければ、普段と同じ距離ぐらいは走れるだろう。 「わかった。ただし、買い物は、三分ね。」 「え〜!」 純は不満そうな声をだしたが、買い物の許可がおりて本当は嬉しかった。 均実はこういうイレギュラーなことに対しても冷静に判断してくれる。他の女子だったら、予定が変わることを極端に嫌がったり、ただオロオロとするだけだが、均実は可能だと思ったことは決して止めはしない。 そういう均実の冷静さが純は好きだった。 一つのことにのめりこむ純と物事を客観的にみる均実はそういうところが、鍵と鍵穴のようにぴったりとあっていたのだ。
「ありがとうございましたー!」 早朝だというのにしっかりとした声でコンビニのアルバイトは純を送り出した。 「終わった?」 「うん、待っててくれてありがと。」 純は均実に今買ったものの入ったコンビニの袋を少し上げてみせると、二人揃って歩き出した。 「じゃ、帰ろっか。」 均実は暗い空を見上げて言った。 いつまで経ってもなかなか明るくならなかったのは、雲が空を覆いつくしていたからだった。 「雨降るかな?」 均実にならって純も空を見上げ、不安そうにつぶやいた。 確かにいつ降りだしてもおかしくない色の雲だった。 二人ともいつもより少し急ぎ足になりながら、空を心配していた。 その時、 ゴロゴロ…… 「……もしかして、雷?」 純はそれ以外ありえないのに、わざわざ確認するように言った。 「まずいね。この季節に雨に降られたら風邪ひいちゃうかも……」 均実も空から聞こえてきた音に、顔を曇らせた。 さっさと家に帰るのが、一番いい。 口にださず二人とも同じ結論にたどりついたのだろう。 ほとんど駆け足になりながら、帰路をいそいでいるというのに、雷はどんどん近づいてきた。雨が降らないのは幸いだが、それでも稲光のあと遅れもせず和太鼓を思いっきり叩いたような音が響くのは、心臓に悪い。自然と二人とも無口になり足も速くなった。 電信柱まで戻ってきたときはほとんど全力疾走状態だったので、二人とも電信柱に手をついて肩で息をしながら言葉がしゃべれなかった。 「……あ……め……ふるから……もう…」 「う……ん…帰ら……なきゃ」 二人ともなんとか電信柱から離れた。だが 「きゃっ!」 「うわっ」 足元がおぼつかないのか、純が均実にむかって倒れた。 普段なら均実も純を抱きとめるぐらいできるのだが、均実の足ももうフラフラだった。 二人とも揃って、道路の上に倒れこむ。 「ったぁー……」 「わっヒト!ごめん。」 「あ……たま…うったぁ……」 均実をクッションにしたので純は無事だったが、均実は背中から勢い良く倒れたので、モロに頭を地面にぶつけていた。 「つぅぅぅ」 割れたかのような痛みに均実は地面にころがったまま両手を頭にやる。 体が疲れに疲れきっているうえで、頭を激しくぶつけたので、均実は痛みと共になんだか気持ち悪くなってきた。 なんとか上体は起こしたが、立ち上がれそうにない。 さらに激しくなる雷の音も、まるで均実に頭痛をあたえるためになっているような気がした。 「だ、大丈夫?」 地面にうずくまったまま痛がる均実を心配して、純が均実の頭を見た。 髪にうずもれてよくわからないが、手で触れてみると大きくたんこぶができている。 そのたんこぶを触った途端また激しく均実が痛がったので、純はどうしていいかわからず、とりあえず落ち着くように均実の背中を撫ぜた。 痛みは遠ざからないが、雷もひどくなっている。 そんな中、均実はふと思い出した。 雷は高いところに落ちる。 痛む頭でそんなことをなぜ思い出したのか、と考えた時均実は痛みを忘れて天を振り仰いだ。 電信柱だ。 「じゅ……」 純ちゃん、ここは危ない!どっちかの家にとりあえず行こう! そう提案しようと口を開いた時、さっきまで散々頭に響いていた雷鳴が消えた。 それどころか純のほうを見ているはずの目には真っ白なだけで何も見えなかった。 体を何か大きなもので押されたような気がした。 もしかして……脳の血管がきれちゃったとか……ああ、それはやだなぁ。 自分でも驚くほど落ち着いてそんなことを考えながら、均実はひどい頭痛に意識を手放したのだった。
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