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均しき望み 作者:奇伊都

第35回   二人そろって眼科に行ってこい!

 一つの軒と大きな馬が並ぶように歩を進めた。
 それを迎えるようにある屋敷の前で数人の人が立っていた。
「ここですか?」
 均実がそういって横を馬に乗って行く関羽に話しかけた。
「……」
「雲長殿?」
「あ、ええ。」
 空返事が返ってくる。
 均実は気付かれないよう軒の中でため息をついた。
 さっきからこんな様子なのだ。均実をつれていくのに気が進まないのか、馬もかなりゆっくり進めている。
 だがどんなにゆっくり進んだとて、目的地にはつくわけで……
「これはこれはお待ちしておりました。」
 屋敷の前にいた人の中で一番偉そうに見えたお爺さんが関羽を迎えてそう言った。
「こちらが奥方様ですか?」
 軒のほうを一度見て、関羽に言う。
 均実が否定しようと口をだすより早く、関羽が苦笑した。
「いや、彼女はわしの妻ではない。」
「え、ですが……」
「許都では彼女がわしの妻だと騒いでおるのは知っておる。だが本当は違うのだ。今回のお誘いにはわしの『妻』ではなく、『馬に乗っていたご婦人』とあったので共にきたまで。」
「ははぁ……左様でしたか。」
 納得したようにいう男は均実のほうをみて拱手した。
「わしは曹家の冢宰、延寿と申します。勘違いにより失礼な問いをしましたこと、お許しいただければ幸いにございます。」
「あ、いえ。気にしてませんから。」
 均実が慌ててそういうのに、延寿は満足そうに笑うと屋敷の中へ促した。
 延寿の後を追い、関羽と二人歩き出すと、従者が軒と赤兎馬を屋敷の片隅にある小屋のほうへ持っていった。
 個人的な宴なので、と延寿はいい、大きな建物ではなく、庭を通りながら離れのほうへ向かった。
 少し延寿と距離を開けて歩いているので、小声なら会話をしても大丈夫だろう。
「雲長殿……私は平気ですから。それは最初、驚きはしましたけど、曹操殿に不快な思いをさせるような言動はしないよう心がけます。
 ですからそんな暗い顔しないでください。」
「……すまんな。心配させてしまったようだ。」
 関羽が均実の言葉に少し肩の力を抜いたようだ。
 それをみて均実は安心した。
 雲長殿は私が変なこといわないか、ハラハラしてるんだろうな。
 そう思ったので均実は声をかけたのだ。
「曹操殿も悪いお方ではない。ただ好奇心で邦泉殿を見たかっただけだろう。
 だから邦泉殿も力を抜いてくれ。」
「私は最初から抜いてますよ?」
 嘘である。
 だが曹操にこれから会うのだという緊張もあったが、それより関羽が険しい顔をしているほうがよほど緊張する。
 均実の答えに関羽は一瞬呆気にとられたようだが、均実を見てしばらくすると、ちいさく笑みを浮かべた。
「上出来だ。」
 延寿は聞こえていないのかすいすいと歩き続け、離れの一室に均実たちは通された。
 そこにはすでに料理の盛られた皿をのせた台が三つ。そのうちの一番奥の台のところに、一人の男が座っていた。
 均実はその男がこちらを見た瞬間、部屋にはいる足を止めそうになった。
 鋭い目、射抜くようにこちらを見た。一瞬息がとまるかと思うほどのその圧力が、均実は怖く感じた。
 これが曹操か。
 三国時代。魏の国を作る英雄。
「ようこられた雲長殿。そちらが彼の噂の女性か。」
 均実の恐怖に気付いたのか、曹操は視線をやわらげそう言った。
 関羽は拱手し頭をさげた。均実も慌ててそれにならう。
「はい、孟徳殿。この度はお招きありがとうございます。」
「いや噂の美姫をぜひ見たいと無理を申した。確かに美しい。」
 は?
 均実は曹操の言葉を受けて耳を疑った。
 美しいって言った、この人? それに噂の美姫って……。
 確かに徽煉にきちんと化粧までされ、下手な格好をしたら失礼だと、いつもよりも多く装飾品をつけまくられた。
 だがこれまで均実は自分が美しいなどと思ったことはない。いや、思ったらナルシストだろうが。
「どのような噂ですか?」
「聞いた話には『その黒髪は星々の輝きを秘め、肌は雪のごとく、されど絹のように滑らか。歩するところは黄金へと変わり、声を聞けば三日はどのような美曲すら、雑音に聞こえる』といったものだったが……」
 ……ありえない。
 関羽が聞いたため、曹操は思い出しながら言った。
 均実が薙刀を練習している間、許都では均実の噂が静まるどころか、かなり派手に作り上げられていた。
 これじゃあ声をだすこともできないじゃないか。
 関羽は困ったように笑った。
「……凄まじい噂ですね。」
「奥にいれて一歩も外にださぬことも聞いておるぞ? 民は余計知りたがり、期待し、話はどんどん大きくなるものだ。」
「ご期待に沿えず、申し訳ありません。」
 均実はいたたまれずそう言った。
 徽煉はそのうちに噂もなくなるだろうといったが、帰ったらこのことを教えてやろう。
 そう決意する均実をみて曹操は笑った。
「いやいや、期待通りといえると思うが?」
「え、あの……もしかして目がお悪いんですか?」
「邦泉殿!」
 あ、しまった。
 関羽が慌てて声をあげる。
 つい……だってその鋭い目つきも、視力が悪くて目を細めているのなら納得だな、と思ったもんで。
 だが曹操は気にした様子もなく、それどころ均実の言葉が気に入ったらしく、ますます笑いを大きくした。
 立ったままだったので促され席につく。
 曹操が一番奥の席、そこから横に折れてすぐのところに関羽が座り、その横に均実も座った。つまりはLの字形に座ったことになる。
 なぜわざわざ横向きになるように座るのか? どうも面と向かって話さないのは変な気がするが、そういうものらしい。
「面白い女性だ。雲長殿、妻ではないというのは本当か?」
「そのような噂があるのは知っておりますが、事実ではありません。」
 関羽が否定するのを聞きながら、均実は曹操を観察した。
 やはり一番の印象はその目だろう。
 鋭い目は今はそうではないが、本気で人を睨めばそのまま殺せるんではないかと思えるほど怖かった。
 均整がとれた体格であることが着物を着た上からでもわかる。優れた武人でもあるというので、鍛えているのだろう。背は座っているのでよくわからないが、それでも十分高そうだ。全体的に威圧感を持っている。
 顔は研ぎ澄まされた刃物のような容貌といえるだろう。親しみ難いが、主として仕えるのならばかなりカリスマ性を感じるのではないか。歳も関羽とそれほどかわるようにはみえず、強い覇気が感じられる。
「では改めて自己紹介をさせていただこうか。
わしは漢帝国が丞相を拝命している曹操、字を孟徳と申す。」
「あ、私は……諸葛均です。」
 一瞬迷ったが、そういうことにした。
 別にここで日本からきたことを一々説明する気にはならなかった。
「字は邦泉といわれるのか?」
「はい。」
「では邦泉殿とお呼びしてもよいかな?」
「はい……ということは、私は孟徳殿とお呼びしていいのですか?」
「好きにしてくれてよい。」
 本の中の人物と今更ながら話していることに均実は少し感動していた。
 いや、それを言えば亮もそうだし、関羽だって本の中の人物なのだが、どうも出会いが出会いだっただけにかなり親しんでしまって、均実はあまり今までそう意識しなかったのだ。
「奥方でないのならば、何故邦泉殿が雲長殿の馬に同乗していたのだ?」
 そんな均実に気付くことなく、曹操は関羽に聞いた。
 何か含んだような目で曹操は関羽の返答を待ったが、関羽は何も答えようとしない。
 沈黙がおとずれるのを恐れて、均実が声を発した。
「私が怪我を負っていたもので……」
「怪我? 邦泉殿が?」
「その……沛で」
 そう言ったとき関羽が咳払いをしたので、均実は口を閉じた。
 何か言ってはまずいことでもあるのだろうか。
「沛で? ……ああ、それではあの時怪我をしたというのは、邦泉殿のことだったのか。」
 曹操はそれでも均実の言いたいことを汲み取れたらしく、そうつぶやいた。
 沛の事件のとき、曹操は張遼からケガ人が一人でたことをきき、医者を関羽のところに差し向けていた。
「いや、あのことは本当にすまなかった。
 わしがいくら留守にしていたとはいえ、監督不行き届きになってしまっていた点を謝ろう。」
 そういって膝に両手をつき、頭を下げる曹操に均実は慌てた。
「あ、いえ、もう傷も塞がりましたから、大丈夫です。」
 そういいながら均実は少し感心していた。
 あの事件は実際、曹操の部下である将が画策した事件である。
 だが表面上では沛の治安が悪化していたためということになっている。
 この場には給仕をしている女官もいるし、曹操の警備をしている兵士もいる。曹操は監督不行き届きといったが、それが「部下」に対してではなく「治安維持」に対してとも取れるよう、目的語をぼやかしていったのだ。
 そんな話術を一瞬のうちに、違和感無く組み立てられるというのは凄いことに感じた。
「蔡陽殿はどうされたのですか?」
 関羽は曹操が頭を上げるのを待って、話を変えるように言った。
 均実はその名前をどこかで聞いたような気がしたが思い出せない。
 どこだったかな……。
 曹操は関羽の問いに一瞬目を見開いたようだが、すぐに答えを返した。
「今は白馬の地へ行っている。
 先陣を任したのでな。」
「先陣……ではやはり?」
「ああ、それゆえ雲長殿にも来ていただきたい。」
「わかりました。ですがくれぐれも後をお願いしたい。」
 二人が均実にはわからない会話を続けようとしたとき、廊下から「お待ちください。」とさっきの延寿が叫んでいる声が聞こえた。
「なんだ。」
 曹操が部屋の入り口から姿を現した延寿に声をかけた。
 均実は入り口を振り返った。
 延寿と共に、おそらく均実よりも若い男の子が立っていた。格好は動きやすい着物(均実は心底その格好がしたかった)で、髪が結ってあったのだろうが、少しほどけ髪の毛が二三すじ肩におちている。よく面差しが曹操に似ているが、曹操よりも優しげな目つきをしているように見える。
 均実のほうを驚いたように見ているが、均実が首をかしげるとハッとしたように曹操のほうを向きなおした。
「父上っ。この度の戦、私は連れて行っていただけぬとはどういうことですか!」
「このたわけもの。客人の前でそのように声を荒げるものではない。」
 少年の言葉に曹操は低い声でそう答えた。
 ぐっと少年は言葉をつまらせる。
「それになんだ。その格好は。常に騒がず、下の者達に示しがつくよう行動せよといっているはずだろう。」
「申し訳ありません。お止めしたのですが……」
 延寿が本当にすまなそうな顔をして言った。
 曹操は黙ってしまった少年を冷たく一瞥して、首を横に振った。
「すまない。あれはわしの愚息でな。名は丕。ついこの前元服したばかりのひよっこで、字を子桓という。」
「ご子息でしたか……」
 関羽がホッとしたように言った。
 訳もわからず緊迫した場面にほうりこまれた関羽と均実は、曹操が少し嫌そうだったが、曹丕を自分の側にくるよう言って安心した。
 だが曹操の側へ行く曹丕は、どことなくしゅんとしているように見え、雨に降られた子犬のように見える。
「子桓殿。わしは関羽、字を雲長と申す。」
 関羽もその曹丕の姿に同情したのか、曹操が再び説教をする前にと口を開いた。
 その言葉に曹丕は驚いたようだ。
「え……あ、そ、その長い髭……あ…と」
「お前は満足に挨拶すら返せんのか。」
 どもっている曹丕に、曹操はまたイライラと声を投げつけた。
「そんな奴に戦場などまだ早いことすら判断できぬか。」
「……申し訳ありません。」
 うなだれて曹丕は謝った。
 どうあっても曹操は怒ったらしい。
 だが曹丕もめげていない。
「あの……そちらの女性は?」
 あれだけ怒られたのに質問を発することができる曹丕に均実は感心した。
 怒られ慣れているかもしれない。
「お前も話を聞いたことぐらいはあるだろう。今この許都で一番有名な方だ。」
 ……それは言いすぎだろう。
 と思ったのだが、それで曹丕には通じたらしい。
「え、あ、関将軍の奥方様ですか!」
「……違います。」
 噂になっている対象という点では間違っていないのだが、とりあえず均実は否定した。
 苦笑した関羽が、噂が真実ではないことを曹丕に告げた。
「邦泉殿……ですか。」
「ええ。……あの、先ほど戦といっておられましたが?」
 一通り紹介が終わったのを感じて、均実はさっきから疑問に思っていたことを口にだした。
「はい、ついに父上が河北に兵をだされると聞き……」
「こら、丕。」
 均実の問いに答えようとしてくれた曹丕に、また曹操は声をあげた。
 びくっと曹丕は口を閉ざす。
「お前は本当に物事を考えぬやつだ。戦の話を大っぴらにするやつがあるか。」
「あ、あの、私が聞いたのですから」
「邦泉殿、戦は情報が漏れることが最大の弱点となることもある。
 これは愚息への教育。口を挟まないでくれ。」
 そういわれ、均実は関羽に目をやるとその目には肯定の光が宿っている。
 でも私が聞いたせいで怒られるのは、かわいそうだと思うんだけど……
「もういい。子桓。下がれ。」
 曹操のその最後の言葉に曹丕は頭をさげ、退室しようとした。
「子桓殿……ごめんなさい。」
 均実がその姿につい謝罪をすると、曹丕は驚いたように均実を見、そして微笑んだ。
「邦泉殿は姿かたちがお綺麗なだけでなく、心根までも美しい方なのですね。
 どうぞお気にかけくださいますな。いつものことですから」
 ……この親子は揃って目が悪いらしい。
 均実はそう確信した。
 曹丕が部屋からいなくなった後、曹操は大きくため息をついた。
「まったく……」
 とその後小さく何かをつぶやいたのだが、一番遠い席である均実には何を言ったのか聞こえなかった。
 だが関羽には聞こえたらしい。眉をしかめたが、それを見て曹操が笑ったので彼もため息をついた。
「あの……?」
「何でもない。」
 関羽に話しかけたのだが、彼はそう短くいうと出されていた杯に口をつけた。

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