兵士の影が数人見える。 部屋から外を望む入り口では武装した兵士が直立不動で立っているようだ。 本来なら部屋の中まではいってこようとしていたのだが、並大抵の兵士では徽煉をおさえることなどできない。屋内であるから数に頼んで……というのもできないと、折衷案で入り口を監視することにしたらしい。 とりあえず危害を加えるつもりは今のところないようなので、均実は少しほっとした。 徽煉が兵士達をたたきのめしたとき、これまでは夫人の近くが一番安全だろうと考えていたのだが、もしかすると夫人の周辺が一番危険かもという考えに変わった。よって一応、身柄の保護をされている今の状態のほうが安心できたのだ。 「雲長殿は無事かしら……?」 曹操は下邳に攻め入ってきてもめぼしい将を見つけることができなかった。 簡雍が下邳にいた関羽以外の将に、奥方の言葉を伝えたためだろうと徽煉は誇り高げにいう。おそらくはもう下邳を守りきれないと判断した将である簡雍達は、生き延びるために野に下ったのだろう。 だが以前関羽は曹操の軍に包囲されている状態だときいていた。 不安げに甘がつぶやいた言葉は今この部屋にいる四人の心配だった。 「きっと無事ですよ。」 均実は夫人にそう答えた。 その言葉は無事であることを知っているからでもあるし、無事でいてもらわなければ困るということでもあった。 ここで関羽が死んでは、奥方達の身の保証をする利益が曹操になくなってしまう。 ひいては均実の命が保証されないのだ。 力強く答えた均実の言葉に夫人らは目を見張ったが、頷き同意した。 「何かあったようですね。」 徽煉がそうつぶやき、入り口を睨んでいた。 均実もそちらを見ると、兵士になにやら耳打ちしている人影がいた。 「失礼します!」 入り口で立っていた兵士がそう声をかけて部屋に入ってきた。 徽煉がすかさず横に置いていた薙刀を構える。 彼女に叩きのめされた兵士とはまた違うようだが、それをみて一瞬怯えたような顔をしたのに、均実は噴出しそうになったが、彼の知らせのほうが重要だった。 「関将軍がこちらに向かっております。」 夫人ら二人は息をのんだ。 「無事……なのですね。」 「はい。すぐにこちらのほうに来ると今伝令が……」 そのとき勢いのいい足音が廊下に響いた。 ドカドカと凄い勢いでこの部屋に近づいてくる。 夫人らは目に涙をためて、その音を待った。 「失礼します。関羽、ただいま戻りました。」 部屋の前で礼をし、入ってきた関羽に報告をしていた兵士が慌てて場所をあけた。 均実は関羽のその姿に驚いた。 以前見たときは漆黒の衣をまとっているだけだったのに、今は全身鎧で包み、兜すらつけている。それだけならまだしも何本か鎧の継ぎ目に矢が刺さっているのだ。 「おお、雲長殿……よくご無事で。」 「はい。このような格好のまま御前を汚すご無礼、お許しください。」 糜夫人の言葉に頭を下げたままで関羽は応えた。 なきながら甘夫人がその関羽に頭をあげ、もっとしっかり顔をみせるよう言った。 だが関羽はそのまま顔を上げようとしない。 「……この度は私が至らぬばかりに、奥方様には不安を与えてしまい、申し訳ございませんでした。」 「よいのです。そなたが無事で本当によかった。」 「下邳は……落ちました。我らは敗れたのです。 敗将として責をとり、首を掻っ切るのが本来。ですがおめおめと生き恥をさらしてでも、この関羽。奥方様をお守りいたします。」 「……それは曹操に降服したということですか?」 糜夫人が甘夫人を徽煉になだめるように指示してから、そう聞いた。 「……御意。」 甘夫人が小さな悲鳴を上げたのが聞こえた気がして、均実は振り返ると彼女は徽煉の腕の中で気を失っていた。徽煉が彼女を支え、寝かせるために奥へつれていく。 糜夫人はそんな中努めて冷静に問いを発する。 「そなたは殿の義弟ではありませんか……。わらわ達のために、その誓いを棄てるとおっしゃるのか?」 重苦しい空気が二人の間に流れる。 奇妙な光景だな…… 均実は第三者の目線でそれをみていた。 巨人とでもいえるような大柄な男が肩を落とし、自分の胸までも身長があるかないかの小さくてほっそりした女性に叱責されている。大型犬対ハムスターみたいな感じだ。 そんな風に考えていた均実にちらりと関羽は目をやったように見えた。 え……何? 私なんかした? だがそれは気のせいだったのか、沈黙はそのまま続いた。 関羽は均実に何かいいたかったのか? それとも何か言って欲しかったのか? 考えをめぐらしながらも、この重い雰囲気にいい加減耐えられなくなってきた。 「……奥方様。私の意見をいわせていただいてもよろしいですか?」 「何? 邦泉。」 均実は空気を肺いっぱいに吸った。 自分が口出しするのは間違っているのかもしれない。だが関羽に自分は義兄弟の誓いを忘れるなと言った。彼がその言葉を忘れているとは思えない。 「雲長殿はけして誓いを破られたわけではございません。むしろ逆です。」 部屋の中の空気の密度が自分の周りだけ低いような気がした。 もう一度息を吸い込み、頭を垂れたままの関羽を見据えていった。 「ここで降服せず、雲長殿が死ねば殿は義弟を失うことになります。奥方様はそのような悲しいことを勧められるのですか?」 「ですが……」 「それに雲長殿。わたしはあなたが何の条件もなしに、降服したとは思っていません。どうかその説明をしていただけませんか?」 話をふったためか、関羽は落としていた肩をピクリと震わせた。 糜夫人はそうなのか? という瞳で関羽を見た。 「……条件は三つ。私が漢の臣であること、奥方様の身の保証、そして殿の居場所がわかり次第殿のもとにいってよいということを受け入れさせました。」 本の通りだ。 均実は何度思ったかはわからないことを再び感じた。 「けして私は誓いに背いたわけではありません。」 糜夫人はそこまで聞くとふっとこわばっていた表情を緩めた。 「雲長殿……どうか顔をあげてください。」 夫人の声色の変化に戸惑ったのか、関羽が恐る恐るといった感じで今度は顔をあげた。 「もうしわけありません。辛いのはそなたでしたね……。」 「そんなっ……!」 「義を守り、忠に従い、ほんにそなたは真の将じゃ。」 「……拙者のような者に過ぎた言葉です。下邳も敵の手に落ちました。」 関羽は再び夫人の前に頭をさげた。 「それでも奥方様をお守りとおすことだけは、必ず果たしてみせましょう。」 その姿に糜夫人もこらえていた涙をこぼしたのだった。
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