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均しき望み 作者:奇伊都

第39回   ど〜こま〜で〜も〜♪

 すこし場面は戻る。
 甘海がきていると聞き、退室した徽煉はとりあえず彼を出迎えた。
「数ヶ月といったところでしょうけど、やはり変わりはなさそうですね。」
「これほど歳をとれば、一年や二年経っても変わらぬのはお互い様でしょう。
 ところで均実殿はこちらにいらっしゃるのか?」
 相変わらずの堅物ね。
 徽煉はとにかく任務を果たそうとする姿勢も変わらない、堅物としか称しようのないその男に苦笑した。
「ええ、部屋におられるわ。案内しますからついてきてくださいな。」
 均実の部屋に向かいながら、徽煉は今の情勢についてあれこれと聞いてみた。
 均実を下邳で徽煉に預けてから、甘海は江東にいくと言っていた。
「あそこは代替わりしたばかりだから、荒れていたのではありませんか?」
 孫策が荊州を攻めた際に負った傷がもとで亡くなり、その弟である孫権があとを継いだのというのは風の噂で知っている。
 もともと江東は豪族という、それぞれ力をもった者たちが寄り集まっている状態であった。豪族は部局という戦闘集団を擁している。それをまだ若い孫権が無事治めるなど無理があると思っていたのだが。
「いや、思ったより荒れてはいなかった。いくつか小さな騒動はあったようだが、大火に至らなかったし……。あれは思ったより大物になると考えられますが。」
 徽煉の連絡をうけ、一旦隆中に戻り亮に会うと、そこには亮の兄である謹から書面が届いていた。
 兄上は孫権についた。亮はその書面をみせながら笑ってそう言った。
 孫策は評価できなかったが、孫権は評価できたのだろう。
 あの諸葛家の兄が良評を下した人物である。まだ若いが未来に期待がもてた。
「ますます下邳には帰れなさそうですね。」
 そのことを考え、徽煉はため息をついた。
 徽煉の家は下邳にある。
 許都にむかうとき、徽煉も別に下邳に残ってもよかったのだが、均実は夫人らについていくという。
 甘海に預かった均実を無責任に放り出すわけにもいかなかった。
 だがこのままでは徽煉は、劉備陣営として認識されてしまうだろう。
 下邳はあの後曹操の勢力範囲内に組み込まれてしまった。これで江東の孫権が安定した政権を築くことになれば、大陸の東側の海沿いは、彼ら二人が制圧してしまうといっていいだろう。
 そんな中、もしこの許都をうまく脱出できたとしても、下邳に帰ることは不可能なのではないか。
 詳しく説明するまでも無く、甘海には通じたようだ。
「すまない……。」
「謝らないで下さい。あなたの依頼を請けたのは私自身なんですから。」
 徽煉は後ろを歩く甘海に向かってそう言った。
 そう、別に彼が謝る必要などどこにもないのだ。
 姿勢をただし、すいすいと前を歩く徽煉の後ろ姿をみて甘海は気付かれないようため息をついた。
 昔から敵わないのだ、この女性には。
 甘海がそんなことを考えていると、徽煉はやっと止まった。
「ここです。邦泉、はいりますよ?」
「邦泉?」
「ああ、私が勝手に均実につけた字です。
 まったく字ぐらい考えてから下邳にきてもらいたかったですよ。」
 甘海が訝しがるのをうけて、徽煉は笑って答えた。
 本当に均実が違う世界からきたのだということは、今では納得している。だが出会ってすぐそんな説明をされても、均実がいうようにきっと冗談だと思っただろう。だから説明されなくても仕方がなかったと思う。
 だがそのせいで、下邳では均実のことをずっと諸葛均だと思っていたことを甘海にいうと、彼は変な顔をしたが、なるほど、と頷いた。
 部屋に入ったが、均実の姿は見えない。
「あら……部屋にいるようにと奥方様にいわれていたから、ここにいると思ったのに。」
「徽煉殿、あれか?」
 甘海はすこし部屋を奥に進んだところで、さらに奥を指差し言った。
「え、あらあら……」
 徽煉は均実のその姿に思わず笑みをこぼした。
 寝台の上に倒れこむようにして均実は寝ていた。
 薙刀の練習をしていたときと同じ男物の着物をきていたので、どうやら部屋に下がってすぐ、疲れていたので寝てしまったのかもしれない。
 最近、均実が薙刀を習っていることを聞いて甘海は納得した。
「ああ、なるほど。あいかわらず好奇心が強いのだな。」
 自分が乗馬を教えていたこともあって、甘海は均実を孫のような気分でみた。
 すこし頬に汚れがついているが、それでもすやすやと寝ているのをみて、起こすのがしのびないと思っていたのだが……
「邦泉、起きなさいっ!お客様よ!」
 徽煉がそういいながら均実の肩をガクガクゆすった。
 確かにあなたは変わっていないな……
 遠慮のないところなんかは本当にそのままだと、甘海は口にださず思った。
「う、うわっ……って徽煉殿?」
「そうですよ、それにもう一人。」
 徽煉がそういい、均実の前からどくと、均実はしばらく眠そうに目をショボショボさせていたが、次第に顔つきがはっきりしてきた。
「甘海殿っ? どうしてここに」
「お久しぶりです、均実殿。」
 苦笑しながら答える甘海……いや答えない甘海に均実は慌てて寝台から降りた。
「何かあったんですか? 亮さんに? それとも……」
「いやいや、ただ殿に均実殿の様子をみてきてくれと頼まれたのです。」
「へ?」
 うまく頭がはたらかない。
 どうして甘海がここにいるっていうより、どうして自分がここにいるのがわかったのだろう。
「私に下邳での一件を伝えておいてくれるよう、徽煉殿に頼んだでしょう。」
 混乱している均実に甘海は笑いつつ、そう言った。
 そういわれればそんなことした気がする。かなり前なのでうろ覚えだが……
「殿は心配されて私をここにやったのですよ。本当にご無事でよかった。」
「あぁ、そのまぁ、こんな遠いところまでわざわざありがとうございます……」
 無理やり頭を使い、均実は何とかお礼をいうことには成功した。
 まだ寝ぼけているらしい均実に二人は苦笑していた。
 促してそれぞれ座ると、甘海が話を切りだした。
「均実殿はまだ隆中に戻られるつもりはないのですか?」
 そういわれれば、思っていたより長いこと隆中を離れていることに均実は気付く。
 だが今の状況で均実はここを去るつもりにはならなかった。
「なんだかここ、今ゴタゴタしてて、ここで隆中に戻ったら気になって仕方がないと思うんです。だったらもうしばらくここにいようかなと考えてるんですけど……」
「そうですか……」
「奥方様にも邦泉は気にいられていますからねぇ。」
 ため息をつきそうな甘海に徽煉はそう言った。
「……そういえば均実殿はこんな風に一室をもらえたりと、何かと待遇がいいようですが、一体何をやっているんですか?」
 普通に警備をやっている人間は、一つの大部屋で皆一緒に雑魚寝という状態だ。まあ下邳とは違い、屋敷が小さいからそれほどの人間がいるわけではないが。
 甘海は均実をとりあえずそういう職種につかせてやってほしいと思い、徽煉を訪ねた。
 下手に軍の志願兵をやるよりも安全だと考えた結果だったのだが……
 甘海のその疑問に徽煉はすこし考え込んだ。
 侍女をやっている……というのが普通徽煉に娘を預けた場合、普通考えられることだろう。だが甘海はそれを考えていない。
 何故均実は最初男装をして下邳にやってきていたのだろうか。
 初めて均実と会った時から思っていた疑問だが、道中危ないからだろうと考えていた。だが、これはひょっとすると……
「邦泉、あなたもしかして」
「……はははは、そういうことです。」
 徽煉が何に気付いたのか均実にはわかった。
 甘海は均実を男だと思っている。
 それはひいては隆中では男として生活していたことになる。
 徽煉は片手をやった頭を振った。
 均実がきてから、頭痛がおこりそうなことが増えているような気がする。それはやはり均実のせいだろう。
 どおりで均実が女物の着物を嫌がるわけだ。男として生活していたのだから、女のものを使うことに抵抗があったのだろう。
 そんな女性二人の反応を訳がわからず甘海はみていた。
「何が、もしかしたのですか?」
 今も均実は男装のままだ。
 これが女装だったら、甘海も説明されるまでもなく、自分の間違いに気付いただろうに。
「何がってあなたねぇ」
「徽煉殿っ」
 徽煉が甘海につかみかかるほどの勢いで、事の真相を話そうとしたのを均実がとめた。
 一瞬目を見交わす。均実の目が真剣なのをみて、徽煉は言葉を消した。
「……なんでもないわ。邦泉は私づきの下男よ。
 私が奥方様に近いことは知っているでしょう? その縁で奥方様が邦泉を気に入って、こんな部屋を与えたのよ。」
 これでどう? といった感じで均実をみると、均実は甘海に気付かれないよう頭をさげた。
 あとでしっかり説明してもらいましょう。
 徽煉のその心内の声が聞こえたのか、均実は徽煉をみて首をすくめた。
 ここで甘海に自分が女だとばれると、もちろん亮にも話がいくだろう。
 すると亮は礼を重んじる性格をしているから、そんな周りを騙すような真似を許してくれるはずもない。
 それで隆中に戻ったら、女物の着物を着せられて、ずるずるうざったいことこの上ないだろう。
 堂々と男装をしていられるという点で、均実は隆中が懐かしかった。
「なるほど……まあ、ありえなくもないですね。」
 さすがに二人の態度が奇妙なのに気付いたが、つっこまずにおいた。
 徽煉に口で勝てた試しはない。
 甘海はそういって部屋を見回した。
 下男の部屋というわりには、どこか女の部屋のように見える。
 まあもしかするとこの部屋は曹操から関羽に与えられたものと聞いているし、この他に空いている部屋がなかったのかもしれないな。
 とりあえず近況報告を済ます。
 均実は自分が女だと気付かれるようなところはごまかして、とりあえず下邳からいままでのことを話した。
 下邳でつくった扇風機もどきは今均実の手に戻ってきていた。許都についてすぐ、捨てないことを条件に、甘夫人が返してくれたのだ。一応の改良をして、数分は連続で動き続けるほどの進歩をみせている。それをみせると甘海はやはり驚き、しきりに何度もやってみた。なぜかここの人にはこれがウケるのは間違いないようだ。
 沛で暴漢に襲われたことは黙っておいた。亮にはそんな危険にあったことを知らせて、余計な心労をかけたくなかったからだ。
 関羽と友人であるということをいうと、甘海は驚いた。
 だがそれほど嘘をこめなかったのだが、ところどころ誤魔化しはしたので、甘海は胡散臭く思っているようだった。
 一通り均実の話がすむと、今度は甘海が話を始めた。
 孫権の治世の話は、なんとなく均実には遠い場所でのことのような気がした。
 均実が読んだところまででは、孫権はあまり三国志演義の中にでてこなかったような気がする。それもそのはずだろう。最近までは兄である孫策が表に立っていたのだから。
「そうやって江東を廻っているうちに、徽煉殿からの伝達を受け取り、一度隆中に戻ったのです。」
「隆中で皆元気にやっていましたか?」
「ええ。殿も特にお変わりありませんでしたし、除庶殿や崔州平殿も私が帰ったことをしるや、駆けつけてきてくださいましたよ。孟建殿は曹操殿のもとにいかれたので、いらっしゃいませんでしたが。」
「そうなんだぁ……」
 懐かしい名前が甘海の口からでた。
 孟建のことは以前、州平から曹操のところに行こうかと思っているようだということを聞いていたので、それほど驚きではない。
 だが隆中でもゆっくりだが、確実に変化が起こっていたようだ。
 もうすぐ均実がこの世界に着てから一年ぐらい経つ。
 下邳で冬に入ったが、少しずつその寒さも最近、薄らいできているような気がする。
 春か……
 本来日本にいたらとっくに受験が終わって、大学生活の準備をしているころだろう。
 長いこといたものだな……
「均実殿?」
 ぼんやりとそんなことを考えていたのだが、名前を呼ばれハッとした。
 徽煉も甘海も均実を心配そうにみている。
「あ、ちょっと……もうすぐ一年が経つなぁと思って。」
「え? ……ああこの国に来てから、ということですね。」
 甘海は均実が日本からきたということを信じていない。他の国からきたというのはわかってくれたのだが、やはり年寄りは頭がかたい。
 そんな失礼なことを考えているとは露知らず、甘海は笑った。
「一年あればいろんなことが変化するものですね。」
「そうねぇ……自分達に大した変化がないとしてもねぇ。」
 感慨深げに徽煉も同意した。
「均実殿が隆中をでられたとき、沛におられた劉備殿も、今では袁紹配下。一時は曹操殿の陣営に属していたというのに、月日は」
「ちょ、ちょっと甘海殿っ! もう一度言ってもらえますか!」
 甘海の言葉をさえぎって徽煉が声をあげた。
「え、ですから劉備殿も今では袁紹殿の配下で」
「それは確かなのっ?」
「き、徽煉殿っ、お願いですから首を絞めないでください!」
 勢い込んで徽煉が甘海の首を絞めるように彼を揺さぶった。
 その手からなんとか逃れ、すこし呼吸を改めると、甘海は言った。
「確かな情報です。今は曹操殿が北上を始めていますよね。それを知った袁紹から要請をうけて、汝南の地で黄巾の生き残りを集め、曹操軍を混乱させているということです。」
 黄巾の生き残りと甘海がいったのは黄巾の乱という反乱を起こした民達で、今の英雄達に乱が鎮静された際、死ぬことがなかった者のことだろう。当時、民衆の反乱にしては統率がとれていたため、曹操軍が手を焼くのは仕方がない。
 それを劉備が指揮をとっているのだというのは、徽煉にとって驚きだったが、今はそれよりも重大なことがある。
 汝南というのは許都からみて南の地だ。関羽がむかった白馬の地は反対に北にある。
 甘海の情報は信頼性が高い。
 せっかく劉備の居場所がわかってもそのような遠くに関羽がいては、奥方達も劉備に再会することはできない。
「こうしてられないわ。甘海殿、下邳の家の借りをここで返していただけますか?」
「し、しかし」
「謝るなとはいいましたが、許したとはいってませんよね?」
 何を頼まれるのか、一瞬でわかってしまった甘海は首を横に振ろうとした。
 だがもちろん徽煉に勝てるわけがない。
 そういわれてしまえば、甘海には負い目があるのだ。
「……はぁ、わかりました。白馬の地におられるであろう関将軍に、このことを伝えてこればいいのでしょう?」
「さすが甘海殿。よくわかってらっしゃる。」
 トントンと進んでいく様をみて、均実は姿の見えぬ恐怖に襲われていた。
 戦場に甘海がいくことが心配なのでは……いや心配だが、それがその恐怖ではない。
 違うのだ。
 三国志演義とは、この展開では違うのだ。
 確か関羽が汝南の地に反乱を平定しにいった先で、劉備の配下に会い、初めて関羽は劉備の消息を知ったはずだ。
 細かいところは覚えていないが、今までこの大筋をはずしたことはなかった。
 均実はぞっとした。
 下邳でのときも、危ないとは思っていたが、どこか本の通りで安心していた。
 だがここではイレギュラーなことが起こっている。
 ……もしかして、私がこの世界にきたから?
 自分がここにいなければ、徽煉に甘海が自分を預けなければ、甘海はここにはこなかっただろう。そしてきっと本の通り物語は進んだに違いない。
 ここで……ここで関羽が劉備の行方を知ったらどうなるのだろう。
 均実の苦悩など知らない二人は、話をどんどん進めていく。
「それでは二日あればいけますか?」
「単騎でしたらまあ川を渡るロスを差し引いても、それぐらいで白馬につくはずです。」
「一応この話、奥方様にもしていただいてから出発してもらいたいのですが。」
「はいはい。わかりました。それぐらいやらせていただきますよ。」
「あ、あのっ!」
 均実が声をあげ、二人は黙った。
 さっきから顔色が悪く見えたが、今はもっと悪い。
「どうかされたのですか?均実殿。」
 甘海にそういわれて、均実は言葉がでなかった。
 なんと言えばいい。行くなというのか? そんなこと言えない。
 奥方達は劉備の行方がわかるのを待ちに待っているのだ。
「……お気をつけください。」
 これ以上何が起こるのかわからない。
 怖い、すごく怖い。だが意味もなく止めることはきっとできない。
 均実は搾り出すようにそういうと、黙った。
 二人はそんな均実を奇妙に思ったが、今はそんなこと考えている暇ではない。
「とにかく奥方様のところへ案内します。邦泉、あなたは部屋にいなさい。その顔色では奥方様が何があったのか、不安がります。」
 徽煉と甘海においていかれ、均実はただ部屋の入り口を見つめた。
 ここで起こっているのは次に何がおこるかなど、誰にも想像がつかない戦争なのだと、均実はようやく理解できたような気がした。

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