もちろん町といっても、今まで一緒に歩いてきた人間全員が泊まれるだけの宿があるわけないわけで…… 大多数の人間はせっかく沛の到着したのだといっても、結局城壁の外で野宿だった。 夫人達二人は一応宿を手配されたらしい。だが連れてきた家人を全員を宿に入れるわけにはいかないため、結局夫人二人に徽煉と均実とが付き添うだけになり、あとは野宿ということになっていた。 まあ不満もあっただろう。徽煉はともかく均実など新参の侍女だ。それなのに宿に泊まることができるなんて……。だが曹操が下邳を落とした時、最後まで夫人の側を離れなかったことが評価されたらしく、誰も面とむかっては何もいわなかった。 まあつまりは微妙な嫌味をいくつか言われるという、なんともかわり映えのしない状況だということだが。 曹操の部下という男に案内された宿の前に軒を止めると、均実と徽煉は夫人達を軒から下ろした。宿……というかそのくたびれた建物をみると、なんだかおばけでも出てきそうな風情だ。 「この宿にお部屋は用意してあります。」 名すら名乗らず、それだけいうと兵は夜の闇の中に消えていった。 「雲長殿はどうされたのでしょう……」 別段この宿に入ることに嫌悪感もないらしいが、関羽の姿がみえないことだけが甘には不安だったようだ。 関羽は沛にはいるとすぐ曹操に呼ばれて、それから別行動をしている。 関羽がどこに泊まるのか、そして今どこにいるのか全くわからない状態ではその不安も仕方が無いのかもしれない。 「とりあえず部屋で体をやすめましょう。奥方様もお疲れでしょうから。」 徽煉が夫人達を促し宿に入ったが、均実はどうも違和感を覚えて仕方が無かった。 曹操は関羽との三条の約束は守るだろう。それなのに奥方達をこのような宿にいれるだろうか? 夫人の後ろについて、そんな疑問を考えながら宿に入ると、中は暗かった。 「もし、店の者はおらんのか?」 シン……とした空気がますます違和感を煽る。 ここは本当に宿なのだろうか? 外にもそれを示す看板すらなかったし、泊まっている人がいるにしても寝息すら感じ取れない。 徽煉も奇妙に感じたのだろう。持っている薙刀の柄を強く握りなおしたのが見えた。 「徽煉?」 「し、静かに。」 徽煉がそういうとさすがに夫人達も何かがおかしいことに気付いたのだろう。 四人は黙り込み、ただ闇を見つめた。 徽煉の呼吸の音が一番後ろにいる均実にも届いた。 「そこにいるのは何者か?」 「……案外鋭いものだな。」 問いに答えず、声の主は徽煉の前に姿を現した。 ただ店の奥からやってきただけなら、別段あやしむべき事もないかもしれないが、その男は手に抜き身の剣を持っていた。 それを認めた徽煉も薙刀を構えなおす。 「一応聞いてあげますが、この方々がどういう方かを知った上での態度ですか?」 「あったりまえよ。その上で仕事をうけるのが決まりでな。」 男は雇われた者らしい。 徽煉と相対しながらも決して負けることのない気迫を発している。 均実は唇を噛んだ。 男の言い方からすると、このような状況を頼んだ依頼者がいるはずである。 関羽は自分を歓迎していない者が曹操側にいるといっていた。 奥方を殺せば、関羽は曹操のもとにいる必要はなくなる。 野宿をしていたときは周りに人がいたし、関羽も側にいた。 だがこの状況で殺されたとしても、死体さえちゃんと処理すれば行方不明で片をつけられる。 今から思えばこの宿に案内してきた男も、この計画の参加者だろう。 夫人達が徽煉から距離をとるように二三歩後ずさった。もしかすると徽煉に小声で下がるよう言われたのかもしれない。 そして闇に金属がぶつかる甲高い音が響いた。 「へえ。薙刀使いの侍女がついているとは聞いていたが、この剣線は実戦のものだな。侍女にふさわしくない。」 「ふさわしくないかどうかは、私が決めること。あなたには関係ない。」 数合打ち合わせる音が響くが、月の灯りが窓から入ってくるぐらいの光源しかないので、よくは見えない。 ただ徽煉の薙刀はリーチが大きい分、屋内で振り回すには下邳の屋敷ぐらいの広さが欲しい。このような狭いところではうまく扱えないのか、劣勢なのがわかる。 「邦泉!奥方様をっ」 しばし呆然としていた均実だったが、徽煉の声で我に返った。 こんなところにいたって危ないだけだし、徽煉の邪魔になる。 夫人はもちろん均実だって武芸はできないのだから、戦力どころか足手まといである。 均実は二人を慌てて宿から外に促したが…… 「うっ……。」 外には五人の男が中の男と同じような剣を手にもち、こちらに構えていた。 圧倒的に不利である。 う〜ん……こういう危険は予測してなかったなぁ……。甘海さんに馬術だけじゃなく、武術も教えてもらうべきだったか。 均実はそう思いながら、夫人二人を背にかばった。 剣でもあれば抜いて牽制になるだろうが、そんなもの均実はもっていない。まったくの丸腰である。 「下がれっ! 無礼であるぞ!」 徽煉は中でまだ打ち合っている。助けは望めないが、とりあえずそう声を張り上げた。 もしかすると住民が起きてこちらを見つけてくれるかもしれない。彼らは人にみられると、まずい立場なのだから。 だが均実の声にも全く焦りをみせなかった。 どうやら周囲にもすでに手を打ってあるのだろう。 均実は心の中で舌打ちをした。 これ以上自分にできることはない。 じりじりと小さくなる男達の輪を均実は睨みつけていた。 なにか……何かなかったか……。少しでもいい、時間稼ぎにでもなるような物は……。 均実はそう考えた時、はっと自分の二の腕を触った。 肌触りのいい生地の下でゴツゴツした物が手に触れた。 これだ! 「待て!」 均実はそう声をあげてから素早くその物体を腕からとった。 Gショックである。 まったく何の役にも立たないが、こちらの人はそんな形状のもの見たこと無いだろう。月の灯りに照らされて、何となくその無機物ぶりが不気味に見える。 困惑した空気がそこに流れるのが均実に感じられたが、ここははったりだ。 「これは異国より手に入れた究極の破壊兵器。 それ以上近寄れば遠慮なくお前たちに向けて使用する!」 はったりも、信じられれば、真実だ。 心の中は何故か落ち着いていて、そんな川柳をよむ程の余裕を見せていた。 男達はそのはったりのためそれ以上前には進むのをやめ、目線同士で会話を始めた。 おい、何か変なものもってるぞ。 いやそんな大層なものもっているなら最初から使っているだろう。 威力が大きすぎてぎりぎりまで使えないのだとしたら? 均実はたぶん彼らが心中そんなことを言っているのだろうと、推測できた。 おそらく情報としては徽煉さえ足止めすれば、均実や二夫人など赤子の手をひねるようなものだとかいうものだったに違いない。 ここで不確定要素なものが加わったことによって、彼らの計算は狂ったのだろう。 「信じられぬのなら、まずは本来の威力の百分の一を見せてやろう!」 均実はそういい、Gショックの画面の下についているボタンをぽちっと押した。 もちろんただのバックライトがつくだけだが、やはりこの世界は外灯とかがないせいか、凄く明るく照らされたように感じる。 「ひっ……」 画面から発せられた青白い光に一人がそんな声をあげた。 こんな人工的な光、この世界にはないのだろう。 他の者も同じように動揺しているようだ。 百分の一の力と目の前の娘は言った。 ということはこんな見たことがないような光など比にもならないような力が、あの兵器には隠されているのではないか? じりっと一人の男が後ずさるのが聞こえた。 そのとき ピピ あ、八時だ。 Gショックからきりのいい時間を知らせるための電子音が聞こえた。 今まで服の中につけていたから、音が鳴っていてもうずもれて、聞こえなかったのだろう。 この音が最終的にすごい恐怖を煽ったらしい。 「ひぃぃ!」 一人が逃げ出すと他の奴らもわれ先をあらそって逃げ出した。 「なっ、一体何が」 「隙あり!」 宿の中では外の気配を察知して動揺する男と、徽煉の声が交錯した。 「くそっ!」 「痛っ!」 男は入り口に立っていた均実にぶつかるようにして押しのけると、そのまま不利であることをわきまえて逃げていった。 徽煉が追いかけて外にでてきたが、もう姿をとらえることはできなかった。 「……逃げられましたね。」 「いいえ、いいのです。徽煉、そなたは無事ですか?」 糜夫人が気遣うように声をかけたのに対して、徽煉は微笑んだ。 「はい。私もまだまだのようですが。」 「そんなことありません。助かりました。」 「そうですよ。それに邦泉。あなたも凄いわ。 あの光は一体なんだったの?」 甘夫人がそういって男に突き飛ばされ倒れたままだった均実に近づいてきたとき、大きな人影がこちらにむかって走ってきた。 「奥方様っ!ご無事ですかっ?」 関羽だ。 糜はその姿を認め、ようやくホッと息を吐いた。 その後ろからもう一人の武将がかけてくる。だが確か見覚えのある者で、一度挨拶をうけたはずだ。 「ええなんとか。徽煉と邦泉のおかげで。そちらは……確か張遼殿でしたね。」 「はい。拙者のような者をおぼえておいてくださり光栄の至りにございます。」 「徽煉殿はわかりますが……邦泉殿も?」 「邦泉っ!」 再会に皆が口を開き、関羽が糜の言葉に疑問を呈したとき、甘の悲鳴が上がった。 その声に均実をみると、建物の壁にもたれて座り込んでいる。 「どうかしたのかっ?」 関羽が慌てて近寄ってきた。 均実は脂汗をかいているのを自分でも感じながら、無理やり笑みを浮かべた。 「う……少し……わき腹が熱いっていうか……痛いっていうか……」 少しどころではない。心臓の鼓動にあわせて、左のわき腹が脈打っているのがわかる。両手でそこを押さえていたが一向によくならない。 「見せろっ」 関羽が均実の両手をそこからはがした。 そこからはドクドクと赤い液体が流れている。 関羽の後ろから覗き込むようにしていた張遼も眉をしかめた。 「これは……ひどいな。」 「斬られたのか?」 関羽は自分の衣を裂き、包帯代わりにして均実のわき腹に巻きつけた。 どこか既視感をもつその状態に均実は痛みをこらえつつまた笑った。 「なんか突き飛ばされた時……剣がかすったらしくて。」 男にしてみれば、うまくすれば二夫人のうちのどちらかでも傷つけるつもりだったのかもしれない。 ただそこにいたのが均実だっただけだ。 応急手当が済んだのか、関羽は均実の体を抱き上げた。 「雲……長殿……」 「しゃべるな。傷にさわる。」 関羽は怒っているように見える。 均実が焦点がうまく定まらないながらもそう感じたのは間違いではない。 当然だろう。このような危険を避けるために、わしは降服したのに。 曹操に対する怒りはとにかく、関羽は均実を抱き上げたまま、歩き始めた。 「ここは宿ではありません。詳しいことは本当の宿についてからということで。」 関羽は二夫人を促し、歩く。 二夫人も均実の怪我がかなりひどいのを見て無言でしたがった。 早く宿に行って手当てをしてやらなければ。 それが関羽の心の中で今、怒りよりもまず考えられていたことだった。 「う…ん……長……」 「しゃべるなといっているだろう。」 「…た…ん気を……起こされては……いけま……せんよ」 足をうごかしながら、関羽は均実の言葉に彼女の顔を見た。 かなり青白く見えるが、その均実は強い光を帯びている。 「この……首謀者……狙……いは…雲……ちょ…殿。だか…ら」 「わかったから口を閉じろっ!」 関羽が再び叫び、均実はそれをみて微笑んだ。 心配してくれているのはよくわかる。剣で斬られたことなどないから、一体自分が今どうなっているのか今いちわからないが、彼の表情からよくないのはわかっている。 それでも言っておかなければ…… あの男、最後は刀を一振りしただけだった。他の者にしても確かに剣をぬいてはいたが、切りかかってはこなかった。いくら均実がはったりをかましたとしてもその間に斬りつけてしまえば、女四人ぐらい簡単に殺せたはずだ。 つまり彼らに自分達を殺すつもりはなかった。 傷をもし奥方が負ったとすれば、関羽は降服をなかったことにするかもしれないが、奥方を置いて逃げることはできず、簡単に殺されてしまう。逆に奥方を殺してしまえば、関羽に守るものはない。死力を尽くして復讐してくるだろう。 つまりこの状況では奥方に満足に動けない程度の傷を与えるのが、最上の策。 おそらくそこまで考えている。この首謀者は。 「……だから……目を覚ま…した時……、まだ……怒って…いたら……ゆ……るしま……せんよ。」 「邦泉殿っ?」 貧血からくる失神だろう。 均実は関羽に抱かれたまま気を失ってしまったのだった。
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